すみだ5000人の第九レッスンメモ(2019/10/28 14:30 木場義則先生)

前半はフーガの前までの復習。どちらかというとリズム感を持って歌うことが主眼。とくに6拍子のところ(一つの発声の中にピアノの伴奏が3音あるということを意識する)。

フーガに入る直前、ピアノ伴奏が三連符の連打になって、お父様がほのかに感じられたところの緊張感が大事。そのための1拍休符をフライングしないこと。

後半は2重フーガのところの練習。まずは第一テーマ(フロイデシェーネゲッテルフンケンの8小節)がソプラノ―バス―テノールアルトーソプラノーアルト―バスーテノールと8回声部のパートを変えて、ボールをパスしていくように繰り返しつないで歌い継いでいくところを練習。

次に第二テーマ(ザイトウムシュルンゲンミリオーネンの8小節)がアルト―テノールーバスーソプラノと3回パスをつないで4回歌うところを練習。

こういった形で2つのテーマが順送りされながら重なり合い、パートを変えて歌われていく曲の構造が分かった。

4つの声部のどれか2つが2つのテーマを重ねて歌っていて、残りの声部は2つのテーマの変奏を飾りのように歌ってそれに重ねている。

その関係を画にしてみたらこうなった。フロイデの紅組とザイトウムシュルンゲンの青組でわかるようにしてみた。確かに2つのテーマは常に歌っている(687-693の間はないけれど、ここでPに切り替えるのかな)。飾りの部分は、前半はフロイデで後半はザイトウムシュルンゲンになるという事か。

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木場先生は、まずは2つのテーマを歌っているとことをしっかり歌うように練習しなさいとのこと。(実際は Feude!-dein Hei ----- Heiligtumの飾りのところがむずかしいんだけれどそれは別のレッスンでという事か)

ここが読み解けるとベートーベンの深い意図がわかるんだろうなあ。いろいろな先生の解説を聞いてみたい。

6拍子で、頭の2分音符の方を大事に歌う練習もした(Freu de Shoe neのように)。

 

フェイスブックの作ったポーカーAIってホントに人の心理を読むんだろうか。原論文を読んで思ったこと。

今年の7月にFBの友人が、フェイスブックが無敵のポーカーAIを作ったというMIT Technology Reviewの記事を教えてくれました。

https://www.technologyreview.jp/s/152581/facebooks-new-poker-playing-ai-could-wreck-the-online-poker-industry-so-its-not-being-released/

この記事によれば、

プルリブスと名付けられたこのAIは、対戦相手のプレーを分析してチップを出させるように仕掛ける抜け目のなさ(devious/cunning)があって、テーブルを囲むプロのポーカープレーヤー全員を出し抜いて(outwit)見せた。

そして、ラウンドをコールで終えたあと次のラウンドをベットで開始する「ドンク・ベッティング」など、予想だにしなかったいくつかの戦略を駆使し、まるで歴戦のプロのようにはったり(Bluffed)を仕掛けた。

とあります(日本語訳はMITテックレビューの日本語版から引用。英単語は元の英文記事から拾いました)。

ブラフをかませるなんて、人の心理を読んでいるかのようで、AIもとうとう人の心の領域にまで来たか、と思わず誤解をしそうな記事にも見えます(注意深く読むとそうは言っていないのですが)。

そこで、「疑問があれば原点に返れ」の方針で、このポーカーAIの原論文を全文和訳をおこなって読むことにしました。日本でこれを全文和訳した人はあまりいないと思うので、ちょっと価値があるかな。それで理解したことと、私なりに思ったことをこれから述べます。

原論文はここにあります。

Superhuman AI for multiplayer poker

Science  30 Aug 2019: Vol. 365, Issue 6456, pp. 885-890

https://science.sciencemag.org/content/365/6456/885

 

【1.まずはテキサスホールデムポーカーとは何ぞや】

ポーカーというと、5枚のカードの手の強さが、ワンペアとかフラッシュとか決まっていて、強いカードを作った人が勝ち、みたいな理解ですね。ところが、このプルリブスがプレイするのは、ラスベガスのカジノやプロのポーカープレーヤが行っている、(6人制の)手持ちのコインを全額まで賭けることが出来る、テキサスホールデムポーカーです。

テキサスホールデムポーカーは、カードの手の強さは自分でコントロールできません。つまり、自分の判断でいらないカードを捨て、新しいカードをディーラーからもらって手づくりするという事がないのです。ゲーム参加者はそれぞれ2枚の自分だけの手札を持ち(相手には最後になるまで未公開)、それに、ディーラーが示す3枚から始まって5枚にまで増える共通カードを組み合わせて手の強さが決まります。

競うのは、ディーラーが共通カードを3枚から5枚にまで増やしていく過程で、参加者が賭け金つり上げ競争をしますが、これに最後まで、つまり5枚目の共通カードが公開されるまで、勝負を降りないで高騰する賭け金を賭け続けてついていけるか、そして最後まで残った人が複数いれば、その時は自分の手の強さ(各人固有の2枚の未公開カードと5枚の公開カードの計7枚の内の最強の組み合わせの5枚の手)で勝てるか、というのもです。

こんなイメージです。この例では2とKの2ペアですね。

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面白いのは、大した手でなくても、掛け金の賭け方で自分の手が強いと相手に思わせて、他の参加者が途中で全員降りてくれればその時点で自分が勝てるという事です。

