立花隆が紹介するテイヤール・ド・シャルダン(1881-1955年)が示す人類(サピエンス)の進化した未来(100万年後)の姿に思いを馳せる。ユバル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」を60年以上先行・凌駕している。人類の精神が一つに綜合されるユートピア。そこに神を見るのは自由だ。

立花隆の「サピエンスの未来」を図書館でたまたま見つけて読んでみた。

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これは、立花隆(1940-2021年4月30日)が東大の駒場で1996年の夏学期に行った「人間の現在」という講義の記録である。初回は500人が聴講したが、最後の講義まで残っていたのは80人程度であったと言う。

氏は、1995年に東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任し、1996年 - 1998年に東京大学教養学部で「立花ゼミ」を主催していた。その時の講義録ではあるけれど、発刊されたのは氏が亡くなるほんの少し前の2021年2月で、つい最近のことだ。

本書の出版の意義は、20年以上前の歴史的名講義の記念出版というよりも、現在でもその内容は人類の将来を考えるのに有意義な考え方を含んでいる点にあるという見方に私は同意する。

確かに、昨今の人工知能の急速な進化やメタバース的なネット空間と人間の精神活動との関係は氏の視野に入ってはいない。

しかし、氏が紹介するテイヤール・ド・シャルダン(1881-1955年:ダーウィンの「種の起源」は1859年、DNAの発見は1953年)が提唱した、人間の頭脳活動の綜合された全体である精神圏(ヌースフィア)を、今のネット社会の発展形の一つの到達点として見ると、今後人類はその精神圏の達成に向けて進化していくという考え方はとても説得力があった。

人間をモノとしてとらえると、その進化はクロマニヨン人の出現以来、そんなに大きくはなない。今後人間の進化はモノ(体)で起きるのではなく、脳内の精神活動の集約化で起きるとする。

生物的な進化によって、他の動物とくらべて差異的に巨大化した人間の脳の中で、ニューロンが多重的に連携しあうことで意識が生まれる。その意識(自分を客体視できる能力)による個々の精神活動が全体的に集約されて一つの到達点(オメガポイント)に達するという。

イエズス界の修道士でもあったテイヤール・ド・シャルダンはそのオメガポイントに神を見た。しかし、その考え方は異端であるとして、生前は発禁処分を受けていた。また、シャルダンは古生物学者北京原人を発掘したと言う。

氏の生物学は科学に留まらず、哲学や宗教の精神世界の探求に展開されたわけだ。

科学の立ち場では、人はアミノ酸からなる細胞で出来ているという、モノの視点を超えることができない。哺乳類の中で人を人たらしめ、そのヒエラルキーの頂点に君臨させている原動力は巨大な脳であり、さらに言えば脳の中で発生する意識である。

動物にも意識はあると言えるが、動物の意識は、個体としての生存戦略(生きるために何をするか)を超えるものは生み出さない。

自分を客体視して、自分を取り巻く自然に神を感じ、それを巨石を並べたり、壁画を描いたり(芸術)、歌ったり踊ったりして表すのはヒトだけである(動物が躍るのは生殖のため)。こういった行為を科学では説明できない。

こういった人だけが持つ進化の形態は、今後精神世界で進展していき、それは個々の精神活動の綜合によってなされるというのは、それこそ映画「マトリックス」の世界の先取りではないのか。マトリックスデストピアだけれど、シャルダンの精神圏は神に近づくユートピアだ。

ユバル・ノア・ハラリはその著書「ホモ・デウス」の中で、人間は神になると言ったけれど、それはシャルダンの言うオメガポイントの事なんだなと思う。シャルダンの深い洞察の先進性に瞠目せざるをえない。

少し読後メモを残しておこう。

・太陽系の誕生は46億年前。

・生命の誕生は35億年前(バクテリアの化石の存在)

・海がさまざまな物質を溶かし込み、太陽の光エネルギー、宇宙線の放射エネルギー、地熱エネルギーで化学反応を起こし、生命が生まれた。

・生命とは(物質とエネルギーの交換のできる半透性の)膜で区切られた中が恒常性を維持していること(代謝もある)。と考えると地球も生きている。

・ビッグバンでは真空が相転移して物質になった(物質と反物質のペア)。真空にはエネルギーが満ちてて、そのエネルギーが物質に転化(相転移)した(E=mc2乗)

