聖徳太子1400年遠忌記念「聖徳太子と法隆寺」展を見て感じたこと。

今年は聖徳太子が621年に亡くなってから1400年。それを記念した展示会を国立博物館で観て来た。

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tsumugu.yomiuri.co.jp

国宝の「薬師如来坐像」や、四天王立像の「広目天」、「多聞天」。重要文化財の「日光菩薩」、「月光菩薩」の立像など、およそ1400年前の飛鳥時代のものだけでなく、その後、聖徳太子を記念して作られたられたものが数多く展示されている。

平安時代、太子の500年遠忌(1121年)に作られた、「聖徳太子および従者像(国宝)」(全部で5体)や、鎌倉時代(1285年)の「十七条憲法版木(重文)」など、太子への尊崇の念を感じるものが数多く展示されている。

その背景には、聖徳太子が亡くなってから、聖徳太子は「救世観音」の生まれ変わりだという信仰が生まれたことがあると言う。

「救世観音」の仏像は法隆寺夢殿の本尊であるが、秘仏として公開されることはめったにない。

その「救世観音」像が、これも法隆寺にある「百済観音」像とともに、8K 3DCG画像で動展示されているのはちょっと感動ものだった。ホログラムではないので、ディスプレイは平面なんだろうと思うけれど、3DCGのテクニックでかなり奥行感のある見事な表現になっている。

pid.nhk.or.jp

摸本ではあるけれど、昔の一万円札の原画となった「聖徳太子二王子像」も見られる。

日本の古代に思いを馳せるよい展示会でした。

 

 

 

 

大田区龍子記念館所蔵の葛飾北斎「冨嶽三十六景」を満喫する。

大田区の龍子記念館。昭和の時代に豪快な日本画の大作を描いた川端龍子の作品を展示している。その記念館で、川端龍子が収集した葛飾北斎の「冨嶽三十六景」全四十六作品を期間限定で公開している。

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「冨嶽三十六景」(1830-1832年頃)は、富士山を含む絵を江戸から駿府尾州にかけての太平洋側から描いた三十六作品と甲州側から描いた十作品の、合わせて四十六作品の版画からなっている。

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赤冨士と言われる「凱風快晴」や、「山下白雨」のように、冨士山だけを描いたものもあるけれど、誰もが知っている、大浪の中、鮮魚を船で江戸に運んでいる漁師を描いた「神奈川沖浪裏」や、職人が板を削っている大樽の輪の中から富士山が見える「尾州冨士見原」のような、人々の生活の中にある冨士山を描いている絵の方が多い。

北斎は70歳を過ぎてから「冨嶽三十六景」を制作している。それに刺激を受けたのか、川端龍子は、「冨嶽三十六景」を自ら収集し、それからインスピレーションを受けて冨士山の大作を描くことを考えていたようだ(記念館の説明)。

そして、赤冨士の下で雷が鳴っているのを書いた「山下白雨」に刺激を受けて、龍子は「怒る富士」(昭和19年)を描いたと言う。

さらに、龍子は画幅7.3メートルにも及ぶ「霹靂(はたたく)」を昭和35年に制作している。この時、龍子は75歳、その3年前には富士山に登頂しているという。

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北斎の「山下白雨」(右下に雷が描いてある)と龍子の「霹靂」(右)

背後に雄大な「霹靂」を感じながら、北斎の「冨嶽三十六景」を順に観て行くと、とても豊かな気持ちになる。

北斎は、とにかくイマジネーションが素晴らしく、遠近法にはほとんどこだわらず、描きたいものを描きたいように書いている。この自由な精神が、画法というルールに縛られることから解放されること目指していた、西洋近代画家に大きな影響を与えたと言うのは、本物をみるからこそ感じ取ることができる。

「駿州江尻」では、強風に懐紙が飛ばされる動きを感じるし、「遠江山中」は、材木の上にいる大工と下にいる大工は同じ鋸を引き合っていると思うんだけれど、そうだとしたら、この多重視点の自由さはなんという事だろう、と驚愕する。

また、なじみのある場所の1830年頃の風景が見られるのも楽しい。

「東都駿台」を観ていると、柳田格之進が歩いてくるような気がするし、「礫川雪ノ旦」(こいしかわゆきのあした)は、富士山までの雄大な空間に、なんだかセザンヌの「セントヴクトワール山」を思い出す。