つまり、競うのは、麻雀のように手の作り方の巧拙ではなく、掛け金の賭け方戦略の巧拙ということになります。そして、実際の手の強さは全くの偶然で決まります。なので、強い人が100戦100勝という事はないわけです。テキサスホールデムポーカーが強い、という事は、基本はギャンブルなので、長く戦っていくときに、手持ちのコインの総額が変動はしながらも着実に増えていくような賭け金戦略を持っているか、相手の賭け方の癖や戦略の変化を読みながらそれに柔軟に対応できる戦略を持っているか?という事になります。

それを踏まえて、そういう賭け金戦略を学び、ゲームの状況に応じて臨機応変に戦略をかえて実行するポーカーAIをどうやって作るかという事になります。

ここで重要なのは、ポーカーは囲碁や将棋と違って、相手の手が全部公開されてはいない不完全情報ゲームであって、そこに確率的な要素があるという事です。

情報が不完全ななかで、どのような行動が最適なのかをAIが示してくれれば役に立つ場面は多そうです。

例えば、オークションとか、ビジネスや外交の交渉とかですね。極端な例では、相手の戦力や戦略がわからない時に、戦争を仕掛けるかどうか、仕掛けたとしたらどのように戦力を投入して相手の戦力を削いでいくか、という事例に応用できるとすれば、とても大きな話になりそうです。

 

【2.AIの基礎と囲碁AIの振り返り】

AIの基礎と囲碁AIの内容については別のブログに書いています。

http://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2019/09/20/150445

詳細はそちらに譲りますが、ポイントは(教師データを使わない)自己学習型のAIは目的関数を持っていて、自己学習の結果から、その目的関数の値が最大になるように、CNNのパラメータを、結果から入力に至る方向で振り返り学習をするように、逐次改善して、ゲームAIであれば、より勝つ確率の高い手を打つようにしていくことです。

 

【3.プルリブスの特徴】

プルリブスは自己対戦型のAIで、自分のコピーとポーカーをして学びます。そのときに自分はそれぞれの局面でどういう手を打つか(ゲームを降りるか、続けるか、続けるとすれば掛け金を増やすかどうか)はランダムに選びます。これをモンテカルロ法で次の手を決めると言います。それを続けるとゲームを終えることができます。

そして、プリリブスは終局後に、そのゲームを振り返ることで学んでいきます。その学びを最適化する目的関数の改善の手法はCFRです。CFR(Counterfactual Regret Minimization)は、打たなかった手を後悔することを最小化するようにCNNのパラメータを改善していくことを意味しています。

次の対戦ではこの少しだけ最適化されたCNNの示す次の一手モンテカルロを組み合わせて実際に打つ手を決めていきます。これを繰り返すことで、だんだん後悔する手を打たないCNNが育ってくることになります。

この逐次改善型自己学習のプロセスの中で、考慮する対象が多すぎると処理数が膨大になって手に負えなくなります。それを防ぐためにプルリブスは2つの抽象化を行っています。それは行動の抽象化と情報の抽象化です。

行動の抽象化とは、自己学習の間は、掛け金の額を最大14種に制限することです(テキサスホールデムポーカーでは100ドルから1万ドルの間で掛け金を自由に設定できますが、それを制限します)。

情報の抽象化とは同じような価値の手(カードの組み合わせ)をひとまとめにして扱う事です。例えば、10-J-Q-K-A のストレートと9-10-J-Q-Kのストレートは明らかに違う手ですが、それでも戦略的には同じであるとして扱います。

こういった抽象化作業によって考慮すべきの場合の数を減らしています。

プルリブスはこういった抽象化を行った上で、モンテカルロCFRに基づいて自己対戦を繰り返します。線形CFRという手法を使い、先回と比べた改善の度合いがどれくらい小さくなったらその改善を打ち切るかという制限を定めた上で逐次改善をしました。

具体的には、64コアのCPUをもつサーバーを使って8日間に渡って自己対戦によるCNNの改善が行われました。これで学んだ結果を基本戦略(Blueprint Strategy) と呼んでいます。

全部で12,400CPU・時間のリソースを使いました。使ったメモリは512GB以下です。その計算のために、現在のクラウドコンピューティングをスポットで一時的に使うとすると、その料金は約144ドルだった、といっています。プルリブスはDeep Mindの囲碁AI(Alpha Go)と違って、巨大な計算リソースを使わずに開発されたのです。

そして、この(情報の抽象化を行った)基本戦略AIは128GBのメモリのマシンで実際に人と対戦できるのです。

ですが、プルリブスはこの自己学習で学んだ、抽象化ベースの基本戦略だけで戦うわけではありません。それを行うのは最初のラウンドだけで、あとは相手の戦略に合わせて打つ手を変える機能を持っています。

さらに、情報の抽象化も、実際に人と対戦している時には、次回以降の掛け金を賭ける状況に関する理由付けには使っても、今、実際に行なっている場での賭け金の設定には使いません。もっと細かいメッシュで行います。

つまり、プルリブスは自己学習で得た基本戦略を基本にゲームの状況に応じて打ち手を変える機能を持っています。それを人の気持ちを読む、というのは自由ですが、そのアルゴリズムについて以下に述べます。