・創成とは上層に移る相転移のこと。層には、無機物層、生命層、精神社会層がある。人は精神社会層で進化を継続している(動物は生命層に留まっている)。

・無機層は化学反応、生命層は自然淘汰、精神社会層は文化的圧力での淘汰で進化する。

・観察という行為は主観から切り離せないことをシャルダンは指摘している(量子力学の先取り)。

・三次元立体視ができることと客観的世界像把握ができることは等価。主観的世界像は自分を中心とした極座標系(2と1/2次元的)で見ているのに対し、客観的世界像はデカルト座標系(自分の立ち位置に依存しない、即ち3次元)で見ている。

立体視は脳内で計算をすることで出来上がっている(人は脳で見ている)。網膜センサーからの信号(2次元)がそのまま立体映像になるわけではない(ISPが必要。エッジ抽出をしないとものが認識できないのは映像認識AIロボットとおなじ)。

・断片的な情報から全体性を回復してしまう人間の自発的な能力について研究したのがゲシュタルト心理学。人間の認識の基本的な傾きとして(脳が勝手に)「まとめる」という事がある。

新約聖書は(おもにパウロ、その他ペテロ、ヨハネなどキリストの直接の弟子たちの)書簡集。その伝統を受け継いで、歴代カトリック法王は書簡や回勅を出してきた。最近では、「夫婦の避妊行為」、「共産主義者に投票することについて」なんてものもある。

・人類の一番遠い祖先の霊長類はメガネザルの祖先。

・脳の容積:チンパンジー(400㏄以下)、アウストラロピテクス(500-600㏄、200万年前)、北京原人(900-1000㏄)、現代人(1400㏄)。

・人間の脳や肉体、そして人間社会は自己組織化能力をもっている。それを人工知能に持たせるといい。 

(コメント)自己学習型のAIは、自己のもつ価値関数を最大化するようにニューラルネットのパラメータを改善していく。これはアルゴリズムの自己組織化の最初の一歩といえるかもしれない。

(コメント)人間が怪我をしても、その傷が治るのは自己組織化能力のせいだな。

・脳には大脳皮質だけで140億個の神経細胞がある。人間の全神経細胞の数は数千億個になる。それを繋ぐシナプスは細胞一つ当たり数千から数十万ある。ということはシナプスは脳全体で数百兆本になる。

・物質の結晶化や星の生成も自己組織化現象。

・自己組織化を複雑系の視点でとらえる。カオスはわけのわからない混沌ではなく、ある数学的構造を持っていて、アトラクターという状態に収束する。これが自己組織化の原理である可能性がある。

シャルダンはこの複雑性がこの宇宙を計る尺度であるとした。

・進化とは複雑性を高めること。それを説明する概念として逆エントロピーを考える。

・複雑さとは、エレメントの数ではなく、エレメントの間の結合の数と種類と緊密さが大事。

・良い複雑さは階層構造を作る(原子ー分子ー巨大分子)。

・複雑性がある臨界点を超えると、自律性が生まれる。それが意識へと発展していく。

・意識の上昇が進化を表す。

エントロピー(崩壊)と逆エントロピー(建設)は共存している。

・人はエレメントの数(細胞数ではクジラが最大)ではなく、複雑化(エレメント間の結合数)=意識の頂点に位置する。

・意識の主要な場は脳内の精神活動にある。

・動物は生命圏に留まるが、人間は精神圏で生きている。この考え方を延長すると超人とう概念に到達する。

・ヒトが共同生活を始めると逆エントロピーによって収斂する求心力が生じた。

・放散と収斂の繰り返しの中から創発(進化)が生まれる(進化の弁証法)。

カトリックは、神は土のちりで人を造り、いのちの息=精霊(Holy Spirit)をその鼻に吹き入れた、とする。神=精霊=キリスト(三位一体)が根本思想。神の息吹で人は生かされている。ここだけは譲れない。物としての人(精霊が入る前)に関しての進化論は禁じない。アダムとイブの原罪論がキリスト教の本質。

