三島由紀夫vs東大全共闘の映画を見て思ったこと。

三島由紀夫。高校生の頃、「おれは三島と谷崎が好きだ。」と嘯いていた割にはその本質はわかっていなかったような気がする。

大学生の時に、豊穣の海を読んだけれど、「暁の寺」以降は難解で、理解できなかったことだけを覚えている。

一つ思ったのは、「ああ、これは輪廻転生の物語か。三島は時間をそういうものとして認識しているんだ。」という事。

最近、散歩で足を延ばして、三島由紀夫が最後に住んでいた家の前を通ったりするのだけれど、まだ「三島由紀夫」表札のある洋館の前はいつも静逸で、なにか時間が止まっているように感じる。そのたびに、「ああ、三島はここで「天人五衰」を書き上げて、市ヶ谷に向かったんだな。豊穣の海をもう一度読まなきゃ。」と思う。あの事件からもう50年もう経ったんだな。

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三島由紀夫vs東大全共闘」の映画。一旦新コロナ騒ぎで中断したが、やっと見ることができた。

印象に残ったことは2つ。「時間」と「天皇」を巡る議論。

東大全共闘の理論派のリーダーと言われる芥氏が「我々の目的は解放区を作り(安田講堂の占拠がその一例)、空間を制覇することで、時間をなくすこと。三島氏は日本に流れる時間に捕らわれていて、それだけで敗退している。」というような感じで挑発すると、

三島は「それでいいと思っている。私は日本人として生まれて日本人として死ぬ。それでいい。」と切り返す。

ここから、三島の発言は日本人であるという事と天皇が重なって来る。三島は天皇は日本の根底を支えているという。「日本は天皇の元でずっと国が続き、時間が流れてきた。そういう国は他にない。」という。

私は、この、「天皇が日本人の根底を下から支えている」ということばに深く思いをいたしてしまった。

天皇は国民の上に君臨しているのではない。国民の根底にあるのだと。

例えば、フランスの王様は、人民を支配していて、国民が食べるパンもないのに、自分たちはケーキなどを楽しんでいた。そういった王様は人民の敵なので、人民によってギロチンにかかってしまった。王室が途絶えても、新しいフランスが出来上がるだけのことで、何かフランスの大事なものがなくなった訳ではなかったんだろうと思う。

日本の場合、天皇は日本人の心の深いところにあって、天皇のいない日本という国はちょっと想像できない、というのが大抵の日本人の気持ちであろう。

この映画のハイライトは、三島が東大全共闘の連中に対して、「もし、諸君が天皇と言う言葉を発したならば、私は迷うことなく君たちの中に入っていっただろう。」と発言したところだと思う。

これに対し、全共闘の連中は冷ややかで、恐らく「自分たちが打倒したい体制の中にある天皇を認める訳なんかないだろう。」と思いこんでいたのだと思う。

しかし、私は、三島は、全共闘の連中が天皇を思う事の重要性に気が付くことで、その思想と行動が首尾一貫すると思っていたのではないかと想像するところがある。だからこそ、この討論を受けて立つ気持ちになったんではなかろうか。

なぜ、そんなことを思うかと言うと、映画の中で、あるコメンテーターが、「全共闘の根っこは60年安保にあるのです。その根底の思想は反米愛国なんですよ。」と言ったことにある。

あれ、そうなんだ。それって昔の尊王攘夷じゃないか。攘夷というか暴力だけでは単なるテロで、思想性がないがゆえに世の中を変える力にならない。世の中を変える力になったのは、尊王という思想があったからだと。三島はそういうことを言いたかったんだと妙に納得してしまう。

天皇という日本の精神を基軸にした自律した日本を取り戻す」という思想の重要性を全共闘が認識すれば、連中の行動は一本の筋が通り、三島は合流できると思っていたのではないだろうか。本当はそういう説得をしたくて、この討論を受けて立ったのではないかと想像してしまう。