相手の賭け金がプルリブスが基本戦略を作るときに使った行動の抽象化とあわない時など、基本戦略をそのまま使えない局面になると、プルリブスはその場からモンテカルロ探索をします。その探索がリーフノード(探索の末端)まで行ったら、そこで相手が戦略(賭け金の賭け方)を変えるかもしれないことを考慮します。

これを持って相手の気持ち(戦略)を読むというのでしょうね。具体的には次の4種の戦略を考慮します。①事前の自己対戦で培った基本設計戦略。②対戦を降りること(fall)を重視する戦略、③対戦相手の賭けに応じる(call)戦略、④掛け金を上げること(raise)を重視する戦略。これによってよりバランスの取れた戦略をとることができるようになります。

さらに、プルリブスは自分のとっている(賭け金)戦略が相手に見破られない対策を施します。具体的には、「自分が実際にどんな手(2枚のカード)を持っているかにかかわらず、まず最初に、すべての持ち得る手で何ができるかを計算して、すべての手に渡って戦略の(攻めと守りの)バランスを注意深く取って、相手に自分の手(2枚のカード)が予測されないようにします。このバランスを取った戦い方が計算で導出されたら、プルリブスは実際に持っている手に対してその戦略を実行します。」と言っています。

さらに、下記のような数値解法上の記述があります。

プルリブスはサブゲームの戦略(戦い方)を計算で導出するのに、そのサブゲームの大きさとそのゲーム進行上に占める位置に応じて2つの異なるCFRの(計算)様式の内の一つを選んで使いました。サブゲーム(のツリー探索の規模)が相対的に大規模であったり、ゲームの初期状態にある時には、モンテカルロ線形CFRが基本設計戦略を計算したのと同じように使われます。そうでなければ、プルリブスは線形CFRを最適にベクトル化(マルチCPUで同時計算)した様式を使って(ゲーム盤に公開されているカードのような)偶然で決まる事象だけをサンプルしてCFRを計算します。

 

【4.プルリブスの強さの実証実験の結果評価】

さてこのように、CFRを価値関数として自己対戦で学んだ基本戦略に、相手が戦略を変えることをも想定したモンテカルロ探索と、自分の賭け金戦略が相手に読まれないように賭け金戦略の(攻め重視か、守り重視かの)バランスを取る手法を身につけたプルリブスを、プロのポーカープレーヤと対戦させてどれくらい強いと言えるのかの実証実験が行われました。

プルリブスは、2つのインテル ハスウェルE5-2695 v3 CPUの上で動作し、使用する外部メモリーDRAM)は128GB以下です。そして、プルリブスが一つのサブゲームで探索を行うのにかかる時間はその特定の局面の状況に応じて1秒から33秒の間で変化します。プルリブスは平均して、6人制のポーカーを自分の複製5台と対戦する場合には、だいたい一手20秒で打っています。これは人間のプロのポーカープレーヤーに対して約2倍の速さです。

①プルリブスが5人のトッププロと対戦した結果

エントリーした 13人のトッププロの中から、その日参加できる5人が、ネット上でハンドルネームを使って、12日間に渡って合計で1万回プルリブスと対戦しました。

トッププロが本気で打つように、賞金とギャラを払う真剣勝負です。

 5万ドルが成績に応じて人間の参加者に分配されるので、それが人間のプレーヤーに最高のゲームをするように仕向ける動機付けになりました。各プレーヤーが参加するギャラ(手取り保証額)の最低額は一手あたり0.4ドルです。しかし、この最低ギャラは成績に応じて一手あたり1.6ドルにまで増額されます。

さて、その評価結果ですが、論文をそのまま訳すと以下のようになります。

「プルリブスがゲームに勝って稼いでいるかどうかを判定するために、ワンテール(片側分布)のt-分布検定を行って95%の信頼度で統計的な有意性を測定しました。

AIVAT処理をして(運の要素を除いた成績は)、プルリブスは平均で48mbb/gameを勝ちました。(その標準偏差の誤差は25mbb/gameです)。

この値は6人でやる掛け金制限のないテキサスホールデムポーカーで、特に選抜されたトッププロの集団と戦ったことを考えると、非常に高い勝率と考えられます。そしてそれはプルリブスが人の対戦相手よりも強いということを示唆しています。プルリブスは0.028というp値で、ポーカーで稼いでいると断定されました(この事象が偶然で起こるのは100回につき2.8回)。

プルリブスが1万回の戦いでどのように稼ぎが推移していったかのデータを末尾に示します。

賭け金無制限のポーカーの獲得金額の統計的な分散が極めて大きいのと、人のプレーヤーに(運の要素を除くための)AIVAT処理をすることができないことから、個々の人間の参加者の勝率を統計的な有意差を持って決定することはできませんでした。」

と書いてあります。運の要素を除いて評価して、統計的な誤差を考慮しても人に勝っていると言える、と言っています。運の要素を除くためのAIVAT処理をしていることと、対戦相手のプロの成績(mbb/game)と比較できないというところが気になりますね。

評価指標である、mbb/gameとは、1ゲームあたりの儲け金額をそのゲームスタート時の掛け金で正規化したもののようです。(大金を競うゲームもあれば、少額で流すようなゲームもある。それをまとめて評価する指標なのでしょう)