「相州江の嶌」は干潮時に人が砂州を歩いていることや、江の島の右側に富士山が見える構図に驚く。

観れば見るほど、細かいところにまで目が届くようになって、新しい発見が続々出てくる。2時間ぐらい見ていても全く飽きない。

龍子記念館は徒歩圏にあるので、計4回ぐらい見に行こうかな。

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                「神奈川沖浪裏」

METライブビューイングの「アイーダ」を観た。見どころ、聴きどころ満載で楽しめた。

ヴェルディアイーダ。これを劇場で見るのは厳しいご時世に、METのライブビュービューイングで堪能した。

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2018年の上演。METの昇降機全部を使いきって演出し、舞台や大道具の使いまわしが凄い。合唱団は100人以上。ソリストは文句なしの名手ぞろい。

METライブビューイングならではの、幕間の出演者インタビューや、舞台設定の変更の様子が見られるのも楽しい。

最初の紹介では、「アイーダ」は、エジプト王女のアムネリスと、エチオピア王女で、今はエジプトに捕らわれて王女付きの女奴隷となっているアイーダの間の、エジプト軍人ラダメスをめぐる愛の三角関係がメインテーマだと言う。その結末をとくとご覧あれということだ。確かに、第一幕はアムネリスとアイーダの間の恋の歌合戦になっているなあ。

アイーダと言うと、見せ場は第2幕第2場の「凱旋行進曲」。舞台上には何百人もの役者が登場し、エジプトを表現する大道具もド迫力だ。凄い衣装をまとって、もはや背景の一部と化した王様が、威厳あるバスバリトンで、敵国エチオピアの軍を打ち倒したラダメス将軍の凱旋を迎え入れる歌を歌う中、ラダメス将軍率いる凱旋軍が生け捕った捕虜をみやげに入場し、有名な主旋律が「アイーダトランペット」で演奏される。それを支えるオケも素晴らしい。

役者が100人規模の合唱団となって、それをバックに、ラダメス(テノール)、エジプト国王(バスバリトン)、アムネリス(メゾ)、アイーダ(ソプラノ)がそれそれの思いを絶叫するかのように、歌い重ねる。

ラダメスの願いを叶えて、捕らわれて捕虜となったアイーダの父を国王は救うのかどうか、ラダメスは戦勝の褒美として、ラダメスを片思いしている王女のアムネリスを娶るのかどうか。だけど、ラダメスは捕らわれて女奴隷となっているアイーダと結婚したいのだと。こういったカオスのそのまま歌にしてぶちまけても音楽にしてしまうヴェルディの面目躍如の場面だ。

戦勝凱旋という国家の慶事より、愛の三角関係の情念の方が勝る、ロマン派の世界を味わうところだ。

うーん、凄い。映画では歌詞の字幕が出るので、何を歌っていいるかはわかるが、これを劇場で聴いていたらどう聴こえるのだろう。100人のパワフルな合唱に重ねていくソリストの歌唱というものを現場で味わいたいものだ。

この派手な金管が鳴り響くオケをバックにした合唱とソリストの重ね方は、ヴェルディの「レクイエム」の後半、SanctusからDies Irae のところを思い出す。こういうのがヴェルディの音楽なんだな。

歌唱としての聴かせどころは、第四幕最期のアイーダとラダメスの二重唱だ。「愛のために死ぬ」というロマン主義の極致を歌い上げる。アイーダ役のアンナ・ネトレプトの切なくも美しい高音に泣きそうになる。

もう一つの素晴らしい二重唱は、アイーダと、アイーダの父でエチオピア王でもあるアモナズロの二重唱。父は、娘のアイーダが思いを寄せるラダメスを利用してエチオピアに逃げようと娘を説得し、娘はそれはできないと逡巡する心根を吐露するシーン。

そういえば、ベルディの「椿姫」をMETのライブビューイングで見た時にも、同じようなシーンがあった。それは、息子のアルフレッドの同棲相手であるヴィオレッタ(椿姫)に、父親のジョルジョ・ジェルモンが「息子と別れてくれ」と迫るところ。それはできないと最初は拒むヴィオレッタも最後には折れ、それを慰めるようにジョルジョが「泣け、泣け」と慰めを歌うシーンがとても素晴らしかった。

yoshihiro-kawase.hatenablog.com

2人が違うセリフを歌いながら見事にハモるのは、ありえない美しさだ。これもヴェルディの真骨頂だと思う。派手にラッパを鳴らして、ソリストに絶叫させるだけがヴェルディの音楽なのではない。

そして、この父親を演じているのは、両方ともアメリカ人のバリトン、クイン・ケルシー。歌声そのものに聞き惚れてしまう。断固たる決意をもって、娘に立ち向かう父親という役はまさにはまり役だと絶賛するところだ。

王女アムネリスを演じたラチヴェリシュベリも良かった。幕間のインタビューで、アムネリスはloveとjerousy であのようなふるまいになるけれど、badな人物ではないのでそのように演じたいと言っていたのがよく出ていた。

