1万人の第九、佐渡連のメモ(11/22 19:30@文京シビックホール)

東京地区の参加者1700人(主催者発表)で佐渡裕総監督の指導を受けるレッスン@文京シビックホール

18:45の開場の30分前に到着。既に200-300人ぐらい並んでいたが、8割方が女性なので、テノール席の前から4列目に座れた。

全体を見た感じでは、参加者はアルト/ソプラノ/バス/テノール=500/500/200/200 の1400人ぐらいかな。

佐渡さんは細身のブルージーンズに、足首の見えるスリッポン(例年どおり)、白地に青で電卓のキーボードのような絵が描かれたTシャツ姿で登場。時々青いタオルで額の汗を拭う。

通常の100人規模で歌う合唱とは別次元の、「1万人だからこそできる、人間のちからを示す合唱を作る」という強い思いを述べられた。

「音の神殿を作りたい」と心に響くメッセージとともに練習開始。

【フロイデ】

指揮の手が肩の上30センチぐらいのところで、巻き舌を準備して、フライング気味、各人バラバラで構わないので、体をつかって全身で発声して喜びを表す(でも、最後のデはそろえる)。1万人のフロイデで観客を驚かせ、1万人の第九の世界に観客をぐいっと引き込むことが大切。

両手を振り降ろしながら体を使って何度も発声練習をするうちに(最後は女性も参加した)、声の迫力が見違えるように増してきて驚いた。

【Daine Zauber】

例年通り、左右の席の人と手を握り合って、ニギニギのリズム感を合わせて全員で歌う。

男性は年々よくなっているとのお言葉。

オクターブ上がるところでテノールが速くなることを注意されてやり直し(ここは毎年のことだなあ)。

ここは今年も、佐渡さんは「ニギニギ」で指揮するとのこと。

【Ja】

テンポ感がDaine Zauberの倍であることを意識して歌う。

nie ge-konntのsfの後、合唱ではじめて出てくるディミニエンド、(dim)der stehle, (p)weined~の練習。

weinendからの部分は涙を流して悲しく去っていく人々のこと歌うのだから、テンポ感を弱めて悲しい感じで歌う。

【Kuesse】

一万人のキスが煌めいているように歌う。

ソプラノ(とテノール)がJaのテンポのさらに倍(8分音符)で、上に向かう意識で歌っているのを、アルトとバスが横に流れていく基盤の音程(4分音符)を作って支えることが大事。

321のund der Cherubからは

天空の門の前で、ケルプ天使はまだ門を開けてくれないことを表現する。

326 からと328からオケ(ピアノ)が32分音符で下に2回崩れていくのはその門が開かない落胆を表している(おお、すごいことを教わった)。

その「なんで!」という、気持ちが最後の3回目のVor Gottのファのナチュラルとラの重音に現れている。(それまでの2回のVor Gottは二長調(Ddur) でファとドがシャープのD durとA durのコード。)だから、最後のVor Gottは目いっぱい引っ張る。佐渡さんの両腕が肩の高さにある間は引っ張る意味であると指揮を理解する。ここはカンニングブレスをしていいので、最後は「ゴーオツ」と「オツ」をしっかり発声すること。

この後の静寂をしっかり表現する(咳はダメです)。それは言葉による指示でなく、「ゴーオツ」の後、B♭に転調した後の、ピアノ(オケではファゴット2台)のシ♭のオクターブをしっかり聞く練習で確認されました。

男声合唱

このミッキーマウスマーチのような、天空に向かう男性の行進に付き合う音楽隊は小規模である(トランペットは1台)。その意味を理解して歌う(賛同する人はまだ少ない)。

合唱は行進にいろんな男性(例えば、パン屋、教師、警官など)が参加している不ぞろい感があっていい。

男性合唱の後のオケの演奏の最後の方は、行進していく足元がだんだんゴツゴツして来て歩きにくくなっていること(天空に向かう試練)を三連符で表現している。

恒例の、佐渡さんを男性第一列(今年はテノール1番乗りとバス1番乗りの間)に入れての、男性全員が肩を組んでの合唱は3回目でやりました。

【M】

Mに入る前に、オケが長調短調長調の和音を奏でるが、最後の長調の和音の2小節がMのメインテーマの前奏になっている意識で歌う。最初のフロイデは爆発するように歌う。

【Ihr Stuert】

佐渡さんの指揮に合わせて<Ihr Stuert>の練習。デクレッシェンドの表現ができていないとの指摘。その後のstuertは5音シュテュルツトと5音をしっかり発音する。< >の後一瞬の無音の後、その5音を始める指揮棒を佐渡さんが明確に振るのに合わせて何度も練習する。

 Welt?のffの後のppのゾッフォ。ここが佐渡さんの最大のこだわり(1万人でやるff-ppのダイナミズムの凄さを音楽的に高めていく)。発声の開始をみんなで合わせなくていいので、とにかく小ささの極限の発声で始める練習を何度もする。今日の極限練習で音が出なかった人は本番でも出なくてよい。それくらいの小さい声で始めることがとても重要。そのためにいつ発声を始めるのかをあえて棒で示さない指揮をするとのこと。

【二重フーガ】

今年の東京チームはとても上手(特にソプラノ)なのでびっくりしたとのお言葉。

ザイトウムシュルンゲンとフロイデシェーネがパートを変えながら歌われていくが、「フロイデ! フロイデ!」もソプラノ、アルト、テノール、バスの順で歌い繋いでいく。それを意識して歌う。この「フロイデ! フロイデ!」が各パートのピークになる。