いずれにしても、ポーカーという運も関係する不完全情報ゲームで100戦100勝という事はあり得ない訳だし、手が弱くても賭け金の賭け方のうまさで稼ぐことが本質なので、何を理由に強いというかは、たくさん戦った時にやっぱりこの人は安定的に儲けているね、という事なんだろうと思います。

 ②トッププロひとりがプルリブス5台がと対戦した結果

クリス“ジーザス”ファーガソンと、ダレンエリアスが5台のプルリブスとそれそれ5000回戦いました。もちろん5台のプルリブスは共謀しないし、人間は誰(どのハンドルネーム)がプルリブスかはわかりません。人間へのインセンティブは2000ドルの参加報酬と勝った時の2000ドルの追加成功報酬です。

その結果は、論文をそのまま訳すと以下のようになります。

「10,000回のゲームを行って、プルリブスは人間に(5台の)平均で32 mbb/game(標準偏差の誤差は15 mbb/game)勝ちました。プルリブスは0.014のp値で(統計的な有意差を持って)稼いでいると決定されました。

ダレンエリアスはプルリブスに対して40 mbb/game負けました。標準偏差の誤差は22 mbb/gameで、p値は0.033でした。

クリスファーガソンはプルリブスに対して25 mbb/game負けました。標準偏差の誤差は20mbb/gameで、p値は0.107でした。

ファーガソンの負率がエリアスより低いのは、統計的な分散の結果と、彼の技量による結果でしょう。ファーガソンは自分になじみのない難しい局面では、その場を降りることに重きを置いた、より保守的な戦略を取ったという事実の結果でもあります。」

これを読むと、クリスファーガソンはダンエリアスより善戦しました。それは彼が保守的な戦略を取ったからだといっています。

この統計的に処理された結果で、プルリブスはクリスファーガソンに対して確実に強いと言えるかどうかは微妙だ、という意見もあるようです。25+-20mbb/gameの勝ちで、それは10回に1回ぐらい偶然でも起こり得ること、と言ったところで、常に強いと言えるのか?という素朴な疑問ですね。

http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2019/07/20/164318

プルリブス対5人のプロの対戦の生データは以下です。1人のプロと5台のプルリブスの対戦データは論文に載っていません。

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 統計誤差を考えてこれをどう見るかですね。ゲームの回数が増えるにつれてチップの稼ぎは増えていく傾向はありますが、負けている時もある。その負けは偶然の要素によるものなのか、戦略の巧拙によるのか、それをAVATという形できれいに分離して議論できるのかどうかはこの論文からでは正確には読み取れませんでした。

【プルリブスのもたらしたもの】

囲碁AIである、AlphaGoは、昔から悪手とされて来た手を打ちます。今ではその「悪手」をプロ棋士が打つようになりました。AIが人間が見落としていた価値を見出して過去の常識を覆したという事になりますね。また、そのAIの見出した知見を人間が取り入れて、囲碁の世界が変化しているとも言えそうです。

プルリブスも今までの常識を覆したところがあるようです。以下に訳を記しますが、このプルリブスのとった戦略がプロポーカーの世界にどういった影響を与えるのかも興味深いですね。

「プルリブスの戦略は、人がやる(駆け引きを含んだ)対戦結果を(学習に)用いないで、AI同士の自己対戦(による学習)で全部決定されました。そして、多人数でおこなうテキサスホールデムポーカーでの最適な戦い方はどのようにあるべきかについて、人間では思いつかないような見方を提供してくれます。

プルリブスは当たり前の常識とされているリッピング(賭けを降りたり、掛け金を増やしたりするよりも、ビックブラインドと同額を賭ける戦略、ゲームをゆっくり続けることになる)は、スモールブラインドのポジションのプレーヤーがルールに従ってビッグブラインド(ショバ代)の半額をすでに場に賭けていて、ゲームを続けるためにビックブラインドと同額の掛け金になるよう、残りの半額を追加で賭ける場合以外は、最善手ではないことを確証しました。

プルリブスはAI同士の自己対戦で基本戦略を導出する時に最初はリンピングをして対戦実験をしていましたが、だんだん自己対戦の学習が進むにつれてそのリンピングの行為を戦い方に組み入れなくなりました。

プルリブスは「ドンクべッティング」は間違いだという格言には同意しません。(ドンクベッティングとは、一つ前の対戦をコール(前の人と同じ賭け金を賭ける)して終わった人が、その次の回で最初に掛け金を賭けること)。プルリブスはこのドンクベッティングを人間のプロポーカープレーヤよりはるかに頻繁に行います。」

冒頭のMITテックの記事は、プルリブスはこのドンクベッティングを連発することでプロのポーカープレーヤを圧倒したかのような記述になっていますね。ポーカー界では、ドンクべティングは怖くて勇気のいる手だけれど、成功すると効果が大きい手なんだそうです。そういった心理的なバリアを心を持たないプルリブスは確率統計の経験値からこれを頻発するというのは面白いですね。

 

【まとめと感想】

完全情報ゲームである囲碁のAIに対比するかたちで不完全情報ゲームであるポーカーのAIの論文を読んでみました。

完全情報ゲームでは、その時に勝ちに繋がる確率が最も高い最善手を打つという考え方があるけれど、不完全情報ゲームは確率の世界なんだから100戦100勝という訳にはいかない。なので、長く戦えば戦うほど確率の要素で負けることの比重が減ってきて、中長期的にはゲインを得られるという戦い方の戦略を持っているかどうかの勝負なんだなと思いました。