特に最後、生きたまま墓に入ったアイーダとラダメスの二人が墓の中で愛の歌を歌っているその真上で、アムネリスはラダメスへの思いを切々と歌う。ヴィジュアル的にも見事な愛の三角関係の表現だ。オペラはCDで聴いてもわからない、観るものだ、というのが実感できる。

また、インタビューで、アイーダ役のネトレプトはPieta(慈悲)という歌詞が20回ぐらい出てくるけれど、それぞれ意味が違うので、それらを歌い分けるのを聴いて欲しいと言っていた。私は3回ぐらいしかPietaが聞き取れなかったけれど、一流の声楽家の表現の深さに思いを致したところだ。

METならではの豪勢な舞台回しと出演者。ヴェルディの世界を満喫できます。お勧めです。

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ハーバード老化生物学研究センター共同所長のD.A.シンクレア氏が著した「ライフスパン(老いなき世界)」を読んだ。老化を情報理論的に考えているところ(デジタル情報である遺伝情報のコピーミスを訂正すれば老化しない)が新鮮だった。

ハーバード老化生物学研究センター共同所長のD.A.シンクレア氏が著した「ライフスパン」(2019年に原作)の日本語版(2020年9月)を読んだ。

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よく売れている本なので、「老化は病気なので、化学物質を摂取することで予防や治療ができる。」という氏の主張は知っていたが、その科学的な根拠、仕組みを説明している理論的な背景、実際にはどういう化学物質で老化が治療できるのかを知りたくて、隅から隅までしっかり読んだ。

氏が主張していることは、酵母やラットなどの生物実験で実証されており、権威ある学会誌にも掲載され、学界でも認められている。問題は、そういった物質を人間が長期摂取した時に、害が起きないかどうかの検証がまだ不十分であるという事。

そうではあるものの、筆者を含めてその物質を既に継続して摂取している人々はいて、特段の不具合はないようだ。気分がいい、病気にならない、物事に積極的に取り組める、などの効果を感じるとのことだが、これがブラセボ効果でなく、本当に人の健康寿命を延ばす原因になっているのかどうかはまだ実証できていないのが現状のようだ。

それらを踏まえて、現存する薬やサプリで老化を遅らせる効果が期待できるものとして以下のものが紹介されている。

①メトホルミン

これは、糖尿病の治療薬として広く使われている。先進国では糖尿病治療の目的でのみ処方箋を得て購入する薬ではあるが、タイでは、一般薬局で一粒数円でだれでも購入できる。著者はこれを毎日1グラム摂取している。

②レスペラトロール(サプリとして買える)

 酵母を長生きさせる(酵母の分裂回数は通常25回であるのが、34回まで伸びた)ことが分かった。赤ワインの中に入っている成分(ただし、毎日1000杯ぐらい飲む必要がある)。著者はこれを毎日1グラム摂取している(サプリは1錠で10ミリグラム)。

③NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド

これもサプリで買える。

著者はこれを毎日1グラム摂取している。

著者の毎日の摂取量は、サプリの錠剤数十錠に匹敵する量である。それなりに高価だし、同量飲むのはちょっと躊躇するかなあ。

それ以外にも、毎日83ミリグラムのアスピリンと、ビタミンD, K2の推奨量を摂取している。

生活習慣として著者が実践しているのは、

①砂糖、パン、パスタの摂取量を極力少なくする。デザートは食べない。

②一日2食にするなどして、水以外何も取らない時間を長くする。(夜8時に夕食を終えたら、朝を抜いて、12時に昼を取ると、16時間の断食をしていることになる。そういったストレスを体に与えることが効果がある)。

③運動する(ある程度の負荷は必要)。

④植物を多く接摂取し、哺乳類は食べないようにする。

⑤タバコは厳禁。

⑥プラスチック容器に入った食事(コンビニ食など)を電子レンジにかけて食べない(有害なPCBが溶け出す)。

BMIは23-25に維持する。

これらは実践してもいいだろう。

さて、次に筆者が提唱している「老化の情報理論」とそれに基づく「長寿遺伝子をオンにする」方法を見てみよう。キーワードはエピゲノムのアナログ情報のメンテナンスとそれを行うサーチュインタンパク質の働きを高めることである。

さて、遺伝子(DNA)は30億対の塩基対で出来ているが、この塩基対のすべてが発現して、タンパク質の設計情報(デジタル情報)として使われるわけではない。

DNAは3次元形状をしていて、ヒストンという球状のたんぱく質に巻き付いている。そして、ヒストンに強く巻き付いている場所のDNAは発現せず、ゆるんでいるところのDNAは発現する。これが遺伝子のスイッチの役割を果たしている。

そしてその巻きつき方は、サーチュインという遺伝子(長寿遺伝子)から生成されたサーチュイン・タンパク質(酵素)が、それが取りついたところのアセチル基をつけたり外したりすることでその場所の巻き付き方の強度を調整して、遺伝子のオンオフを制御している。