【フーガの後のR】

バスがpでIhr Stuertを始め、テノールがpでAhnset duで受ける。この部分は6拍子であることを意識して歌う。この部分ではまだ疑問を感じているところなので、テノールは(音が上がっていくけれど)クレッシェンドしてはいけない。アルトが歌うゾッフォから確信が芽生えてくるのでクレシェンドする。その後4パートがユニゾンでゾッフォを歌うところで確信が確実になる。そしてそれがsfのブリューダーになって、オケがハイハイと答える聴かせどころをしっかり作る。この後、試練や迷いを乗り超えた「天空に愛しいお父様がいらっしゃる」という最終確信を歌い上げる。

その喜びの表現はソリストに渡される。

【S】

 通して歌う。

【最後のプレスティッシモ】

いっきに歌う。

最後のオケの演奏のところで天空の門が開くということを意識する。

【私の感想】

今年は前の2回より、音楽表現と曲の解釈に関する深い指導が多くあったと思う。

佐渡さんの、1万人の第九ならではの「音の神殿を作る」、という強い思いを共有することができて、例年以上にしっかり歌おうという気持ちになりました。

周りもしっかり発声している人が多く、1,000人を超える合唱もよく響いていた(会場のせいもあると思う)。それもあって、菅井先生の発声練習から張り切り過ぎて、最後のプレスティッシモのところでガス欠気味になってしまった。高いラが出ず、ちょっと後悔。声も少し枯れてしまった(最近はめったにないんだけどな、それだけ力が入った佐渡連だった)。最初の1万人の本番の時を思い出した。今年は本番に照準を合わせて、ゲネプロは余力を残してこなすようにしよう。それと、初めてオケの後ろのアリーナ席になったので、舞い上がらないように気をつけよう。

【追記】

佐渡さんの、「第九の第一楽章は〇〇、第二楽章はダンス、第三楽章は究極のラブソング。」というコメントがあった。どうしても〇〇が思い出せない。残念。

今年の1万人の第九の第一部にゲスト出演するファビュラスシスターズは、第九の第2楽章を踊っている。その関連で佐渡さんのコメントが気になるなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=Lt8XTZ6rI1s&fbclid=IwAR2zY8Fj86EDax_uKiRi965LU-2nhWrZLjClnuxIfnDR92quS6qKiXgCT14

#1万人の第九 #ベートーベン #第九 #合唱 #佐渡裕 #コーラス #フロイデ 

 

 

 

「正倉院の世界」の展覧会@東京国立博物館(上野)を見て思ったこと

正倉院展。御即位記念ということもあって、シニア層を中心に大人気。平日の昼間で平成館の入り口の前に200mぐらいの行列。並んでから入るまで60分かかった。

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https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1968

展示室に入ってすぐに聖武天皇の本物の直筆がある(雑集という正倉院宝物)。端正ななかにも優しさを感じる文字。楷書なので読めるのに、何ぜか読んで行けない不思議な威厳を感じた。あの聖武天皇の直筆ですよ。その重みに圧倒される感じがした。和紙のくすみ具合にも1300年の重みを感じる。

60分並んで入って、中も混んでいるので、気がせいて先に進みたくなる。しかし、後から思えば、会場でもらえる出品目録をじっくり見て、どこに何があるかをしっかり把握してから見るほうが良かったと思う。目録には、国宝、重要文化財正倉院宝物の分類が記されているが、国宝のなかで、あまり印象が残っていないもの(海磯鏡)がある。そうと事前に知っていれば、じっくり見たのになあ、と思う。

私が思うに、工芸品として素晴らしいものは概して正倉院宝物である。ポスターに載っている琵琶や螺鈿の皿は正倉院宝物である。国宝は歴史的に重要なものなんだろうけれど、見た目が地味なんだろうなあ。

さて、ハイライトの琵琶である。ギタリストである私としては、これを見るために来たと言ってもいい。人だかりがしているガラスケースの中に琵琶がひとつ納められている。ああ、なんて美しいんだろう。フレットは5つしかないのか(これでは出せる音階はかぎられるなあ)。弦は5弦。駒止めに向かって末広がりになっている。駒止めのところの弦の様子を見ると、まるでクラシックギターのような弦の止め方だな。ボディーは一枚板に見える(レスポールか)。板の色からジャカランダを想像するが目録を見ると紫檀だな。まてまて、表だけ見て感動してはいけない。裏に回ろう(ルーブルミロのビーナスだって、背中をみて感動したじゃないか)。人垣について反時計回りに裏に回る。ああ、なんて美しい螺鈿なんだ。まるで昨日作ったみたいだ。でも、こんなことってあるんだろうか。そこでふと思ってパネルの解説を読む。おお、この展示品は正倉院が素材から再現した模造品なんだ(2019年完成)。弦は当時の美智子皇后が自ら紡いだ絹糸を束ねたものであるとのこと。なるほど、そういうことか。本物は前期展示(11月4日まで)のみ。残念。でもこれはこれで現代の工芸として素晴らしいなあ。さらに凄いのはこの琵琶は演奏できること。その音を録音したものを会場で流していた。5弦なので、5つの音が聴き分けられて、耳にとどめたはずが忘れてしまった(絶対音感があればなあ)。

その横には、今度は本物の4弦の琵琶があった(この4弦琵琶の展示は後期展示のみ)。本物として歴史の重みをかんじるなあ。これはボディーが空洞になってる(セミアコか)。弦の余りを駒止めのところで束ねているのは、ギターとは弦の張り方が逆なんだろうか。こっちはフレットが4つ。うーん、同じ琵琶でも違う楽器に思える。