定性的には、投資戦略や営業戦略にも通じる考え方のようにも思える。ゲーム進行中での競争相手の戦略の変更の可能性を織り込み、自分の戦略を悟らないように工夫するなど、外から見ると人間心理を読むかのような手法を駆使しているところが面白かった。

プルリブスが人より強いかどうかを検証するのに、t-分布のような(データの少ない時に使う)古典的な検定の手法を使っていて、95%の有意差でもって議論している。これには、「えっ、ビッグデータの時代に何で?、そうか、人間が相手だからかあ」、という妙に感じいったところもありました。

テキサスホールデムポーカーは、1対1の対戦でなく、6人で行うので、明確な敵というのもがいません。麻雀のように確率論の中での手作りの技術で勝つ要素は全くなく、手そのものは全くの運で決まる。プレーヤは掛け金の賭け方の巧拙を競い、手の優劣とは直接関係しない賭け金引き上げ競争のチキンゲームを自分の手を強く見せかけるような賭け金の賭け方や、雰囲気を作るなどして勝ち、その場の賭け金を総取りする。全く勝ち目がない時は降りるという判断もある。それを長く続けてお金を増やせる人が強い世界。

そういった、実力(戦略)+運(確率)の世界で、お金を儲けるという、極めて人間臭い世界にAIが入ってきて、後悔を最小にする価値観と、相手の戦略の変化を見越す戦略を持って、成果を上げたことに対する興味は尽きないですね。

 

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一万人の第九築地1クラスレッスンメモ(2019/10/11 15:00)

発声練習の後、Ihr stuert nieder から最後までを丁寧にさらう。休憩後、最初に戻ってIhr stuert nieder の前までをさらう。

前半は雑談一切なし。いい音楽を作るための真剣な指導。

自分はこう歌いたいという思いを持って歌う事。

【フーガに入る直前(主のお姿がほのかに見えた静かな感動を歌うところ)のueber Sternen muss er wohnen.】

バスとテノールが「ラ、ド#」でアルトとソプラノの「ミ、ソ」に遅れて入るところ、テノールのド#の音が低いと言われ、なんども繰り返す。

ここは ミーソの2重音から、ラード♯ーミーソの複雑な4和音(A7かな)になるところ。ド#が低いと(Am7)短調になる。テノールの音が長調感を出すために重要という事だろうか。セブンスコードで2重フーガに入る準備をするのか(私の感想)。

【2重フーガ】

テノールはSeid Umschlungenを高いラで入る厳しいところ。ここは事前に音を準備しておいて勇気をもって発声する。

「イ」の母音はあまり口を横に広げない。気管の幅とおなじ幅で口を開くと発声がスムーズになる。「オ」や「ウ」は口の奥に響かせる感じで歌う。

734からテノールだけで歌うAhnset du den Schoepfer, Welt?のところはまだ疑問が支配しているところだからクレシェンドしない。その後のSuch'からのクレシェンドを際立たせる。

744からみんなが大好きなブリューダー(オケがハイハイ)ブリューダ―のところは最初がsfで、二回目がff。その後の「主は天空にいらっしゃる」と確信を持って歌うところはpp。ppだからこそ、この静かな確信が伝わる。

【810からのpico adagio】

Menschen を>pで歌うこと。ソプラノはsanfterの装飾音部を丁寧に歌う練習。

【915から】

(ff)Tochter aus (p) Elysiumは Elysiumにやっと到達した喜びをff-pとpでしっかり歌う。

最後を力強く歌う練習(腹で歌う)。

【Kusseのパート】

各パートそれぞれがひとかたまりの音で聞こえて欲しいが、まだ、ひとりひとりの声で聞こえている。それを改善すべく、パートごとに丁寧にさらう。

【Seid Umschlungenのパート】

Millionenやder ganzen Welt!は上ずった浅い声にならないように。そのためには床に向かって(腹をしっかりさせて)歌う意識を持つと、太い男らしい声になる(納得です。私は高い音は頭の後ろに抜く感じで歌うので上ずることが多い)。

以上

 

 

 

 

 

すみだ5000人の第九レッスンメモ(2019/10/14 14:30 泉先生2回目)

大人気の泉智之先生の2回目のレッスン。

祝日という事もあって、雨にもかかわらず700人の会場が満席。数十人が立ち見でした。

フロイデからフーガの先、766のコーラスを歌いきるところまで。

歌詞を自分なりに理解して、その思いを込めた歌い方をすることで、はじめて観客に伝わる「音楽」になる。ということを主眼にした練習。そのために、歌詞の内容、音楽の構成の説明を聞いた後で、実際に歌う練習をした。

とはいっても、泉先生らしい楽しい練習。具体的には、Mの後の、男性だけがユニゾンで歌うSeid Umschlungenのところからの練習法が最高だった。

男性は、まずこのユニゾンの部分を、「Diesen Kuss der ganzen Welt」に愛しい女性に対する思いを込めて、Umschlungen(抱っこ)する気持ちを込めて歌う。つまり、女性を口説いていると思って歌う。

