ハーバード老化生物学研究センター共同所長のD.A.シンクレア氏が著した「ライフスパン(老いなき世界)」を読んだ。老化を情報理論的に考えているところ(デジタル情報である遺伝情報のコピーミスを訂正すれば老化しない)が新鮮だった。

ハーバード老化生物学研究センター共同所長のD.A.シンクレア氏が著した「ライフスパン」(2019年に原作)の日本語版(2020年9月)を読んだ。

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よく売れている本なので、「老化は病気なので、化学物質を摂取することで予防や治療ができる。」という氏の主張は知っていたが、その科学的な根拠、仕組みを説明している理論的な背景、実際にはどういう化学物質で老化が治療できるのかを知りたくて、隅から隅までしっかり読んだ。

氏が主張していることは、酵母やラットなどの生物実験で実証されており、権威ある学会誌にも掲載され、学界でも認められている。問題は、そういった物質を人間が長期摂取した時に、害が起きないかどうかの検証がまだ不十分であるという事。

そうではあるものの、筆者を含めてその物質を既に継続して摂取している人々はいて、特段の不具合はないようだ。気分がいい、病気にならない、物事に積極的に取り組める、などの効果を感じるとのことだが、これがブラセボ効果でなく、本当に人の健康寿命を延ばす原因になっているのかどうかはまだ実証できていないのが現状のようだ。

それらを踏まえて、現存する薬やサプリで老化を遅らせる効果が期待できるものとして以下のものが紹介されている。

①メトホルミン

これは、糖尿病の治療薬として広く使われている。先進国では糖尿病治療の目的でのみ処方箋を得て購入する薬ではあるが、タイでは、一般薬局で一粒数円でだれでも購入できる。著者はこれを毎日1グラム摂取している。

②レスペラトロール(サプリとして買える)

 酵母を長生きさせる(酵母の分裂回数は通常25回であるのが、34回まで伸びた)ことが分かった。赤ワインの中に入っている成分(ただし、毎日1000杯ぐらい飲む必要がある)。著者はこれを毎日1グラム摂取している(サプリは1錠で10ミリグラム)。

③NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド

これもサプリで買える。

著者はこれを毎日1グラム摂取している。

著者の毎日の摂取量は、サプリの錠剤数十錠に匹敵する量である。それなりに高価だし、同量飲むのはちょっと躊躇するかなあ。

それ以外にも、毎日83ミリグラムのアスピリンと、ビタミンD, K2の推奨量を摂取している。

生活習慣として著者が実践しているのは、

①砂糖、パン、パスタの摂取量を極力少なくする。デザートは食べない。

②一日2食にするなどして、水以外何も取らない時間を長くする。(夜8時に夕食を終えたら、朝を抜いて、12時に昼を取ると、16時間の断食をしていることになる。そういったストレスを体に与えることが効果がある)。

③運動する(ある程度の負荷は必要)。

④植物を多く接摂取し、哺乳類は食べないようにする。

⑤タバコは厳禁。

⑥プラスチック容器に入った食事(コンビニ食など)を電子レンジにかけて食べない(有害なPCBが溶け出す)。

BMIは23-25に維持する。

これらは実践してもいいだろう。

さて、次に筆者が提唱している「老化の情報理論」とそれに基づく「長寿遺伝子をオンにする」方法を見てみよう。キーワードはエピゲノムのアナログ情報のメンテナンスとそれを行うサーチュインタンパク質の働きを高めることである。

さて、遺伝子(DNA)は30億対の塩基対で出来ているが、この塩基対のすべてが発現して、タンパク質の設計情報(デジタル情報)として使われるわけではない。

DNAは3次元形状をしていて、ヒストンという球状のたんぱく質に巻き付いている。そして、ヒストンに強く巻き付いている場所のDNAは発現せず、ゆるんでいるところのDNAは発現する。これが遺伝子のスイッチの役割を果たしている。

