イタリア旅行記(4)バチカン 人が溢れ、シレンツィオでない、システィーナ礼拝堂で見た「最後の審判」
バチカン。2017年7月13日に訪れた。
バチカンをツアーで回ると以下の順で回ることになる。
①バチカン美術館
②システィーナ礼拝堂(ミケランジェロの天井画と、最期の審判の壁画を見る)
③サン・ピエトロ寺院の大聖堂(ミケランジェロのピエタなどを見る)
④サン・ピエトロ広場
その順番で写真をまとめてみる。
セキュリティを抜けると、中庭に入って入場の順番待ちになる。
待っている間にシスティーナ礼拝堂のミケランジェロ作品の説明を受ける(システィーナ礼拝堂の中は会話禁止なので)。
説明写真はこんな感じ。
右上の説明が有名な「アダムの創造」。その右下にあるのが「デルフォイのシビュラ(巫女)」。ギリシア神話の巫女をカトリックの総本山の礼拝堂の天井に描くところがミケランジェロだなあ、という事か。
システィーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロが1508年に制作を開始し、1512年に完成させたもの。描かれているのは「旧約聖書」に記された「創世記」の9つのエピソードで、「天地創造」、「失楽園(アダムとイヴがエデンの園を追い出される)」、「ノアの箱舟」の3つのテーマで描かれているそうだ(ウィキペディア)。
「最後の審判」はミケランジェロが、天井画を完成後、1533年から1541年にかけて、システィーナ礼拝堂主祭壇の後壁面全体に描いた、1370cm × 1200cmという非常に大規模な作品。キリストの再臨と現世の終末を描いていて、天使に囲まれたキリストが生前の行いによって人々の魂を裁いている情景となっているそうだ(ウィキペディア)。
ミケランジェロは、宗教(カトリック)の縛りを離れて、ギリシア・ローマ時代のような生き生きとした人間を描くルネサンス芸術の巨匠と言われるけれど、描いているのは結局教会から依頼された宗教画だよなあ、と思う。
ところが、「最後の審判」でミケランジェロが最初に描いたキリストは裸体であったという。それを儀典長に非難され、結局弟子が着衣部分を描き加えたと言われている。なるほどなあ、ミケランジェロは宗教の縛りを超えた芸術を目指していたわけだ。納得です。
人間の生身の裸体、特に女性を描くようになるのは、ルネサンスの曙であるボッティチェツリがギリシャ神話を対象にした「ヴィーナスの誕生」を1485年に描き、ティツィアーノがさらに艶めかしい「ウルヴィーノのヴィーナス」を1538年に描き、レンブラントが1640年に「ダナエ」を、ゴヤが1800年に「裸のマハ」を秘密裏(着衣のマハの方が正式作品)に描き、ドミニク・アングルが1814年に「グランド・オダリスク」を描いたことを経て、マネが1863年に「オリンピア」と「草上の昼食」を描くことで、やっと成就する。ミケランジェロの時代から400年近くかかっているわけだ。
などと、フィレンツェでルネサンス絵画を見た時からの思いがつながる。
中庭には何かオブジェがある。
このオブジェは「球体のある球体(Sfera con sfera)」だそうだ。この直径4mのブロンズ製の球体のオブジェは、イタリア生まれのアルナルド・ポモドーロ(Arnaldo POMODORO)の作品で、1990年にヴァチカン美術館のために制作されたそうです。
この中庭はピーニァ(松ぼっくり)の中庭と呼ばれています。その理由は、松ぼっくりがあるから。
このピーニァはブロンズ製で、古代ローマの遺跡から発掘されたものだそうだ。松ぼっくりは豊穣のしるしであったらしい。
さあ、バチカン美術館に入場だ。
さらに進んでいく。回廊の両側に美術品がぎっしり。
バチカン美術館から、システィーナ礼拝堂に入っていく。5分ぐらい並んでたと思う。
さあ、入場。礼拝堂の中は、会話禁止、撮影禁止。なので、記念写真はない(中庭にあった説明図のみ)。
会話禁止ではあっても、「おー」、という感じなので、中国語、韓国語、スペイン語、などなど、いろいろな言語でのささやきがいたるところから聞こえる。
なので、警備員がひっきりなしに、「シレンツィオ、シレンツィオ(=Silence:静粛に)」と繰り返していて、かえってやかましい。
壁際が段になっていて、そこに腰かけて何分か天井を見上げていたと思う。不覚にも主祭壇の後壁面の『最後の審判』をしっかり見た記憶がない。
システィーナ礼拝堂は芸術の鑑賞というよりは、「来た、見た、写真取れなくて残念」の観光になってしまってちょっと失敗だったかな。
システィーナ礼拝堂からサン・ピエトロ大聖堂に入る。
入るとこんな感じ。写っている人の大きさからこの大聖堂がいかに大きいかがわかる。
サン・ピエトロ大聖堂は世界一の大きさを誇り、大聖堂の奥行きは216m、総面積は1万5160㎡。11の礼拝堂と45の祭壇があるそうだ。内部の装飾は主にベルニーニが担当し、キューポラやピエタ像などはミケランジェロが手がけたとのこと。
ベルニーニの大天蓋の上にミケランジェロが設計したキューポラがある。
大天蓋をしっかり見よう。
高さは29メートルもある。この真下に聖ぺテロが埋葬されているそうだ(だからサン・ピエトロ=聖ペテロ大聖堂)。柱が螺旋状であることをしっかり味わう。今思えば、聖ぺテロの司教座(1653年)をもっとしっかり見ておけばよかったと思う。
ベルニーニは他にも作品がある。
この彫刻は結構印象深くて、長い間見とれていたなあ。この作品は「ベルニーニ」が80歳の時に手掛けたもの。「アレクサンデル7世」はローマ教皇で、ベルニーニのパトロンであった。
ラファエロもある。
本物は「バチカン美術館」の絵画コーナー(ピナコテカ)で見る事ができるそうだ。
さあ、とうとうミケランジェロのピエタと対面(クリスタルケース越しだけれど)。
これぞ見たかったという感じでしばらく眺めていた。
これ以外に大聖堂で撮った写真をいくつかあげておこう。
この扉は、1950年の聖年祭に、スイスのカトリック信徒たちによって寄贈されたブロンズ製の扉で、聖書の物語の彫刻が刻まれているそうだ。なんだか、フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の扉」を思い出すなあ。
サン・ピエトロ大聖堂を出ると、サン・ピエトロ広場に出る。
最上階向かって右から二番目が法王の部屋。ご在室なのでよく見ると外側の窓が上に上がっているのがわかる。
バチカンの衛兵はスイスの衛兵である話が、「天使と悪魔」でも出て来たな。
バチカンを振り返ってみると、システィーナ礼拝堂の印象が脳裏に焼き付いていないのがちょっと残念。もう一度行きたいが、その前に鳴門の大塚美術館にいこうかなあ。
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