それと、まさかと思った蘭奢待(らんじゃたい)の本物(正倉院宝物)が見られた。NHK大河ドラマなどにも出てきたが、天皇家の最高の香木。これをまず足利尊氏が切り取り、そのすぐ左側を織田信長が切り取り、そして明治天皇がそこからずっと左の先端に近いところを切り取っている。誰がどこを切りとったかがわかるタグが付いているのでそれがわかる。何とも言えない歴史の生き証人のような香木なんだなあ。

それ以外にも残欠と言われる、布の端切れが多数展示されている。染物美術が好きなひとはたまらないだろうな。聖武天皇が実際に着ておられた衣服の端切れや、吹かれた簫(笛)、打たれた碁石もある(飾り碁石であまり打たれた形跡がないらしいが)。その他お面や国宝の竜首水瓶もある。

最後は撮影も可能な場所になっていて、宝物保護の活動の紹介や撮影可の模造品が置いてある(簫など)。最後に森鴎外が歌った歌が掲示されていた。「燃ゆべきものの燃えぬ国」。これが日本文化の本質だな。燃えないように石で作る他の文化の対極にある。

 

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 #正倉院 #国立博物館 #蘭奢待 #琵琶 #螺鈿 #正倉院宝物 #国宝

 

 

 

 

 

 

 

 

コート―ルド美術館展は楽しめました@東京都美術館(上野)

レーヨン事業で財を成したイギリス人のコート―ルド氏が、印象派の時代のフランス絵画の芸術性に早くから気づいて、それをイギリス人に紹介する意図をもって買い集めた美術品を展示しているコート―ルド美術館が改装のために閉館している間に、東京都美術館が名画の貸し出しを受けて展示している美術展。

とても楽しめました。

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セザンヌルノワールというように作家別に画をまとめて展示しているのでわかりやすい。

セザンヌの画の展示は印象として「緑のセザンヌ」。森の木々を描いた作品が多い。全部で9作品ある。例のセザンヌらしい山(サントーヴィクトワール山)も描かれている。同名の画がオルセーにもある、「カード遊びをする人」もあるが、少しだけアングルが違っていて、展示品の方がテーブルがより「かしいでいる」気がした。

セザンヌが書いた手紙も展示されている。フランス語の筆記体なので全く読めないけれど、セザンヌのサインだけはわかった。「あ、真筆なんだ」ということで見入ってしまった。そういえば画のサインはどうだったかな、と思って画を再度いくつか見たが、サインが見当たらない。セザンヌは未完の作品が多く残っているのが有名だけれど、それと関係あるのか、単に見落としたのか、私にはわからないな。

さて、ルノワール。今回初めて見た「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」(1908年)。釘付けになって見入ってしまった。中年男性の画商を左斜め横から描いたものだけれど「なんてうまいんだろう」と感嘆した。ルノワールというとモデルの女性がみんなかわいいので、そういった視点で見てしまうことが多いけれど、中年のおっさんを描いた画をみてルノワールの力量を理解できた気がした。アングルの設定、背広の質感、頭髪のはげた感じ、左目から背景に至る暗さの表現の深み、こんな画が見たかった。ネットのデジタル画像を見ていては全く見えない領域での表現力。素晴らしい。

このおっさん画商は印象派のサポーターでもあったようで、セザンヌピカソも彼の肖像画を描いているのをネットで知った。見比べるのも面白い。ピカソはぶっ飛ぶけど。

今回のハイライトはマネの「フォーリーヴェルジュールのバー」(1882年)。その画の一部がチケットの背景になっている。

https://www.tobikan.jp/information/20180620_1.html

面白いことに、この画のエックス線写真(レントゲン写真)が合わせて紹介されている。その分析よると、鏡に映っているバーの女性の後姿は元はもっと中央よりにあったのを書き直したことが判明した(写真を見ると、後姿が2つあるのが、レントゲン検査のようにわかる)。ネットによると、この後ろ姿のあるべき位置をめぐっていろいろ言われているようで、それに一石を投じる科学の力を示したものと言えますね。コート―ルド美術館はこういった研究機関でもあるそうです。

そういう事は別にして、この画は真ん中のかわいい子以外に見るべきものがとても多い画です。皿の上に積まれた果物の質感表現にはセザンヌと違ったものを感じるし、鏡に写ったバーのある劇場の観客の様子はルノワールムーランドラギャレットを思いだすが、そこにはマネならではの表現がある。この画にもとても見入ってしまった。

ウィキペディアによれば、フォーリーヴェルジュールというミュージック・ホールは2013年でも存在している。今でもあるなら行ってみたいですね。

と思って、ググってみると、今は通常のミュージカルを見る場所のようで、バーなどはないかもしれないですね。

https://www.foliesbergere.com/

さらに、グーグルマップで場所を調べると、パリで私の歩いたことのある、オペラ座ルーブルーオランジェリーの三角形の外だけれど、オペラ座からは歩ける距離だとわかった。

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その他、ゴーガン(ゴーギャン)やドガモディリアーニの「裸婦」などいい画がいっぱいあるし、ロダンの彫刻の小ぶりなものもいくつか展示されている。

イギリス人大富豪の懐の深さも含めて、見どころ満載のいい展覧会です。お勧めです。

ショップでフランス直輸入のビスケットを売っていたので思わず買ってしまった。後で見ると輸入元は神楽坂の有名なそば粉のガレットのレストランの「ル・ブルターニュ」。なるほどですね。さっそくガレット(薄焼き)の方を頂きました。

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#コート―ルド美術館 #セザンヌ #マネ #ルノワール  #フォーリーヴェルジュール #ガレット

 

 

 

 

