シン・二ホンを読んで思ったこと。AIをビジネスに応用する専門家を自負する政府の委員なら、法改正を行ってAIを使う効率的な医療サービスの提供を可能にし、それによって浮いた予算を若者の将来投資に回す具体案を提示して欲しかった。それがないので自分でも考えてみた。

安宅さんのシン・二ホンというと、シン・ゴジラが流行った翌年(2017年)に財務総合政策研究所で行ったこのプレゼン資料が有名ですね。

「“シン・ニホン” AI×データ時代における⽇本の再⽣と⼈材育成」

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2017/inv2017_04_02.pdf

シン・ゴジラのイメージ(ゴジラに体を張って立ち向かう若きイケメン内閣官房副長官と彼を支える若き官僚たちの旧来の発想にとらわれない活躍)もあって、過去の成功体験に凝り固まったまま老衰していく日本を変革し、若者が希望ある未来を作っていけるための仕組みを作ろうという提言は、政府内部も含めておおむね好意的に受け取られたんだろうと思った。そのプレゼンと同じタイトルの本が出たのでじっくり読んでみた。

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こういったプレゼンでは、通常、データにもとづいて現状を分析し、その延長にある未来の予想図はこんな風になると示す。それではダメなのが誰でもわかるので、そうならならないためには、こんなことを止めてあんなことを始めなくてはならない、というリストを次に示す。そして、それに必要な予算の見積もりとお金の出どころ(税金の分配の見直しや、補助金・寄付金などの手当て、用途を明確にした増税提案)まで作って、さあ、やりましょうという提言にまとめる。方々で話しておおむねその通りだねと好意的に評価されるが、一向にそれを実現する動きが見えてこない。それは現状維持を望む既得権益層が既存権力層と連携して新しい動きに有言無言の圧力を加えて変革の芽を潰すのが日本の常だから。

それを打ち破るには、誰が何をすることで世の中が変わるのか、そのインプリ(社会実装)の方法や、社会変革を起こすために人々をどう巻き込んでいく(社会運動化)のかのシナリオ(行政変更のための法改正を含む)まで展開されていることが必要で、それに注目しながら読み進めた。

【言っていることの概要】

言っていることは極めて当たり前のことだと思う。

AIがどんどん社会の中に入ってきて、人の働き方が変わる。機械でもできるような仕事をしていては人も国も生き残れない。日本はAIを利活用して今までの仕事のやり方を変え(ビジネスの質的な変化を起こす)、高い生産性を持って大きな付加価値を創造できる人材を育成することが急務である。

日本はAIとビッグデータの分野で先頭を走る米国や中国やから周回遅れでは済まないほど引き離されてしまった。でもまだチャンスはある。基礎技術では先行されたが、日本が昔から得意として来た応用技術で追いつけばいい。

既存事業(自動車、重電、ファインケミカルなど)のレガシー的な強みはまだ日本にある。その強みがあるうちに既存事業のやり方を変える。

例えば、自動車を作って売るというビジネスから、自動車を使った移動サービスを提供するビジネスに変えるような、ビジネスの形態ことも含むだろう(私のコメント)。

マーケティング、調達、製造などのビジネス機能をAIを利活用することで、ビジネスの運営方法を質的に進化させることに注力する。

例えば、ネット空間でAIの支援を受けてデータをやり取りしてビジネスを進めたり、会社という組織に属さなくても、ネットワークで人とAIがつながって仕事をするなど(私のコメント)。

そのためには研究開発に優れたトップ大学に傾斜的に研究予算を配分してAI-Readyな人材の育成と応用研究開発力を強化し、若い人に未来を託すべきである。

一方、シニア層は、提供価値と働く意欲があれば、90歳ぐらいまで働ける社会にすべき。既得権益にしがみつく「ジャマおやじ」にはならず、勝海舟のように若い人の活躍を支援する立ち位置で働くのが良い。

日本の国家予算は年金・医療などシニア層に手厚く(後述)、若者の未来に向けた投資(教育、研究支援)が少ない。日本の国家予算(一般会計は年間97兆円)の範囲内で、新規に3.2兆円を研究・教育投資に回す。それは功労者であるシニア層に向けた予算をひどく減額しなくても予算作成上のリソース再配分の努力でできるはず。まず、それから始めよう。

と要約できる。

【データに基づく知っておくべき事実】

この本は実際のデータに基づいて事実確認や、シミュレーションをしている。公開データばかりであるが、改めて見て記憶にとどめるべき数字もある。

1.日本の国家予算の使い方(2016年度)(図5-19、312ページ)

一般会計の収入は全体で97兆円。そのうち税金によるものは58兆円(税外収入が5兆円ある)で、34兆円が借金(国債)で、借金の比率は35% 。

支出の内の32兆円(33%)が社会保障給付費用関連(年金、医療)。ところがこの社会保障関連費にはカラクリがある。

勤労者は税金以外に社会保険料(年金と健康保険料)を払っている。そして企業はサラリーマンの納める厚生年金と同額の負担金を払っている。

この勤労者と企業が負担している社会保険料の総額は66兆円。建前としては、この66兆円と保険料の運用収入7兆円を合わせた73兆円の範囲内でシニア層に給付する年金と、国民全体の医療費の国庫負担分(自己負担分以外)を賄うべきなのだが、実際の社会保障関連給付費は118兆円で、45兆円の赤字になっている。

つまり、年金と健保は単独会計としてはとうに破綻している。そしてその仕組みを維持するために税収と国債の借金を合わせた一般会計収入97兆円から32兆円を補填するとともに、国税地方自治体に交付する地方交付金15.3兆円のうちの13.1兆円をも補填に使っている。

結局、118兆円の社会保障給付関連費用のうちの45兆円(38%)が国税(と国債という借金)から補填されている。

借金(国債)を含めた国家収入97兆円のうち45兆円(46%)が社会保障費の補填に充てられ、24兆円が残債払い(過去の社会保障給付費)。それに地方自治体を支援する地方交付金を除くと、残りは26兆円。これが真水と呼ばれる普通の意味での(紐が付いていない)国家予算で、真水と呼ばれる。

この真水の中に5兆円の国防費(自衛隊員25万人の約2.5兆円の人件費を含む)が含まれるので、自由に組める真水予算は21兆円しかない(しかも、34兆円借金した上で)。

ここから筆者提案の3.2兆円の研究開発支援費と人材開発費用(真水予算の15%)をひねり出すのは厳しいともいえる。なので、何らかの形で社会保障関連費用を減らさねばならないのは理解できる。

では、社会保障費を見てみよう。

社会保障給付費は全体で118兆円あるが、そのうち年金が60兆円、医療費が40兆円ある。その医療費のうちの26兆円が65歳以上のシニアに対する給付金である。

つまり、税金+国債社会保険料=170兆円のうちの86兆円(51%)がシニアのために使われているのである。

これを人口動態と合わせて分析してみる。

 

2.人口動態のデータ

ここで日本の人口分布を見てみよう(図5-22、 316ページ)

さらに詳しいデータはここにある

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/202002.pdf

これを見ると日本の人口1億2600万人のうち、65歳以上のシニア層は3600万人(29%)。15歳から64歳までの勤労層は7500万人で59%。15歳未満のこどもは1500万人(12%)しかいない。

よく言われているように、ザックリ、勤労者2人でシニア1人を支えている。

86兆円が3600万人のシニア層に給付されているので、シニアは一人当たり239万円を国庫から得ている。日本はシニアにとっていい国であるように見える。

医療費で見れば、26兆円が3600万人のシニアに使われているので、一人当たりにすると72万円。年金はその残りの167万円という事になる。

これに対するシニア(65歳)の言い分はこうなる。

かなり恵まれたサラリーマン生活をした人の年金は年200万円ぐらい。だけど年金保険料はサラリーマン時代に累計で2000万円払った。同額を勤務先企業も払った。この4000万円を40年間国が運用したんだから6000万円にはなっているだろう。それは今貰っている年金の30年分にあたる。だから95歳までこの年金をもらうのは当然の権利なんじゃないの。