そしてその巻きつき方は、サーチュインという遺伝子(長寿遺伝子)から生成されたサーチュイン・タンパク質(酵素)が、それが取りついたところのアセチル基をつけたり外したりすることでその場所の巻き付き方の強度を調整して、遺伝子のオンオフを制御している。

ゲノム(遺伝子全体)が(タンパク質を作るための)デジタルのデータ集だとすると、この遺伝子の巻き付き方の状況(エピゲノム)はソフトウェアのようなもので、そのゲノムのおかれた状況や環境の変化に対応して、ある意味アナログ的なゲノムの制御回路のように機能している。

そして、このサーチュイン(酵素)は、壊れたDNAの修復を役目としている。癌に代表されるように、病気は、DNAのコピーミスで、あるべきでない細胞や、本来の機能を果たせない細胞ができることで起こる。なので、サーチュイン(酵素)が、壊れたDNAの修復を完璧に行うことができれば、細胞は常にあるべき姿で生成され、病気にもならず、老化もしない。

つまり、サーチュインを元気に活動させることが老化しないための根幹である。そのためいはサーチュインにエサを与えなくてはならない。そのエサになるのが、NMNであり、レスペラトールであると、私は理解した。

メトホルミンは、メチル化の工程に関係し、サーチュインを活性化し、老化時計を遅れさせるようだ(被験例はすくないとのこと)。

また、老化とは、もう細胞の分裂が行えなくなった老化細胞が発生することでもある。なので、このゾンビ細胞を(薬物などで)きれいに取り除く、あるいは老化した情報を新規状態にリセットすることができれば、老化しない。

そういった研究もおこなわれていて、その分野では、山中伸弥氏が発見した、通常の(役割の決まった)細胞を(なんにでもなれる)幹細胞に戻す4つのリプログラミング遺伝子のうちの3つを使う研究も興味深く紹介されている。

さらに面白かったのは、著者は自分の「老化の情報理論」をシャノンの「通信路符号化定理」と同じように論じていることだ。

シャノンは誤りのないデジタル情報伝送のためには、バックアップデータを用意しておいて観測者が訂正データを訂正装置に送って元のデータを復元させる、誤り訂正機能を持たせればよいと言った。

このアナロジーで行くと、

情報源=両親から得た卵子精子

送信機=時間と空間を介してアナログ情報を伝送するエピゲノム

受信機=未来の自分の体、となる。

これら以外に、元データを記録する観測者と訂正データ、元データを復元する「訂正装置」が必要だけれど、このうちの「訂正措置」が見つかったと著者は考えている。

それが、山中伸弥氏の発見した、リプログラミング遺伝子で、それによって老化をリセットできると著者は考えている。

何だか、すごいな、という感じだ。時間を巻き戻してしまうということに見える。生物の中の時間の概念も深いなあ。

観測者って誰だろうと思うが、筆者は明記していないと思う。これを神として、神は訂正データを送らないので人は死ぬのが必定なのだ、永遠の命を得たのはあの方だけ、というのが宗教者の立場だろうな。

それにも関係すると思うが、著者の行っている、「老化しない=永遠に生きる=死がなくなる」ということを目的とした研究の実施自体が、宗教的、倫理的、社会経済学的な視点から反発を受けることも多いようだ。それに対する著者の超前向きな考え方も楽しく読めた。

皆が健康で長生きできれば、個別の病気に対する医療費は減る。なので、健康長寿社会では医療費の総額は下がると言う。なんてポジティブなんだろう。

そして、いつまでも働けることは素晴らしいことだと。高齢者が若者の活躍の機会を奪うなんて情けない議論は一切しないし、高齢になってやることがないなんてことはないと。社会貢献するのもいいし、趣味で人生を楽しんでも良い。

共同著者にサイエンスライターがいることもあって、章立てもスッキリしている。表現もクリアで、日本語訳もとても読みやすい。最先端の研究内容がとてもよく理解できる。変に初心者に寄り添わず、丁寧な用語集をつけた上で、一定レベルの専門用語で語っているところもよかった。お勧めです。