メディアのあるべき論を考え、現状を憂うにはよい本。知識人がメディア論の名著を紹介し、それに照らして現状を分析してくれるが、改善のための提言はない。

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表紙と本の中身は何も関係ない(こんな、いかにも売らんかな、のタイトルをつけることに出版業の凋落を感じるなあ。むしろ、裏表紙が本の内容を説明している)。

本書は、メディアが政治権力と結託して人民をコントロールしているなんてことは少なくとも日本ではなくて、むしろ、メディアが売らんかなの資本主義に毒されてしまって、民主主義を下支えする本来の機能(中間共同体としての結社)を果たしていないという危機的状況を憂いている。さらにSNSによる単純化された情報の羅列があふれることで、人々が本を読んで思考することをやめてしまって、自ら進んで本を捨てていく(古典が忘れ去られる)ことの危機が語られている。

最後に4人の識者による「メディアの生きる道」という対談があるが、提案めいたものは「NHK頑張ってね。忖度して自主規制なんかしないで、現地取材してね。」程度。知識人に行動提案を求めること自体がないものねだりではあるんだけどね。

しかし、知識人から得る物もあった。それは「Nation」と「Nationalism」について。以下にいくつか引用紹介します。

ネーションは文化的な共同体である。ナショナリズムは文化的なアイデンティティと政治主権が及ぶ範囲を合致させようとすることである(ベネディクト アンダーソン)。

さらに面白かったのは、ナショナリズムとは「俗語が聖なる言語の地位を奪う事。」

国語の権威の源泉は「声」にある(漢字やラテン語は数式や記号と同じで、文字だけが重要で、発音はどうでもいい)。

言文一致小説(夏目漱石朝日新聞に連載した三四郎)が近代国家の成立を後押しした。ルターが聖書をドイツ語で出版したのも同じ意味を持つ。

ここからは感想。

香港が広東語を捨てて北京語になるかどうか(教育はすでにそうなっているんだろうか)は極めて重要なことだな。香港人の友達が言っていたが、広東語と北京語は書くと同じだが、発音すると全然違うとのこと。

ラグビーで歌うナショナルアンセムもしかり。南アフリカは五か国語で歌っているとのこと。アイルランドは島でチームを作っている(アイルランド国+イギリス国の北アイルランド)のでアイルランズ・コールを歌う。

「声」=「歌」の持つ意味を考えさせられました。特に国歌はなおさら。

EUはベートーベンの第九がEUの歌になっている。イギリス人はドイツ語は嫌かもね。フランス人はどう思っているんだろう。でも、基本はAlle Menschen werden Bruederだからみんな国家を超越して歌えるはずですね。

1万人の第九築地1クラスレッスンメモ(2019/11/1 15:00)

最初は、本番でゲストと歌う歌(山崎まさよし セロリ)の合唱部分の練習。受付でもらった楽譜を使って、簡単な音取と「Uh がんばってみーるよ」のリズムの確認。

第九の練習はは先回と同様 Ihr Stuerztの<>ところから。Millionenのcres. からWelt? のff, Such' のppの強弱表現をしっかりさらう。

643からのff のUeber Sternen muss er wohnen とフーガに入る前の三連符の伴奏で歌うppのUeber Sternen muss er wohnen は歌詞は同じだけれど意味が違うことをよく理解して歌う(前者は内心で決意を固める強さを歌う。後者は本当に主のお姿がほのかに感じられた神秘的な感動を静かな確信を持って歌う)。ppのところは各パート同じ音を糸を引くように持続的にきれいに歌う。後半で音が下がらないように(特にテノール。今回は2回目でOKが出た)。

下村先生はここの部分が第九のクライマックスであるとおっしゃいます。

大切なことは自分はどう歌いたいかの思いをしっかり持つこと。

1万人の第九をイベントであるとか、お祭りであるとか考えてはいけない。ベートーベンをリスペクトして歌う。そのためには、ベートーベンの思いが詰まった譜面のとおりに(強弱、レガート、休符などを)しっかり歌うこと。

ここから最初にもどって練習。

Deine Zauberのところ。Freudeに続いて、はじめての男女四声のユンゾン(テノールは時々オクターブ上に行く)の歌が始まる。ここで大合唱団の力を聴かせることが大切。そのためには観客が驚くような、表現豊かな歌い方をする事。単にリズムだけで浅い、喉で出す声で歌ってはいけない。

Jaのところ。とにかくバスは賛同を示すJaを力強く発生すること。nie gekonntにsfのピークを持っていく歌い方をさらう。

Kuesseのところ。vor Gottは他のパートの音を聴いてきれいなハーモニーを作る。

フーガの部分。意外とあっさり「まあ、いいでしょう。」言いたいことはいっぱいあるが言わないでおこうという感じでした。個人的にはdein Hei --- Heiligtum dein Hei -- Heiligtum!の言葉がハマらないことがあるので、もっと練習しないといけない。

SのDeine Zauberのところ。急いでしまって言葉が甘くならないように。810のPoco adagioの>p のところを情感深く歌う。

918 からの最後の部分を力強く歌う練習。テノールは高いラの連発なんだけど、だんだんこの「ラ」が強く歌えるようになってきたように感じる。

レッスンもあと一回(11/15)。しっかり歌おう。

すみだ5000人の第九レッスンメモ(2019/10/28 14:30 木場義則先生)