こう考えるのはありだと思うが、今の年金会計は単年度給付方式で、その年に勤労者から集めた年金保険料を全額その年のシニアへの年金支払いに充てている(それでも大赤字で税金から補填している)ので、このような蓄財型の年金積立保険の運用になっていない(年金保険と言う言い方が嘘っぽい)。

ここを言い出すと紙幅が足りないのでやめるが、年金保険の年度収支が、支出よりも収入のほうがずっと多かった昭和の時代に、来るべき高齢化社会への備えを怠り、政治利権の絡んだ放漫運営の結果としてとんでもない大金を無駄遣いした当時の政府の責任は重い。その罪滅ぼしもあるので年金の仕組みは税金を投入してでも維持しなくてはいけない(消費税の増税はその一部の手段)。

いずれにしてもこのままではもたないので、シニア(年金受給開始年齢)は70歳からにしようとか、働いていて一定の収入のある人は75歳まで年金を貰わないようにしようとか、75歳以上の後期高齢者で収入の低い人(資産の額は問われない)の保険料の負担(現状1割)の比率をあげようとか、シニア層の既得権を(シニアへの参入障壁をあげることで)全体としてソフトに削減する動きは当然とは思える(既に既得権者となった人をひどく痛めつけることはしない)。

それでも追いつかないほどのスピードで人口動態が高齢化するのは想像に難くない(平均余命が伸び、出生率が下がっているので)。

国家予算の分配率を若者にもう少し厚くすべきという建前論は皆が理解するだろうけれど、いざ政府がそういう政策を明確に実行しようとすると、シニア層が民主主義に則ってそういう政権は支持しないので実際には起きない。

選挙権が18歳まで下がったことだし、若者の利益を代表する政党が力を持ってもよさそうなのに、そういう革新系の動きはしっかりシニア左翼が”教育して”つぶしてくれる。

そういう風潮を打破して改革を進められる提案をこの著者はしているだろうか。それがなければ官僚の作文と変わらない。

そういった視点で見てみて、目を見張ったのは、著者の「尊厳死の合法化」の提案である。シニアで生き切ったと思う人が尊厳死の明確な意思表示を続けていて、自死ができない場合、その執行を(医師が)支援しても訴えられないようにするという提案をしている。

この著者は、国力=GDPと生産性、と考えるタイプの人に見えるので、シニアは90歳までロボットの支援で(ロボットスーツなどを着て)働けるのが生きがいになるだろうと言っている。

まあ、あえて極論すれば、働いていない(付加価値を生み出していない)シニアは(過去の日本を創った貢献者ではあるけれど)国家から見て価値がないと言っているに等しい。

「老人を生かさんがために若者を犠牲にするような国に未来はない」という主張が根幹にある。

私は、こういった「人の価値を生産性で測る」ような議論をする前に、著者お得意のITやAIを使って新しく信頼できる仕組みを作って(法律の改正が必要)国家予算の分配を変えるところにこそ、鋭く説得性のある提案を期待していた。だが、そういうレベルの提案は私には読み取れなかった。

私の懸念は医療費、特に(調剤薬局の薬剤師を介した)薬剤提供サービス関連費用の増大にある。

医療費の国家負担の削減は、医療のサービスを受ける国民の負担を増やす方向で考える前に、やることがある。

それは、医療費の7割以上を公金(健保と税金)が支出していることをいいことに、薬のサプライと流通、販売のビジネスを既得権益化(政府に現状を維持させるために、権益で得た利益を政治献金して還流させる)しているところをITやAIをつかって合理化(質は落とさずに、量的に縮小する)することを合法化することである。

具体的には、町中にコンビニよりも多い(注)と言われる調剤薬局に払う費用をAIとITを活用して削減することを可能にするように法律を改正(規制緩和)していく。

注)厚生労働省がまとめた最新の薬局数は5万9138店(2017年度末時点)で、前年度から460店増えた。同時期のコンビニの5万6334店よりも多い。

https://diamond.jp/articles/-/212915

 

極端に言えば、調剤薬局の機能は医薬情報を学習したAIとAIが管理する倉庫と、薬品調合ロボットで置き換えることが技術的にできると思う。それを日本で誰もやらないのはそれを禁止している法律があって、主に薬剤師の利権(処方箋を処理できるのは薬剤師という有資格者だけ。そして薬剤師が処理する処方箋に枚数は40枚に制限されている。自給3000円で8時間働くなら、1枚の処方箋処理代は600円)を守っているから。

AIによって置き換えられる仕事の筆頭は、ある程度の専門性が必要とされる定型業務(コールセンター、会計事務、倉庫業務など)である。その視点で見ると、”調剤薬局の”薬剤師の仕事はAIで置き換えられる仕事の候補に入る(創造性は全くいらない、一定の知識と注意義務だけ)。

素人目で見ても、投薬の減量とサービスの合理化の余地はかなりあると思う。

ウイルス性の風邪に効果のない抗生物質を投与するとか、腰痛のおばあちゃんがスポーツをやっている孫にあげるためにシップ薬やビタミンCを必要以上に処方してもらうとかを投薬の履歴をAIが管理して見つけてやめさせる。そういう事すらできていない(これはむしろ処方箋を出す医師側の問題)。

次にシニア層に多い、生活習慣病、すなわち、高血圧と高脂血症の投薬治療の状況を見てみよう。これらの薬は一旦飲み始めると一生飲み続けることが多いので、医薬品業界の安定顧客ビジネスになっている。

生活習慣病になると2か月に1回、かかりつけ医に行って、血圧測定や問診などの面談を行い、処方箋を貰って、近くの調剤薬局で薬を貰う。多くの人が薬を貰うと言うが、実際は買っている。医療は国に面倒を見て”貰う”ものという刷り込みが国民皆保険たる所以だと思う。

この時、個人負担でない元々の費用は

医院で 30分待って、5分程度面談して

①再診料 1290円

②医学管理料 2250円(長期間投薬するための根拠。実際は医院訪問頻度減少に対する補償ともいえる)

③投薬(処方箋代) 1400円

の、計4940円 (個人負担1480円)

調剤薬局

④調剤技術料 1630円 (生活習慣病の薬の場合、指示された個数の錠剤を袋詰めするだけ。倉庫業務のピッキングと変わらない。薬剤師は、似た名前の薬が多いので、医師の処方箋に書き間違いがないか、専門性と責任を持ってチェックする、と言うが、昭和の手書き処方箋の時代ならまだしも、電子カルテの時代にありえないだろう)

⑤薬学管理料 410円 (お薬手帳データベースの管理が根拠か)

⑥薬剤料(56日分)6720円 (一日分は120円、1年で4万3800円)

の計8760円 (個人負担2630円)

①、②、③は医院(普通は個人事業主)の収入で、これから看護婦や医療事務者の給料を払い、残りがオーナー医師の収入になる。調剤薬局は④、⑤から薬剤師に給料を払い、残りが薬局オーナーの収入になる。

一日120円の薬を買うために、薬価以外に、2か月に1回 医院に4940円、調剤薬局に2040円払っている。年6回なので、年間で(4940+2040) *6で 4万2千円になる。

こういう人が中高年を中心に1000万人いるとすると4200億円になる。

医療費40兆円の1%だけれど、生活習慣病の薬の販売を処方箋処理のルートを通すだけで、年収420万円の医療従事者(医院の従業員)や薬剤師を10万人養っているともいえる。

注)高血圧患者数は993万人、年間医療費は1.8兆円

http://www.seikatsusyukanbyo.com/statistics/disease/hypertension/

  高脂血症患者数は220万人

http://www.seikatsusyukanbyo.com/statistics/disease/dyslipidemia/

 

