複雑系の研究で有名な、サンタフェ研のジョフリー・ウェストの著作、「SCALE:生命、都市、経済をめぐる普遍的法則」を読んで思ったこと。

この本の主題は、ずばり、複雑系と言われる、生命、都市(社会経済活動)、企業の成長と死を説明する共通のモデル(スケーリング則)があるのかどうかという事にある。

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その結論は、生命と企業は線形以下のスケーリング則に則るので、同一種の中では大きくなれる限界があって(人が3メートルの身長になることはない)、成長はいずれ止まり、最後に死を迎える。その理由は、成長に必要な代謝の仕組みが、大きくなった全身にエネルギーを供給しきれるか、とか、3次元の体積で決まる体重を支える、足の2次元の断面積(筋力)の大きさとの関係などが、バランスするポイントで成長が止まるから。

一方、都市の成長モデルは生命とは違う。下水道や道路などのインフラ網のフラクタルな構成は生命体の代謝を維持する血管網とよく似ているけれど、そういった都市のインフラ機能の他に、人と人のつながりが都市機能に活力を与え、社会経済活動加速していく面がある。その社会ネットワークの構成は血管網とは異なり、都市の規模の1.15乗の超線形で増えていく。その超線形性の規模の拡大があるがゆえに、都市は人を集め、それを維持するインフラが破綻しない形で成長していけるので、死を迎える必然性がない。なので都市化は進み、都市は(外敵の侵略以外では)自律的に死を迎えることなく成長していく、という事。

スケール則と言うと、核分裂のように、

dy/dt = ay という、増加率はその量に比例するという、基本的な微分方程式を思い浮かべ、その解は y=exp(ax)(エクスポネンシャル)で、a>0であれば、yは短調増加関数でいずれ発散することを思い浮かべる。

しかし、この本で議論するスケール関数はそれではなく、xのべき乗(アロメトリック)関数で表される、y=xのn乗と言う式。

この式は統計データの相関関係の分析から示されたものを、後付けて理屈をつけて説明される(が、この理屈は、フラクタル性の不思議が絡んでとても難解)。

この式で、nが1の時は線形関係になる。n>1の時(超線形と定義)は、下に凸の短調増加関数でいずれ発散する。しかし、n<1の時は上に凸の単調増加関数だけれど、xが大きくなるにつれてだんだん増加率が落ちてくる(dy/dx=nx(n-1乗))。なので、現実的なxの範囲では発散しないといえる。

また、都市の成長のように、n>1の場合で、xが単調増加するといっても、それはシンギュラリティのように発散してしまう前に、相転移するという。なので、そう簡単には現実的なxの範囲では、発散しないと言う。

つまり、氷を熱していくと無限に温度が上がっていくのではなく、0℃のところで潜熱を使って水に転移し、比熱も大きくなって(2.1→4.2)氷よりもゆっくり温度上昇する。そして100℃で同じように潜熱を使って水蒸気に相転移する。

それと同じようなことが起こると言う。そしてその相転移イノベーションが引き起こすとしている。

なので、この本の議論の中心は、生命や、企業、都市のスケール則をxのn乗でモデル化できたときに、そのnが1より大きいのか、あるいは小さいのか、という事に集約される。

xは生命体の場合は、体重、身長、年齢、などで、企業の場合は、売上、従業員数など、都市の場合は面積や人口など。つまりそれらを構成する基本要素が増える時にその生命活動(代謝)を支えるインフラがそれに追従して大きくなれて、生命を維持できるのかどうかが議論のポイントになる。

では、まず生命体を見てみよう。

 生物は体重が2倍になっても、それを維持するのに必要なエネルギーは2倍でなく、75%増で済む(代謝効率が良くなる)。これはつまり、規模が大きいほど生命維持の効率が上がることを意味している(クジラは長命、ネズミは短命。)。

これは代謝(率)は体重に対して、n=0.75(4分の3)の線形未満のスケーリング則に従うと言う。

y(代謝量)=x(体重=細胞の量)の3/4乗に比例する

このサイズ増大による省力化は規模の経済(スケールメリット)と言われる。

象はネズミの1万倍重いが、その生命の維持に必要なエネルギー総量はネズミの1000倍でいい、という事。(クライバーの法則)

哺乳類の大きさが2倍になると、心拍数が25%減る(結果として長寿)なのも同じ。

生理学的な量のスケーリング指数は1/4の整数倍になる。

人間はATPをADPに分解する過程でエネルギーを得ている。しかし、ATPの体内総量は250グラムほど。なので、毎日2x10(の26乗)個ものATP分子、即ち80キログラムのATPを(畜電池みたいに)リサイクルして使っている(自分の体重と同じぐらいの量に相当する)。