前半はフーガの前までの復習。どちらかというとリズム感を持って歌うことが主眼。とくに6拍子のところ(一つの発声の中にピアノの伴奏が3音あるということを意識する)。

フーガに入る直前、ピアノ伴奏が三連符の連打になって、お父様がほのかに感じられたところの緊張感が大事。そのための1拍休符をフライングしないこと。

後半は2重フーガのところの練習。まずは第一テーマ(フロイデシェーネゲッテルフンケンの8小節)がソプラノ―バス―テノールアルトーソプラノーアルト―バスーテノールと8回声部のパートを変えて、ボールをパスしていくように繰り返しつないで歌い継いでいくところを練習。

次に第二テーマ(ザイトウムシュルンゲンミリオーネンの8小節)がアルト―テノールーバスーソプラノと3回パスをつないで4回歌うところを練習。

こういった形で2つのテーマが順送りされながら重なり合い、パートを変えて歌われていく曲の構造が分かった。

4つの声部のどれか2つが2つのテーマを重ねて歌っていて、残りの声部は2つのテーマの変奏を飾りのように歌ってそれに重ねている。

その関係を画にしてみたらこうなった。フロイデの紅組とザイトウムシュルンゲンの青組でわかるようにしてみた。確かに2つのテーマは常に歌っている(687-693の間はないけれど、ここでPに切り替えるのかな)。飾りの部分は、前半はフロイデで後半はザイトウムシュルンゲンになるという事か。

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木場先生は、まずは2つのテーマを歌っているとことをしっかり歌うように練習しなさいとのこと。(実際は Feude!-dein Hei ----- Heiligtumの飾りのところがむずかしいんだけれどそれは別のレッスンでという事か)

ここが読み解けるとベートーベンの深い意図がわかるんだろうなあ。いろいろな先生の解説を聞いてみたい。

6拍子で、頭の2分音符の方を大事に歌う練習もした(Freu de Shoe neのように)。

 

フェイスブックの作ったポーカーAIってホントに人の心理を読むんだろうか。原論文を読んで思ったこと。

今年の7月にFBの友人が、フェイスブックが無敵のポーカーAIを作ったというMIT Technology Reviewの記事を教えてくれました。

https://www.technologyreview.jp/s/152581/facebooks-new-poker-playing-ai-could-wreck-the-online-poker-industry-so-its-not-being-released/

この記事によれば、

プルリブスと名付けられたこのAIは、対戦相手のプレーを分析してチップを出させるように仕掛ける抜け目のなさ(devious/cunning)があって、テーブルを囲むプロのポーカープレーヤー全員を出し抜いて(outwit)見せた。

そして、ラウンドをコールで終えたあと次のラウンドをベットで開始する「ドンク・ベッティング」など、予想だにしなかったいくつかの戦略を駆使し、まるで歴戦のプロのようにはったり(Bluffed)を仕掛けた。

とあります(日本語訳はMITテックレビューの日本語版から引用。英単語は元の英文記事から拾いました)。

ブラフをかませるなんて、人の心理を読んでいるかのようで、AIもとうとう人の心の領域にまで来たか、と思わず誤解をしそうな記事にも見えます(注意深く読むとそうは言っていないのですが)。

そこで、「疑問があれば原点に返れ」の方針で、このポーカーAIの原論文を全文和訳をおこなって読むことにしました。日本でこれを全文和訳した人はあまりいないと思うので、ちょっと価値があるかな。それで理解したことと、私なりに思ったことをこれから述べます。

原論文はここにあります。

Superhuman AI for multiplayer poker

Science  30 Aug 2019: Vol. 365, Issue 6456, pp. 885-890

https://science.sciencemag.org/content/365/6456/885

 

【1.まずはテキサスホールデムポーカーとは何ぞや】

ポーカーというと、5枚のカードの手の強さが、ワンペアとかフラッシュとか決まっていて、強いカードを作った人が勝ち、みたいな理解ですね。ところが、このプルリブスがプレイするのは、ラスベガスのカジノやプロのポーカープレーヤが行っている、(6人制の)手持ちのコインを全額まで賭けることが出来る、テキサスホールデムポーカーです。

テキサスホールデムポーカーは、カードの手の強さは自分でコントロールできません。つまり、自分の判断でいらないカードを捨て、新しいカードをディーラーからもらって手づくりするという事がないのです。ゲーム参加者はそれぞれ2枚の自分だけの手札を持ち(相手には最後になるまで未公開)、それに、ディーラーが示す3枚から始まって5枚にまで増える共通カードを組み合わせて手の強さが決まります。

競うのは、ディーラーが共通カードを3枚から5枚にまで増やしていく過程で、参加者が賭け金つり上げ競争をしますが、これに最後まで、つまり5枚目の共通カードが公開されるまで、勝負を降りないで高騰する賭け金を賭け続けてついていけるか、そして最後まで残った人が複数いれば、その時は自分の手の強さ(各人固有の2枚の未公開カードと5枚の公開カードの計7枚の内の最強の組み合わせの5枚の手)で勝てるか、というのもです。

こんなイメージです。この例では2とKの2ペアですね。

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面白いのは、大した手でなくても、掛け金の賭け方で自分の手が強いと相手に思わせて、他の参加者が途中で全員降りてくれればその時点で自分が勝てるという事です。

つまり、競うのは、麻雀のように手の作り方の巧拙ではなく、掛け金の賭け方戦略の巧拙ということになります。そして、実際の手の強さは全くの偶然で決まります。なので、強い人が100戦100勝という事はないわけです。テキサスホールデムポーカーが強い、という事は、基本はギャンブルなので、長く戦っていくときに、手持ちのコインの総額が変動はしながらも着実に増えていくような賭け金戦略を持っているか、相手の賭け方の癖や戦略の変化を読みながらそれに柔軟に対応できる戦略を持っているか?という事になります。

