イタリア旅行記(5)ヴェネツィア ドゥカーレ宮殿の華麗さに驚愕し、ヴェネツィア共和国千年の歴史に思いを馳せる
2017年7月9日の午後、ミラノからヴェネツィアに入った。
ヴェネティアはイタリア半島から4キロほど沖合の、ラグーナに浮かぶ(潟を埋めた)島である。外洋はアドリア海で、対岸はクロアチアになる。バスで行けるのは島の西側の、聖クローチェ区までで、そこから観光の中心地である、聖マルコ区までは、カナル・グランデ(大運河)を船で行くことになる。
ヴェネツィアの中は、車はおろか、自転車も禁止で、移動は徒歩か船になる。ヴェネツィアでタクシーというと、水上タクシー即ち、船になる。
ということで、聖クローチェ区の観光バスの駐車場から少し歩いて、波止場から船に乗ってホテルに向かった。
旅行トランクはポータ―さんが面倒を見てくれて、別の船でホテルに運んでくれる。
運河に面しているので、船がホテルに横づけされた。
さて、翌日は朝から観光を開始。まずはなんといってもゴンドラによる運河観光。
前方に見えるのはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。この教会は、1629年からイタリア全土を襲い始めたペストの終焉を聖母マリアに感謝するため、1631年から1687年の間に建立されたとのこと。「カナル・グランデの貴婦人」とも呼ばれており、ヴェネツィアン・バロックの傑作と言われていて、イタリアで一番写真が撮られる場所のようだ。
サン・マルコ広場は、1797年にヴェネツィア共和国を滅ぼしたナポレオンが「世界一美しい広場」だと言ったとか。
写真で見える、正面奥のサン・マルコ寺院、右手のドゥカーレ宮殿、左側の鐘楼の配置が美しい。フィレンツェのドゥオモ広場(+シニョーリア広場)と構成は似ている。
けれど、広場の広い空間と、この写真の背面がカナル・グランデで、その先に「カナル・グランデの貴婦人」と言われるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が見える。そういった、広場を移動しながらの360°の眺望と、海に向かって開けた解放感を感じれば、ナポレオンのいう事もむべなるかな、という感じだ。
さて、有名なサン・マルコ寺院に入場する。撮影禁止なので外観だけ。
サン・マルコ寺院は、ヴェネツィアの商人が828年にアレキサンドリア教会に行き、聖マルコの遺骸を持ち帰ってきて(聖マルコはアレキサンドリア教会の創始者と言われている)、それを保存するために建てられたもの。それ以来、ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコになった。
正面にあるブロンズの4頭の馬は、塩野七生さんの本「海の都の物語」によれば、もともとローマのネロの凱旋門の上を飾っていたもの。それがコンスタンチノープルに持ってこられていて、第4次十字軍の時に、ヴェネティアの意向(策略)で、どういう訳か同じキリスト教徒(カトリックでない、ギリシア正教)のコンスタンチノープルを攻めることになり(この背景はとても複雑)、その戦利品として持ち帰ったものだという(1204年)。
聖マルコの遺骸といい、ヴェネツィア人は大切なものを持ち帰るのがうまいのかな。
鐘楼も美しい。上に昇ることもできるが、昇りそびれた。360°の眺望はきれいだろうなと思うと、ちょっと残念。
さあ、次はドゥカーレ宮殿。なんの予備知識もなしに入ったが、その絢爛豪華な内部に驚愕した。一見では、フィレンツェのヴェッキオ宮殿をはるかに凌駕している。
聖マルコのシンボルはライオン。ライオンはヴェネツィア共和国の国旗の図柄にも使われている。
手前のテラス席は有名なカフェ・フローリアンのもの。このカフェに行きそびれたのも後から思うと残念だったなあ。
さあ、ドゥカーレ宮殿に入ろう。
最初に見るのは黄金の階段。
24金の金箔で装飾されている。踊り場部分のひし形の模様は段になっているように見えるが、平面に描かれただまし絵。
次に、「4つの扉の間」に入る。ここは重要な部屋に入る前の控室のようなところ。
壁にはティツィアーノがある。
天井画もティツィアーノも素晴らしいが、これはまだ序の口。
「元老院の間」
時計があるのがなぜか印象に残る。そして、2つの時計は違う時間を示している。天井画はティントレットの「ヴェネティア逍遥」、金色の天井はヴェロネーゼの作。
次は「閣議の間」。大審議委員会と共和国執政府の会議に使われていたとのこと。
此の部屋の天井も壁もヴェロネーゼの作。
ヴェネツィアにとって、レパントの海戦(1571年)で、カトリック連合軍の一員としてオスマントルコの海軍を打ち破ったのは大きいことだったんだなあ。
さあ、宮殿で最大の部屋「大評議会の間(サーラ・デル・マッジョール・コンシーリオ)」に入る。
大評議の間 (この反対側の壁に有名な「天国」がある)
広さは25m×54mで面積は1350㎡もあり、2000人が収容できるそうだ。この巨大空間を柱なしで構築するために、当時世界一の造船大国でもあったヴェネツィアの造船技術が利用されたということだ。
単純な比較では、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の500人の大広間の4倍のキャパシティになっている。
