大田区郷土博物館の川瀬巴水展(後半)。巴水の描いた富士山を観て北斎の描いた富士山に思いを馳せる。そして画家が富士山を描く意味を考えてみた。
大田区郷土博物館の川瀬巴水展(2021年7月17日~9月20日)。前期と後期に分かれていて、前期は主に東京近辺の風景の版画が展示されていた。3回通って、勝手にご近所3部作と呼んでいる、東京20景の「大森海岸(1930年)」、「馬込の月(1930年)」、「池上市之倉(1928年)」などを堪能した。
注) 画像データは以下のフリーリンクより
http://www.photo-make.jp/hm_2/ma_magomebashi.html
後期展示は、巴水が旅に出て描いた、日本各地から朝鮮半島までの風景画が主体になっている。大田区博物館は撮影が可能と今回知ったので(前期展もそうだったかもしれない)、代表作の画像データを掲載して感想を述べてみようと思う。
巴水らしい、桜と富士の組み合わせの構図が素晴らしいのは「西伊豆 木負(きしょう)(1937)年」であろう。これは巴水の版画の愛好家でもあったスティーブン・ジョブスが所有していたそうだ。
巴水展で展示されている版画はすべて博物館の所有品で、写真が示すように、その作品の元となったスケッチ画と合わせて展示されているのがとても良い。
地図が示すように、木負は沼津の南で(良い釣り場でもあるらしい)、富士山の前に見えるのは海なんだなと分かる。場所を知らないと湖越しの富士山の画のように見えてしまう。
湖を前にした富士山の版画としては、「山中湖の暁(1931年)」がある。
あけに染まる富士は、北斎のいわゆる赤冨士「凱風快晴」を思い出すし、水辺に映る富士では「甲州三坂水面」を思い出す。
この夏、これもご近所の龍子記念館で、川端龍子が収集した「富嶽三十六景」が期間限定で掲示されていた。そこで見た四十六作品の印象が蘇ってくる。
「富嶽三十六景」には、富士山だけを描いた絵は少なくて、富士山とともにある人々の生活風景を描いたものが多い。例えば、「尾州不二見原」はその構図の面白さからも有名だ。
その一方で、「武州玉川」は富士山を背景とした風景画に見える。
巴水にも、富士山を背景にした人々の生活を描いた画はある。例えば「馬入川」(1931年)だ。
川瀬巴水「馬入川」(1931年)
「馬入川」を見ると、なんとなく北斎の「武州玉川」を思い出すところはある。相模川と多摩川の違いはあるものの、巴水はそれを意識して描いたのかどうか。いや、むしろそれぞれの画風を楽しむべきかな。
そういった視点では、巴水の「田子の浦の夕」(1940年)と北斎の「東海道程ヶ谷」を見比べるのも楽しい。
巴水の「田子の浦の夕」(1940年)
木の間から富士山を見るところは同じだけれど、描いている思いはそれぞれ違うということがわかる。
巴水は富士山の前景として人の営みを描き、北斎は人の営みの背景に富士山を描いているように思う。
巴水は富士山と正面から向き合うのに対し、北斎は富士山が人々の生活を見守っているかのような描き方だ。これには北斎に限らず、日本人の心の中にある富士山に対する尊崇のような気持ちが自然に込められていて、それが心に響くのだろうかと妄想する。
諏訪湖から富士山が見えるというシーンをやっていた。それは北斎の「信州諏訪湖」と極めて近いアングルなので、「あっ」と思った。
諏訪は、地層的に、糸魚川―静岡構造線と中央構造線という2つの断層線が交差する場所で、縄文人が、糸魚川―静岡構造線に沿って、(自分たちを見守ってくれる)富士山を背景に移動しながら、諏訪までたどり着いたと言うような話をしていた(富士山から諏訪湖までの見通しのいい平坦な道が糸魚川―静岡構造線で、それに沿って歩いて来たようだ)。
何と、富士山に対する想いは縄文人から引き継いでいることを知ってちょっと驚いた。
巴水は全国を回って風景画を描いているのだけれど、大田区郷土博物館で見る限り、諏訪湖の画はないし、ネットをググってみても私には見つけられなかった。巴水が信州で描いた画は木崎湖と松原湖はあるようだが、諏訪湖の画を描かなかったのだとしたら、それはなぜなのか興味が湧く。たまたまその時は富士山が見えず、いいスケッチ画が描けなかったからなのだろうか。
北斎で、「えーっ」という感じで、見とれてしまった画がある。
まずは、「五百らかん寺さゞゐどう」だ。
本物を見ていると、富士山がすごく遠くにあるように見える。それは板の間の線が富士山に集まるように、北斎には珍しい、遠近法を使って書かれているからだと気が付く。それは富士山を見ている人々の思いが富士山に集まっていることを明確に表現している。
この広大な空間表現でさらに驚いたのは、「礫川雪ノ且(こいしかわゆきのあした)」だ。このデジタル画像では感じられないけれど、本物を眺めていると、雪見をしている東屋から富士山までの広大な空間がこの画に詰まっていることに気が付いて驚愕する。
それは、オルセー美術館でセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」(1890年)を見た時の同じ感動を思い起こした。
この画の、サント=ヴィクトワール山の前に広がる空間の大きさに圧倒されたことを覚えている。
北斎の「富嶽三十六景」は1832年頃の作品なので、フランスのジャポニズム盛んなりしころ、セザンヌが北斎の版画に感銘し、この空間表現に目覚めたという事は大いにあり得るのではないかと妄想が湧いた。
逆に「サント=ヴィクトワール山と大きな松の木」を見ると、巴水を思い出してしまう。これは木が主張している感じだ。
さて、巴水に戻ろう。
今回、富士山以外で印象深かったのは房総の海を描いた画だ。波が岩に当たって砕けるところの表現がすばらしく、見入ってしまった。
また、朝鮮まで旅行して描いた画もしみじみと感じるものがあった。
また、版画ならではの工夫を見せてくれるのも勉強になった。
同じひとつの風景から、月と雲の形と、色刷りを変えることで派生作品を生み出している。
この法隆寺も同じ手法だ。
「池上市之倉」も版木は全く同じで色合いの違う濃摺と薄摺の両方が展示されている。
版画は同じ版木を使って何百枚も摺るものだし、北斎などは、展示されている美術館で随分色合いが違うなあと思う時もある(例えば、「遠江山中」)。
唯一無二の油絵とは違う、版画の本物って何だろうと考えることもある。基本は絵師が認めた彫師と摺師によって生み出されたものかどうかにあるのだろうなあ。
巴水の描いた富士山の画を見ながら、北斎、さらにセザンヌまで思いが馳せたのはなんだか楽しかったな。