それを踏まえて、そういう賭け金戦略を学び、ゲームの状況に応じて臨機応変に戦略をかえて実行するポーカーAIをどうやって作るかという事になります。

ここで重要なのは、ポーカーは囲碁や将棋と違って、相手の手が全部公開されてはいない不完全情報ゲームであって、そこに確率的な要素があるという事です。

情報が不完全ななかで、どのような行動が最適なのかをAIが示してくれれば役に立つ場面は多そうです。

例えば、オークションとか、ビジネスや外交の交渉とかですね。極端な例では、相手の戦力や戦略がわからない時に、戦争を仕掛けるかどうか、仕掛けたとしたらどのように戦力を投入して相手の戦力を削いでいくか、という事例に応用できるとすれば、とても大きな話になりそうです。

 

【2.AIの基礎と囲碁AIの振り返り】

AIの基礎と囲碁AIの内容については別のブログに書いています。

http://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2019/09/20/150445

詳細はそちらに譲りますが、ポイントは(教師データを使わない)自己学習型のAIは目的関数を持っていて、自己学習の結果から、その目的関数の値が最大になるように、CNNのパラメータを、結果から入力に至る方向で振り返り学習をするように、逐次改善して、ゲームAIであれば、より勝つ確率の高い手を打つようにしていくことです。

 

【3.プルリブスの特徴】

プルリブスは自己対戦型のAIで、自分のコピーとポーカーをして学びます。そのときに自分はそれぞれの局面でどういう手を打つか(ゲームを降りるか、続けるか、続けるとすれば掛け金を増やすかどうか)はランダムに選びます。これをモンテカルロ法で次の手を決めると言います。それを続けるとゲームを終えることができます。

そして、プリリブスは終局後に、そのゲームを振り返ることで学んでいきます。その学びを最適化する目的関数の改善の手法はCFRです。CFR(Counterfactual Regret Minimization)は、打たなかった手を後悔することを最小化するようにCNNのパラメータを改善していくことを意味しています。

次の対戦ではこの少しだけ最適化されたCNNの示す次の一手モンテカルロを組み合わせて実際に打つ手を決めていきます。これを繰り返すことで、だんだん後悔する手を打たないCNNが育ってくることになります。

この逐次改善型自己学習のプロセスの中で、考慮する対象が多すぎると処理数が膨大になって手に負えなくなります。それを防ぐためにプルリブスは2つの抽象化を行っています。それは行動の抽象化と情報の抽象化です。

行動の抽象化とは、自己学習の間は、掛け金の額を最大14種に制限することです(テキサスホールデムポーカーでは100ドルから1万ドルの間で掛け金を自由に設定できますが、それを制限します)。

情報の抽象化とは同じような価値の手(カードの組み合わせ)をひとまとめにして扱う事です。例えば、10-J-Q-K-A のストレートと9-10-J-Q-Kのストレートは明らかに違う手ですが、それでも戦略的には同じであるとして扱います。

こういった抽象化作業によって考慮すべきの場合の数を減らしています。

プルリブスはこういった抽象化を行った上で、モンテカルロCFRに基づいて自己対戦を繰り返します。線形CFRという手法を使い、先回と比べた改善の度合いがどれくらい小さくなったらその改善を打ち切るかという制限を定めた上で逐次改善をしました。

具体的には、64コアのCPUをもつサーバーを使って8日間に渡って自己対戦によるCNNの改善が行われました。これで学んだ結果を基本戦略(Blueprint Strategy) と呼んでいます。

全部で12,400CPU・時間のリソースを使いました。使ったメモリは512GB以下です。その計算のために、現在のクラウドコンピューティングをスポットで一時的に使うとすると、その料金は約144ドルだった、といっています。プルリブスはDeep Mindの囲碁AI(Alpha Go)と違って、巨大な計算リソースを使わずに開発されたのです。

そして、この(情報の抽象化を行った)基本戦略AIは128GBのメモリのマシンで実際に人と対戦できるのです。

ですが、プルリブスはこの自己学習で学んだ、抽象化ベースの基本戦略だけで戦うわけではありません。それを行うのは最初のラウンドだけで、あとは相手の戦略に合わせて打つ手を変える機能を持っています。

さらに、情報の抽象化も、実際に人と対戦している時には、次回以降の掛け金を賭ける状況に関する理由付けには使っても、今、実際に行なっている場での賭け金の設定には使いません。もっと細かいメッシュで行います。

つまり、プルリブスは自己学習で得た基本戦略を基本にゲームの状況に応じて打ち手を変える機能を持っています。それを人の気持ちを読む、というのは自由ですが、そのアルゴリズムについて以下に述べます。

相手の賭け金がプルリブスが基本戦略を作るときに使った行動の抽象化とあわない時など、基本戦略をそのまま使えない局面になると、プルリブスはその場からモンテカルロ探索をします。その探索がリーフノード(探索の末端)まで行ったら、そこで相手が戦略(賭け金の賭け方)を変えるかもしれないことを考慮します。

これを持って相手の気持ち(戦略)を読むというのでしょうね。具体的には次の4種の戦略を考慮します。①事前の自己対戦で培った基本設計戦略。②対戦を降りること(fall)を重視する戦略、③対戦相手の賭けに応じる(call)戦略、④掛け金を上げること(raise)を重視する戦略。これによってよりバランスの取れた戦略をとることができるようになります。

さらに、プルリブスは自分のとっている(賭け金)戦略が相手に見破られない対策を施します。具体的には、「自分が実際にどんな手(2枚のカード)を持っているかにかかわらず、まず最初に、すべての持ち得る手で何ができるかを計算して、すべての手に渡って戦略の(攻めと守りの)バランスを注意深く取って、相手に自分の手(2枚のカード)が予測されないようにします。このバランスを取った戦い方が計算で導出されたら、プルリブスは実際に持っている手に対してその戦略を実行します。」と言っています。