その気持ちが女性に通じると、今度は女性(ソプラノとアルト)がそれにSeid Umschlungenのコーラスで応えてくれる。男性はそれに対して一拍遅れてSeid Umschlungenをバスとテノールのコーラスで歌うが、それは応えてくれた女性を一歩後からエスコートする気持ちで歌う。

この後のsfで歌うDiesen Kussは、まずアルトが入り、次にソプラノとバスが入り、最後にテノールが入る。この音がずれて重なっていくところの気持ちをしっかり表現する。

このような、泉先生流の解説を聞いたあとで、テノールは全員右を向いて立ってソプラノに対面し、バスは全員左を向いてアルトに対面して、この対話の実演をする感じで歌う練習をした。女性陣は座って男性の思いを受け止めてコーラスを返す練習。

たまたま私はテノール席の右端に座っていたので、ソプラノに第一列で向き合って歌うことに。数百人の女性の観客に対して歌っているようで、とても気持が高揚した。全体としても柔らかい、いいコーラスになっていたような気がする。

「小難しいドイツ語の歌詞を、リズムと強弱だけでテクニカルに歌っても何も伝わらないよ。自分流のもので構わないので、歌詞と音楽に気持ちを込めて何かを伝える、ということして音楽を楽しもうよ」、ということを実践的に教われたのがとてもよかった。

今、譜面を見ていて気づいたが、Kussのところで4声がぴったり重なる。そして、ソプラノとバスが「シ」の同じ音。テノールが「レ♯」、アルトが「ファ♯」。うーん、これをなんと理解するか。

そして、コーラスを縦に見ると和音になっていて、各声部がその和音の中のどの音を歌っているかを見るのも楽しい。KussはB durの和音でルート音をソプラノとバスが歌っている。この後のganzen Welt!はC durーD durの和音を歌っているけれど、Weltはまたしてもルート音をソプラノとバスが歌っている。うーん、バスがソプラノに対面して歌う方がいいのかな?なんて思うのも楽しい。

余談だが、ワーグナーのトリスタンとイゾルテの第二楽章は、この手の解釈をするとすごいことになっているらしい。

それ以外の泉先生の解説は

Dのパート(最初のDeine Zauber)はMのところの第二テーマをユニゾンテノールは時々オクターブ)で歌っている。

E(Jaのパート)は歌詞は違うが、メロディーラインはDのパートと同じ。それをコーラスに変えて歌っている。

G(Kuesseのパート)はソプラノの八分音符の後ろだけのメロディーを抜き出すとそれはDのパートの変奏曲になっている。

つまり、Mの前に、第二テーマはユニゾンーコーラス―変奏曲と3回歌われている。これはテノールパートだけを歌っていては気づかないことでした。

音符は母音の発声と合わせる。子音は音符の前に準備しておく。という基本のおさらい。

einen Freund ge-prueft im Tod; Wollust ward dem Wrum ge-ge-benのところは音符の区切りでのリズム読みで歌っては意味が通じない。フロインドゲ になってはいけない。

einen Freund ge-| prueft im Tod; Wol |lust ward dem | Wrum ge-ge-ben

ではなく、

einen Freund |ge-prueft im Tod; |Wollust ward | dem Wrum ge-ge-ben

のようにつなげてに歌わないと意味が通じない。(テノールはここが一番難しいのです。)

フーガの直前の部分の音楽的解釈(泉先生流)

創造主を感じるか、世界中のみんなよ(Welt!) とffで歌った後、天空に主を探そう(ppで入ってff)となって一気に盛り上がる。そして、この後に、オケとコーラス全部の休符があるが、ここは天空に行く人の意志の最終確認をしている。そして、天空に主がいらっしやるに違いないとコーラス(天空に行く人)はffで盛り上がるが、その後のオケはまた疑問を呈している音を奏でる(いわゆる解決を求める減7のコード)。そして最後に、天空に主がいらっしやるに違いないとコーラスが今度はppで歌うのは、不安だからppで歌うのではなく、主のお姿がほのかに見えた静かな感動をppで歌っていると解釈する(オケの三連符の連打は尋常ならざるものを見たことの表現)。

その静かな感動を持って、神様に一番近づける2重フーガの技法で天空に向かう。

フーガの部分の解釈と詳細練習は次回(11/23 14:30 )です。必聴ですね。

ここからは私の感想です。

ピアノ伴奏の譜面を見ると、647はEdimのコード。650からの三連符のところはEdimのコードが右手の高い音程に昇華して、左手が現世の音であるA durのコードを重ねているように見える。これは天空(dim)と現世(dur)の量子的重ね合わせの多次元世界の音の表現だな(笑)。

減7(dim)のコードは音が4つで、どこまでも均一間隔で登っていく4次元の、高調波成分を無限に含み得る調和振動子です。この和音なら天空まで登れる。(大笑)

 

 

すみだ5000人の第九レッスンメモ(2019/10/9 14:30 発音指導あり)

