イタリア旅行記(3) ローマ 遺跡を巡って古代ローマに思いを馳せるのは意外に難しい
2017年7月13日、フィレンツェからローマ入った。
ローマに2泊して遺跡を巡った時の写真旅行記をまとめてみた。ヴァチカンは別ブログにしよう(長くなりすぎるので)。
まずはコロッセオ。
テルミニ駅近くのホテルからタクシーで行った。10分ぐらいで着いた。徒歩でも20分ぐらいだそうだ。
野球場よりは大きいなあと思う。中に入るとこんな感じ。
ウィキペディアによれば、長径188m、短径156mの楕円形で、高さは48m、約5万人を収容できたという。確かに野球場より大きい。
古代遺跡は、美術館で名画を見るのとは違って、全部が保存されているわけではない。なので、知識と想像力を使って当時の状況に思いを馳せることが必要となる。
ボーっと見てると単なる瓦礫みたいに見えてしまう。方々で修復工事をしているのも想像力のジャマになるなあ。
コロッセオの近くにこんなものがある。
コンスタンチヌス帝の凱旋門。315年完成。浮彫装飾が見事に見えるが、それらの半数はトラヤヌス帝・ハドリアヌス帝・アントニヌス帝の建築物から略奪したものだそうだ。そうと知らねば感慨も湧いてこない。(正直、なんかすごそうだからとりあえず写真撮ったというのが実情。それがなんだかは後から調べて知った。)
コロッセオの隣にあるフォロ・ロマーノに行くと、さらに想像力が必要になる。
ああ、カエサルやアウグストゥスが闊歩していた古代ローマの政治・宗教の中心地だ、という思いで入場するのだが、広い敷地の中で何をどう見ればいいのかちょっと戸惑う。
まず、こんな風景が目に入る。
神殿と言われても、柱8本だけなので、厳かな雰囲気を感じるのは難しい。
ウィキペディアで調べてみると、サートゥルヌスというのはローマ神話の神で、サターン(土星)と意味は同じ。農耕神とも、時の神とも言われているようだ。なんと、ゴヤの「黒い絵」の中にある、「わが子を食らうサトゥルヌス」のサトゥルヌスのことらしい。そのサートゥルヌスの神殿って、結局何よ? ローマ神話を知らないと厳しいなあ。
これ以外に撮った写真をいくつか並べてみる。(順路がどうだったか記憶が曖昧だなあ)
とても古いもので、この凱旋門がその後の凱旋門のモデルになったようだ。
これは外観があるので、この中にカエサルとかがいたのかと思うとちょっとときめいた。建物自体は復元品のようだ。
西暦601年、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて建てられた(13.6メートル。石柱は2世紀ごろに製作されたものの転用)。この記念柱は、フォロ・ロマーノに加えられた最後の建造物だそうな(ウィキペディアより)。
三本の柱がカストルとポルックス神殿の遺跡。紀元前の遺跡であると知ってびっくり。
フォロ・ロマーノの印象は「暑かった」。でも、建物の陰に入ったりすると、爽やかな風がそよそよと吹いていて心地よかった。
フォロ・ロマーノを出て、タクシーでナヴォーナ広場に向かった。
入ってみると、南北に長い広場であるとわかる。
ナヴォーナ広場のことを知ったのは、ダン・ブラウンの映画「天使と悪魔」で、ナヴォーナ広場の噴水に枢機卿が椅子に縛り付けられて沈められたのを、ラングドンが救う場面を見たのが最初だ。
その噴水とはこれ。ベルニーニ作「四大河の噴水」
アゴナリス・オベリスクの下に、バロック彫刻の巨匠ベルニーニの「四大河の噴水」がある。4大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)に見立てた4つの噴水の湧き出し口があり、その横にそれぞれの河を擬人化した彫像が創られている。それぞれの彫像がどういったイメージを表現しているのか想像するのは楽しい。
アゴナリス・オベリスクはエジプトの上ナイル川地域から掘り出された赤色花崗岩でできていて、西暦 81年から 96年にローマ皇帝であったティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス(フォロ・ロマーノにあるティトゥスの凱旋門を作ったティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス帝(在位:79年 - 81年)の弟)が作らせたものだそうだ。
「四大河の噴水」と向き合う形で、ベルニーニのライバルと言われた、ボッロミーニが設計した「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会」がある。
このバロック時代の2人の名工の作品の対抗的な配置については「天使と悪魔」でも話があったな。そんなことを思いながら眺めてみる。
ナヴォーナ広場には、「ネプチューンの噴水」(北側)と「ムーア人の噴水」(南側)もある。
ムーア人の噴水は、ベルニーニがデザインして、アントニオ・マーリが彫ったもの。
ネプチューンの噴水の前のベンチに座ってジェラードを食べた記憶があるが、残念ながら写真は撮っていない(銃を持った軍人らしき人々が警備をしていたので彼らが映らないように遠慮したかな。)
ナヴォーナ広場を出て、スペイン広場まで歩いていける。その間にいくつかのオベリスクを見ることができる。
このオベリスクは、モンテチトーリオ宮殿の正面にある。モンテチトーリオ宮殿は17世紀末に完成し、1871年からはイタリア代議院(下院)の議事堂として使われているそうだ。
この記念柱は首相官邸であるキージ宮殿の前のコロンナ広場にある。
螺旋状のレリーフは、166年からマルクス・アウレリウス帝の死の直前まで行われたマルコマンニ戦争の物語を描いたものである。(ウィキペディアより)
さあ、スペイン広場に着いた。
スペイン広場から南に歩くとトレビの泉に着く。
どちらも「ローマの休日」の名所だ。
「ローマの休日」のネタでは、もちろん「真実の口」も確かめた。
「真実の口」は、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁の一部である。
さらに、「ローマの休日」ネタでは、コロンナ宮殿にも行った。ここはアン王女(オードリーヘップバーン)が最後にマスコミと会見をした会場である。
コロンナ家は中世から続くローマ貴族の名門で、レパントの海戦(1571年)で連合艦隊副総司令官を務め、オスマン帝国の海軍を打ち破ったマーカントニオ・コロンナも一族の出身である(ウィキペディア)。いまだに一族がこの建物を財団化して維持しているとのこと(相続税があるので、貴族が財産を守っていくのは大変らしい)。
レパントの海戦で、オスマン帝国の海軍を打ち破った、カトリック連合艦隊(スペイン、ヴェネチア共和国、法王庁、マルタ騎士団等)副総司令官であったマーカントニオ・コロンナを讃える意味があるのかな。
美術品も収蔵している。
バロック絵画だが、何か印象に残る。印象派みたいに見えなくもないからかな。
さて、後は移動時に撮った写真をいくつか。
135年にハドリアヌス帝が自らの霊廟として建設を開始したもの(ウィキペディア)。プッチーニのオペラ「トスカ」(マリア・カラスのはまり役)の舞台となったところ。映画「天使と悪魔」でも使われていた。
1885年にイタリアを統一したヴィットリーオ・エマヌエーレ2世の記念堂
古代ローマ人の生活を上手く想像できないなあ。
最後に食事の写真をいくつか。
イータリーはローマで初めて行った。1,2階が食材売り場やカフェテリアで、3階がレストランだったと思う。
帰国後、懐かしさから日本橋三越や八重洲にあるイータリーにも行った。「ヴィーノ ビアンコ ペル ファボーレ」 「スィー」なんて会話が楽しかった。
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