パリの旅行記 美術館とパサージュ巡りの至福の日
しばらくは海外旅行に行けそうもないので、昔の楽しい旅の写真を整理しつつ、旅行記を綴ってみようと思う。
第一話はパリ。
2018年6月の家族旅行のことを綴ってみる。私は仕事を含めれば3回目のパリになる。
JALのツアーでまずはスペインに行ったのだが、その帰路が、バルセロナから飛んで、シャルルドゴール空港でトランジットすることになっていた。せっかくなので、パリ延泊のオプションをつけて3泊4日でパリを楽しむことにした。
泊まったホテルはオペラ座のちかくのプチホテル。2人くらいしか乗れない小さなエレベーターの扉を手動で開けるのが面白かった。
夕方に着いたので、まずは、近くのエドワードセット(エドワード7世)ホテルのレストランでディナー。とにかく盛りがきれい。ああ、さすがパリだな、と思う。
2日目は、マイバス社で別途予約しておいたバスツアーで午前中は市内観光。定番コースを廻ってから、ムーランルージュを眺めてモンマルトルにケーブルカーで登った。
昼にガレットを食べた。ガレットは食事系とデザート系の2枚を食べるものだと初めて知った。どちらもびっくりするぐらいおいしかった。
午後はバスでベルサイユ宮殿へ。
夕食はホテル近くのビストロでカジュアルに楽しんだ。フィレ肉の上にフォアグラがのっているが、値段は特段お高くはない。ビストロはファミレスみたいな庶民の食堂だな。
さて、3日目。絵画鑑賞のメインイベントデー。ホテルからルーブルまでは歩いて10分ぐらいで着いた。ドラクロア展をやっているようで期待が高まる。この建物を通り抜けたところに入り口がある。
このピラミッドのところから入る。凄く並んでいるように見えるけれど、15分ぐらいで中に入れたと思う。
チケットを買おうと周りを見てみると、今日は入館無料の日(6月3日、日曜日)であることに気が付いた。そういえば以前来た時もそうだったことを思い出す。
ルーブルは広すぎて、先回来たときはイヤフォンガイドを借りたのだけれど、今回は有名どころの絵画を中心に見て回ることにした。
先回も見たフェルメール(1632-1675年)の「レースを編む女」と「天文学者」を真っ先に見ようと、案内係にその場所を聞くと、今は海外貸し出し中とのこと。残念。「レースを編む女」の赤い糸をもう一回しっかり見たかったのになあ。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2019/02/17/221220
せっかくだから先回撮った写真を掲載しておこう。
そこで、まずはお決まりの「モナ・リザ」へ。「モナ・リザ」だけがガラス越し。見物人も多いので、絵画を鑑賞するというよりは、何か宝物でも見る感じになってしまう。二度目とは言え、「見た!、写真撮った!」以上にならない。丹念に画を見る感じにならないのが不思議。絵から遠いところから眺めているからかなあ。
2017年に、イタリアでダヴィンチ(1452年ー1519年)とミケランジェロ(1475年ー1564年)を見てからつくづく思うのだが、二人が活躍した1510年頃は、ルネサンス期で人間が解放されつつあった時代とはいうものの、2人の画題はほとんどが聖書からきている。
スポンサーがカトリック教会や王侯貴族などの信者で、そういう絵や彫刻を依頼した面もあるんだろうけれど、絵そのものがまだ(バロック音楽のように)宗教表現であって、印象派の画家のように、描きたいものを描きたいように描くという時代ではまだなかったんだろうなと思う。
その文脈で考えると、モナリザは一見宗教画でもなんでもないのに、なぜ皆が引きつけられる世界一有名な絵画になっているのだろう。それは「ダヴィンチが宗教を離れ、純粋に画の表現の対象を一般人に見つけたからだ、これこそ、美術の宗教からの解放であり、ダヴィンチが画期的に凄いところだ。」と思いたくなる。
ところが、美術史家の森耕治氏は、「モナ・リザ」は、当時は異端的でタブーとされる「イエスを懐妊しているマリア」を隠喩的に描いたものだ、という斬新な説を公開している。その説は私にはとても腑に落ちる。
https://www.facebook.com/yoshihiro.kawase.35/posts/1706953509461810
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1147336712304375&id=100010841718444
ちなみに、カトリック教会を痛烈に批判し、神と人が(教会を介さずに)直接つながることを求め、聖母マリアと聖人を重視しないプロテスタントに繋がる、ルターの宗教改革は1517年から始まる(カトリックの教会にはイエスやマリアの像があるが、プロテスタントの教会にあるのは十字架だけ。プロテスタントの世界では聖母マリアの絵は描かなくなると見るのが普通だ)。
ダヴィンチは1519年に亡くなる。ダヴィンチその人はカトリックだったろうから、マリアを崇拝する思いは強いはずで、「イエスを懐妊しているマリア」を描くという内に秘めた強い思いが、当時の最新画法をふんだんに用いて何年もの年月をかけて完成させるというモチベーションになって名画を生んだと、考えたいなあ。
「モナ・リザ」の世界一美しいと言われる手は、おなかのイエスを守っているからこそ、と思えばとても肚落ちするのです。