 このATPを循環的に供給し続けるには、酸素が必要で、その酸素を全身に行きわたらせる役割を果たすのが毛細血管網である。

大動脈から毛細血管まで、いわゆるインピータンスマッチングした形で(反射のロスなく)血流を枝分かれさせていくには、後続の管の半径は2の平方根を係数にして自己相似型でスケールする必要がある(すなわちフラクタル構造)。

 スケーリング指数が1/4の整数倍になることの説明は複雑。4はマジックナンバーで、それは資源輸送を受けている体積が3次元という事に、フラクタル次元の1が加わって3+1=4になるのだと言う。

これは、肺胞の表面(葉っぱの表面でも同じ)がしわくちゃであると、肺胞の取り込む酸素の量が、肺胞の表面積(2次元)というより、肺胞の体積(2+1=3次元)に実質的に比例することから(次元が一つ上がることが)類推できる。

生命を支えているネットワーク(血管網や、樹木の枝や根のはり方)はほぼすべて自己相似フラクタルに近い。これは最適化や空間充填といった幾何学や物理原則の帰結であると言える。

コメント:大学生の時に、これはエントロピーの最大化原理の発露であるとして習ったけどなあ。いまはそれをフラクタルで説明するんだ。

生命の自然選択はエネルギー損失最小化と代謝能力最大化を引き起こした。

肺胞の例で言えば、空間充填の最適化のために、(肺胞がしわくちゃになること、即ち自己相似フラクタル構造をとることで)酸素の取り込み量が表面積比例でなく、体積比例に漸近するという事が、追加次元を生じさせ、生物があたかも4次元で作用しているかのように見せている。これがマジックナンバー4の起源であり、1/4乗則の幾何学的起源でもある。

生物は3次元空間を占めているが、その内部の生理機能と組織は4次元のように働く。

生物の成長はなぜ止まるのか。

① 細胞の数(体重)が倍になっても、代謝(エネルギー供給量)は4分の3乗でしか増えない。なので、体重とそれを維持するエネルギー供給のバランスポイントが生じる。

② 代謝を支える酸素を供給する血管の数は4分の3乗でスケールするので、細胞が増えると、個々の毛細血管が奉仕しなくてはならない細胞の数は4分の1乗で増えて行って、(最後はもう賄えない数になってしまう)あるところで限界を迎える。

なので、すべての生物の成長曲線(生存日数と体重の関係)は個々の生物のパラメータを勘案して正規化すると1本の曲線に重なる。

纏めると、エネルギー供給、即ち代謝を支える酸素を供給する血管網ネットワークが、自己相似フラクタル構造で最適化されていて、そのネットワーク能力が細胞数の増大に対して、3/4という線形未満のスケーリングをすることに起因して、細胞の増殖に、そのエネルギーの供給が追い付かなくなって、成長が減速し、いずれ事実上の停止に近づくことが生命の成長と停止の根本原理である。

ATPの活性化エネルギーは0.65eVで、10℃の温度上昇で生産速度が倍になる。このことは、2℃の気温変化で成長率と死亡率に20-30%の変化をもたらす。これは生態系の大混乱をもたらすので、気候変動を防ぐ必要性の根拠となる。

人間の死は圧倒的に器官(心臓発作、脳卒中)や分子(がん)の損傷と関連して、感染症は比較的少ない。それらがないとしても人は125歳以上生きた例がない。

哺乳類の生涯心拍数(心拍数x寿命)は約15億回で共通。大きな動物はゆっくりした脈拍で長く生き、小さな動物は速い脈拍で短くいき急ぐ。

ただし、人間は25億回。これは、ここ100年の特例。我々人類は、社会共同体の出現と都市化によって、自然の調和から外れ、何か別物に進化したと言える。

哺乳類が1グラムの組織維持に使うエネルギーは生涯で約300キロカロリーで不変。これはATP分子の代謝回転数が1000兆回という不変性からきている。

寿命延長策は総合的に考える必要があるが、摂取カロリーを10%減らせば、寿命が10%伸びる、ぐらいの考え方は有効だろう(はら八分目、医者いらず)。

 

都市の場合

都市が大きくなるにつれて、ガソリンスタンドの数、道路、電線の長さなどの(生命維持のための、血管網のような)社会インフラ量はn=0.85でスケールする(n<1なので大都市ほどインフラ効率は上がる)。

一方で、賃金、資産、特許、犯罪、エイズ患者、歩行速度、教育施設の数などの、生理学とは無関係な、人間の社会経済活動によるものはn=1.15 で超線形(n>1)のスケールが起きる。