ゲノム(遺伝子全体)が(タンパク質を作るための)デジタルのデータ集だとすると、この遺伝子の巻き付き方の状況(エピゲノム)はソフトウェアのようなもので、そのゲノムのおかれた状況や環境の変化に対応して、ある意味アナログ的なゲノムの制御回路のように機能している。

そして、このサーチュイン(酵素)は、壊れたDNAの修復を役目としている。癌に代表されるように、病気は、DNAのコピーミスで、あるべきでない細胞や、本来の機能を果たせない細胞ができることで起こる。なので、サーチュイン(酵素)が、壊れたDNAの修復を完璧に行うことができれば、細胞は常にあるべき姿で生成され、病気にもならず、老化もしない。

つまり、サーチュインを元気に活動させることが老化しないための根幹である。そのためいはサーチュインにエサを与えなくてはならない。そのエサになるのが、NMNであり、レスペラトールであると、私は理解した。

メトホルミンは、メチル化の工程に関係し、サーチュインを活性化し、老化時計を遅れさせるようだ(被験例はすくないとのこと)。

また、老化とは、もう細胞の分裂が行えなくなった老化細胞が発生することでもある。なので、このゾンビ細胞を(薬物などで)きれいに取り除く、あるいは老化した情報を新規状態にリセットすることができれば、老化しない。

そういった研究もおこなわれていて、その分野では、山中伸弥氏が発見した、通常の(役割の決まった)細胞を(なんにでもなれる)幹細胞に戻す4つのリプログラミング遺伝子のうちの3つを使う研究も興味深く紹介されている。

さらに面白かったのは、著者は自分の「老化の情報理論」をシャノンの「通信路符号化定理」と同じように論じていることだ。

シャノンは誤りのないデジタル情報伝送のためには、バックアップデータを用意しておいて観測者が訂正データを訂正装置に送って元のデータを復元させる、誤り訂正機能を持たせればよいと言った。

このアナロジーで行くと、

情報源=両親から得た卵子精子

送信機=時間と空間を介してアナログ情報を伝送するエピゲノム

受信機=未来の自分の体、となる。

これら以外に、元データを記録する観測者と訂正データ、元データを復元する「訂正装置」が必要だけれど、このうちの「訂正措置」が見つかったと著者は考えている。

それが、山中伸弥氏の発見した、リプログラミング遺伝子で、それによって老化をリセットできると著者は考えている。

何だか、すごいな、という感じだ。時間を巻き戻してしまうということに見える。生物の中の時間の概念も深いなあ。

観測者って誰だろうと思うが、筆者は明記していないと思う。これを神として、神は訂正データを送らないので人は死ぬのが必定なのだ、永遠の命を得たのはあの方だけ、というのが宗教者の立場だろうな。

それにも関係すると思うが、著者の行っている、「老化しない=永遠に生きる=死がなくなる」ということを目的とした研究の実施自体が、宗教的、倫理的、社会経済学的な視点から反発を受けることも多いようだ。それに対する著者の超前向きな考え方も楽しく読めた。

皆が健康で長生きできれば、個別の病気に対する医療費は減る。なので、健康長寿社会では医療費の総額は下がると言う。なんてポジティブなんだろう。

そして、いつまでも働けることは素晴らしいことだと。高齢者が若者の活躍の機会を奪うなんて情けない議論は一切しないし、高齢になってやることがないなんてことはないと。社会貢献するのもいいし、趣味で人生を楽しんでも良い。

共同著者にサイエンスライターがいることもあって、章立てもスッキリしている。表現もクリアで、日本語訳もとても読みやすい。最先端の研究内容がとてもよく理解できる。変に初心者に寄り添わず、丁寧な用語集をつけた上で、一定レベルの専門用語で語っているところもよかった。お勧めです。

新型コロナワクチンの第一回目を大田区の集団接種会場で受けて思ったこと

6月22日に接種券が届いた。

説明書には60-64歳は7月7日から予約ができると書いてある。自宅近くの医院でゆっくり打つつもりだったけれど、その翌日に、FBの情報で、蒲田駅前の専門学校の会場(紙の会場リストには載っていないので、新設会場だろう)ならファイザーのワクチンを即日予約できることを知った。実際にHPから入ってみると、予約枠はどこもガラガラに空いていて、何のストレスもなく簡単に2回分の接種の予約が取れた。

第1回接種は、6月28日14時30分の枠を取った。

30分単位で枠どりしているので、運営上、予約時間の30分前より早くいくのは適切でない。入場は2時30分少し前でいいだろうと思いつつも、2時7分に到着してしまった。