ヴェネツィアにはなぜ2000人もの人が集まる場所が必要だったのだろう、と思案する。
フィレンツェはある意味メディチ家の独裁だったわけだけれど、ヴェネツィアは共和制で、貴族階級の大評議会委員2000人が集まって、元首(ドージェ)を選ぶようなことをしていたのだろうか。
最も長く続いた共和国と言われるヴェネツィア共和国の政治体制と、1000年に渡る海洋国家としての繁栄との関係をもう少し調べてみたくなった。
壁と天井は、ティントレットやヴェロネーゼらの全部で53枚もの絵画で飾られている。そして、ここに世界最大級の油絵と言われる、ティントレット「天国」がある。
まあ、その巨大さ(25m x 7m) に目を見張る。
そして、天井にはベロネーゼ
ドゥカーレ宮殿は、ルネッサンス芸術の中のヴェネツィア派の作品の宝庫だ。ティツィアーノ(1490年 - 1576年)、ティントレット(1518年 - 1594年)、ヴェロネーゼ(1528年 - 1588年)を鑑賞することができる。
ドゥカーレ宮殿は、政治の中心でもあり、武器庫も備えている。
さらに、司法機能もあるので、監獄まである。この監獄の建物とドゥカーレ宮殿は「ため息橋」でつながっていて、その橋から囚人になったつもりで、外を眺めてため息をつくこともできる。
遠くにサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂が見えるのが泣ける。
この橋の名前の由来は、イギリスの詩人バイロンが、「囚人が牢獄に入る前にこの橋から外を見て、この世に別れを告げてため息をついた」と著作に書いたことにあるらしい。
また、「恋人同士がゴンドラに乗り、日没時にこの橋の下でキスをすると、永遠の愛が約束される」という伝説もあって、夕方は、この橋の下でゴンドラが渋滞するらしい。地元に伝わるこの伝説が有名になったのは、1979年のアメリカ映画『リトル・ロマンス』でそういうシーンがあったからとのこと。
ドッカ―レ宮殿を出てくると巨人の像(ネプチューン神とマルス神の巨像)と、巨人の階段が見える。
巨人の階段は元首(ドージェ)の就任式が行われたところ。
上には羽の生えたライオンの紋章が見える。
では、最後にこれ以外の観光写真をあげておこう。
これはサン・マルコ広場からの眺め。
この聖堂には、ティントレットの「最後の晩餐」と「マナの天降」の巨大な絵画が飾られているそうだ。
また、モネが夕暮れ時のサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂を1908年に描いている。
「黄昏、ヴェネツィア」 モネ - Atelier de Paris
ということは、夕暮れ時は絶景なんだな。これも見損なってしまった。
ヴェネツィアといえばまずはこのアングルの写真ですね。
もし、「2度目のヴェネツィア」に来るなら、是非泊まってみたいホテル「ダニエリ」。ヴェネツィア共和国時代の貴族の屋敷をそのまま使っていて、当時の様子が偲ばれると、塩野七生さんは著書の中で言っている。せめてロビーぐらい見に行けばよかったな。
NHK BSの「二度目のヴェネツィア」という番組で紹介されていたレストラン。ジョージ・クルーニーがお忍びでゴンドラに乗って来たことがあるらしい。番組で紹介されていた「スズキのグリル」ー魚の内蔵をオリーブオイルと混ぜてソースにしてかけて食べるーを試したかったのだけれど、満席で予約できず、残念。
手前のカップはフィレンツェで買ったジノリのデミ・カップ(フィレンツエの絵柄)。
ヴェネツィアはゴンドラに乗る観光地だという事と、シェークスピアのヴェニスの商人(1597年頃の作品)の思い込みだけで、あまり予備知識なく訪れてしまったけれど、ドゥカーレ宮殿を見て、ヴェネツィア共和国千年の歴史と文化に目を開かされた。
ヴェニスの商人を真面目に読んだことがなくて、ヴェニスの商人とはユダヤ人の金貸しのシャイロックのことだと誤解していたが、ヴェニスの商人(貿易商)はアントニオの方だったんだな。それで話がつながった。ヴェニスの文化はヴェネツィア人の(狂信的でないカトリックの)豪商たちが築いたものなんだな。
そういえば、日本人監督が良く賞を取っているヴェネツィア映画祭は、なぜ金獅子賞、銀獅子賞というのか今ならよくわかる。そしてその場所は、ヴェネツィア本島からアドリア海側にある細長い防波島である、リド島なんだ。
ヘミングウェイがよく来て「ベリーニ」というカクテルを飲んでいた、「ハリーズ・バー」も行くチャンスがあったのに逃してしまったなあ。ヴェネツィア映画祭の時には北野武もよく来ていたそうだ。
【イタリアより】文豪・ヘミングウェイが専用席をもつほどに愛した、ヴェネツィアの伝説のバーへ │ ヒトサラマガジン
「ベリーニ」とはヴェネツィア派の画家(1456年―1516年)の名前だと、今ならわかる。ヴェロネーゼやティツィアーノなどの先駆となった画家だな。
ああ、行きそびれたところがいっぱいある。塩野七生さんの本をどんどん読んで、また行きたい。
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