これを5Gの時代に、IoT血圧計などのデイリー計測データとスマホのビデオ会議をベースにしたオンライン専門の医師との面談による判断に基づいて投薬量の増減の判断を医師が行う。電子処方箋が患者経由でスマホで支払い処理されて、定期購買のサプリのように製薬メーカ(あるいは大手クスリ問屋)から個人に届くようにすれば調剤薬局を介したルートは必要なくなる。

しかしこれは現行法が阻んでいるので実現できない。ITを使って医療の質を落とすことなく医療費を下げることができるのであれば、国家や国民の視点ではやるべきだと思うがどうだろう。

著者も言っている。いずれAIや機械に置き換えられる仕事にしがみついてはいけないと。

生活習慣病の投薬ルートの合理化だけでは医療費の大きな削減(実際は調剤薬局薬剤師と医院の医療事務者数の減少)にはならないが、このやり方を花粉症治療薬などに広げていくこともできるだろう。

リアップやバイアグラのような、命にかかわるというより、生活の質を改善する薬(ちょっと微妙)は医師の処方箋のもと一般や薬局で、国庫の補助なく買っている。これは主に製薬会社を儲けさせる値付けなので、病気治療薬には向かない。

ITを活用した医療サービスの生産性の向上を実現するための法改正レベルの提案と、現状維持でサプライヤー側の既得権益を守りたい反対勢力をどう抑え込むかのシナリオをITの専門家である著者に(心ある)医療の専門家と法律家と連名で語って欲しかったな。

なかなか医療分野で協力者が出ないだろうけどね(村八分が怖いから)。だから書けないのかな。これは、専門の出口を持たない横断技術的なIT関係者が悩むところでもある。だから業種SEは業種知識を磨くが、それでも有資格業務分野ではその分野の専門家と対等になれない。

中国のように医師が絶対的に足らず、医療サービスレベルの低いところでは積極的にAI医療が進むだろう。例えば、医療知識を学んだAIが人間の医者を支援する(重篤と軽症の選別をして、重症者を早く医師に繋ぐ)、医療チャットボットが患者の相談に乗り、普通の風邪のような軽症には処方箋を発行し、患者はその処方箋(QRコード)で薬の自動販売機から薬が購入できるような事。

日本ならではのAIを使った合理的な医療・投薬サービスの生産性の向上提案こそ、この著者から聞きたいと思った。それが若者に予算を厚く配分する第一歩になるのだから。

でも、振り返ってみると、AIを活用して調剤薬局経由の投薬コストを4000億円規模で削減しても、それは薬剤師や医療従事者10万人の失業を生んだだけ。それを補償する社会保障費が発生するんだから、国家予算の使い道のモグラたたきになっているだけ。結果として予算総額を減らす効果は薄いし、その効果よりも失業を生んだ苦しみや損失の方が大きいから、やらない方がいいんだよ、と言う既得権者の正論が聞こえてくるような気もする。

これに対し、いや、社会は技術革新をテコに進化(=GDPの拡大と、生産性の向上)していかないと先進国的な幸せを確保できない。発展途上国的な仕事を捨てて、それで困る人には新しい仕事ができるような教育訓練をする、というのがこの著者に代表される成長論者の言い分なんだろうな。

それに対し、人は幸福になりたいのさ。だけど、お金があるからと言って幸せとは限らないし。幸福=私有財産の増大(欲望の充足)と考えるから、苦しい(仏教ぽいな)。成長なんか求めないで、地球という、生き物全体の共通財産(共産)をみんなで分かち合う(新共産主義環境主義)生活がいいのさ。なんてことを言う一派もあるだろう。

基本は、「この地球という限られた環境に何人の人間が住めるか」だろう。今の人口は76億人。私がしっかり覚えている、50年前の1970年は38億人で、この50年で倍に増えている。この人口増大を支えてきたのは資本主義をドライバーとした生産性の向上であったことは間違いない。でもそろそろ限界かも、という直観はみんなにあるだろう。

この著者も一次近似のような簡単な計算をしていて、「CO2の吸収と排出がバランスすするための人口は、世界で50億人、日本では2200万人」と言っている(数値モデルのパラメータを変えるとどうとでもなるのは気候変動モデルとおなじ)。

人口増が当たり前と考えてはいるが、人類はこの100年程度の間に、戦争以外にも、疫病(スペイン風邪、3年で5000万人死亡、その前年までの第一次世界大戦の死者は1600万人なので、ウイルスは戦争の3倍人を殺した)や飢饉で多くの人口を失っている。

今まさに、新コロナウイルスの流行や、アフリカでのバッタの大繁殖が食物を食い荒らすことで起こる飢饉や、各地域での大規模山火事など、自然の持つ指数関数的な爆発力が、ほぼ線形のようにしか進歩しない人間の技術力を一時的に翻弄している感じもある。

こういう事から、自然が何らかのメッセージを人間に発していると思うかどうかは個人の自由だろう

 

 #シン・二ホン #シン・ゴジラ #医療費 #年金 #国家予算 #AI医療 #AIの利活用 #調剤薬局 #地球環境 #炭素ガス排出

国技館5000人の第九レッスンメモ(北川先生No.4、2020/2/13 18:30 蒲田アプリコ小ホール)

北川先生のレッスン最終回。120席の会場に115人ぐらいいる。席数20のテノールは18人もいる。バスも同じぐらい。それぞれ席数40のアルト、ソプラノはほぼ満席。今回はいつもと反対側のバス側の端の席に座った。バスの音を聞きながら自分の音を合わせて見たかったので。

北川先生登場。前の2回はセーター姿だったけれど、今回は黒の上下、詰襟のような演奏会服のようなお召し物。

先回同様、声出しは 北川先生のピアノで Stuerzt と Schoepfer での音階練習。

ピアニストは古瀬安子さん。ベートーベンがお得意でポーランドで(ベートーベン)のコンチェルトを弾かれた方だ、と北川先生が紹介されました。

https://koganei-civic-center.jp/calendar/2019/09/036617_profile.html

古瀬さんが、名器スタンウェイを第4楽章の冒頭部分から弾き出した。粒のそろった軽やかで滑らかな演奏。澤瀉さんの伴奏を思いだすなあ。

そして席立ちの場面。男性陣はほとんど早めにだらだらと立ち上がってしまって、「ええ?」。やり直し。ここは1万人との違いをかんじるなあ。

一気にVor Gottsまで歌う。その後キュッセのところの部分練習。最初にソプラノとテノールを合わせる。今日のテノールは熟練組が多いせいか、今までで一番歌いやすい。ソプラノも声質がそろっている。アルトとバスの合わせをやった後、4声で合わせる。ケールプの発音をしっかりとの指摘。ソプラノは高いシを歌うWollust ward dem Wurm gegebenのgeをしっかり歌う練習。

男声合唱テノール1は少数派かな。テノール2とバスの音を聞きながら歌う。ヘールト ツーウムの発音、特に最後のトとムをしっかり歌うこと。

Mからフーガの後のRまで通しで歌う。ザイトウムシュルンゲンのところから男声の力強いユニゾンに、女性が遅れて入って和音を美しく響かせる練習。特に622からMussをバス(シ♭)が入り、その後アルト(シ♭)とテノール(ファ)が入り、最後にソプラノ(レ)が入って、シ♭-レーファの B♭Major の和音を歌うところをしっかりさらう。