横尾桂子先生の発声発音指導と大塚正仁先生の音楽指導が並行ですすむレッスンでした。

横尾先生のドイツ語発音が5000人の第九の標準なんだな、と理解。

大塚先生はバリトン。フロイデからMまで、特に前半を丁寧にさらいました。

【横尾先生のボイトレ】

右手を後ろから前に回しながら音階をレガートで歌い、背中の筋肉や体幹を使う発声の練習。

声の出し方はマヨネーズのチューブをゆっくり絞り出す感じ。

おなか(横隔膜)を安定的持ち上げながら、口から空気を10メータ―先のダーツの的に当てる意識で、息の流れをそこに届けるように発声すると遠くまで届く声になる。

口の中を開けてそこに声を響かせる。口を開ける大きさは崎陽軒のシュウマイサイズで。

ウムラウトは「ウ」をその崎陽軒のシュウマイの口で作って、「イ」や「エ」を発声する。

「イ」は口をあまり横に引かないで歌う。そうすると滑らかに歌える。

「W」は少しだけ下唇をかんでから唇の隙間から息を出す。「B」ははっきりした破裂音。werden Brueder のところはこの違いを出す。

息は鼻から吸うが、その時、鼻の前にある何かいい香りのものを鼻腔の奥の空間に吸い込んで味わうような気持ちで行う。その呼吸法のままでハミングの練習から、「ウー」の発声練習をして、口蓋の奥で響く発声法の練習。

【ドイツ語の発音】

言頭の子音をしっかり発音するとドイツ語らしくなる。語尾は軽く。そう考えると語尾のerがアーなのエルなのかがあまり差がなくなる。

Zauber ツアオバー ツアオ、ツの入りとオをしっかり発声する。

Shoener シエーネ とシを柔らかく美しく。 Seeleも同じ(ズエーレ)。どちらも大事な単語なのでその意味を考えて美しく歌う。

短母音と長母音をしっかり歌い分ける。とくに長母音を短く歌わないこと。Reben(レーベン)とか Gegeben(ゲゲーベン)とか。

【フロイデ】

デがだらっと下がらないように。音程を高め、発声は短めで終える。

【Dのパート】

Streng geteilt   シュトレンゲ タイルト と歌っては意味が通じない。 シュトレン ゲ タイルト と歌う。

【Jaのパート】

バスのJaの入りのfは強く。その1拍後に残りの3パートがかぶせて入るところはさらに大きいfできれいに重ねる(ここはみんながJaで合意するところだから)。

auch とauf の発音をしっかり区別する。

Und がタイで繋がっているとことを ウーントとしっかり伸ばして表現する。トもしっかり。

【Kuesseのパート】

またしてもテノールのWurm ge ge benの半音のずれを指摘された。(自分も当てはまる。練習CDの耳コピ暗譜の甘さの弊害だな。ピアノで音取して悪い癖を直そう。確かに、最初に歌った時はここが一番難しかった)

【vor Gottーカンニングブレス】

大友先生はめちゃ引っ張るのでカンニングブレスをしてつないでいい。カンニングブレスとは長音発声の途中で、息が切れる少し前に余裕を持ってそっとブレスして、音程が乱れないように注意して再発声すること。合唱団のそれぞれのメンバーがそれぞれ違う場所でそれをすれば、全体としては長音が保たれるのでOK。

【男性合唱】

最初のLaufetの「ラ」を音符と母音を合わせて発生する。そのために「ラ」の発声のために舌を歯の裏側に当てる準備は音符の前にやっておく。後ろの席の人はより早めにフライング気味で発声していい。(おお、精緻な合唱を求めらえているなあ。男性は少ないからなあ、女性の4分の1か5分の1ぐらいしかいない)

【Mのパート】

Elysium のlyはウムラウトの発音が正しい(プロでもできていない人がいると横尾先生のコメント)

【連絡事項】

事務局からは、参加者が5100人になって、国技館の席割に苦労しているとのこと。

台風一過の14日のレッスンはやる方向。

 

以上です。

 

 

 

1万人の第九築地1クラスレッスンメモ(2019/10/4 15:00)

きれいな音の空間を作る。そのために「歌う」、「ハーモニーを聞く」ことを主眼にしたレッスン。

【Dのパート】

子音をはっきり発音する。

語るように歌うことを意識する。

【Jaのパート】

前半はマルカート、後半はレガートを意識する。

weined sich aus diesem Bund. は文字通り悲しい感じで歌う。

【Kuesseのパート】

リズム読みのような歌い方ではダメ。情感を込めて歌う。

【男性合唱のパート】

424小節からのfreudig が3パートで重なってくるところ、3回目がsfである表現をしっかり歌う。この3小節で、バス⇒テノール1+2⇒全員 というように声部が重なり、音量が増えることを意識する。

肩を組んで左右に揺れるような2拍子の歌い方をしない。この行進は天空の理想郷のなかを進んでいることを意識してしっかり歌う(佐渡さん流の解釈でなく、譜面に忠実に歌う。)

【Nのパート】

619節の(f)は単に大きいだけでなく、広がりを持って歌う事。

631節の< >とその後のcres. のコーラスを丁寧に合わせる。

638節のffのWelt? は頭のヴェだけ強い歌い方はダメ。ヴェールトと太く、厚みが増していくような歌い方にする。

【フーガの後】

742節のSuch'のcres.からのコーラスのハーモニーの練習。

【SのDeine Zauberからの部分】

走り過ぎないこと。

810節からのpico adagioをしっかり歌う(ソプラノ主役、アルト控えめ)

914節からの最後のところをffで歌いきる練習。

以上

 

 

ロヴェッリ著「時間は存在しない」を読んでいろいろ考えたこと

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「ループ量子重力論」を提唱するイタリア人理論物理学者カルロ・ロヴェッリの書いた啓蒙書。