ところが、映画を見る限り、三島は全共闘とのディベートを楽しみ過ぎてそのことを忘れてしまったんではないかと思えた。

三島は、「右でも左でも暴力を否定したことは一度もない。」と発言している。全共闘の連中も、芥氏の言うように、「時間の概念(ここは過去の歴史という事か)に縛られない解放区を作る。そのために既存勢力を打倒するための暴力を使う。」と、暴力を肯定しているわけだ。

しかし、暴力を使って解放区を作ったとして、それから全共闘は何を実現したかったのかが皆目わからない。そしてその解放区は東大の中だけでいいのか、東京の一部までなのか、はたまた日本全国なのかもわからない。

共産主義社会の実現を目指していたかと言うとそうではないだろう。コミンテルン日本共産党配下の民青は彼らの敵だったわけだし。芥氏はトロッキストと言って誰かを罵倒するが、トロッキストって誰の事を言っているのかわからない。暴力系新左翼のことなのか。じゃあ、解放区を作った後、どういう社会にしたいのか言って欲しいよな、と思った。

ゴールもなくただ現状否定で暴れているだけでは、全共闘は、人数だけはやたら多かった団塊の世代の、若気の至りのヤンチャな行為だったなあ。で終わってしまう。

実際には凡そそうなったとしか私には思えない(一部の過激化したグループのことは考えない)。

全共闘の闘士も、髪を切って就職面接に行ったり(流行歌にもなったな)、企業への就職は信条としてできないと思った連中は大学院に残って学問に情熱を注ぎ、その後何人も東大教授になっている。そういう面では東大も懐が深い。古き良き時代でしたね。

一方で、三島の言う、日本の根底を成している天皇のことを考えてみたくなった。

天皇は、万葉の時代から、人民の生活を気にかけておられたことが、この有名な舒明天皇の歌からもわかる。

大和には 群山あれど

とりよろふ 天の香具山

登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ

海原は かまめ立ち立つ

うまし国そ あきづ島 大和の国は

出雲に降り立った神々が、聖は出雲、俗は大和と定めてから、飛鳥、奈良の時代を超えて、天皇が俗な政治と関わってくるのは、江戸末期の尊王攘夷から明治、昭和20年までだろう。それとて、天皇家自らが望んでおられたことなのかどうかは私にはわからない。

日本の歴史を振り返ると、天皇家は続いてきたわけだけれど、ずっと政治権力の中枢にあって国民を支配してきたという訳ではない。平安末期から武家が政治の実態を支配するようになったけれど、天皇家は政治権力とは離れたところでずっと続いてきた。武家天皇家があることは当たり前のことだと考えていたのだと思う。

大河ドラマレベルの理解で行くと、慶喜大政奉還した時点で政治の執行権の名目は朝廷に戻った。

執行権を失った徳川家はどうしたかったのか。名目的な天皇の治世の元で、大名のトップであればいいと慶喜は思ったのかもしれない。一方の薩長土佐でも、山内容堂などは次の征夷大将軍は俺だ、などと思っていたかもしれない。

そういうアンシャンレジーム内での役員変更のようなことでは満足できない薩長の下級武士たちが(背後で支援するグラバーなど、イギリスやその他の勢力の思惑もあったろうが)、下級公家の岩倉具視とつるんで、徳川(フランスが支援)をなきものにしようとして、日本は内戦状態になった(戊辰戦争。先に薩摩を討とうとした慶喜も軽率だったが、徳川を支援するフランスの悪だくみもあったのかもしれない)。

そこで薩長側の岩倉具視が官軍の旗(のデザイン)をでっちあげ(大河ドラマの演出か?)、その威光「この旗に弓弾くは朝敵ぞ」でもって実勢を獲得して江戸城無血開城に至り、徳川の権勢は潰えた。ここで、天皇は統治の正統性を示す権威として使われたと言える。

この結果迎えた明治の時代は大政復古の朝廷政治になったのか、というとそうではなく、薩長がもともとの「尊王攘夷」は棚上げして、藩閥政治の元、文明開化と富国強兵に突き進む。