入り口を入ると、2時30分枠で、もう約30人が先着している。

「へー、思ったより出足が早いなあ」と思いつつ、待っているだけではつまらないので、会場のオペレーションの基本設計を推定してみる。

その推定結果は

①30分で50人の接種をする。

②30分枠で60席の待合席を、2か所用意している。(余剰席は、たまに見かける付き添いの人の席と、バッファ分だな)

③2時7分の時点では、奥の60席が2時の枠で、進行中。手前の60席が2時半の待機枠。

④着席時に渡されるバインダーに、予約券と、記入済の予診票、身分証明書を挟んでおく。

⑤2時15分頃から、到着順に検温と書類チェックが始まる。担当者4人で行われる。

⑥2時20分頃から、3時枠のお客様がぽつぽつやって来る。外で待てともいえず、バッファ分の席に案内して何とか凌いだり、一部を2時の枠の席に案内している(この辺の対応が顧客満足に関係する)。

⑦2時20分から接種会場へ到着順での案内開始。私の案内は2時28分だった。

⑧書類確認後(バーコードチェック)問診ブースに案内され、問診。ブースの数は7つだったかなあ。

➈接種ブース(これも7つだったかなあ)に案内され、2時38分に接種完了。痛くはないが、結構奥まで針が入るなあ、という印象だった。

⓾医師が接種したワクチンの型名と有効期限、ロットを示すシールを予防接種済証(臨時)に貼付し、日付を記入する。そして予診票にサインをする。それとは別に、チェックポイントでバーコードチェックをする。

⑪7人の医師が30分で50人に接種するためには、一人の医師が30分で7-8人、つまり約4分に1回接種するのが基本になる。接種担当医師の時給は1万5千円とか言われているが、そうなら1回1000円というところかな。まあ、妥当なんだろう。医師は接種だけを行なえるように、問診ブースを別に仕立ててパイプライン化している。問診は時給の安い保健師が担当するならばそれも妥当なことだ。

⑩チェックポイントで14:55と手書きされたタグを予診票に貼付される。待機室に案内され、15分の接種後待機を指示される。向い側のブースには何かの事情で30分待機を指示された人々が少数いる。4人程度の担当者がタグに書かれた時間を見ながら、最終チェック所へ時間順に案内する。

私が案内を受けたのは15:05分。予定より10分遅れ。

⑪最終チェックブースで、チェックを受け、バーコード管理、予防接種済証(臨時)に接種会場の判を押してもらって、次回用の問診票を受け取る。これでおしまい。

⑫全体としてのボトルネック工程は2人で行っている最終チェックブースかな。そのために15分の接種後待機所が遅延で溢れそうな感じがあったが、最終チェックブースの前に待合席を3つ設けてバッファリングしていた。これは最終ブースを3人に増やすより適切。接種後待機時間が多少伸びてもたいして問題ではないので。

接種工程に入ってから、立って待つこともなく、40分で完了するなら、まあ、妥当なオペレーションだなあとの印象だ。

さて、私の体調。

接種直後は、気分は悪くはないが、ちょっと眠いかなあ。あまりシビアなことはやりたくないなあ。今日はぼんやり自宅でネトフリ族になるか、という感じ。

接種後4時間経った時に、試しに手を上にあげてみたら、接種部にちょっと凝ったような痛みが来るのに気が付いた。

医師にも言われたので、風呂はシャワー程度にした。飲酒は何も言われなかったが、あえて飲むこともないという事で、久しぶりの休肝日にした。

翌朝起きても、おんなじ感じ。熱は平熱。腕は押せば痛いのはそのまま。手を変に動かさなければ痛くはない。だるくはないけれど、気分的にはあまり外に行きたくはなくて、家でブログでも書くか、という感じだな。

2回目接種は3週間後。オリンピック開始前に間に合う。2回目は人によっては発熱など副反応が重いという経験談も聞いているので、ちょっと用心しようかな。

追記:接種後48時間で腕の接種部の痛みは消滅した。

 

パリで出会った川瀬巴水。平塚の川瀬巴水展でやっと本物を見て、いたく心に沁みたというお話。

川瀬巴水のことを初めて知ったのは、3年前(2018年)にパリを観光旅行して、パサージュ巡りをしていた時のことだ。

とある本屋に立ちよって、ジャポニズム関係のものがいっぱいあるなあ、と棚を眺めていると、

「あれ、このKAWASEって人、あなたの親戚なの」

とパサージュを案内してくれていた人が言う。

「えっ、」と思って振り返ると、彼の示していたものは、川瀬巴水の「錦帯橋の春宵」の版画のコピーだった。

「親戚ってことはないと思うけど、パリで同姓の画家に出会うとは何かの縁ですね。思い出として買おうかな。」と言って、購入したのが川瀬巴水との出会い。

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自宅に帰ると、早速ポスター用の額縁をアマゾンで買って、版画のコピーを中に入れて、机に置いた。

