ビジネスと人生の「見え方」が一変する、生命科学的思考、迷いなく生きるための生命講義 を読んでみた。

ビジネスと人生の「見え方」が一変する、生命科学的思考、迷いなく生きるための生命講義 を読んでみた。

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著者の高橋祥子氏は、京大を卒業してから、東大の院で生命科学を専攻し、博士課程在籍中に、個人向けにゲノム解析サービスを提供するベンチャーを起業した方。

やたら長いタイトルのなかの、「生命科学的思考」という言葉に惹かれ、そういうものがあるのであれば、知りたいと思って、中身も見ずにアマゾンでポチって読んだ。

読後感としては、「なるほど、生命科学とはそういうモノの見方をするのか」という気づきはいくつかはあるものの、主な内容は、氏が個人生活や企業経営において困難にぶち当たった時に、氏が言うところの、生命科学的な視点から自分の判断や行動を決めていったことの経験を語っているもので、主に20代、30代の若者に向けて、アドバイス的なコメントを綴ったものと思えた。

その意味では、迷いながらも自らの道を切り拓こうとしている人々には一定の価値を提供していると言える。いかにもNewsPicksらしい本ではある。

本書で印象に残った文言を振り返りつつ、いくつかコメントしてみたい。

まず、氏のいうところの生命科学的な思考とはなんなのか。

何度も出てくる言葉は、

「生命原則を客観的に理解した上で主観を活かす思考法」を身につけるということ。

そして覚悟から生まれる情熱をもって個人の幸せを追求するともに、種全体の繁栄をも考えた行動(地球環境保護など)をとるという事。

ここで言う生命原則とは、「個体として生き残り、種が繁栄するために行動する」事。

また、遺伝子に抗って思考し、行動し続けるという非効率的な行為こそが人類にとっての唯一の希望であると述べている。(ドーキンスの「利己的な遺伝子」の主張と同じ)

死があるのは、世代として新陳代謝することで種の繁栄につなげる意味があるともいえる。

我々が感情を持っているのは、その方が生命の生存戦略上有利だからだと考えられている。感情があることで、個でなく、集団で過ごすようになって、そっちの方が種の生存の面で有利になるから。

RBFOX1という遺伝子が、怒りや攻撃的行動に関係するという仮説がある(感情は遺伝子に起因するという仮説)。

視野というのはモノを見る範囲と、その時間軸の長さの事。それを主体的に設定できる能力を身につけると自由になれる。

生命原則では、個として生き残る(狭く短い)視野と、種が繁栄する(広くて長い)視野の両方がある。これらの間をうまく調整することが大切。年齢を重ねるにつれて後者の視野を持つことが増えてくる。小さい視野だけでは思考停止になって生きづらくなる。

生命には複数の時間軸が組み込まれている。

DNAは2重螺旋で固定され、不変であるが(長期時間)、RNA(の量など)は時によって変わる(短期時間)。これはRNAが環境変化に適応する手段であるから(RNAは一本鎖で不安定だから変われる)。

がんはDNAのコピーミスだけれど、それがあることで進化の可能性が担保されている面もある。

生命はまだ見ぬ未来への進化のためのセレンディピティ(想定外の発見)を求めて、DNAのコピーミスという不安定性を、個体が死ぬかもしれないリスクをとりながらも、種の保存のために命をかかて担保しているともいえる。

情熱は未来差分を意識し、それ向かって行動する初速から生まれる。

覚悟を決めると生きやすくなる。それは目指すものを決めると葛藤しなくなるから。

何かが変化する時に私たちは時間を感じる。

快楽と幸福は違う。その大きな違いはそれらがもつ時間軸にある。

快楽は気持ちよく楽しいことで、身体的・本能的な満足感のことで、ドーパミンの放出のような一時的な生体反応の事。

幸福は過去から現在、未来に至る長い時間の中で形成されるもの。

快楽は個人の生命活動の変化で、幸福は個人の行動の変化で感じるもの。

幸福は理性によって人間の潜在能力を開花させることで実現できる(アリストテレス)。

 企業経営を生命科学的視点でみると、

フレデリック・ラル―氏のティール組織(著作「Reinventing Organization」)のように、組織をひとつの生命体のようにとらえる。

企業理念や企業文化という(あまり変わらない)同質性(種が同じという事だな)を前提としてその上に多様性を作る。

単に差異を重視してバラバラなものを集めても意味がない。

コメント:種が同じとは、その間で子孫が作れるという事である、と何かの本で読んだことがある。確かに、相互的に何かを生み出すことのない違ったものを集めても、なにも生まれないよなあ。

多様性の尊重と、同質性のない相対主義を混同してはならない(マルクス・ガブリエル)

ただ単に異なるものが存在する状態を肯定も否定もしない相対主義は、思考停止の産物であり、意志ある同質性を前提とした多様性とは似て非なるもの。

短期的視点で(営業)利益を上げることと、変化するための中長期的視点での(研究開発)行動という複数の時間軸をもって企業を経営する(個人の生活でもそうだな)。中長期の視点では失敗を許容することで変化の多様性が生まれる。

種全体は、その多様性の中から、環境変化に適合するものが生き残る形で、種として生き延びていく。企業も生き延びるためにはそれと同じ多様性を中にもつ必要がある。

生命=動的平衡、でもある。

同じ事象を見ているのに、自分と他人が違う行動をとるのは、それぞれが見ている時間軸がずれているから。共同作業はメンバーの視点の時間軸を合わせる(今日はこれをやろう、ではなく、1か月後にこれを成しているためには、今日はこれを優先してやるべきだという視点を合わせる)とうまくいく。

企業には複数の時間が流れている。DXがうまくいかないのはこれが原因。技術の導入にかかる時間と、組織体制を変えるのに必要な時間は異なる。

客観的な情報を集めれば未来が見えると思うのは間違い。未来を見通せないからこそ(生物のように)多様性を維持するのだと考えるべき。

最後は主観的な判断で突き進む。吉田松陰の「諸君、狂いたまえ」がこれに当たる。

学術研究は論理の積み重ねで行い、主観を廃する。一方、事業は多くの人を巻き込む必要があり、ストーリー、即ち、私はこうしたいと言う経営者の主観的な意志(起業におけるミッション)が求められる。

利己的な遺伝子」という名著を書いた、リチャード・ドーキンスは「私たちには、これらの創造主(遺伝子)に歯向かう力がある。この地上で、唯一私たちだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ」と刺激的な名言を述べている。

そのためには、意識して思考し、行動することが必要不可欠である。

何もしなければ、エントロピー増大則により、あらゆるものは秩序を失う方向に進む。

量子物理学者であるシュレーディンガーは、その著書「生命とは何か」で、「生命は生きるために負のエントロピーを環境から絶えず摂取している」と言っている。

サルトルは「実存が本質に先立つ。どんなことも自分の行動によって意味が変わる。主体に基づけば我々は常に自由である。」と主観によって行動し、意味を見出すと言う、実存主義を語っている。

その後、2度の戦争や、社会の混乱に対し、個人の主観だけではどうしようもない、社会の構造を変えようという、構造主義が起こったが、客観的に構造を捉える構造主義だけでもうまくいかない。

「生命原則を客観的に理解した上で、主観(=意志)に基づいて思考し、行動する」というドーキンス的な生き方が必要。

最後にまとめると、「ああ、ドーキンスを読もう」になるのかな。