その明治の時代にあって、天皇大日本帝国憲法により君主としての位置付けがされてしまった。明治の時代にあって、天皇は君主=国王であったのだろうか。

国王は(権力闘争や武力を使って)「なったもの」であり、国民の上に君臨するけれど(たとえば大英帝国の国王)、天皇家は「最初から天皇家であり、ずっと天皇家である」。この二つは全く違う。これは別の言い方をすると「天皇家は日本という時間を作っている(その象徴が年号)。」という事ではないのか。これが三島の言いたかったことなのか、と今やっと気づく。

日本の国体を当時のドイツのような諸侯分裂をやっとの思いで取りまとめたような国の姿になぞらえること自体がおかしかったのではないかと思えてくる。

国王はしょせん人であり、人が人を治めるために、その上に立つ人は何らかの根拠というか、人を納得させるものが必要になる。

そのために、王権神授説のようなものが発明されて、西洋世界は俗なる王権とカトリックの聖なる権威を抱き合わせることで社会の構造が出来上がったと言える。

それをうまくやったのが、イギリス国教会を作った大英帝国。だからイギリスは世界に君臨できた。

それに対し、欧州は、神と人の間を仲介する権威を持つカトリック教会が腐敗した(免罪符など)ことに対して、人は教会の助けを借りずとも神と直接つながれるとする新教が起き、カトリックとつながっている国王を認めない共和的な動き(フランスの1800年代前半)と相まって聖と俗がごちゃごちゃになった大混乱の時代が続いた。

このような俗な権威付けを巡る争いを超越して、「天皇が時間として存在しているのが日本という国だ。」ということを言い切った三島はやっぱりすごいと思う。

「豊穣の海」で輪廻転生の世界を書き切った三島が、天皇の時間が流れる日本を取り戻すことを考えていた。そのことに気が付いただけでもこの映画を見た価値があった。

 

三島由紀夫 ♯全共闘 

新型コロナウイルスは無症状の人から感染することがあるのかどうかに関するWHOのコメントを巡るゴタゴタを見て思ったこと。

新型コロナウイルスの一番厄介な点は、無症状の保菌者から感染すると言われていること。これが事実だとすると、感染していても症状のない孫が、加齢や既往症のせいで免疫力の下がった祖父母に感染させ、重篤化させることが起き得るので、老人を守らんがために若者の行動を規制する必要がでてきてしまう。
ところが、WHOの Dr. Maria Van Kerkhove氏(氏のタイトルはTechnical Lead COVID-19, WHO Health Emergencies Progrmme)が、症状のない人が感染させることは極めてまれなことだ。そういう報告は上がっているし、シンガポールからはそれに関する論文も出ているとプレスに対して話した。それをCNBCがその発言の動画入りで記事にしている。(6月9日にこの記事に気づいた)
これが事実だすれば、CNBCも言っているが、ソーシャルディスタンスは必要なくなり、(インフルエンザと同じように)症状のある人だけを隔離治療すればよくなる。
この影響は計り知れないほど大きい。場合によるとソーシャルディスタンスの実行を要請され、休業、廃業に至った飲食業界などから政府が損害賠償の訴訟を起こされることもあり得る。
「ふーん、WHOも思い切った発言をしたなあ。大丈夫かなあ。Kerkhove氏はどういう立場でどういう人々に話したんだろう。」とCNBCにある映像を眺めて思った。シンガポールから論文が出ていると言っているし、根拠がありそうなことを言っているけど、あまり周りに広めないで様子を見ることにした。
そして、翌日の6月10日の朝、BSニュースをぼんやり聞いていたら、
「WHOは新コロナウイルスの40%は無症状者から感染しているという見方を発表した。」と聞こえた。
「えっ、どういうこと? 昨日のCNBCとまるで逆のことを言っている!」ので、ググってみると、こんな記事が出て来た。
正確に読むと、
The World Health Organization says studies suggest that about 40 percent of coronavirus infections are caused by people who carry the virus but show no symptoms.
なので、ある研究はそういことを言っているという事で、WHOとして無症状感染を断定している論調ではない。
また、
Ryan noted that clusters of cases were found at gyms and karaoke clubs in Japan.(Ryan氏はKerkhove氏の上司)
と言っていて、日本での無症状感染を示唆している(ビデオ映像あり)。
 CNBCを再度見ると、確かに、最初のコメントを後退させる会見をしたことが別の記事になっている。そして、NHKはこの2回目の会見を記事にしていることが分かった。
ここでは、
Some models developed by other scientists suggest as much as 40% of global transmission may be due to asymptomatic individuals, she said, clarifying her comments.
40%の無症状感染の可能性はあくまでもモデル計算上の話であると、Kerkhove氏は述べている。
 これが、NHK BSニュースになると、無症状感染を断定的な印象で伝えているのと、修正会見で日本のジムとカラオケが言及されていることが気にかかる。
 全体としては、Kerkhove氏の勇足を上司であるRayan氏が納めたという形でなかったことになるんだろうな。どうも釈然としないところがある。
 日本語版のNHKの記事はこちら
 注)フェイスブックでは、最初のCNBCの記事は一部虚偽がある記事として扱われている。WHOのそれなりの立場の人の発言が一部虚偽というのはどう理解したらいいのかな。
 
