ヴェルディの「椿姫」をMET(メトロポリタン歌劇場)のライブビューイング映像(映画)で見た。とても良かったので鑑賞後の感想を綴ってみる。

2020年11月29日に鎌倉芸術館小ホールでヴェルディのオペラ「椿姫」のMETの舞台のライブビューイング(2018年12月15日のライブ映像記録)を見た。

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METにいるのと同じように幕間があって、その時間を使って歌手や指揮者へのインタビューやメイキング映像(指揮者とソプラノ歌手のレッスンの紹介)が見られたのもよかった。

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今まで、オペラの観劇経験はなく、オペラの有名アリアを集めたCDだけを聴いてもなんだかピンとこない感じだった。けれど今回は違った。ライブビューイングとはいえ、歌手が劇を演じているのを見ながら、その心情を吐露するように歌っているのを聴くオペラには格別なものがあると実感できた。

背景の大道具や他の群衆出演者も物語に幅と奥行きを与えている。

劇場だと、席によってはオペラグラスを使わないと見えないような演者の表情も、映像なので、2次元ではあるけれど、アップで見られる。それはとても良かった。

さて今回見た椿姫。

原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(息子の方)の「La Dame aux camélias (椿の花の貴婦人):仏語」だけれど、ヴェルディのオペラの椿姫は「La traviata(ラ・トラヴィアータ:道を踏み外した女):伊語」になっている(女性名詞の定冠詞は仏も伊もLaなんだな、ラテン語には冠詞はないのに)。

オペラの方は、原作の戯曲版からヴェルディが発想を得て作ったので、話は原作よりシンプルになっているようだ。

注)親父のアレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)は「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」を描いた大小説家。

面白いのは、主人公たちの名前が原作とオペラで違っていること。

フランス語の原作をイタリア語のオペラにするんだから確かに名前も変えないとイタリア語のノリが出ないよね。でも、物語が進むのは19世紀中ごろのパリ。

オペラのヒロイン(ソプラノ)はヴィオレッタ・バレリー(原作はマルグリット・ゴーティエ)。

そして、その恋人(テノール)はアルフレッド・ジェルモン(原作はアルマン・デュヴァル)。

恋人の父(バリトン)がジョルジュ・ジェルモン。

第2幕でこの父親が、ヴィオレッタに向かって、息子と別れてくれと威厳を持って切々と歌うのだけれど、これがとても素晴らしい。

バリトン歌手はクイン・ケルシー(ハワイ出身)。ヴェルディの歌い手として評価が高いそうだ。バリトンの高い方の声が素晴らしく、何かチェロのストラディバリウスが鳴っているように思った。「あー、あんな風に歌えたらなあ」、とあこがれてしまう。

テノールはファン・ディエゴ・フローレス(ペルー出身)。現代最高のベルカントテノールと言われているようだ。

フローレスの高音もいいんだけれど、テノールって、ソプラノのヒロインを引き立たせるための軽薄な役周りになっているせいか、その分歌唱力が割り引かれて聴こえるような印象になってしまう。それだけ感情移入して音楽を聴いてしまうのがオペラならではということか、と思った。

先日、あるテレビ番組で、テノール秋川雅史が、「テノールはモテない(ナルシストだから)。最初はよくても、結局はバリトンがいいところを持っていく。」と自虐的に笑いを取っていたが、役どころでもそんな感じがあるのかなあ。

私は合唱ではテノールで歌っているのだが、このオペラで一番感激した歌い手は意外なことにクイン・ケルシーのバリトンだったんだなあ。バリトンはソロしかないからねえ。第九でも最初の一番いいところのソロはバリトンが持っていく。

さて、ヒロインのソプラノはディアナ・ダウラム(ドイツ出身)。幕間のインタビューでMCが、ダウラムのことを「オペラ界のメリル・ストリープ」と紹介していたが、演技力は確かに素晴らしい。さらに、超高音域を含めた歌唱表現にも心を奪われる。

オペラとして一番心を打たれたのは第2幕。息子と別れてくれと迫る父親と、最初は反発しつつもそれを(恋人ために)受け入れるヴィオレッタの心情変化を描写する2重唱が切々と続く。2人がそれぞれの異なる心情を別の歌詞で同時に歌うのだけれど、それがなんとも美しく響いて、心に沁みる。

歌詞の内容は日本語字幕でわかるのだが、2人の横に、2人がそれぞれどういう歌詞を歌っているのか同時に示されるのでとても分かりやすい。

父親が、「泣け」、「泣け」とヴィオレッタに迫る場面はこっちも泣きそうだった。

劇の演出としては、ヴィオレッタがアルフレッドと別れて、パトロンとなった公爵と行ったパーティの会場に突然エキゾチックな踊り子集団が表れて群舞をしたのが、びっくりしたけど楽しかった。

METの観客もヤンヤの喝采の拍手をしていたのだが、あれはヴェルディの台本(台本作家はフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ)にあるのか、METだけの演出なのかよくわからなかった。でも、とても良かった。

話としては19世紀中頃のパリの常として、アルフレッドと公爵が決闘することになる(その場面描写はない)。あの時代はそんなもんなのかな。日本でも武士が刀を差して街を歩いていた時代だし。

オケを指揮したのはヤニック・ネセ=セネガン(カナダ出身)。メイキング映像でオケやディアナ・ダウラムとの練習風景を見せてくれたのはよかった。

ディアナ・ダウラムとの練習では、Si, Bravaなどとイタリア語を使っているのに、「このEフラットの音はとても大事だからね」、などと音階は英語(ダウラムはドイツ人なのに、Esというドイツ語を使わない)なところも興味深かった。

クラシック合唱では、音階はドイツ式が世界標準と教わったこともあるのだけれど。エーがAなのか、Eなのか混乱しないかねえ。(エイとエーで区別できるか、日本人は間違えそう)。

蛇足だけれど、イタリアオペラなら、ソプラノには、「ブラーバ」で喝采するのですよ(テノールには「ブラーボ」)。なんでも「ブラボー」では、男女を区別しない英語になってしまうのでね。ちなみに、オケ(複数)に対しては、「ブラービ」です。

また、La traviataも最後がaで終わっているので女性であることがわかる。名詞に性があるのは便利にも思えるが、LGBTQの時代が本格化したらどうするのかな。

イタリア旅行を楽しむために、イタリア語の初歩を少しづづやろうと思っているのだけれど、イタリアオペラを楽しむという別の目的も出てきそうだ。

オペラにハマったのは間違いない。さあ、次はどうしようか。