生きたいように生きる。人生100年時代の個人を尊重する生き方。テクノロジーが変える社会。

2017年に卒サラして、個人事業主になりました。契約で外資系の仕事をしつつ、過去の外資勤務の経験を本にしたり、いままでやりたいと思いつつ、先延ばししてきたこと(趣味の音楽や旅行など)を始めたりしています。

ここ数年、人生100年時代のワークライフバランスというようなことが言われますね。サラリーマンでやってきて60歳で定年になっても雇用延長して65歳までいられる。でも、そのあと20年以上人生があるなら、どうしたらいいんだろう。という感じで漠然と不安を抱えつつも日々の会社生活に流されている人も多いのではないでしょうか。

組織に縛られない個人として社会生活をしながら、自分の力量を発揮した対価としての収入を得つつ、自分の生きがいを公私の両面で高めていけるならそれは素晴らしいですよね。

そのためには自分だけでなく、社会の仕組みや世の中全体の考え方が変わる必要もあるかもしれません。

世の中を変える一番の力はテクノロジーにある、という説があります。

シンギュラリティということばも広く使われるようになってきました。コンピュータの能力が人類全体の脳力を超えることで、2045年頃にはそうなるのではないかと言われています。

脳とコンピュータを直接つないで脳力を高める研究もなされています。

また、コンピュータに仕事を奪われる、という人もいます。たしかにアマゾンの無人コンビニが経営的に成り立てば(いずれそうなるでしょう)、レジ打ちの仕事はなくなるでしょう。人の働き方も変わらざるを得ないでしょう。

中国ではもっと簡単な仕組みの無人コンビニが機能しています。そこでは現金で支払いができません。

お金の形も変わってくるでしょう。ビットコインの仕組み(ブロックチェーンとProof of Work)はテクノロジーが経済の仕組みを直接的に変える例として理解できます。

お金というのは価値の計測、交換、蓄積に使うものです。これがいずれ(ビットコインのような)デジタルの情報として流通するようになるでしょう。

経済とは価値の創造、交換、蓄積だと思います。この経済活動はすでにかなりの部分がデジタルデータの交換で成り立っています。経済活動はデジタルの世界に収斂するのでしょう。

実社会には生産と物流、運輸が残りますが、それは機械がコンピュータの指示で行うようになります。

コンピュータが仕事をする時代には、ベーシックインカムと言って、政府が人に仕事を与えるのではなく、生活費を支給するという考え方もあります。これを政府発行の仮想通貨でやったらどうなるかな、なんて妄想しています。

そうなると、人のやる仕事は何になるのでしょうか。

音楽や文学などは間接体験を提供するコンテンツとしてほぼデジタルデータになっています。一方で生演奏などは直接体験の価値です。これを提供できる人は尊敬されます。スポーツなどもそうです。

おもてなし業を含めて、良き体験を提供することは人の仕事として残ると思います。

囲碁将棋でも、コンピュータの方が人より強いかもしれないけれど、人と人の真剣勝負に人は感動するのだと思います。人としての共感ですよね。それが最後の砦。ロボットがウサインボルトより速く走ったってそれがどうしたの、ってことと同じではないでしょうか。

人は精神と肉体で成り立っていて、精神が肉体を高度に制御しているところに感動するのがスポーツ。肉体というハードウェアの性能を機械と比較してもしょうがないですね。

機械に意識を持たせるという研究、また、機械が人間に似てくると人はそれに愛着、共感を覚える(ペットロボットなど)いう研究もあって、機械を通じて人の意識の深淵を見るのも興味深いですね。

バイオテクノロジーの分野では、CRISPR のような遺伝子の狙ったところを直接書き換える技術も出てきました。それによるがんの治療法も研究されています。遺伝子組み換えで雄牛だけを作って肉の収量を増やそうという研究もあります。

このようにテクノロジーが命のありかたそのものまでも変えてしまうかもしれない時代には哲学とか倫理学による概念的なところでの議論とそれに基づく規範づくり(何をやってはいけないか)も必要と思えます。

そんなことを考えながらブログを綴ってみようと思っています。

また、趣味や旅行に関することも過去のSNSなどを移設して、その延長で書いていきたいと思います。