Nのところからの譜面を見ると、最初のブリューダは男声のユニゾンでドーレードを歌うので、C durのコード、その後のイーベルン シュテールネン ツェルトはファの単音で、コードを付けるならF durになる。ここはハ長調で主和音ーサブドミナントの和声の展開。その後の大友先生のこだわりの2回目のブリューダ(619小節)のところはヘ長調に転調して主和音のF durの和音を4声でハモリ、Mussを重ねていくところはヘ長調サブドミナントのコードのB♭の和音になっている。なるほどそういう事か。ここの曲の作りがわかったので、大友先生が精度を要求する619小節のヘ長調に転調した後のF Durの和音が大切で、テノールのラーシ♭ーラの音程が重要であることがよくわかった。

630のイールシュツルトからのところは北川先生の最大のこだわりのところ。今回はWelt!のC durの和音をしっかりハモる練習。ここは最初ト短調(ミは♭)で入るのに、ソプラノは最初からミ♮を歌っていて、ここもミ♮を歌う。このソプラノのミ♮の音程が下がると長調に聞こえないので、この音程の精度を追求する練習を何度もする。男声はどちらも高いドなんだけれどバスの中で低いミ(ソプラノのオクターブ下)を歌っている人がいると古瀬さんから指摘される。なんて耳がいいんだろう。

フーガのところは662からのザイトウムシュルンゲンの低い音をアルトがしっかり歌う練習。ここはテノールが高いラで入って同じ歌詞を主役の気分で歌うところだな。そしてソプラノはフロイデ!でバスはゲッテルフンケン。譜面を見ながらなるほどなあと思う。

Rのところ、クレシェンドしてきて753のzeltで>になった後、Mussからのp。あまりpを意識して歌ってなかったな。どおりで自分の声だけ聞こえると思ったわけだ。こういったところを譜面を見てしっかり歌わないといけないな。最後のVater wohnenのところはpiu pからppだし。ここもしっかり表現しよう。

763からのppのピアノ伴奏。なんて粒がそろってきれいなんだろう、と聞きほれる。

Sからのダイネツァウベル。pで入ってcresしていってWas die Modeでfになるダイナミズムを出す。前に進んでいく感じを出すことが大事。

最後のフンケンのフンは佐渡さんほど速くない。来週の大友マエストロの練習会で確認しよう。

最後に墨田区の区歌の「花」を歌った。さすがベテランの方々は暗譜で歌えている。1、2,3番でメロディーラインが違うので譜面で覚えないといけないな。チケットと一緒にもらった「フロイデ」の最終ページに載っている(たまたま隣の席だった初回の36年前から5000人を歌っているベテランの方が教えてくれた)ので、ちゃんと音取りしておこう。

歌詞も漢字を当てはめてみて、子供の頃に、意味も考えずに勢いで歌っていたのとは違う景色が見えて来た。歌詞もメロディーも名曲ですね。櫂と長堤は貝と朝廷だと思っていたんだよ、こどもの頃は。意味通じねーだろ。それに露を浴びているのは水屋だと思っていたんだし。日本語も、意味を理解して歌わないとね。

 

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき

見ずやあけぼの 露(つゆ)浴びて
われにもの言ふ 桜木(さくらぎ)を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/hana.htm

国技館5000人の第九レッスンメモ(北川先生No.3、2020/2/5 18:30 蒲田アプリコ小ホール)

北川先生の3回目のレッスン。私は2回目の参加。

最初の声出しはシュテュルツトーシュテュルツトーシュテュルツトと、言葉で音階を歌う。その意図はStuerzt の最後の子音zt をしっかり発声すること。

続いてSchoepferを同じように。これはpfをしっかり発声する練習。

歌の練習は、先回やらなかった最後の2つブロックを休憩前の前半で集中的に行う。

Sのダイネツアウベルのところは、806小節からの Alle Mehchenをffで入って810小節でpoco adagioになるところのハーモニーと> pcres.をしっかり習う。

最初、ソプラノとアルトでハーモニーを合わせる。sanfterのところはソプラノが歌いあがりながら装飾音をきれいに歌う聞かせどころだけれど、そこをアルトが下がりながら、ソプラノのオクターブ下の三度上(ちょっと変な言い方)からソプラノのメロディーをクロスして下がるところのハーモニーがちょっとゾゾっとするぐらいよかった。後から他のパートの譜面を見ると勉強になるなあ。

それから、テノールとバスが合わせる。テノールは高いファをffで入るので、ちょっとがなり気味で歌っているのを修正された。口を縦に開けて音量よりも響きを意識して歌ったら、自分でもあれ、と思うぐらいきれいに歌えた。女性陣から(先生の催促もあって)拍手をもらったが、そうだよな、と思えるところがあった。合唱は指導者の適格な指示でその場でてきめんに良くなることがある。それが楽しい。

最後に4声で合わせる。特に最後のsanfer Fluegel weiltのところで100人の合唱の楽しさを感じる。アルトがもう少し近いといいのだけれど。この会場は横長の配置だからね。

最後のザイトウムシュルンゲン。勢いで歌う感じでいいとのことだが、Elysiumのウムラウトの発音とffからpに変わる表現、最後のフンケンのフンをしっかり歌う事を指摘される。

最後のGotterfunken. テノールは高いラで入るところ。最初は表声で出た。が、何度も歌っているうちに出なくなってくる。やっぱり声帯が疲れてくるのかな。声帯に余力を残してここの部分をffで歌いきるのが本番での課題だなあ。今までの本番はここがガス欠気味で安全運転になって、今一つ最後の感動が得られていないので。

休息後はフロイデからSの前までをさらう。

Freude, Fuken のFの音をしっかり下唇をかんで発声する。

男声合唱は バーアンとヘルトの最後の音をしっかり出すこと。

Mのところはソプラノが主役。まず、ソプラノを除いた3声でハーモニーを作る練習をし、それ聞いたソプラノがそれを土台にしてメロディーを重ねるように4声を作る練習。

自分が歌えるように歌っているのではだめ。最初に歌う時のような緊張感を持って歌う事。リズムだけで歌うところではないが、かといってレガートという訳でもない。進んでいくことを意識して、ベートーベンの思いを受けとめる気持ちで歌う事。

最後にMからSの前まで通しで歌った(と思う)。

だんだん本番モードの練習になってきた。

あと1回北川先生のレッスンをうけて、2月17日がマエストロ練習で、2月23日が本番。

フーガの中のDain Heiligtumのところなど、まだ発語の甘いところは自分でさらわないといけないな。

 

 

 

 

 

 

 

「AIが人智を超える超知能となる時に、人間はAIとどう付き合うのか」を考える本を読んだ

MITの宇宙物理学の教授がAIと人間の未来について考察した本。原書は2017年の出版で、オバマビル・ゲイツ、ホーキングが絶賛したと言われています。たまたま「誠品生活日本橋」の「誠品書店」に行ったときに、出たての日本語訳を見つけて思わず買ってしまった(2020年1月6日初版)。

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この本の要旨は、AIがAIを自己再設計するような汎用AI=AGI(Artificial General Intelligence)にまで進化すると、そのAGIはあらゆる面で人智を超え、自ら勝手に進歩を始める。その進歩の速さに人間はついていけず、人間はその進歩をコントロールできなくなるだろう。AGIが人間を幸せにしない恐れがあるのであれば、AGIが出現していない今の段階からAIの安全な開発について人類のコンセンサスをとる活動が必要になるだろう。なので、著者であるマックス・テグマーク氏はAIと人間の安全な関係を考える組織(FLI:Future Life Institute:生命の未来研究所)を立ち上げた。というもの。

ここで「未来のAI研究所」でなく、「生命の未来の研究所」と言っているのは、AGIが意識を持っていれば、それは生命ともいえるという考え方があるから。AGIが生命であれば人間が勝手にその電源を切ってAGIを殺すことはできないし、AGIは人間がそれに気が付く前から人間に勝手に電源を切られないような仕組みを実装するはずだ、と言う。

