パリで出会った川瀬巴水。平塚の川瀬巴水展でやっと本物を見て、いたく心に沁みたというお話。

川瀬巴水のことを初めて知ったのは、3年前(2018年)にパリを観光旅行して、パサージュ巡りをしていた時のことだ。

とある本屋に立ちよって、ジャポニズム関係のものがいっぱいあるなあ、と棚を眺めていると、

「あれ、このKAWASEって人、あなたの親戚なの」

とパサージュを案内してくれていた人が言う。

「えっ、」と思って振り返ると、彼の示していたものは、川瀬巴水の「錦帯橋の春宵」の版画のコピーだった。

「親戚ってことはないと思うけど、パリで同姓の画家に出会うとは何かの縁ですね。思い出として買おうかな。」と言って、購入したのが川瀬巴水との出会い。

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自宅に帰ると、早速ポスター用の額縁をアマゾンで買って、版画のコピーを中に入れて、机に置いた。

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「来春に、錦帯橋の桜を見に岩国まで行こうか」などと話しながら、川瀬巴水ってどんな作品や経歴なんだろうとググってみた。すると、晩年は大田区中央に住んでいて、そこが終の棲家になったとあるではないか。大田区中央は、今住んでいるところのとなりの町で、よく散歩で通るところだ。そして、巴水が亡くなった年は私が生まれた年だ。

自宅のある地域は、昭和初期に尾崎士郎室生犀星などが住んでいたいたということで、「馬込文士村」と言われ、駅前の天祖神社の横には馬込文士たちのレリーフがある。

それをよく見ると、川瀬巴水レリーフがあるではないか(これを見ていると、なんだか祖父の顔を思い出す)。

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おお、やっぱり縁を感じるなあ、ということで俄然川瀬巴水に興味が湧いてきた。

そうこうしていると、確か新聞の書評欄で、ちょっとユニークな川瀬巴水の画集がでたことを知った。川瀬巴水の大ファンである、林望(「イギリスはおいしい」など、さんざん笑わせてもらったなあ)がそれぞれの画に絡んだ思い出話などを書き、それの英訳まで併記されている。英訳があるのは、川瀬巴水はスティーブン・ジョブズが愛蔵するなど、むしろ海外で人気があることを考えてのことかもしれない。

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迷わず買ったが、どういう訳かパラパラと見る程度で、林望のコメントも英訳もあまり読まないまま、書棚に置かれている状態になっていた。

さて、今月になって、フェイスブックか何かで、平塚市美術館で「川瀬巴水展」が開かれるのを知った。平塚市に「荒井寿一」という実業家がいて、その方の川瀬巴水コレクション一挙公開という事の様だ。平塚と言えば、昔、藤沢に住んでいたこともあるので近所の感覚があり、藤沢に合唱の練習で行くついでに平塚まで足を伸ばして見にいくことにした。ここにも若干の縁を感じるところだ。

さて、川瀬巴水展。やはり、本物を見るからこそ伝わってくるものがある。

ほぼ年代順に、作品が並んでいるのだが、(当時の朝鮮を含む)全国を行脚して(別府から奥入瀬まで)、名所だけでなく、各地のさりげない風景を写実的に版画にしている。

特に、夕暮れ時や月夜の風景など、暗がりの中でのグラデーション表現に圧倒される(本物を見ないと多分わからない)。さらに、雨や雪の降る様子や、水面に映った揺らぐ映像など、静止画なのに、静逸さの無音を含む音や、動きが感じられるところが凄い。

さらに、とても正確な遠近法が建物の存在感を際立たせている。

暗がりを濃い青系の色のグラデーションで表現するのだが、ちょっと突飛な連想だが、ピカソの青の時代を思い出したりした。

しかも、画題が昭和初期の風景で、ああ、これが母親たちが見ていた風景なんだなあ、と自分の一世代前の時代に対する憧憬のようなものが湧いてくる。(なるほど、林望が文を書いた画集の題が、Nostalgiaである意味がやっと実感できた)。

そのグラデーション表現の真骨頂の一つが、今の自宅の近くを描いた「大森海岸」だ。

川瀬巴水の描く日本情緒 雨降る大森海岸の夕景

これは私の母親が生まれた昭和5年の作。母親はこんな木造家屋で、暗い夜を過ごしていたんだと(母親は大森生まれではないけれど)しみじみしてしまう。

それにしても、家の中の少ない灯火が川面に映って揺らいでいる表現の素晴らしいことよ(この画は画集にも載っていて、林望の解説によれば、この川は蒲田近辺を流れている呑川らしい)。

錦帯橋の春宵」昭和22(1947)年 36.4x26.2 も展示されていた。自宅のコピー画では桜のピンクが強調されて見えるのだけれど、本物はまるで色調が違う。確かに春宵の画だ。桜の色は抑え気味で、宵の口の暗い青の色調表現がすばらしい。自宅のコピーでは「錦帯橋の桜」の画になってしまう。

他にも濃青のグラデーション表現の画が沢山鑑賞できた。

版画の技法は全く詳しくないが、そもそも版画でどうやったらグラデーションが表現できるのかが私にはわからない。

巴水はいわゆる絵師で、巴水の絵を版木に起こす彫師とそれを使って版画を摺る摺師がいたそうだ。

摺師によって当然色調は変わるだろうという事で、展示会では「馬入川」の色調の違う2作品が展示されていた。これは摺師の違いを味わおうと言う事なのかな(展示会の一部の作品は撮影可になっていた)。

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    東海道風景選集「馬入川」 昭和6(1931)年  24.2x36.5

馬入は、国道1号線が相模川を渡るあたりのことで、藤沢に住んでいたころによく馬入橋を車で通ったものだ。90年前の、橋もなく、富士山がくっきり見える風景にしみじみ見入ってしまう。

全体的に、夕暮れ時や月夜の風景の画が多いので、暗い青の色調のものが多いのだけれど、赤を使ったものもある。

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鶴が岡八幡宮 昭和6(1931)年 49.0x32.7

「鶴が岡八幡宮」。ここも何度も言っているところで、その写実性に圧倒されるのだけれど、赤がほぼ単色で塗られていると、何だかイラスト画のように見えてしまう。

晩年の傑作として紹介されていた「増上寺の雪」も当然赤い。赤に目が奪われるものの、積もった雪のしっとりとした質感、降っている雪(結構激しそうだ)の動きから、寒々とした感じが伝わってくる。屋根の下や、木々の奥の陰影表現に見入ってしまう。

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増上寺の雪 昭和28(1953)年 33.7x43.9

市電待ちをしている人々の部分を拡大すると、今風のイラスト画のようだ、と勝手に思う。

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増上寺の雪」 部分拡大

顔の陰影は、版画ではつけづらいのか、川瀬巴水展でも木版での人物画は歌舞伎役者(松本幸四郎)しかなかった。

一方で、ポスターや雑誌の表紙や挿絵として、歌舞伎役者(中村歌右衛門坂東三津五郎など)や落語家(柳家小さん古今亭志ん生など)の顔を描いた作品が数多く展示されていた。

 川瀬巴水展。本物を見て巴水の画の神髄を感じることができた。

ああ、最終日に行ったのが残念だったなあ。何度でも見たい。どこかでまたやってくれないかな。地元大田区にも川瀬巴水関連の展示物がいろいろありそうなので調べてみよう。