超線形のスケールは有限時間シンギュラリティという発散する破綻をまねくように思えるが、技術革新という、(潜熱を伴う)相転移を起こさせ、それを回避していくことになる。

 シャーレという閉鎖系環境下でのバクテリアの増殖は、指数関数的ではあるが、時間とともに有毒な老廃物が産出されて、それによる細胞の死と、多数のバクテリアを養う栄養源が有限であるという制約が効いてきて、増殖はとまり、やがて死滅する。これを資源が限られた地球上の人類の姿になぞらえるのは自由である。

私のコメント

dy/dt = a y -by3乗 と考えればいい。

yが小さい時は、yの3乗の項は小さくて無視できるので、yはゲインaで指数関数的に増えていく。

ところが、yが大きくなると、yの3乗の抑制項が顕著化する。

その結果、dy/dt は小さくなってきて、a y -by3乗=0のところで、増大が止まる。

その時のyの値は√(a/b)になる。

つまり、指数関数とは言っても、現実には、無限大のシンギュラリティに到達するわけではない。

人類は世界全体で年間150兆キロワット・時のエネルギーを使っている。

生物としての人間は100ワットの電球一個分:一日2000キロカロリー(100ワット/秒x24時間=8640KW,  1W=4.2J)で生きていける。

ところが今では3,000ワット相当のエネルギーを社会生活を維持するために消費している。アメリカではこれが11,000ワット(110倍)にまでなっている。

太陽から地球に供給されるエネルギーは年間100万兆キロワット・時。これに対して、我々が使う、年間150兆キロワット・時のエネルギーは0.015%でしかない。この意味ではエネルギー問題は原理的には存在しない(利用面の問題はある)。

 都市をその物理インフラ(道路網、水道、電気網)だけで考えてはいけない。情報の流通を考え、そこに住む住民が本質であることを理解する(都市機能だけを考えて作った人工都市ーブラジリアやキャンベラなどーはうまく機能せず、人が集まらないのがその証左となる)

コメント:今はやりのスマートシティもそうだろう。こんな街を作りました、皆さん住んでくださいではうまくいかない。

都市の本質は大都会の与えてくれる類まれなる多様性がもたらす好機が優位性となって人々の相互作用を促してアイデアと富を創出し、イノベーションと企業家精神と文化活動を促進するところにある。

都市とはそこに住む人の相互作用による適応社会のネットワークである。

都市では、ガソリンスタンドの数や、送電線、道路、ガス管の全長などが、都市のサイズ(面積)に対して0.85のべき乗でスケールする。すなわち、規模が倍になっても85%増で済むので、都市では効率よい規模の経済が成立している(生命体は 3/4=0.75でスケールするので、生命体の方が都市よりも効率はいいが、同じ線形未満のスケーリング則に従うことが統計的には言える)。

この意味では、大都会ほど一人当たりの排出物(炭酸ガス)や公害が少ないという直観に反する結論が得られる。

一方で、都市のGDP、平均賃金、雇用総数、特許産出数、犯罪総数、インフルエンザ総数、レストラン件数、集会ホール数など、生物にはない社会経済的な量(都市の本質)は、都市の規模に対して1.15のべき乗でスケールする。

これは都市における収穫逓増を表している。

つまり、都市は大きければ大きいほどそれだけ革新的な社会資本が生み出せる。

都市の生命インフラのスケール指数は0.85で、生物のそれが0.75であるのと比べると、効率が劣る。その理由は、都市は最適化の年月を生物ほど長くかけていないことと、均一な空間充填ではなく、最低限必要な量以上に、過剰に資源を取り込んでいる貪欲なメンバー(住民)が存在していることが理由であると推測できる。

人間は6次の隔たり以内で皆つながる。これは身近な内から、5人―15人ー50人ー150人ー500人―1500人とほぼ3倍でスケールするフラクタルパターンになっている。

150人というのが、おおよそ顔と名前が一致するメンバーの数で、これが狩猟採集集団などの、機能的ユニットのサイズ感になる(企業でもそうかな:コメント)。これは人間の脳の処理能力(大脳新皮質の体積)と関係がある。

都市は人々の相互交流の表現で、これは人間の神経ネットワーク、即ち脳の構造と組織にコード化されている。

人口サイズと都市ランキングにジップの法則がある。それは、都市人口は都市順位に反比例するということ。(2010年の、人口最大のニューヨークは840万人、第二位のLAは392万人で約2分の1、3位のシカゴは272万人で約3分の1)になる。