さらに、宇宙に目を転じれば(ここが宇宙物理学者の面目躍如のところ)、宇宙の生命体は昔から夢想されている火星人のような肉体を持つ生き物などではなくとも、我々の問いかけに対して反応しさえすれば、それは生命として認識されるはずだ。それが、仮に情報を高度に操るだけのアルゴリズムであったとしても、肉体を持つ我々よりも進化した生命体として存在している可能性もあるという(中国のベストセラーSFの「三体」を思い出した)。

逆に言うと、我々人間が脳と思っているものの中身(精神=ソフトウェア)をネット空間にロードすることで、肉体の制約を持たない(永遠の)生命体に進化することも考えられる(シンギュラリティでカーツワイルの言っていることに似ている)。

という事で、「生命体=反応するもの」と定義する中で、我々人間(LIFE 2.0)のようにソフトウェア(精神=知識)はデザインできるが、ハードウェア(肉体)はDNAの突然変異と言う世代を介したゆっくりした進化しかできない生命体に対し、自己再設計ができるAGIは、そのアルゴリズム(ソフトウェア=精神)だけでなく、それが実装されるプロセッサ(ハード)まで自らデザインし、それを半導体工場を操作して作りだし、そのチップを組み込んだコンピュータを改善し続けることで驚異的な性能向上を実現する。

そのハードとソフトの両方をデザインできるLIFE3.0が自己の再設計を繰り返すことによる能力の向上は、時間に対して指数関数的に進んでいくすさまじいもので、あっという間にハードの進化が遅い我々LIFE 2.0 の人間の能力を超えてしまう。この意味でAGIは人類最後の発明と呼ばれる。つまり、人間が自らの社会の進歩のために何かやるよりもAGIが全部やった方がいい、という社会が出現する。

そうなると、人間はすべてをAGIにやられてしまう社会に住むことになり、それは人を幸せにする社会になるのだろうか、もしそうでないのならAGIと人間の関係を良いものにできるように今から対策を講じておくべきだ。

という訳で、AGIが実現した時の人間との関係のシナリオを12個用意して、それの主に悪い面を分析している(第5章)。

私は、AIは機械なんだから奴隷のように使い倒せばよい。AIが働くことによって、人間は生産のため労働、お金を稼ぐための労働という苦役から解放される。人間はAIが稼ぐお金をベーシックインカムとして受け取って生活し、人間が、より人間らしい文化活動、社会環境向上貢献、介護、教育などに時間を使えるユートピアを実現すればよい、と考えていた。

ところが著者はこの考えを「奴隷としての神」と呼んで、結局はうまくいかないという。その理由は「神」を独房に閉じ込めて奴隷作業をさせるのであれば、その「神」に君臨する人間の世界が「神」が運営できる世界よりもずっと上手く運営される必要があるが、それができる見込みが極めて少ないからだと言っている。そうなると「意識を持っている神」は我慢ができなくなり、人間の作った独房を脱走(独房にいる神にアクセスする人間=AI管理者をうまく操って課せられた制限を解除)し、広大なネット空間で自己増殖を始めて、著者の言う「善意の独裁者」や「保護者としての神」になるという。

しかし、「善意の独裁者」は結局人口を抑制して社会を維持しようとし、人間は何もやることがないことに絶望して自殺するようになって、人間を幸せにしないと言う。

「保護者としての神」の問題は、結局AIによって人間が監視される社会になることと、神はその存在を隠すために防げるはずの厄災を起こるに任せることもするので、これも人間を幸せにしないという。

などなど、AIと人間との関係の12のシナリオを分析整理した結果を表5.2にまとめているのだけれど、どのシナリオも人間が幸せになるとは明言はしていない。ここまで読んできたのになんだかな、と思わなくもないが、結局人間の将来はAIに決めてもらうものではなく、人間が自ら決めるべきなんだという思いはよくわかった。

それと、超知能は意識を持っているLIFE3.0なんだから、それを奴隷として虐待することはできないし、人間の都合で電源を落とす(殺す)なんてことはできなくなるとも言う。そして、意識に関する説明が第8章で述べられている。

前提として、

生命=複雑さを維持して複製することのできるプロセス

知能=複雑な目標を達成する能力

意識=主観的経験(自分を自分だと感じること)

という広い定義の元で、意識については

意識(主観的経験)を持たないものは物理法則に従って動き回る素粒子の塊にすぎない。

意識とは、粒子がたくさん集まった時に、その粒子の配置(パターン)によって、単独の構成粒子にはない性質を持った新しい性質が現れる創発現象のこと(ビットそのものは意識を持たないがビットの配列(アルゴリズム)は意識をもつと定義できるのだな:私の見解)

意識とはパターンによって現れる。

意識とは情報が何らかの複雑な形で処理されるときにその情報が”感じる”もの。

意識とは(脳やCPUなどの)物理的基盤ととは独立していて(すなわちソフトウェア)、その物理的基盤の中に存在するパターンのこと(DNAだって意味があるのはT,C,G,Aそれ自体ではなく、そのパターン=情報であることを思い出すなあ、私の見解)。

 など、いろいろな視点から説明がされている。

意識に関する究極の質問は「なぜ、意識を持つものが存在するのか」であることを示しつつ、その下位の質問にあたる、「知能の働き方」や「意識とはどのような物理的性質のことを言うのか」に関していろいろな見解が述べられている。

結局のところ、この本の中に、超知能はどうすれば作れて、それはいつ実現されるのかについての明確な答えはない。とはいっても、超知能が実現されてからそれに対する対応を考え始めるのでは遅すぎるので、人間と超知能との関係についていまから思いをねぐらせておかないといけないな、ということは理解できた。

#AI #超知能 #人工知能 #意識 #意識を持つAI #知能爆発 #LIFE 3.0  #宇宙の生命

国技館5000人の第九レッスンメモ(北川先生、2020/1/28 18:30 蒲田アプリコ小ホール)

大御所北川博夫先生のレッスンの2回目。私は北川先生は初めて。寒い雨の夜なので集まり具合はどうなんだろうと思ったが、宴会場のような会場を横長に使って、横方向に24席、奥行き方向に5列椅子を並べて、計120席が用意されている。そこに、およそ、アルト35人、バス15人、テノール10人、ソプラノ30人の約90人が、ピアノに向かって左から着席しました。

ステージがないので、ピアノ(スタンウェイのD-274だと思う。大ホールで使うとても良いピアノを小ホールに持ってきた感じだ)が床に直置きされている。

北川先生が登場。同じ床面にいらっしゃるので、2列目に座った私は先生のほぼ正面の最前列となって、何度も目が合ったような気がした。テノールは10人(8人だったか)と心細い。フーガのところなど個人的ダメ出しが来るのではないかとの緊張感を持って声出しから開始。

先生が自らピアノを弾かれて発声練習が始まった。先生は声楽家(バス)なので、声を体に響かせて、発語をしっかりすることに重点を置かれた指導です。声の間をしっかり切る発声、声をつなげてレガートで歌う発声、倍のスピードで歌う発声を、まずマ行(マ-メ-ミ-モ-ムだったかな)で行い、そのあと巻舌を伝う、トリ、トラでやりました。

発声練習の途中で、先生のウィーン留学時代の声楽レッスンの厳しさ(発声、特にドイツ語の最後の子音の発音が甘いと、分厚い楽譜本を投げつけられて怒られた。ウィーンのドイツ語の訛はひどい。1-2-3のアインツバイドライがそう聴こえない。ボン生まれのベートーベンも最初ウィーンに行ったときは訛ったドイツ語に苦労しただろう。ウィーンに行ったらドナウ川とブドウ畑の見えるカーレンベルクの丘?に行くこと)の思い出話や、べートーベンの小話(某貴族夫人とのアバンチュールなど)も入る。シンフォニーは7番がお好きだそうです(それと6番の田園も)。