さらに、下記のような数値解法上の記述があります。

プルリブスはサブゲームの戦略(戦い方)を計算で導出するのに、そのサブゲームの大きさとそのゲーム進行上に占める位置に応じて2つの異なるCFRの(計算)様式の内の一つを選んで使いました。サブゲーム(のツリー探索の規模)が相対的に大規模であったり、ゲームの初期状態にある時には、モンテカルロ線形CFRが基本設計戦略を計算したのと同じように使われます。そうでなければ、プルリブスは線形CFRを最適にベクトル化(マルチCPUで同時計算)した様式を使って(ゲーム盤に公開されているカードのような)偶然で決まる事象だけをサンプルしてCFRを計算します。

 

【4.プルリブスの強さの実証実験の結果評価】

さてこのように、CFRを価値関数として自己対戦で学んだ基本戦略に、相手が戦略を変えることをも想定したモンテカルロ探索と、自分の賭け金戦略が相手に読まれないように賭け金戦略の(攻め重視か、守り重視かの)バランスを取る手法を身につけたプルリブスを、プロのポーカープレーヤと対戦させてどれくらい強いと言えるのかの実証実験が行われました。

プルリブスは、2つのインテル ハスウェルE5-2695 v3 CPUの上で動作し、使用する外部メモリーDRAM)は128GB以下です。そして、プルリブスが一つのサブゲームで探索を行うのにかかる時間はその特定の局面の状況に応じて1秒から33秒の間で変化します。プルリブスは平均して、6人制のポーカーを自分の複製5台と対戦する場合には、だいたい一手20秒で打っています。これは人間のプロのポーカープレーヤーに対して約2倍の速さです。

①プルリブスが5人のトッププロと対戦した結果

エントリーした 13人のトッププロの中から、その日参加できる5人が、ネット上でハンドルネームを使って、12日間に渡って合計で1万回プルリブスと対戦しました。

トッププロが本気で打つように、賞金とギャラを払う真剣勝負です。

 5万ドルが成績に応じて人間の参加者に分配されるので、それが人間のプレーヤーに最高のゲームをするように仕向ける動機付けになりました。各プレーヤーが参加するギャラ(手取り保証額)の最低額は一手あたり0.4ドルです。しかし、この最低ギャラは成績に応じて一手あたり1.6ドルにまで増額されます。

さて、その評価結果ですが、論文をそのまま訳すと以下のようになります。

「プルリブスがゲームに勝って稼いでいるかどうかを判定するために、ワンテール(片側分布)のt-分布検定を行って95%の信頼度で統計的な有意性を測定しました。

AIVAT処理をして(運の要素を除いた成績は)、プルリブスは平均で48mbb/gameを勝ちました。(その標準偏差の誤差は25mbb/gameです)。

この値は6人でやる掛け金制限のないテキサスホールデムポーカーで、特に選抜されたトッププロの集団と戦ったことを考えると、非常に高い勝率と考えられます。そしてそれはプルリブスが人の対戦相手よりも強いということを示唆しています。プルリブスは0.028というp値で、ポーカーで稼いでいると断定されました(この事象が偶然で起こるのは100回につき2.8回)。

プルリブスが1万回の戦いでどのように稼ぎが推移していったかのデータを末尾に示します。

賭け金無制限のポーカーの獲得金額の統計的な分散が極めて大きいのと、人のプレーヤーに(運の要素を除くための)AIVAT処理をすることができないことから、個々の人間の参加者の勝率を統計的な有意差を持って決定することはできませんでした。」

と書いてあります。運の要素を除いて評価して、統計的な誤差を考慮しても人に勝っていると言える、と言っています。運の要素を除くためのAIVAT処理をしていることと、対戦相手のプロの成績(mbb/game)と比較できないというところが気になりますね。

評価指標である、mbb/gameとは、1ゲームあたりの儲け金額をそのゲームスタート時の掛け金で正規化したもののようです。(大金を競うゲームもあれば、少額で流すようなゲームもある。それをまとめて評価する指標なのでしょう)

いずれにしても、ポーカーという運も関係する不完全情報ゲームで100戦100勝という事はあり得ない訳だし、手が弱くても賭け金の賭け方のうまさで稼ぐことが本質なので、何を理由に強いというかは、たくさん戦った時にやっぱりこの人は安定的に儲けているね、という事なんだろうと思います。

 ②トッププロひとりがプルリブス5台がと対戦した結果

クリス“ジーザス”ファーガソンと、ダレンエリアスが5台のプルリブスとそれそれ5000回戦いました。もちろん5台のプルリブスは共謀しないし、人間は誰(どのハンドルネーム)がプルリブスかはわかりません。人間へのインセンティブは2000ドルの参加報酬と勝った時の2000ドルの追加成功報酬です。

その結果は、論文をそのまま訳すと以下のようになります。

「10,000回のゲームを行って、プルリブスは人間に(5台の)平均で32 mbb/game(標準偏差の誤差は15 mbb/game)勝ちました。プルリブスは0.014のp値で(統計的な有意差を持って)稼いでいると決定されました。

ダレンエリアスはプルリブスに対して40 mbb/game負けました。標準偏差の誤差は22 mbb/gameで、p値は0.033でした。

クリスファーガソンはプルリブスに対して25 mbb/game負けました。標準偏差の誤差は20mbb/gameで、p値は0.107でした。

ファーガソンの負率がエリアスより低いのは、統計的な分散の結果と、彼の技量による結果でしょう。ファーガソンは自分になじみのない難しい局面では、その場を降りることに重きを置いた、より保守的な戦略を取ったという事実の結果でもあります。」

