メディアのあるべき論を考え、現状を憂うにはよい本。知識人がメディア論の名著を紹介し、それに照らして現状を分析してくれるが、改善のための提言はない。

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表紙と本の中身は何も関係ない(こんな、いかにも売らんかな、のタイトルをつけることに出版業の凋落を感じるなあ。むしろ、裏表紙が本の内容を説明している)。

本書は、メディアが政治権力と結託して人民をコントロールしているなんてことは少なくとも日本ではなくて、むしろ、メディアが売らんかなの資本主義に毒されてしまって、民主主義を下支えする本来の機能(中間共同体としての結社)を果たしていないという危機的状況を憂いている。さらにSNSによる単純化された情報の羅列があふれることで、人々が本を読んで思考することをやめてしまって、自ら進んで本を捨てていく(古典が忘れ去られる)ことの危機が語られている。

最後に4人の識者による「メディアの生きる道」という対談があるが、提案めいたものは「NHK頑張ってね。忖度して自主規制なんかしないで、現地取材してね。」程度。知識人に行動提案を求めること自体がないものねだりではあるんだけどね。

しかし、知識人から得る物もあった。それは「Nation」と「Nationalism」について。以下にいくつか引用紹介します。

ネーションは文化的な共同体である。ナショナリズムは文化的なアイデンティティと政治主権が及ぶ範囲を合致させようとすることである(ベネディクト アンダーソン)。

さらに面白かったのは、ナショナリズムとは「俗語が聖なる言語の地位を奪う事。」

国語の権威の源泉は「声」にある(漢字やラテン語は数式や記号と同じで、文字だけが重要で、発音はどうでもいい)。

言文一致小説(夏目漱石朝日新聞に連載した三四郎)が近代国家の成立を後押しした。ルターが聖書をドイツ語で出版したのも同じ意味を持つ。

ここからは感想。

香港が広東語を捨てて北京語になるかどうか(教育はすでにそうなっているんだろうか)は極めて重要なことだな。香港人の友達が言っていたが、広東語と北京語は書くと同じだが、発音すると全然違うとのこと。

ラグビーで歌うナショナルアンセムもしかり。南アフリカは五か国語で歌っているとのこと。アイルランドは島でチームを作っている(アイルランド国+イギリス国の北アイルランド)のでアイルランズ・コールを歌う。

「声」=「歌」の持つ意味を考えさせられました。特に国歌はなおさら。

EUはベートーベンの第九がEUの歌になっている。イギリス人はドイツ語は嫌かもね。フランス人はどう思っているんだろう。でも、基本はAlle Menschen werden Bruederだからみんな国家を超越して歌えるはずですね。