都市は物理インフラと、すべての人々の相互作用で生まれる社会経済活動で構成され、どちらも、ある特性を最適化する進化として生まれる、フラクタル構造である。

人々の相互作用は人々のリンク数(人口をnとすると、n(n-1)/2)に比例する。nが大きければ、ほほnの2乗に比例する。ところが現実的に人がリンクできる人数は限られてくる。そこで実際は150人程度のクラスターの中に限られるような事になり、結果としてnの1.15乗に比例すると考えられる。

都市の物理インフラとエネルギー使用量が0.85乗でスケールすることで得られる0.15のボーナスが、人々の相互作用に比例する社会経済活動に加算されて、社会経済活動は1.15乗でスケールすると言える。

つまり、インフラとエネルギー使用の線形未満のスケール特性(0.85)は、社会活動の超線形スケール特性(1.15)と正確に反比例している。

その結果、都市は大きくなればなるほど、個人の稼ぎが増えるので人を引きつける。その一方で、その都市を維持するための一人当たりのインフラとエネルギーは減る。これが都市が不滅で発展を続ける理由である。

都市の道路網などのインフラは、生命体の毛細血管網と同じ線形未満スケーリングになる。

その一方で、富の創造に関わる社会経済ネットワーク(社会相互作用と情報交換の流れ)の強さは端末ユニット間(すなわち個人間:家族などのクラスター内)で最大で、階層が上がっていくにつれて系統的に弱まる(毛細血管という端末から大動脈に上がっていくと血流が大きくなるのとは逆)ので、超線形スケーリングになって収穫逓増をもたらし、都市は大きくなるほどライフ・ペースが加速する(生物は巨大化するほど脈拍数が下がってゆっくり長生きするのとは逆)。

その結果都市では実質的に時間が速く進行する。

都市の大きさは、1時間の移動距離で決まる。古代ローマは歩行都市なので、直径5キロ(今のヴェネチアもそう)、自動車移動なら40キロになる。

コメント:足立区綾瀬から大田区蒲田まで車(高速利用)で約30キロ、40分

     杉並区荻窪から江戸川区小岩まで車(高速利用)で約40キロ、1時間

生物を支配する線形未満のスケーリングと規模の経済は、安定した有限の成長とライフ・ベースの減速をもたらすが、社会経済活動を支配する超線形スケーリングと規模の経済の増大は、無限の成長とライフ・ペースの加速をもたらす。

 

企業の場合

企業の規模(売上額と資産額)は0.9でスケールする。

 企業は都市よりも生命体に似ていて、収穫逓増とイノベーションではなく、ある種の規模の経済(大きくなりすぎると、全体にエネルギーが供給できなくなる)に支配されている。

企業の売上が代謝で、費用はその維持費。

企業が成長しても、その成長率が市場の成長率以下であると企業は生存できない。これが生命体と企業の違い。これが適者生存の市場経済の本質。

成熟した大企業の成長は止まっている。これは生命体に似ている。

企業の死とは倒産だけでなく、M&Aされて自社としての売上計上が消えることを意味する。

1950ー2009年の間で、アメリカの上場企業28,853社の内、22,469社(78%)が死んだが、そのうちの45%がM&Aによる死であった。倒産・清算はわずか9%。

企業の(時間に対する)生存率曲線は企業規模、業種による差はあまりない。バクテリアコロニーのような生命の共同体システムに似ている。

つまり、企業が死ぬリスクはその年齢やサイズとは無関係だ。

上場企業の半減期は10.5年に近い。

企業の死因のひとつは、企業サイズが大きくなるほど、費用における、研究開発費の割合が減って、イノベーションの支援が、官僚的な管理費の増大に追いついていないことがある。

企業は、ほとんど、売り上げと費用のバランスポイントで生きている。加齢による復元力の低下がおきていると、ちょっとした危機でも大惨事になって死滅する。

コメント:

企業内の人のネットワーク(組織)がトップダウン型だと、それは毛細血管網に似ていて、線形以下のスケーリングとなり、どこかで成長が止まる。

都会の中の人のネットワーク(末端に行くほど結合が強い)に似た、超線形でスケールする組織にするには、機動的な小規模クラスター集団をトップに直結させるような、ボトムアップ型がいいんだろうな、と読んでいて思った。

 

持続可能性の議論

べき乗指数が1より大きいと、下に凸の成長になって、有限時間内で発散(シンギュラリティ)に至る。これを防ぐには、パラダイムシフト(相転移)を起こすイノベーションを起こして、パラメータをリセットする必要がある。

そして、そのイノベーションを起こす間隔をどんどん短くしていかなくてはならない。

 

あとがき

今やネットワークに繋がったデバイス数は世界人口の2倍以上で、そのデバイスの一人当たりの画面の面積は30センチ四方より大きい。

 

以上