「量子重力の基本方程式は時間変数を含まず、変動する量の間のあり得る関係を指し示すことでこの世界を記述する。」だから時間は存在しない。

「ループ量子重力論は、ものごとが互いに対してどう変化するか、この世界の事柄が互いの関係においてどのよう生じるかを記述する。(ニュートン微分方程式のように)時間の進行に対してものごとが展開する様子を記述するものではない。」

「世界は”もの”でできているのではなく、”こと”ででできている。世界は相互に連結された出来事のネットである。そこに登場する変数は確率的な規則に忠実に従う。」

「空間の量子は空間的に近いという関係によって結び合わさり、スピンネットワークと呼ばれるネットになる。そしてこれらのネットは離散的なジャンプによって互いに転換し合う。」

がまず言いたいこと。

その後、その内容をもっと掘り下げた議論が展開されるかと思いきや、そうではなく、ではなぜ人間は時間を認識するのかの説明に紙幅が費やされる。

それは、「人間が一様で順序付けられた普遍的な時間について語る仕組みを持っているから」で、その仕組みは

1)我々の持っている特殊な視点では、エントロピーの増大を頼りとして時間の流れを認識するから(時間の方向性は視点がもたらす)。

2)人間の脳は過去の記憶を集め、それを使って絶えず未来を予測しようとする仕組みを持っているから。

 だという。

私なりにまとめてみると、

結局、宇宙の実体は、それ自体がどのような形で存在しているかの記述(ループ量子重力論の時間のない離散空間モデルとか、超弦理論の多次元モデルとか)とは別に、われわれが人間という視点でそれをとらえた時に(人間の大きさは、量子力学が問題になるほど小さくはなく、相対論が問題になるほど大きくはないので)三次元の時空として(十分な近似精度でもって)観測され、脳によって時間という順序を持って認識、記憶される。という事だと思う。

このまとめを私なりに展開してみると、やっぱり我流の「ホログラフィック原理」に行きつく。

宇宙の実体はホログラフィーのような干渉縞でできている。それに我々の視点である三次元の時空という認識の枠をレファレンス光として与える(観測する)と、我々がいると思っている三次元の時空がオブジェクト光として発現される。その同じホログラフィーを2次元の視点を持つレファレンス光で観測すると重力場のない空間が発生する。そのことをAdS/CFT Correspondenceと呼んでいる。

量子力学観測問題とは「この宇宙の実体であるホログラフィーに、どういった認識の枠を持つレファレンス観測光をあてるかということ」に思える。

ループ量子重力論も、超弦理論もこのホログラフィーの干渉縞をモデル化しているものであって、われわれが認識している世界を記述しているわけではない。そのホログラフィーそのものを実験で確かめようとしても、レファレンス光という実験条件に対してのオブジェクト光という形でしか観測できない。

宇宙の実体としてのホログラフィーはそのままでは観測不能な、我々の世界の上位概念を記述する形式である。

マルチバースとはこのホログラフィーのこと。その中には我々が過ごしてきた世界と違う世界があると考えても不思議はない。ただし、その別の世界に移動したり、その世界からの信号を受け取れるかどうかはわからない。

量子コンピュータはこのホログラフィーの中で(波動関数を干渉させて干渉縞を作ることが量子計算の意味)我々の世界で設定した条件に対して適切な確率分布をもった波動関数を示し、それを我々が観測することで何かを知るものであると思える。

スピリチュアルであるとは、このホログラフィーを通常の人とちょっと違うレファレンス光で観測することをいう。

「宇宙の実体は干渉縞である。それにどういうレファレンス光を当てるかでその認識主体に対する世界が発現する。量子重力理論はその干渉縞のモデルを記述すること。実験物理とは、超高エネルギー状態などの極端なレファレンス光でもって、オブジェクト光を発現させて、それを三次元の時空で観測して、干渉縞の実体の一部を見ようとすること。」

物理学とAI(Deep Learning/CNN)の類似性をいう物理学者もいる。わかるような気がする。入力対象は宇宙の干渉縞で、「観測する=オブジェクト光を当てる」とは、宇宙の干渉縞という入力にCNNのフィルターあてること。それで出てくる出力=ラベルが我々の認識する世界。

そう考えると、われわれの認識の形式がCNNのフィルターとして記述できることになる。その記述こそが物理だという人もいるでしょう(それが通常の量子力学や相対論の記述)。実験結果というラベルから宇宙の干渉縞の実体(CNNへの入力)に迫ろうという実験物理は、まさにCNNをバックプロパゲーションで決めるAIそのもの。

こういう視点で世界をとらえると、存在論とか認識論とか言っている哲学の意味が分からなくなる。

哲学=形而上学=メタフィジックスを語る人は、実験を説明するだけの物理(フィジックス)を哲学の下に置きたがる。しかし、私には、メタフィジックスとは人間の認識する世界の上位概念である宇宙の干渉縞(ホログラフィー)を記述する量子重力論のようなものを指すものに思える。

この本がきっかけで、なんだか最近妄想していることがすっきり書けたような気がする。

その意味では読んでよかった。でもこの本は、よくある科学史哲学史、宗教史の記述が結構多く、翻訳本という事もあって、何度か読み返さないと、本質的な文脈をとらえにくいところが少しあるかな。