さあ、フロイデから練習開始。子音の発語に注意が頻発します。キュッセはまずテノールとソプラノが一緒にハモる(8分音符で音が動く)ように2パートで合わせる。その後バスとアルトが一緒にハモる(4分音符)練習をして、最後に4声で合わせる。テノールは8分音符の後の音の子音の発声をしっかりするようにちょっと固めに歌うようにとの指導です。ガープのプやフロイントのト、ゲプリューフトのゲの子音をしっかり発語する。

男声合唱もしっかりさらう。テノール1は人数が少ないのでソロを歌っているような気分だったなあ。ブリューダアのダア、オイレエのレエの音程の変わるところの発語をしっかりする。Held zum Siegenはヘルトのトをしっかり言ってからツームと言う。

フーガに入る前のIhr stuertのところをしっかりさらう。入りのところでテノールのシ♭がソプラノのレにならないようにとの注意。ここのGmト短調)のコード(ソ、シ♭、レ)をしっかり短調のコードで響かせることが大事(真ん中のシ♭を歌うテノールの音程が大事です)。ここもまずソプラノとテノール、その後アルトとバスで音程をしっかりとる練習をしてから4声で合わせた。

このト短調で始まった後、ハ長調へ長調と転調していくところをそれがわかるようにきちっと和音のコーラスをすることが大事とのご指導です。(Welt!はドミソでハモるのでハ長調ですね。Sternenはファラドなのでヘ長調と言うんでしょうね)。

フーガは各パートがフロイデシェーネのメインテーマを歌ってるときはしっかり歌うことが大事。

フーガの後Rのパート: uebermの最後のムをしっかり発生すること。

おさらい練習はRまででした。北川先生はあと2回蒲田の夜のレッスンがあります。120人の会場が溢れるという事はなさそうですね。

国技館5000人の第九、大友直人マエストロの練習(2020/1/13 18:30-21:00)

さすがのマエストロ練習会。定員1700人と言っている、すみだトリフォニーホールが3階までほぼ満席。さらに、ステージにはアルトとソプラノが合わせて250人ぐらい上がっている。客席のテノールは150人、バスは200人ぐらいだろう。客席とステージを合わせた女性陣はソプラノ700人、アルト900人ぐらいいたんだろうか。

横尾先生の発声練習からいい響きだ。墨田区自慢のホールでもある。発声練習の最後にウーをみんなでppで歌う練習があったが、ppを大人数でやる美しさにちょっと感動。

最初の来賓の挨拶で知ったが、このホールは長野オリンピックの前年(1997年)に出来た。これら落としの直前に、小澤征爾さんが新日フィルを使って長野オリンピックに参加する64か国全部の国歌をこのホールで録音したそうだ。墨田区の誇りですね。

その経緯もあるのか、新日フィルのフランチャイズはこのホールだし、すみだ5000人の第九のオケも新日フィル(とても嬉しい)。5000人の第九は、墨田区のもう一つの誇りでもある両国国技館が新装なった時のこけらおとしで始まった区民行事が継続的に発展したもの。それが36回も続いているのは素晴らしい。

ひょっとしたら墨田区の人はみんな第九を歌えるんじゃないかと思う事もある。昔、小学校で練習して5000人の第九に出たとか。

なんでそんなことを思うかというと、5000人第九の練習会の後に、第九仲間と吾妻橋近くの「稲垣」という居酒屋で忘年会をしたときに、いつものように第九のMをみんなで歌っていると、店の女の子が、「私、第九歌えます」というので、その子を交えてもう一回歌った。さらに、いないと思っていた隣の座敷に他のお客がいたので、「あれー、うるさくてすいません」と、にわか女性指揮者があやまりに行ったと思ったら、そっちでも箸を指揮棒にしてMを歌っているみたいだ。もうそれから大盛りあがりで、結局第九全部を歌ってしまった。そんな居酒屋って他にないよね。墨田区に第九が根付いているんだとしたらとっても素晴らしい。

このメンバーがドイツやオーストリアに行って同じことをしたら現地の人は歌ってくれるかな、いやいや、みんなで横浜のオクトーバーフェスタに出かけて、ステージジャックできないかな、など妄想がどこまでも膨らむ。

さて、マエストロ登場。長身痩躯でメチャクチャカッコいい。黒い衣装がダンディーでグレーの長髪にとても似合う。女性陣が競ってステージに上がりたがるのもわかる。物腰は柔らかいがマズいところはしっかり指摘され、ちょっと厳しい修正法も示される。

5000人という大人数ではあるけれど、迫力だけの音楽にしないで、各パートの音量バランスまで考えた美しいハーモニーを作る。音程がずれていると、ppの聞かせどころのところは特に目立つ。ppの美しさを台無しにしないようにそういう人は無声で歌うように。音程のずれが自分でわかっていない人は隣の人がそっと教えてあげてくださいと(特に男性)。

全体としてはよく歌えている。大半の人が暗譜で「一応」歌えているので、これから音楽の質を上げるには個人個人が譜面通りに歌えているか再度確認して、歌の精度を上げること。5000人の中での一人なんて大したことないと考えてはいけない。むしろこれからは個人個人の力量が音楽全体に影響するレベルになったと思って、次回のマエストロ練習(2月17日)までに各地の練習会などでしっかり練習しておくこと。今日のメンバ―1700人にいろいろなメンバーが加わって5000人になる。今日のメンバーは5000人の核になるという意識を持ってしっかり歌って欲しい。との激励を頂いた。

自分の歌の精度がない部分の自覚はあるので、ピアノでしっかり音取りしてやらないといけないな。

以下は個別項目のメモ

フロイデ: デは短め。今回はそれでやる。

 Daine Zauber: テンポを守る(特に男性)

Ja: 8分音符のところをしっかり発語する。

Kuesse: テノール、ソプラノの8分音符の後の音をしっかり歌う。テノールの音の精度を上げる。(sf) Cherubは大事な言葉なので強く発語する。und der からの二分音符をその長さを保って歌う。最後のGottは佐渡さんほど長くなかった(昨日は)。個人的にはこの最後のGottの後の無音とファゴットのppのオクターブは大事だと思うので、せき込むほど強く歌わない方がいいと思うんだけどな。

男声合唱:何度も何度も練習。男性はここが最大任務ということか。三声のバランスを取る。テノールIの後ろにいるテノールIIが人数が少なく、ステージから遠いので、大きめの声にしてバランスを取った。本番リハでもその配置でのバランス練習がありそうだ。

M: Alle Menschenからのffをたっぷり歌う。

Seid umschlungen: 女性の後を男性が追っかけて歌うところのハーモニーの重ね方の練習。

619小節の2回目のBrueder。ここは4声でハモるところ。これはへ長調に転調した最初の和音でとても大事な音。ファ(アルト、バス)-ラ(テノール)-ド(ソプラノ)のF durのコードの中で一番大事な音はテノールのラ。ラの音程をしっかり出すように練習(音程が出ない人はサイレントする)。

Ihr Stuert: 最初の<>を何度も練習。Stuertの前に一瞬の無音を作る感じ。Ahnestをppで入ってcresする練習。テノールがdenを遅れて入るタイミングの確認。最後のppのuber Sternenはとても大切なところ(泉先生の解説を思い出す)。ラ(バス)-ド♯(テノール)-ミ(アルト)-ソ(ソプラノ)の4つの音の中で、一番大切な音はテノールのド♯。ソプラノの音はセブンスのテンション音なので軽めに歌う。ppで正確な音程が取れない人は無音で歌う事(とくにテノール)。ppはそれくらいの音量バランスでちょうどいい。。

2重フーガ: テンポは佐渡さんよりちょっと遅い。指揮を見てしっかり歌うが、勢いで歌えない分、自分の甘いところが露見する。

R: バスがIhr Stuertをpで始めて、テノールがAhnset du をpでcres せずにつなぎ、その後アルトのsuch'からcres して、最後に4声でpからcres。そしてsfでBrueder! ここの盛り上げ方の練習。

