福岡伸一氏の「フェルメール隠された次元」を読んで思ったこと

福岡伸一氏。「動的平衡」で有名な分子生物学者。氏は凄まじいほどのフェルメールオタクでもあって、フェルメール作とされる37点の絵画全部をデジタル技術を使ってリ・クリエイト(今の現物のコピーでなく、作成当時の色合いなどを科学的に予測して再現する)し、それらを一堂に展示した「フェルメールセンター銀座」の館長も務めた方である。

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本書は巻頭に、フェルメールの作品37点をリ・クリエイトしたすべての画像がほぼ制作年代順にサイズと所蔵場所を併記して掲載されている。これを眺めているだけでも楽しいが、フェルメールの画風の変化に関する、氏の自然科学者ならではの洞察を本文で読んでいくのもなかなか興味深い。

フェルメールは1632年にオランダのデルフトで生まれた。この同じ年に同じデルフトで、顕微鏡を発明したレーウェンフックも生まれている。そしてこの2人は友人であったと言うのだ。

そして、レーウェンフックは顕微鏡だけでなく、その光学的知識を使ってカメラ・オブスクーラなる光学機器を作り、フェルメールにそれを提供していたという。

カメラ・オブスクーラは今でいうカメラのようなもので、スクリーンに見ている映像が映る。フェルメールはそれを書き写すことで、写真でも撮るかのように、3次元空間を時間を含めて(微分的な動きを持つ表現として)2次元に落とし込んだ絵を描いたのだという。その意味で、フェルメールは自然科学者なのだと。

さらに、フェルメールは光は粒子であることを理解していて、絵の中の光の当たり具合を絵の具の粒子をどう配置すれば表現できるかを体得していたという。その技術があるからこそ、真珠の耳飾りの女の真珠が暗い背景の中で光り輝いているような表現ができたのだと言う。

レーウェンフックと同様に、顕微鏡の中に生命の宇宙を見ていた福岡氏は、そういったフェルメールの自然科学的な画の世界に心を奪われてしまったのだと。

氏の探求心は留まるところを知らず、「稽古の中断」の中に描かれている楽譜を科学技術を用いて解読しようとしたり、フェルメール作品であると100%確証されていない絵にフェルメールの指紋が残されていないかを検出しようとしたりしている。これらのプロジェクトは2019年の本書執筆時点ではまだ進行中であるようだ。何という驚くべき実証主義だろう。

氏は、フェルメールの絵は現物を、それが飾られているその場所で見てこそ本当に見たことになると言う。全く同意する。

私が初めてフェルメールの実物の絵を現地でしっかり見たのは、アムステルダム国立美術館にある「牛乳を注ぐ女」だった。

絵の前に立って、ポットの注ぎ口から、あたかも(動画でも見るかのように)実際に流れ出しているように見える濃厚な牛乳の描写にしばらく見とれ、それから手前にあるパンの精密な描写に驚嘆した。

それからフェルメール得意のアングルである左側の窓から注ぎ込む光の描写と女性の来ている黄色いシャツの黄色の色に視点が写って行ったのを今でも思い出す(フェルメールブルーと言われる、ラピスラズリで描かれた青いスカートに目がいかなかったのはなぜだろう)。

それほどインパクトのある絵だった。印象では高さが1メートルぐらいある絵だと思っていたが、実際は45センチだ。実物より大きく覚えているのはそれだけ絵が優れているからなんだろうと思う。

福岡氏によれば、カメラ・オブスクーラが写す画像のサイズは制限がある(レンズを使っているので、あまり広角に画角を取ると周辺に歪曲収差が出るのは今のカメラと同じ)。精密な遠近法を再現するには50センチぐらいが良かったのかもしれない。

そう思って巻頭の37枚の絵を眺めると、全盛期の絵のサイズは50センチぐらいのものが多いように思える(若い頃に書いた、1メートルを超える大きな絵は、まだ遠近法の神髄に達していなくて、カメラ・オブスクーラも使っていなかったんだろう)。

同じ美術館にある「小路」は見たような気がするものの、印象が曖昧なのは今思うと残念だなあ。予備知識がないと貴重な機会を逃すことになる。

さて、次に見たのはルーヴルにある「天文学者」と「レースを編む女」だった。「天文学者」は50センチの絵だが、「レースを編む女」は24センチだ。

天文学者」は窓から差し込む光の具合がなんとも素晴らしく、「レースを編む女」は手前にある盛り上がったような赤い糸の束が鮮烈であったことを思い出す。

ちなみに、「天文学者」とフランクフルトにある「地理学者」は同一人物で、それはレーウェンフックであると福岡氏は言う。さもありなんと同意したい。

フェルメールの絵はロンドンや、ニューヨーク、フランクフルトなどの美術館にもある。そういったところに旅行などで行ければ是非見たい。福岡氏によれば、日本にも個人蔵で2つの作品があり、ひとつは国立西洋美術館に寄贈されているという。これには驚いた。

それよりも一度デルフトに行ってみたいな、とこの本を読んで強く思った。