これを読むと、クリスファーガソンはダンエリアスより善戦しました。それは彼が保守的な戦略を取ったからだといっています。

この統計的に処理された結果で、プルリブスはクリスファーガソンに対して確実に強いと言えるかどうかは微妙だ、という意見もあるようです。25+-20mbb/gameの勝ちで、それは10回に1回ぐらい偶然でも起こり得ること、と言ったところで、常に強いと言えるのか?という素朴な疑問ですね。

http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2019/07/20/164318

プルリブス対5人のプロの対戦の生データは以下です。1人のプロと5台のプルリブスの対戦データは論文に載っていません。

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 統計誤差を考えてこれをどう見るかですね。ゲームの回数が増えるにつれてチップの稼ぎは増えていく傾向はありますが、負けている時もある。その負けは偶然の要素によるものなのか、戦略の巧拙によるのか、それをAVATという形できれいに分離して議論できるのかどうかはこの論文からでは正確には読み取れませんでした。

【プルリブスのもたらしたもの】

囲碁AIである、AlphaGoは、昔から悪手とされて来た手を打ちます。今ではその「悪手」をプロ棋士が打つようになりました。AIが人間が見落としていた価値を見出して過去の常識を覆したという事になりますね。また、そのAIの見出した知見を人間が取り入れて、囲碁の世界が変化しているとも言えそうです。

プルリブスも今までの常識を覆したところがあるようです。以下に訳を記しますが、このプルリブスのとった戦略がプロポーカーの世界にどういった影響を与えるのかも興味深いですね。

「プルリブスの戦略は、人がやる(駆け引きを含んだ)対戦結果を(学習に)用いないで、AI同士の自己対戦(による学習)で全部決定されました。そして、多人数でおこなうテキサスホールデムポーカーでの最適な戦い方はどのようにあるべきかについて、人間では思いつかないような見方を提供してくれます。

プルリブスは当たり前の常識とされているリッピング(賭けを降りたり、掛け金を増やしたりするよりも、ビックブラインドと同額を賭ける戦略、ゲームをゆっくり続けることになる)は、スモールブラインドのポジションのプレーヤーがルールに従ってビッグブラインド(ショバ代)の半額をすでに場に賭けていて、ゲームを続けるためにビックブラインドと同額の掛け金になるよう、残りの半額を追加で賭ける場合以外は、最善手ではないことを確証しました。

プルリブスはAI同士の自己対戦で基本戦略を導出する時に最初はリンピングをして対戦実験をしていましたが、だんだん自己対戦の学習が進むにつれてそのリンピングの行為を戦い方に組み入れなくなりました。

プルリブスは「ドンクべッティング」は間違いだという格言には同意しません。(ドンクベッティングとは、一つ前の対戦をコール(前の人と同じ賭け金を賭ける)して終わった人が、その次の回で最初に掛け金を賭けること)。プルリブスはこのドンクベッティングを人間のプロポーカープレーヤよりはるかに頻繁に行います。」

冒頭のMITテックの記事は、プルリブスはこのドンクベッティングを連発することでプロのポーカープレーヤを圧倒したかのような記述になっていますね。ポーカー界では、ドンクべティングは怖くて勇気のいる手だけれど、成功すると効果が大きい手なんだそうです。そういった心理的なバリアを心を持たないプルリブスは確率統計の経験値からこれを頻発するというのは面白いですね。

 

【まとめと感想】

完全情報ゲームである囲碁のAIに対比するかたちで不完全情報ゲームであるポーカーのAIの論文を読んでみました。

完全情報ゲームでは、その時に勝ちに繋がる確率が最も高い最善手を打つという考え方があるけれど、不完全情報ゲームは確率の世界なんだから100戦100勝という訳にはいかない。なので、長く戦えば戦うほど確率の要素で負けることの比重が減ってきて、中長期的にはゲインを得られるという戦い方の戦略を持っているかどうかの勝負なんだなと思いました。

定性的には、投資戦略や営業戦略にも通じる考え方のようにも思える。ゲーム進行中での競争相手の戦略の変更の可能性を織り込み、自分の戦略を悟らないように工夫するなど、外から見ると人間心理を読むかのような手法を駆使しているところが面白かった。

プルリブスが人より強いかどうかを検証するのに、t-分布のような(データの少ない時に使う)古典的な検定の手法を使っていて、95%の有意差でもって議論している。これには、「えっ、ビッグデータの時代に何で?、そうか、人間が相手だからかあ」、という妙に感じいったところもありました。

テキサスホールデムポーカーは、1対1の対戦でなく、6人で行うので、明確な敵というのもがいません。麻雀のように確率論の中での手作りの技術で勝つ要素は全くなく、手そのものは全くの運で決まる。プレーヤは掛け金の賭け方の巧拙を競い、手の優劣とは直接関係しない賭け金引き上げ競争のチキンゲームを自分の手を強く見せかけるような賭け金の賭け方や、雰囲気を作るなどして勝ち、その場の賭け金を総取りする。全く勝ち目がない時は降りるという判断もある。それを長く続けてお金を増やせる人が強い世界。

そういった、実力(戦略)+運(確率)の世界で、お金を儲けるという、極めて人間臭い世界にAIが入ってきて、後悔を最小にする価値観と、相手の戦略の変化を見越す戦略を持って、成果を上げたことに対する興味は尽きないですね。

 

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