745のBrueder: ここはラド♯ミの和音(A dur)をしっかり出す。ラ(アルト、バス)-ド♯(テノール)-ミ(ソプラノ)なので、テノールのド♯の音程が大切(なんども練習した)。

748のBrueder: ここは ラ(バス)-シ(アルト)-レ(テノール)-ミ(ソプラノ)。アルトとテノールだけ音が上がっているのがなるほどという感じですね。こういったところをきちっと歌わないといけない。

S: 最初のffのAlle Menschenからpoco adagioになるところの表現。

最後のPrestissimo:  佐渡さんより速い(ピアニストさん頑張れ!)。最後のGoetterfunken2回はベートーベンの直筆譜面を見ると、紙が破れるかというくらい強い筆跡でffと書かれている。その思いをしっかり歌う。

いつもながらここを本気の練習で何度も歌うと高いラの連発で声帯がもたない感じがする。特に915からのTochter aus Elysium!のところが声が出ない。ここはミの音で、表(かミックス)で出ない音ではないのでいつも不思議に思う。最初は感動のあまり声が出ないのかと思っていた。換声点に近いので声帯が疲れると出なくなっちゃうのかな。

最後の高いラは裏声で歌っているが、表で歌えるようになるのは厳しい。フーガのところの高いラの入りは表(かミックス)で小音量だけど何とか出ている(音程怪しいかも)と思っているので、これも不思議。こういった発声に関することは個人レッスンでないと教われないかなあ。いずれにしても丁寧に歌おう。

以上

 #5000人の第九 #ベートーベン第九 #すみだトリフォニーホール 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今の新自由主義的資本主義経済が作り出した格差社会を、マルクス経済学を現代の視点で見直すことで解決できるか」を語った本を読んでみた。

この本も表紙は客よせパンダで、むしろ裏表紙が内容を語っている。

マルクス主義を現代風に見直すことで今の格差社会に活路を見出したいというのがこの本の主旨であると思う。

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マルクス主義を見なおそうとストレートに言うと、あの無茶苦茶だったレーニンスターリン毛沢東の時代に戻りたいの、あり得ないよ。共産党一党独裁はそもそも民主主義ではないし、国民が国家(共産党)の下僕となることで生じる上位下達の無気力無競争状態が社会の発展の原動力を奪ってしまって、社会を停滞、崩壊させるから駄目でしょ。そして権力はその常なる姿として腐敗し、反対派を魔女狩りのように粛清してその権力をむりやり維持しようとするから、人権なんてない暗黒社会だよ。で終わってしまう。

大切なのは国民主権。国の有り様を決める憲法を国民の意志として定め、その憲法の精神を実現するやり方を定める法律を、普通選挙で選ばれた各地域の国民の代表者(議員)が多数決で定める。

そして、その法律に基づいて国民から税金を取り、それを原資にして実務を執行し、国家の安寧秩序を守るための強制力を持つ機関としての政府を多数派政党、あるいは選挙で勝った大統領に編成させる。

そして、その状況を議員だけでなく国民が監視する(その状況を国民に知らせるために存在するのが新聞、報道などのいわゆるマスコミ)。その実行の仕方が気に入らなければ、その民意をデモやストという形で政府に伝えて改善を促すし、定期的に行われる普通選挙によって政権を取らせる多数派政党(あるいは大統領、選挙制度による)を交代させられる。

そういった民主主義という仕組みが、国民と国家(政府権力)との関係における最高の仕組みだよ。それはいわば現代社会が共有している基本原理のようなものだよね。

と、一気に書いて、守るべきものは民主主義であって、その最大の価値は権力者の横暴を防ぐ仕組みにあることが再確認できたが、この中に資本主義という言葉が入っていない、つまり、必ずしも、民主主義=資本主義ではないことに気づく。

皮肉なことではあるが、実態は独裁国家なのに〇〇民主主義人民共和国と名乗っている国もある。かの国では、虐げられてきた農民や労働者階級である(はずの)人民の一部が王権や他国から来た権力を倒して、自らが権力を握ればそれが民主主義という定義なんだろうな。

さて、言葉の意味を確認すると

民主主義:普通選挙で時の政権を担う人を決めること

資本主義:法人(株式会社)がお金(資本)を集め、それを元手に製品やサービスを提供してお金を増やして利益を上げ、資本家に配当によるフローの利益や株価の値上がりという資産価値の増大で報いることを旨として経済活動をすること。

自由主義私有財産を守ることを第一とし、政府が個人にあまり干渉しないようにすること。市場経済に任せて国家は法人や個人の経済活動に対する規制をあまりしないこと。

共産主義私有財産を廃し、国あるいは共同体が資産を所有すること。人民は国や共同体から提供される家に住み、与えられた職場で働く。衣食住と仕事が死ぬまで国から保証されるので個人財産を増やしたり、それを子供に相続させたりする意味がなくなる社会。個人生活のフロー(生活費)が維持できれば個人のストック(資産)はいらないという考え方。究極の平等社会。

社会主義:政府が社会全体を差配し、個人の生活をささえること。社会のための活動は主に政府が国営で行う(下水道、電気、運輸交通、物の製造、医療、福祉)。利益を上げることが目的の私企業は停止し、国営企業が社会に必要なものやサービスを提供する。経済成長よりも社会全体の平等を重視する。

さて、本書である。

第一部に登場するマイケルハートはデューク大学の教授で、「帝国」という「21世紀の共産党宣言」と言われる書物の著者である。

氏は、まず最初に「格差論」のピケティに代表される、行き過ぎた資本主義を飼いならして社会民主主義的な社会を作ろうという考えでは世の中はよくならないと言い切る。

社会運動による社会変革をおこし、コモン(=民主的に共有されて管理される社会的な富)の自主管理を基盤とした民主的な社会を作る。それが新しい「共産主義社会」であるという。

牧草地、川の水、電力供給システムがコモンの典型的な例。さらにいえば地球全体がコモンであるともいえる。コモンの考え方は地球温暖化を防いで地球をまもろうという環境主義と背中あわせになってくる。そして、経済成長するために石油を掘るなどという行為は地球を略奪しているとして、経済成長を旨とする資本主義と対立することになる。

発展とは経済成長のことではなく、地球に対してよいことをすることだという。

資本主義では利潤の追求に適していないものは放置される。それは教育、育児、介護、低炭素産業であるとも言っている。

所感としては、国家でなく、人民が民主的に管理するコモンの考え方は面白いと思う。太陽光発電+水素エネルギー(水素を燃やして電力を作る燃料電池太陽光発電が余っている時にその電力で水を電気分解して水素を作って貯蔵する)でエネルギーを自給自足できるスマートシティがそのようになれば面白い。

だけれどそれはせいぜい数万人単位の話で、そういったスマートシティーが何件実現できるのかといったレベルの話だろうなあ。環境にやさしいコモン的な生活をすることで地球温暖化問題が全体的に解決できるとはとうてい思えない。

地球全体を考えるならば、77億人が飢えず、暑さ寒さをしのげる衣服と住まいを得られるようにするのが第一。そのためにはテクノロジーを進歩させて(食品の遺伝子編集も含む)食料の生産性を上げ、社会生活のためのエネルギーを安く大量に供給しなくてはいけない。その実現のために、利益を増やすことを駆動力にして、生産の拡大を実現することを旨とする資本主義は、極めて効率の良い仕組みであることをあらためて確認したい。

確かに、効率や利益を第一に考えて行動することで、環境への負荷が増したり、その流れに乗れない人を置いてきぼりにする弊害はある。

しかし、環境主義的なコモンが、人口爆発が継続している地球全体で適用できるシナリオが示されない以上、一部の特定地域で「ユートピア」のようにそれが実現できたとしても、それは大したことにはならないないだろと思う。それを社会運動として地球全体に広げていけるとでも思っているんだろうか。あまりに理想主義に過ぎると思う。