・人間の自由意志の扱いの差がカトリックプロテスタントの差(カントを思い出す)。

カトリックでは、原罪は遺伝する(DNAの概念はない)としてきた。これは4世紀にアウグスチヌスが言い出したこと。トレント公会議(1545年)でも同様。

ヨハネパウロ2世(ポーランド人、264代ローマ法王、1920-2005年)は1996年に旧約聖書の原罪論を文字通りに解釈することをやめて、間接的に進化論を容認した。旧約聖書は事実を書いたものではなく、ある宗教的心理を伝えるためのお話であった、とした。コアとして守るのは、ヒトの霊魂(Spiritual Soul)は神が作ったと言う事。人の本質は霊魂だから、人の肉体が物理化学現象によって進化論的に出来上がったとしても一向にかまわない。神はヒトを神に似せて(Imago Dei)作った。

・科学は観測と計測によって物質的状態を記述するだけのもの。

・スピリチュアルな領域に移った現象の記述は科学にはできない。

シャルダンは言う。生命の科学的な説明を世界の形而上的解釈と取り違えてはいけない。生きた細胞の物理化学的な仕組みを解明して霊魂を抹殺したと思う唯物主義的生物学者は誤っている。

・現代人とクロマニヨン人は肉体的には大差ない。違いは社会とのかかわりあい方。

シャルダンは、人間は超進化して超人間になると言う。これはニーチェの言う超人とは違う。

ニーチェは善悪の判断を神の規範にすべきでないと言う。その意味で「神は死んだ」となる。その神のない世界で善悪の判別を自らの創造的行為としておこなう者のことを超人(Uebermensch)と呼ぶ。超人は小市民的価値体系、幸福、規範を乗り越えて善悪の彼岸にたどり着く相転移をはたした高貴な人々の集団から発生する(人間はもう一段相転移的に進化する)。そして、神の前の平等という考え方はなくなる。

シャルダンは全地球的な人類の知のネットワークとして精神圏(ヌ-スフィア)というモノ考えていた。そして生物の進化は複雑化の歴史で、今後の人の進化は精神面で起こるとしていた。

・複雑化は小体化で起こる。小体化とはシステムを構成するエレメントが小さくなること。そうすることでエレメントの密度が高まり、より複雑な結合が起きてシステム構造の次元が上がっていく。

・精神圏のエレメントは人間である。人間をエレメントとする超分子構造をつくる(階層構造化による相転移を起こす)ことで高次構造体のシステムに移行する進化を起こす。それが一つのシステム(生き物)にまで到達する。(ニーチェの超人ような)人間個人の進化でなく、人間全体が一つになって高次元システムになる事をいっている。

シャルダンの考えが示すものは、人間よりはるかに高次な意識を持ったこのうえない素晴らしい生き物。それは、ホッブスが、国家を、人間というエレメントが集まってできた手に負えない巨大怪物(リバイアサン)に例えたのとは似て非なるものである。

・精神圏は人間の頭脳活動の綜合された全体のこと。物質は拡散するが、意識は収斂する。知識は人類共通の遺伝情報(人類共通の脳髄)とも言え、それを引き継いで進化できるのは人間だけ。その仕組みが教育。

・精神圏は「思考する巨大な機械(コンピュータのような道具も含めて)」で、それにふさわしい意識の高まりを見せ、宇宙的なヴィションを獲得する。

・現在より未来を優先させ、身の回りの事よりも全地球的な問題を重要と考える「ホモ・プログレッシブ」が出現する。そして、その「ホモ・プログレッシブ」はそうでない人々との間で分裂を起こす。現状維持派と進歩派の対立。それは進歩に対する信仰の違いが原因。そして、「ホモ・プログレッシブ」はテレパシーのような共感でお互いの結合を強めていく(ファンデアワールス力か)。(コメント: 地球温暖化の活動家達はそれは自分達のことだというだろうなあ)。

・近代的エゴイズムは個人を孤立化した粒子にしてしまった。今度は「(意識の)全体化」というベクトルが働き、人間化ではなく、人類化というより正しい方向に向かう。そして地球の単一な精神=超人間 が生まれる。

・意識の高次元化、人格化の流れの究極として出てくるのが神(キリスト=メシア=オメガポイント)。

・神はその全体が一切の中にある(どの部分にも神がある)。これはホログラムと言える(コメント)。

・「カラマゾフの兄弟」のゾシマ長老はフョードロフをモデルにしている。フョードロフは「共同事業の哲学」で、全人類が力を合わせてより高次の存在に能動進化を遂げることを言っている。また、世界を観照することが人間の目的ではなく、それに作用を及ぼし、自分の望むがままに世界を変えることが可能であるとして、革命の思想を下支えすることになった(それが本意かどうかはわからない)。

以上