 
 

ガロア、あの革命後の動乱とコレラにまみれた激動の1830年頃のパリで、その後の数学のありかたを変えるような天才の輝きを示しながら、わずか20歳で投獄され、決闘による死を迎えた。そんな男とその数学のことを時代背景も含めて知りたくてこの本を読んだ。同じ時期を描いた「レ・ミゼラブル」と重ねてみるとしみじみするなあ。

ガロア。その名前を始めて聞いたのは中学3年生の時だった。物理の先生が、何かの折に、「数学の才能は若いうちに発揮される。ガロアを見ろ。天才的な論文を獄中で書いて、決闘で死んだんだ。その年はわずか20歳だ。」

若くして決闘で死んだ天才というのは、思春期の中学生の興味をそそるには十分で、その名前は脳裏に深く刻まれた。だけど、「先生、ガロアの論文ってどんなことが書いてあるんですか。」とは聞けなかった。

私は理系に進んだけれど、数学科ではないので、ガロアのまわりをうろうろしていたかもしれないが、その核心を知ることなく、馬齢を重ねてしまった。

最近、革命的な数学と言われるIUT理論の紹介書を読んだ。

https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2020/05/20/110726

そこでガロアの話が出てきて、

ガロアは群と言う概念を初めて作り、それを用いて次数が5次以上の一般代数方程式は解けない(解の公式はない)ことを示した。」とあり、初めてガロアの業績の一端を知ることができました。

「そうか、群か。群論って、大学2年の時に「応用群論」と言う講義をうけたはずなんだけど、わかってないんだよね。群は、結晶の対称性とか、ルービックキューブの解法とか、そういう操作を扱う道具のような印象があるけど、群論が数学に革命をおこしたってどういうこと?」

 と、昔の思い出がよみがえってくる。IUTの紹介書の著者である加藤文元氏がガロアの生涯に関する本を書いていると知ったので読むことにした。

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やはり気になるのはガロアが生きていた、1811年‐1832年という時代背景である。

フランス革命は1789年のバスチーユ監獄への襲撃で始まったのだけれど、その余波がある程度落ち着いたと言えるのは、ナポレオンの治世(1804‐1814)や、王政復古、1830年の7月革命と7月王政(まさにガロアの時代)を経て、1948年のナポレオン3世の第二共和制までかかるのではないだろうか。

ガロアが生きた1811‐1832年はまさに、この共和派と王党派が戦いを繰り返す激動期の最中である。

ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」は1830年の7月革命(3日間の栄光)を題材にしている。