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「来春に、錦帯橋の桜を見に岩国まで行こうか」などと話しながら、川瀬巴水ってどんな作品や経歴なんだろうとググってみた。すると、晩年は大田区中央に住んでいて、そこが終の棲家になったとあるではないか。大田区中央は、今住んでいるところのとなりの町で、よく散歩で通るところだ。そして、巴水が亡くなった年は私が生まれた年だ。

自宅のある地域は、昭和初期に尾崎士郎室生犀星などが住んでいたいたということで、「馬込文士村」と言われ、駅前の天祖神社の横には馬込文士たちのレリーフがある。

それをよく見ると、川瀬巴水レリーフがあるではないか(これを見ていると、なんだか祖父の顔を思い出す)。

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おお、やっぱり縁を感じるなあ、ということで俄然川瀬巴水に興味が湧いてきた。

そうこうしていると、確か新聞の書評欄で、ちょっとユニークな川瀬巴水の画集がでたことを知った。川瀬巴水の大ファンである、林望(「イギリスはおいしい」など、さんざん笑わせてもらったなあ)がそれぞれの画に絡んだ思い出話などを書き、それの英訳まで併記されている。英訳があるのは、川瀬巴水はスティーブン・ジョブズが愛蔵するなど、むしろ海外で人気があることを考えてのことかもしれない。

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迷わず買ったが、どういう訳かパラパラと見る程度で、林望のコメントも英訳もあまり読まないまま、書棚に置かれている状態になっていた。

さて、今月になって、フェイスブックか何かで、平塚市美術館で「川瀬巴水展」が開かれるのを知った。平塚市に「荒井寿一」という実業家がいて、その方の川瀬巴水コレクション一挙公開という事の様だ。平塚と言えば、昔、藤沢に住んでいたこともあるので近所の感覚があり、藤沢に合唱の練習で行くついでに平塚まで足を伸ばして見にいくことにした。ここにも若干の縁を感じるところだ。

さて、川瀬巴水展。やはり、本物を見るからこそ伝わってくるものがある。

ほぼ年代順に、作品が並んでいるのだが、(当時の朝鮮を含む)全国を行脚して(別府から奥入瀬まで)、名所だけでなく、各地のさりげない風景を写実的に版画にしている。

特に、夕暮れ時や月夜の風景など、暗がりの中でのグラデーション表現に圧倒される(本物を見ないと多分わからない)。さらに、雨や雪の降る様子や、水面に映った揺らぐ映像など、静止画なのに、静逸さの無音を含む音や、動きが感じられるところが凄い。

さらに、とても正確な遠近法が建物の存在感を際立たせている。

暗がりを濃い青系の色のグラデーションで表現するのだが、ちょっと突飛な連想だが、ピカソの青の時代を思い出したりした。

しかも、画題が昭和初期の風景で、ああ、これが母親たちが見ていた風景なんだなあ、と自分の一世代前の時代に対する憧憬のようなものが湧いてくる。(なるほど、林望が文を書いた画集の題が、Nostalgiaである意味がやっと実感できた)。

そのグラデーション表現の真骨頂の一つが、今の自宅の近くを描いた「大森海岸」だ。

川瀬巴水の描く日本情緒 雨降る大森海岸の夕景

これは私の母親が生まれた昭和5年の作。母親はこんな木造家屋で、暗い夜を過ごしていたんだと(母親は大森生まれではないけれど)しみじみしてしまう。

それにしても、家の中の少ない灯火が川面に映って揺らいでいる表現の素晴らしいことよ(この画は画集にも載っていて、林望の解説によれば、この川は蒲田近辺を流れている呑川らしい)。

錦帯橋の春宵」昭和22(1947)年 36.4x26.2 も展示されていた。自宅のコピー画では桜のピンクが強調されて見えるのだけれど、本物はまるで色調が違う。確かに春宵の画だ。桜の色は抑え気味で、宵の口の暗い青の色調表現がすばらしい。自宅のコピーでは「錦帯橋の桜」の画になってしまう。

他にも濃青のグラデーション表現の画が沢山鑑賞できた。

版画の技法は全く詳しくないが、そもそも版画でどうやったらグラデーションが表現できるのかが私にはわからない。

巴水はいわゆる絵師で、巴水の絵を版木に起こす彫師とそれを使って版画を摺る摺師がいたそうだ。

摺師によって当然色調は変わるだろうという事で、展示会では「馬入川」の色調の違う2作品が展示されていた。これは摺師の違いを味わおうと言う事なのかな(展示会の一部の作品は撮影可になっていた)。