さて、聖母の絵といえばラファエロ(1483年ー1520年)も外せない。2016年にフィレンツェのピッティ宮殿内のパラティーナ美術館のラファエロの部屋を訪れて以来、とても好きになった画家だけれど、これもいいなあ。ダヴィンチと同時代人だけれど、聖母がやさしく描かれ、画風が愛の溢れる明るい感じなところが好きだな。
ルーブルに来る数日前までスペインにいて、プラド美術館にも行き、ゴヤの「カルロス4世の家族」や、「裸のマハ」、黒い絵などの印象がとても強かったので、ルーブルにあるこの絵もとても印象に残った。
マリアナってどういう人だったんだろう。意味ありげな、黒い衣装の女性を描くところはマネ(1832-1883年)の「すみれの花束をつけたベルトモリゾ」を思い出したりする。
スポンサーが王様(カルロス4世)であっても、描きたいように描くというのは、ゴヤあたりから始まったんだろうか。
アングルもある。
これもいいなあ。年代的にエキゾチックなロマン派に繋がって行く感じがある。オダリスクとはオスマン帝国でスルタンなどに仕えた女奴隷のことらしい。
さあ、次はロマン派の代表であるドラクロア(1798-1863年)。描きたいものを描きたいように描いて、ひとの気持ちを揺さぶるところがロマン派そのものだなあ、と思う。
ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」は1830年7月のフランス共和派の民衆の蜂起(3日間の栄光)を描いたもの。ビクトルユーゴの「レ・ミゼラブル」の映画の中で歌われる「民衆の歌」はこの頃の共和派の人民達によって歌われたとされる。
1830年には、ショパンはパリにいたし、若き二十歳の数学者ガロアもパリにいて、共和革命を熱望しつつ、その頭の中では、代数方程式解の問題を、解の持つ対称性の構造を考える幾何学に変換して扱う(群論)という大革命が進行していた。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2020/05/27/105306
しかし、その当時のパリは「花の都」どころではなく、映画「レ・ミゼラブル」で描かれているような、汚物と浮浪者が溢れ、感染症が蔓延しているひどい街だった(パリのコレラの流行は1832年)。そんな街で、ロマン派の絵画や音楽、先端的な数学が花開いているとは一体どういう事なんだろう。というのが私の今の大きな関心事の一つではある。
「花の都パリ」につながる、パリの大規模な都市計画が進むのは1848年のナポレオン3世以降なんだな。
今回のドラクロア展では「サンダナパールの死」が目玉の展示で、結構強烈な印象だった。
ここで少し内部の様子がわかる写真を掲載しておこう。
さて、ルーブルは「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」の巨大画を最後にあげて、印象派以降の近代絵画が満ち溢れるオルセー美術館に向かおう。
ナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれたもので、前の人物と比べるとその巨大さがわかる。権力と権威を象徴させる絵の代表に見える。
ルーブルからオルセーへは、セーヌ川にかかるキャルセール橋を渡ってすぐ。橋の上から2つの美術館を見回すと、「ああ、パリにいるなあ」と楽しい気分になる。
まずは、美術館内のレストランで腹ごしらえ。
2007年に初めてオルセーに来たときは、セザンヌ(1839-1906年)に圧倒された。本物を見る前は、「セザンヌはリンゴや山を描いて何が面白いんだろう」と思っていたが、その存在そのものを描いたような力強さに圧倒される。絵の具の厚みというか、色と形の迫力というのか、絵が3次元で、色調がアナログだからこそ伝わるものがあるんだなあ、と強く思う。
今回は山だった。写真ではよくわからないけれど、この山の前に、とてつもない広い空間が広がっていることが分かった時は、「えー、なんだこれは! どうやったらこの狭い額縁の中にこんな広大な空間を納めることができるんだ。なんて凄い絵なんだろう!」とひたすら感動しまくっていた。
この「首吊りの家」も空間的な奥行きを感じる、思わず見入ってしまう凄い絵だと思った。
さて、次はルノワール(1841-1919年)。ルノワールと言えば、やっぱり「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」。最初に見た時は音楽が聴こえるようだと思ったが、今回は、むこう向きに椅子に座っている男性の背中に当たっている木漏れ日がやけに暖かく感じた。さすが、光を描く印象派の絵だなあ、とつくづく眺めてしまった。
次はマネ(1840-1926年)。マネと言えば「草上の昼食(1863年)」。
この絵に感化されてモネが描いた「草上の昼食(1865年)」もある。モネの方は、残念ながら、右側の絵の上下と右の一部が当時の事情によって傷んでしまい、モネ自身が除去したという経緯があるようだ。
モネをもう一枚
なんかいなあ、という感じでづっと眺めていたくなる。
マネの次の画は「日傘の女」。上から自然光を取りいれた展示になっていて、印象派の絵の展示方法として素晴らしいなと思った(採光の具合は、モネの「草上の昼食」の写真の上の方を見るとよくわかる)。
