ロヴェッリ著「時間は存在しない」を読んでいろいろ考えたこと

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「ループ量子重力論」を提唱するイタリア人理論物理学者カルロ・ロヴェッリの書いた啓蒙書。

「量子重力の基本方程式は時間変数を含まず、変動する量の間のあり得る関係を指し示すことでこの世界を記述する。」だから時間は存在しない。

「ループ量子重力論は、ものごとが互いに対してどう変化するか、この世界の事柄が互いの関係においてどのよう生じるかを記述する。(ニュートン微分方程式のように)時間の進行に対してものごとが展開する様子を記述するものではない。」

「世界は”もの”でできているのではなく、”こと”ででできている。世界は相互に連結された出来事のネットである。そこに登場する変数は確率的な規則に忠実に従う。」

「空間の量子は空間的に近いという関係によって結び合わさり、スピンネットワークと呼ばれるネットになる。そしてこれらのネットは離散的なジャンプによって互いに転換し合う。」

がまず言いたいこと。

その後、その内容をもっと掘り下げた議論が展開されるかと思いきや、そうではなく、ではなぜ人間は時間を認識するのかの説明に紙幅が費やされる。

それは、「人間が一様で順序付けられた普遍的な時間について語る仕組みを持っているから」で、その仕組みは

1)我々の持っている特殊な視点では、エントロピーの増大を頼りとして時間の流れを認識するから(時間の方向性は視点がもたらす)。

2)人間の脳は過去の記憶を集め、それを使って絶えず未来を予測しようとする仕組みを持っているから。

 だという。

私なりにまとめてみると、

結局、宇宙の実体は、それ自体がどのような形で存在しているかの記述(ループ量子重力論の時間のない離散空間モデルとか、超弦理論の多次元モデルとか)とは別に、われわれが人間という視点でそれをとらえた時に(人間の大きさは、量子力学が問題になるほど小さくはなく、相対論が問題になるほど大きくはないので)三次元の時空として(十分な近似精度でもって)観測され、脳によって時間という順序を持って認識、記憶される。という事だと思う。

このまとめを私なりに展開してみると、やっぱり我流の「ホログラフィック原理」に行きつく。

宇宙の実体はホログラフィーのような干渉縞でできている。それに我々の視点である三次元の時空という認識の枠をレファレンス光として与える(観測する)と、我々がいると思っている三次元の時空がオブジェクト光として発現される。その同じホログラフィーを2次元の視点を持つレファレンス光で観測すると重力場のない空間が発生する。そのことをAdS/CFT Correspondenceと呼んでいる。

量子力学観測問題とは「この宇宙の実体であるホログラフィーに、どういった認識の枠を持つレファレンス観測光をあてるかということ」に思える。

ループ量子重力論も、超弦理論もこのホログラフィーの干渉縞をモデル化しているものであって、われわれが認識している世界を記述しているわけではない。そのホログラフィーそのものを実験で確かめようとしても、レファレンス光という実験条件に対してのオブジェクト光という形でしか観測できない。

宇宙の実体としてのホログラフィーはそのままでは観測不能な、我々の世界の上位概念を記述する形式である。

マルチバースとはこのホログラフィーのこと。その中には我々が過ごしてきた世界と違う世界があると考えても不思議はない。ただし、その別の世界に移動したり、その世界からの信号を受け取れるかどうかはわからない。

量子コンピュータはこのホログラフィーの中で(波動関数を干渉させて干渉縞を作ることが量子計算の意味)我々の世界で設定した条件に対して適切な確率分布をもった波動関数を示し、それを我々が観測することで何かを知るものであると思える。

スピリチュアルであるとは、このホログラフィーを通常の人とちょっと違うレファレンス光で観測することをいう。

「宇宙の実体は干渉縞である。それにどういうレファレンス光を当てるかでその認識主体に対する世界が発現する。量子重力理論はその干渉縞のモデルを記述すること。実験物理とは、超高エネルギー状態などの極端なレファレンス光でもって、オブジェクト光を発現させて、それを三次元の時空で観測して、干渉縞の実体の一部を見ようとすること。」

物理学とAI(Deep Learning/CNN)の類似性をいう物理学者もいる。わかるような気がする。入力対象は宇宙の干渉縞で、「観測する=オブジェクト光を当てる」とは、宇宙の干渉縞という入力にCNNのフィルターあてること。それで出てくる出力=ラベルが我々の認識する世界。

そう考えると、われわれの認識の形式がCNNのフィルターとして記述できることになる。その記述こそが物理だという人もいるでしょう(それが通常の量子力学や相対論の記述)。実験結果というラベルから宇宙の干渉縞の実体(CNNへの入力)に迫ろうという実験物理は、まさにCNNをバックプロパゲーションで決めるAIそのもの。

こういう視点で世界をとらえると、存在論とか認識論とか言っている哲学の意味が分からなくなる。

哲学=形而上学=メタフィジックスを語る人は、実験を説明するだけの物理(フィジックス)を哲学の下に置きたがる。しかし、私には、メタフィジックスとは人間の認識する世界の上位概念である宇宙の干渉縞(ホログラフィー)を記述する量子重力論のようなものを指すものに思える。

この本がきっかけで、なんだか最近妄想していることがすっきり書けたような気がする。

その意味では読んでよかった。でもこの本は、よくある科学史哲学史、宗教史の記述が結構多く、翻訳本という事もあって、何度か読み返さないと、本質的な文脈をとらえにくいところが少しあるかな。