この7月革命にまつわることで、当時18歳であったガロアは、科学技術の最高峰である、エコール・ポリテクニークへの入学の失敗と、彼の数学を理解し、彼の後見者になったかもしれない第一級の数学者であるコーシーの応援を失うという、大きな痛手を負っている(コーシーは熱烈なカトリックの王党派なので、共和派を恐れて亡命してしまい、査読中であったガロアの最初の論文を散佚させてしまった:本書より)。

一方で、この頃から後の投獄と決闘に繋がるガロアの共和派としてのふるまいが過激化してきている。

こういった政治的な激動期に、音楽の世界ではロマン派が花開いていたというのはどういうことなのだろう。共和革命(人民が王政を倒す)というのは、人のロマンチズムをかきたてるのだろうか。

ベートーベンの第九は1824年(古典派音楽の集大成とロマン派への架け橋)。

ベルリオーズ幻想交響曲1830年

ショパンがパリに来たのは1831年ショパンガロアは街ですれ違ったかもしれない)。

ショパンの革命のエチュード1831年ショパンはこの曲をロシアのポーランド侵攻に対する怒りをぶつけて書いた(という俗説がある)。

ヴィクトル・ユーゴ―の小説レ・ミゼラブルは、1815年から1832年を描いていて、ジャン・バルジャンはまさにガロアと同時代の人物である。

ジャン・バルジャンがマリウスを背負って逃げた1832年のパリの下水道はひどいものであったろう。パリの街並みが大改造され、衛生状態が改善されるのは1853年以降のことである。1831年にはパリでコレラが大流行し、その時ガロアは獄中にあったのである。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」に出てくる、「民衆の歌」は1832年のパリ市民(共和派)が王党派の政府とぶつかった6月暴動の時に共和派の人々が歌ったもの。ガロアはこの年の5月30日に(自らが望んだものではない)決闘に追い込まれて死んでいる。

ガロアがこの時、マリウスとともに「民衆の歌」を歌っていたんだと思えば、なにかグッとくるのだけれど、それはできなかったということになる。

けれど、ガロアが投獄されるきっかけとなる事件を酒場で起こした時(1831年)に、アレクサンドル・デュマ(「三銃士」で有名)が同じ共和派の集いにいて、巻き込まれるのを恐れてその場を逃げ出したという本書の記述には、なにか妙にリアリティがある(デュマが回想録で書いているとのこと)。

とにかく、1830年頃のパリは凄まじいところだったんだな。

さて、彼の数学である。本書によれば、

ガロアは、超名門リセである「ルイ・ル・グラン」校(カルチェラタンにある)で、第ニ学級に落第した15歳の時に、ルジャンドルの書いた「幾何学言論」を読んで数学に目覚めたという(普通は2年かけて読むものをガロアはたった2日で読んだという)。

著者は、この時ガロアは、数学における直観性と形式美の織り成す世界を一望したのだという。

そして、数学にのめり込んだ18歳になったガロアは、代数方程式の問題に取り組む。

当時4次方程式までの解法は知られていたので、ガロアは5次方程式に取り組む。

そこでガロアは、5次方程式を飛び越え、5次以上の方程式は一般に「べき根による解法」では解くことができないという事を導き出す。

その発想は、いわゆる「コペルニクス的転回」というものだ。そして群という新しい概念を生み出して、数学そのものあり方を劇的に変えている。

普通、方程式を解くと言うと、式そのものを変形していって、解に到達しようとする(2次方程式の解の公式の導出を思い出して欲しい。これは解析学的な手法)。

それに対して、ガロアは、「解(=根)そのものの性質を調べることから始めて方程式に至る」という、最初にラグランジェが始めたやり方を発展させた。

ガロアは、根の置換の重要性に注目し(この置換操作の集まりが群になる)、方程式に内在した対称性をシステム(これを集合と呼ぶ)として考察する(これは幾何学)。

こういった構造主義的な手法を取り、5次以上の方程式は四則演算とべき根の計算だけでは解けないということを示したという(解析学の問題が構造を扱う幾何学に変換されて説明され切ったということかな)。

