大田区龍子記念館所蔵の葛飾北斎「冨嶽三十六景」を満喫する。

大田区の龍子記念館。昭和の時代に豪快な日本画の大作を描いた川端龍子の作品を展示している。その記念館で、川端龍子が収集した葛飾北斎の「冨嶽三十六景」全四十六作品を期間限定で公開している。

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「冨嶽三十六景」(1830-1832年頃)は、富士山を含む絵を江戸から駿府尾州にかけての太平洋側から描いた三十六作品と甲州側から描いた十作品の、合わせて四十六作品の版画からなっている。

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赤冨士と言われる「凱風快晴」や、「山下白雨」のように、冨士山だけを描いたものもあるけれど、誰もが知っている、大浪の中、鮮魚を船で江戸に運んでいる漁師を描いた「神奈川沖浪裏」や、職人が板を削っている大樽の輪の中から富士山が見える「尾州冨士見原」のような、人々の生活の中にある冨士山を描いている絵の方が多い。

北斎は70歳を過ぎてから「冨嶽三十六景」を制作している。それに刺激を受けたのか、川端龍子は、「冨嶽三十六景」を自ら収集し、それからインスピレーションを受けて冨士山の大作を描くことを考えていたようだ(記念館の説明)。

そして、赤冨士の下で雷が鳴っているのを書いた「山下白雨」に刺激を受けて、龍子は「怒る富士」(昭和19年)を描いたと言う。

さらに、龍子は画幅7.3メートルにも及ぶ「霹靂(はたたく)」を昭和35年に制作している。この時、龍子は75歳、その3年前には富士山に登頂しているという。

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北斎の「山下白雨」(右下に雷が描いてある)と龍子の「霹靂」(右)

背後に雄大な「霹靂」を感じながら、北斎の「冨嶽三十六景」を順に観て行くと、とても豊かな気持ちになる。

北斎は、とにかくイマジネーションが素晴らしく、遠近法にはほとんどこだわらず、描きたいものを描きたいように書いている。この自由な精神が、画法というルールに縛られることから解放されること目指していた、西洋近代画家に大きな影響を与えたと言うのは、本物をみるからこそ感じ取ることができる。

「駿州江尻」では、強風に懐紙が飛ばされる動きを感じるし、「遠江山中」は、材木の上にいる大工と下にいる大工は同じ鋸を引き合っていると思うんだけれど、そうだとしたら、この多重視点の自由さはなんという事だろう、と驚愕する。

また、なじみのある場所の1830年頃の風景が見られるのも楽しい。

「東都駿台」を観ていると、柳田格之進が歩いてくるような気がするし、「礫川雪ノ旦」(こいしかわゆきのあした)は、富士山までの雄大な空間に、なんだかセザンヌの「セントヴクトワール山」を思い出す。

「相州江の嶌」は干潮時に人が砂州を歩いていることや、江の島の右側に富士山が見える構図に驚く。

観れば見るほど、細かいところにまで目が届くようになって、新しい発見が続々出てくる。2時間ぐらい見ていても全く飽きない。

龍子記念館は徒歩圏にあるので、計4回ぐらい見に行こうかな。

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                「神奈川沖浪裏」