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    東海道風景選集「馬入川」 昭和6(1931)年  24.2x36.5

馬入は、国道1号線が相模川を渡るあたりのことで、藤沢に住んでいたころによく馬入橋を車で通ったものだ。90年前の、橋もなく、富士山がくっきり見える風景にしみじみ見入ってしまう。

全体的に、夕暮れ時や月夜の風景の画が多いので、暗い青の色調のものが多いのだけれど、赤を使ったものもある。

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鶴が岡八幡宮 昭和6(1931)年 49.0x32.7

「鶴が岡八幡宮」。ここも何度も言っているところで、その写実性に圧倒されるのだけれど、赤がほぼ単色で塗られていると、何だかイラスト画のように見えてしまう。

晩年の傑作として紹介されていた「増上寺の雪」も当然赤い。赤に目が奪われるものの、積もった雪のしっとりとした質感、降っている雪(結構激しそうだ)の動きから、寒々とした感じが伝わってくる。屋根の下や、木々の奥の陰影表現に見入ってしまう。

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増上寺の雪 昭和28(1953)年 33.7x43.9

市電待ちをしている人々の部分を拡大すると、今風のイラスト画のようだ、と勝手に思う。

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増上寺の雪」 部分拡大

顔の陰影は、版画ではつけづらいのか、川瀬巴水展でも木版での人物画は歌舞伎役者(松本幸四郎)しかなかった。

一方で、ポスターや雑誌の表紙や挿絵として、歌舞伎役者(中村歌右衛門坂東三津五郎など)や落語家(柳家小さん古今亭志ん生など)の顔を描いた作品が数多く展示されていた。

 川瀬巴水展。本物を見て巴水の画の神髄を感じることができた。

ああ、最終日に行ったのが残念だったなあ。何度でも見たい。どこかでまたやってくれないかな。地元大田区にも川瀬巴水関連の展示物がいろいろありそうなので調べてみよう。

 

このブルームバーグの記事を読んで、DeFiの世界での暗号資産の取引は、イーサリウムのセカンドレイヤーで金融技術を駆使したスマートコントラクトを使って異次元的に凄いことをやっているのに驚いたというお話。

金融のプロであるFBの友人が、下記のブルームバーグの記事をFBで紹介してくれた。

www.bloombergquint.com

それを見た私は、タイトルから内容を推測して、甘いコメントをしたところ、その友人は、私が読み取れなかったこの記事の核心部分に気づかせてくれる、丁寧なコメントを返してくれた。

そこで目の覚めた私は、この記事を全部和訳をしながら、イーサリウムや金融の言葉の意味を調べつつ、内容を理解し、なんだか凄いことになっているなあと思った。そのことを書いてみたい。

暗号資産の取引は、一般には、コインべースのような販売所(日本ではビットフライヤーが大手かな、そのイメージはビットコインを円で売り買いするようなこと)で行われていると思うのが普通だろう。

ところが、最近では、DeFi (Destributed Finance)と言われる世界(Crypto World)があって、コンピュータのプログラム(正確には、イーサリウムの中に書き込まれたスマートコントラクト)が仮想通貨間の取引(例えばビットコインをイーサリウムに換えるなど。ビットコインを直接ドルのような法定通貨に換えるのはないんだと思う(未確認))を行っている。これが驚きの一つ目。

そして、そのDeFiの中では流動性のプールと言われるしくみがあって、暗号資産を、いわば、暗号資産間の取引に使える仮想コイン(トークン)に換えることができる(流動性=現金のようなもの)。

これは天才的だ。以前、「ビットコインは暗号通貨か暗号資産か」という議論があったけれど、通貨への換金性が低いと見れば資産だ。そういったビットコインのような暗号資産は有象無象を含めて山ほどあるが、その間の取引に使える仮想通貨(ビットコインはもともとこう呼ばれた)を流動性のプール(このプールという言葉が絶妙)という形で発明している。これには参った。

これがないと、ビットコインとイーサリウムを現物の物々交換で取引するような感じになってしまうので、値段や量の折り合いがつかず取引できない事態にもなり得るが、一旦それぞれを流動性トークン(仮想通貨が買える現金のようなもの)に換えてしまえばそれがない。なので一気に仮想資産の売買が(DeFiという世界の中では)やり易くなる。

さらに驚くのは、こういった仮想通貨(流動性のプールのトークン)にドルで売り買いできる値段までついている。

仮想通貨Compound(コンパウンド)とは?DeFiの始め方や仕組みを解説 | InvestNavi(インヴェストナビ)

この記事ではCOMPという仮想通貨(流動性トークン)は2020年9月で272ドルだと言っている。

これにはびっくりだ。デジタルデータの媒介パラメータに現物値段がついている。人の欲望はとどまることを知らないという事か。確かに暗号資産に現物値段があるのであればそれを媒介するデータにも値段があってもいい。

