すみだ5000人の第九レッスンメモ(2019/10/14 14:30 泉先生2回目)

大人気の泉智之先生の2回目のレッスン。

祝日という事もあって、雨にもかかわらず700人の会場が満席。数十人が立ち見でした。

フロイデからフーガの先、766のコーラスを歌いきるところまで。

歌詞を自分なりに理解して、その思いを込めた歌い方をすることで、はじめて観客に伝わる「音楽」になる。ということを主眼にした練習。そのために、歌詞の内容、音楽の構成の説明を聞いた後で、実際に歌う練習をした。

とはいっても、泉先生らしい楽しい練習。具体的には、Mの後の、男性だけがユニゾンで歌うSeid Umschlungenのところからの練習法が最高だった。

男性は、まずこのユニゾンの部分を、「Diesen Kuss der ganzen Welt」に愛しい女性に対する思いを込めて、Umschlungen(抱っこ)する気持ちを込めて歌う。つまり、女性を口説いていると思って歌う。

その気持ちが女性に通じると、今度は女性(ソプラノとアルト)がそれにSeid Umschlungenのコーラスで応えてくれる。男性はそれに対して一拍遅れてSeid Umschlungenをバスとテノールのコーラスで歌うが、それは応えてくれた女性を一歩後からエスコートする気持ちで歌う。

この後のsfで歌うDiesen Kussは、まずアルトが入り、次にソプラノとバスが入り、最後にテノールが入る。この音がずれて重なっていくところの気持ちをしっかり表現する。

このような、泉先生流の解説を聞いたあとで、テノールは全員右を向いて立ってソプラノに対面し、バスは全員左を向いてアルトに対面して、この対話の実演をする感じで歌う練習をした。女性陣は座って男性の思いを受け止めてコーラスを返す練習。

たまたま私はテノール席の右端に座っていたので、ソプラノに第一列で向き合って歌うことに。数百人の女性の観客に対して歌っているようで、とても気持が高揚した。全体としても柔らかい、いいコーラスになっていたような気がする。

「小難しいドイツ語の歌詞を、リズムと強弱だけでテクニカルに歌っても何も伝わらないよ。自分流のもので構わないので、歌詞と音楽に気持ちを込めて何かを伝える、ということして音楽を楽しもうよ」、ということを実践的に教われたのがとてもよかった。

今、譜面を見ていて気づいたが、Kussのところで4声がぴったり重なる。そして、ソプラノとバスが「シ」の同じ音。テノールが「レ♯」、アルトが「ファ♯」。うーん、これをなんと理解するか。

そして、コーラスを縦に見ると和音になっていて、各声部がその和音の中のどの音を歌っているかを見るのも楽しい。KussはB durの和音でルート音をソプラノとバスが歌っている。この後のganzen Welt!はC durーD durの和音を歌っているけれど、Weltはまたしてもルート音をソプラノとバスが歌っている。うーん、バスがソプラノに対面して歌う方がいいのかな?なんて思うのも楽しい。

余談だが、ワーグナーのトリスタンとイゾルテの第二楽章は、この手の解釈をするとすごいことになっているらしい。

それ以外の泉先生の解説は

Dのパート(最初のDeine Zauber)はMのところの第二テーマをユニゾンテノールは時々オクターブ)で歌っている。

E(Jaのパート)は歌詞は違うが、メロディーラインはDのパートと同じ。それをコーラスに変えて歌っている。

G(Kuesseのパート)はソプラノの八分音符の後ろだけのメロディーを抜き出すとそれはDのパートの変奏曲になっている。

つまり、Mの前に、第二テーマはユニゾンーコーラス―変奏曲と3回歌われている。これはテノールパートだけを歌っていては気づかないことでした。

音符は母音の発声と合わせる。子音は音符の前に準備しておく。という基本のおさらい。

einen Freund ge-prueft im Tod; Wollust ward dem Wrum ge-ge-benのところは音符の区切りでのリズム読みで歌っては意味が通じない。フロインドゲ になってはいけない。

einen Freund ge-| prueft im Tod; Wol |lust ward dem | Wrum ge-ge-ben

ではなく、

einen Freund |ge-prueft im Tod; |Wollust ward | dem Wrum ge-ge-ben

のようにつなげてに歌わないと意味が通じない。(テノールはここが一番難しいのです。)

フーガの直前の部分の音楽的解釈(泉先生流)

創造主を感じるか、世界中のみんなよ(Welt!) とffで歌った後、天空に主を探そう(ppで入ってff)となって一気に盛り上がる。そして、この後に、オケとコーラス全部の休符があるが、ここは天空に行く人の意志の最終確認をしている。そして、天空に主がいらっしやるに違いないとコーラス(天空に行く人)はffで盛り上がるが、その後のオケはまた疑問を呈している音を奏でる(いわゆる解決を求める減7のコード)。そして最後に、天空に主がいらっしやるに違いないとコーラスが今度はppで歌うのは、不安だからppで歌うのではなく、主のお姿がほのかに見えた静かな感動をppで歌っていると解釈する(オケの三連符の連打は尋常ならざるものを見たことの表現)。

その静かな感動を持って、神様に一番近づける2重フーガの技法で天空に向かう。

フーガの部分の解釈と詳細練習は次回(11/23 14:30 )です。必聴ですね。

ここからは私の感想です。

ピアノ伴奏の譜面を見ると、647はEdimのコード。650からの三連符のところはEdimのコードが右手の高い音程に昇華して、左手が現世の音であるA durのコードを重ねているように見える。これは天空(dim)と現世(dur)の量子的重ね合わせの多次元世界の音の表現だな(笑)。

減7(dim)のコードは音が4つで、どこまでも均一間隔で登っていく4次元の、高調波成分を無限に含み得る調和振動子です。この和音なら天空まで登れる。(大笑)