マネは輪郭をはっきり描かない印象派そのものだから、ルノワールと違って女性の表情がよくわからないなあと、森先生の講演を思い出す。
ドガもある。
ゴッホ(1853年-1890年)、ゴーギャン(1848年-1903年)もしっかり見た。
さて、これからオランジェリー美術館に向かう。
オルセーを出てセーヌ川をルーブル側に渡って、チェイルリー公園をコンコルド広場の方に15分ぐらい歩くと着いた。初めてなのでちょっとワクワクする。5分ぐらい並んで、ここも無料で入場できた。日曜日はオルセーも含めて美術館は無料開放なのかな。
ここの1階は晩年のモネの「睡蓮」を展示するためにある。円筒形の部屋が2つあって、それぞれの部屋に4枚づつ、360°ぐるりと1周するように展示されている。
下の説明図にあるように、朝だったり、日没だったり、その時の光が描く睡蓮の池を描写している。写真に撮った絵はそのうちのどれだったのか残念ながら覚えていない。
オランジェリーはモネだけではない。地下にジャン・ヴァルテール&ポール・ギヨームコレクションが展示されていて、ルノワールやユトリロ、モディリアーニ、ピカソ、マチスなど名画の宝庫だ。これにはびっくりした。
これは、オルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち」と同じ少女に見えるが、どうだろう。と想像が膨らむ。裕福な家庭では、当時の日常の中での肖像画とは今でいう(スナップ)写真のようなものだったのかもしれない。
ルノワールは後年になると、(輪郭を描きたいので)印象派の画風から離れたと森先生に教わったが、「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル(1898年)」はオルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち(1892年)」よりも、輪郭がくっきりしているように見える。
「髪長き水浴の乙女(1895年)」はこれぞルノワールに見えるけれど、「横たわる裸婦(1906年)」になると、私は一瞬ルノワールかどうか迷ってしまう。一人の画家を年代中に並べてみるのも面白い。
私はピアノを弾くので、ルノワールは何でピアノを弾く女性たちを何枚も描いたのかなあ、と思う。
画の中に譜面も描かれているので、その女性たちはどんな曲を弾いてたのだろうとも思う。モーツアルトかチェルニーか、なんて勝手に思うが、時代的に印象派と言われるドビュッシーを弾いているのもありかも、と妄想してしまう。
ドビュッシーの生没年は1862-1918年。作品で見ると、ベルガマスク組曲(月の光が入っている)は1890年。前奏曲集1(亜麻色の髪の乙女が入っている。:亜麻色の髪の乙女ってルノワールの画みたいだな)は1910年。
イヴォンヌとクリスティーヌが「月の光」を弾いていた、なんてのもありえるんじゃないの、と勝手に思ってしまう。
光を描こうとした印象派絵画と、風景や情景を音で表現しようとした印象派音楽家(ドビュッシー)って相互の影響があるのかどうか。旋律が輪郭で、和音が光だろう。光の見え方がハーモニーだ。そんなことも考えてしまう。
イヴォンヌとクリスティーヌが描かれた1898年は、ルノワール57歳。ドビュッシー36歳。この2人が、例えば2人の父であるルロル氏と面識があって会ったことがあるかも、なんて考えるとなんかワクワクするなあ。
ユトリロのモン・スンニ通りは、モンマルトルで写真を撮った場所(前掲載)に似てなくもないなあ、と思った。
モディリアーニの描いた男性は、このコレクションを集めたポール・ギヨームその人なんだ。これもびっくり。
19世紀後半から20世紀の初頭は絵も音楽も面白い。
さて、美術館を3館ハシゴして堪能した後は、タクシーでギャラリー・ラファイエットに行って、その後ホテルに戻って一休み。
夕食はちょっと奮発してホテル・ムーリスのレストラン ル・ダリへ。
このホテルにダリが長期滞在していたようで、ダリの雰囲気が漂っている。
食事は、ダリの出身地でもある、スペイン・カタルーニア地方の名物料理であるフィデウアを頼んだ。
フィデウアは、米でなくパスタで作ったパエリアのような料理。ダリもこれを食べていたのかな、なんて思いながらいただく。そういえば、フィデウアは数日前にバルセロナでもお昼に食べたな。
ル・ダリでは、ピアとドラムの生演奏(シェルブールの雨傘とか)を聴きながら、優雅に頂きました。
客層もなんだかすごい。お金持ちのシニアのお誕生会みたいなことをしているテーブルもあれば、日曜の夜なのにネクタイをして、いかにもビジネスディナーみたいに、ヒソヒソ話している二人連れもいる。旧フランス宗主国のアフリカの政府高官とフランス企業幹部の密談か、なんて勝手に想像を膨らませる。
とても非日常の空間で楽しかったな。
さて、最終日。フライトは午後なので、お昼過ぎまでホテル近くのパサージュ巡りを楽しむ。ギャラリー・ヴィヴィエンヌにも行った。
さて、パリの締めのお昼は、ギャラリー・ラファイエットの中の中華のカフェテリア。久しぶりの醤油味の滲みたごはんがハラワタに滲みわたる。海老もおいしかったな。
空港でいくつかお土産を買って帰路についた。パリが堪能できたとても楽しい3日間でした。
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