さらに、DeFiでは、自分の暗号資産を貸し出してその金利を取ったり、または自分の暗号資産を質に入れて、現金化(流動性プールのコインを手に入れる)こともできる。

これはDeFiの世界に、一般金融で使われるスワップやレポ(Repurchase)の技術が導入されていることを意味する。つまり、金融の技術と暗号資産の技術(ブロックチェーン)の両方を巧みに操つる数理のエリートがDeFiの世界を跋扈している。これは脅威だ。

でも、DeFiを誰かが管理しているとは言わない。管理者がいないのがDistributed Financeの本質だから。あるのはコードとしてのスマートコントラクト。ここで定義されたとおりに Crypto WorldのFinanceが執行されてる。

これは神の見える手だ。スマートコントラクトのコードは誰でも見ることができる。これがオープンなブロックチェーンの世界だ。

さらに、驚いたのは、こういった取引の規則を書き込んだスマートコントラクトをイーサリウムのセカンドレイヤーで行っている。

これには参った。金融の本質である共通時間の支配を逃れ、自分たちの時間軸を創り出している。これは実はトンデモないことなんじゃないかと思う。

私は、金融の本質は時間を金で買う事だと思っている。2000万円貯金出来たら家を買おうとするのであれば、家を手に入れるのは20年後かもしれない。ところが2000万円をローンで借りれば、その日にでも家を手に入れることができる。20年という時間を前に倒して、幸せを早く手に入れるのが金融の力。時間を前に倒す力の利用料として金利を払う。何と美しい話だろう。

ブロックチェーン技術の難点の一つは、ひとつのブロックに書き込めるデータの上限が決まっていること。

例えば、ビットコインの例で行くと、10分に一回、1MB分のブロックしか追加できない。1件の取引を記述するデータ量が、仮に500バイトだとすると、10分間で2000件、1分で200件の取引しか決済できない。これでは、セブイレブンが日本中の全店舗でビットコインの支払いだけを受け付けるようにしたら、ブロックに書き込めない支払いが溢れてビットコインは事実上決済の手段として使えなくなる。

これを防ぐ技術が(イーサリウムの)セカンドレイヤー技術だ。

https://bitcoin.dmm.com/column/0193

メインのブロックチェーンとは切り離されたところで特定のデータ交換の一群を処理しておいて、その結果だけをメインのブロックに書き込むようなことだ。例えば、日米間の送金が100本あったとすると、それを直接メインのブロックに100個書くのではなく、その100本を束ねて入出金を相殺した1本の結果だけをメインに書くような事かな。

DeFiの世界では、このセカンドレイヤーの技術を提供しているのはポリゴンテクノロジー社だそうだ。

これで何ができるかというと、例えば、2021年5月19日の水曜日に起きた、暗号資産(ビットコイン)の大暴落のような時に、通常の暗号資産交換所は、売りと買いの希望値段と量があわないと売買が成り立たず、売買不成立で時間が無駄に過ぎたり、売り注文の件数が爆発的に増えてシステムが追いつかなくなったり、自分が希望する時間内に希望値段で売買することができない。

これが、DeFi(スマートコントラクト)であれば、以下のような妄想が湧く。

例えば、ビットコインがひどく暴落している時でも、あらかじめビットコインがいくらになったら流動性コインに換える、としておけば、BTCの相場の急落の影響は緩和できる。そして、価格が暴落していない別の暗号資産をアルゴリズムで選んで、その暗号資産を、その流動性コインを使って、何日以内に買うとしておいてもいいだろう。この売買をセカンドレイヤーで行えれば、リアルタイムで相場がどうのこうのという事と切り離してスマートコントラクトがあらかじめ決めた規則で値決めして、納得づくの売買ができるかもしれない。

これはあくまで妄想なんだけど、セカンドレイヤーのスマートコントラクトで(いわゆる相場とは切り離れて、かつ内部の流動性プールや最新金融技術を使って)独自の時間軸で独自の値決めの仕組みで動作するスマートコントラクトが作り込めるのであれば、世界は変わるなあと思うのです。

ビットコインがドル換算値段で今いくらだ、買っておくと値が上がって儲かるかな、なんて視点で暗号資産を見るのではなくて、デジタルな世界で数字で表現されたものがどのような仕組みで安全に交換され、その結果が保存されるのかという視点と、その安全に保存されるデータが、なぜ通貨換算で価値をもつ(ビットコインにドルの値段が付く)のかを冷静に弁別してみること。そして、DeFiの世界に最新の金融技術が持ち込まれ、デジタルな資産の流動化と交換に関して異次元の進化が起きているかもしれないことには注目していく必要があるだろう。