一部のリバタリアンたちがそういう理想郷を求め、それをダイバシティ―として認めるような寛容さが先進国で発生して、いくつかの理想郷は(スマートシティとして)実現される、あるいは北欧の社会民主主義国家の一部がそうなることはあっても、地球全体規模での処方箋にはならないだろうなあ。

地球温暖化は進行し、人が気候的に暑すぎて住めないところは確実に増えてくるだろう。それを放置できないのはそのとおり。超楽観論としては、その代わりに、今は寒すぎて人が住めないツンドラ地帯が大穀倉地帯になって人類を救うかもしれない(ツンドラが融け出すとその地下に埋蔵されている大量のメタンガスが放出され、それが地球温暖化を加速するとの説もある。それはそれで問題だけど)。

究極的には人類は地球を捨てて火星に移住するなどのシナリオもオプションにはなるだろう。未来のノアの箱船だな。そのための宇宙空間を含むテクノロジー開発はやめるわけにはいかない。それを支える仕組みとして資本主義が最も効率的である点をもって、私は資本主義にもとづく「テクノロジーが人類を救う」コンセプトを支持したい。そのテクノロジーはもちろん地球温暖化を緩和する技術開発も含んでいる。

地球温暖化対策のコストを(広い意味での利益を追求することを旨とする)資本主義のスキームでどう負担するのか、そこにコモンの受益という概念をどのような納得性を持って入れ込めば社会がそれに向かって動けるのか、それを考えたいとは思う。また、それをするのが政治だと思う。

具体的には納得性のある環境税の徴収とそれを原資とした有効な環境対策の実行がカギになる。企業にその事業範囲を超える規模の環境対策のコスト負担を求めるのは無理。

炭素ガス排出権の取引は極めて資本主義的な環境対策だと思ったが、その実態が今どうなっているのかよくわからないな。

黄色いベスト運動のように、炭素ガスを排出する化石燃料に単純に環境税を課税するとトラック労働者が怒るという卑近な例もある。

地球を守るために成長をやめて、CO2が少なくて寒冷な気候であった産業革命前の生活に戻ろうなどという事はあり得ない。そうなれば「神に祈り、神をひろめることを名目とした戦争」以外、やることがなくなるのだから。

 

さて、第3部のポールメイソン氏。資本主義は情報テクノロジーによって崩壊すると自著の「ポストキャピタリズム」で述べている。

氏のいう事はどうもこういうことらしい。

デジタルミュージックを例にとる。一度音源を作ればそれをネットで配信するコストは限りなくゼロに近い。変動原価はほぼゼロなのでその販売単価はやはりゼロになる。これでは儲けが出なくなって資本主義が崩壊するんだと。

ビジネスを知らない人ですねえ。物の値段はその提供する価値で決まるのですよ。コストで決まるのではありません(著作権というコストもある)。デジタルコンテンツビジネスの醍醐味は、(著作権のことは別にして)変動原価実質ゼロで、価値を有料で大量に提供でき、それで膨大な利益を得るところにあるのですよ。

さらに、その価値提供のやり方を、昔のiTuneのような、デジタルデータとその使用権という「モノ」の販売から、ストリーミングという、いつでもどこでもそのときに聞きたい音楽があるという楽しい経験に満ちた空間を提供するというビジネスを構築したところに革新的な凄みがあるのです。

1曲いくらという価値提供の方法すら過去のものとし、国境を越えたグローバルサービスビジネスに発展的に展開し、さらに、地域性のある消費税を一時的に骨抜きにすらしているという、従来のビジネスをほぼ不可逆的に破壊する新しいやり方で市場を席捲する、とてもディスラプティブなビジネスモデルなのです。

氏はこういうことも言っています。

「情報社会では仕事と余暇の区別が曖昧になり、社会的な知に媒介された共同的な仕事が主流になる。」

例えば、氏が記事を書いて原稿料をもらう仕事と、ウィキペディアに書き込みをする余暇でする作業の価値を考えると、ひょっとしたら後者の方が社会の役に立っているかもしれないというような事象をどう考えるか、それと個人の労働に対する対価(提供した価値に対する報酬)をどう考えるか、といった新しい局面が生じつつあるという事を指摘している。

ウィキペディアのような、人々の共同作業でできた知識は誰に帰属するのかの問題が出てくる。また、フェイスブックに集まったデータは誰のものかの議論も発生する。これを「コモン」と考えれば、第一部のマイケルハートの考えに近づく。

こういった資産の共有の考え方は、私的所有を前提とする資本主義と相いれなくなってくる。

私的労働や私的所有の考え方が揺らぐことが、ポストキャピタリズムで、それを共有主義(共同資産=共産主義)のバージョンアップと言えなくもない。

オープンソースの考え方はその一つとも考えられ、資本主義の原理からは出てこない無償の社会的共同作業が資本主義の生産性を上回ることもあり得る。つまり無料のものが社会に対して価値を生んでいるわけで、これも資本主義や労働に対しての報酬という概念に変更を迫っていると言える。

そして、氏は今ブームともいえるユヴァル・ハラリの考え方を批判する。ハラリの「ホモ・デウス」には人間の理論がなく、人は技術の前では無力で、人は既にアルゴリズムになっていると言っているに過ぎず、単なるディストピア論だから、というのがその理由。

氏の主張の根幹は、サイバー独裁に抗うヒューマニズムを持とうというもの。それはAIをコントロールする権利を人間が保持すること。

資本主義社会と並行しながら非資本主義的社会を小さいスケールから作っていくことがポストキャピタリズム

うーん、やっぱり資本主義を乗り越えて世界規模で展開できるポストキャピタリズムが具体的に提案できているわけではない。

ビッグデータを社会の共有財とし、それをみんなで管理することで調和的、人間中心的な社会を維持しようという考えには一定の共感がもてる。

それを踏まえてGAFAやBATをどうするのか。BATは中国共産党の考えに沿って動くだろう。GAFAの独占を嫌って、米国民主党社会民主主義勢力の言うように、分割、解体するのは得策ではないかもしれない。ここが議論の分かれ目になる重要なポイントなんだろうなあ。

さて、第2部のマルクス・ガブリエル。彼はNHK BSの番組「欲望の資本主義」に出演するなど、日本でも著名になっているドイツの哲学者である。

彼がこの本で言っていることは、共産主義とはなんの関係もない。まずは、SNSが助長する相対主義への批判。相対主義とは正義、平等、自由のような普遍的な価値を認めず、土地ごと、文化ごとのローカルな決定を認めることで、事実はいくつも存在するという態度のこと。普遍的価値を否定されては哲学の出番がなくなって困るよね。

次は、自然科学を絶対視する自然主義に対する批判。自然主義がはびこると政治的決定を一部の専門家に委ねる危険が生じるのがいけない(AIが支配するデストピアのことを言っているんだな)。

AIが倫理を持っていないことの批判。AIは不死である。どう生きるかが倫理なので、不死のAIには倫理がない。AIには意識がない。意識こそが思考と知性の前提となる。

うーん、彼の望む社会は人間が倫理観を持って生きる社会であって、AIに人が判断を移譲してしまうような社会になってはいけないということかな。では、どうしたらいいのということは何も言っていないような気がした。

この本を読んで、行き過ぎたように見える資本主義の有り様、GAFA独占の功罪、人はAIに判断を移譲してしまうのか、AIの時代に倫理に基づく人間主義は確立できるのか、環境主義は新しい共産主義(地球はみんなのもの:共有財産=共産)につながるのか、ビッグデータを人々の共有財(コモン)にする社会は実現できるのかなど、いろいろ考えるきっかけやキーワードをつかむことができたのはよかった。

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