このガロアの理論は、後にリーマン(1826‐1866)によって深められた「構造的数学」のさきがけになっているという。

著者によれば、ガロア理論は、(当時はまだなかった)群と体という概念を使い、集合を用いて構造を記述するという構造主義的な記載をすれば、実に素直に(直観的に)理解できるという。その意味でガロアの数学は1世紀分を先取りをしているという。

彼の学術論文は、いろいろな不運がかさなり、正しく評価されることもなく(詳細は本書参照)残ってもいない。

明日決闘で死ぬと思って、監獄で書いた遺書は残っていて、その遺書にはガロアの思いが綴られている。

著者の訳を以下に引用してみる。

「長々とした計算はまずもって数学の進歩にはほとんど必要ない。」

「代数的変形がどこまで行っても見出されないという時がいずれやって来る」

「数多の計算を結合する足場まで飛躍すること、操作をグループ化すること。そして形によってではなく、難しさによって分類する事が未来の幾何学者の仕事である。」

「求める問題の特殊性に応じて形ではなく、難しさによって分類された計算が実現される日もやがて来るだろう。」

著者の言葉を借りれば、「数の難しさとは数の曖昧さであると、ガロアは気が付いていた。」という。これは、量子論とか、IUT理論の復元誤差とかを思いだす。

ああ、群論と集合を用いた構造の理解や概念の操作が現代数学か。その最初の発想はガロアから生まれたんだな。YouTubeにもいろいろ群論の講義があるし、勉強してみようかな。

ガロアはその破天荒な人生も含めて天才なんだな。それを因循姑息な連中が認められなかったのが、ありそうなこととは言え、残念だと思った。

時代背景が同じな「レ・ミゼラブル」をアマゾンプライムで見るとするか。

ホーキングのビッグ・クエスチョンの答えを味わってみた。1000年先の未来を見た。

ホーキングのビッグ・クエスチョン<人類の難問>。しっかり読んだ。ホーキングの答えから私が読み取ったものを綴ってみた。

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①神はいるのか

神がいなくても宇宙物理学は困らない。宇宙の科学法則を神と呼ぶのは構わない。

 

②宇宙の始まり方はどうだったのか

宇宙の始まりを数学的な困難(密度無限大になる特異点)なく記述しようとすると、時間と空間の境界をなくすやり方がある(虚数時間)。このやり方において、時間という境界がないのであれば、宇宙が始まる時(t=0)もない。

虚数時間を導入すると、沢山の宇宙が存在し得る可能性が式の上では出てくる。ただし、それが人間が認識できる形で存在するかどうかは別の話。

この意味において、宇宙の始まり=天地創造(t=0)の概念がなくても宇宙の存在は説明できる。

 

③宇宙に知的生命は存在するか

我々が出会える確率は限りなくゼロに近い。

この答えは、生命とは何かという定義にもよる。遺伝的な子孫の生成と代謝機能(必要なもの取り込み、不要なものを出す機能)を持つものを生命と考えれば、コンピュータウイルスだって生命と言える(ホーキングの考え)。

そういった、生命体が知的になるのが進化の道として合理的かどうかは定かではない(知的になることによってその生命種の破滅が早まることもあり得る、人間のように)。

人間のようにDNAと高分子に基礎を置く生命体は宇宙間旅行に耐えられない。そういう生命体は機械的で電子的な要素に基礎を置く生命体(シリコン半導体などの上で動作するアルゴリズム)に置き換えられていくかもしれない。

宇宙の歴史138億年のなかで、生命体の基礎ができたのは35億年前。そういった長いスパンで知的生命が出来上がると考えると、何百‐何億光年も離れている他の恒星系からやって来る知的生命体に我々が会う確率は極めて低いだろう。

 

④未来は予言できるか

量子力学の不確定性によって、答えは「ノー」。

 

ブラックホールの内部はどうなっているか

ブラックホールには毛が三本(質量、電荷角運動量はえている。

ブラックホールはその表面積に比例するエントロピーを持っている(絶対零度ではない)。それゆえ、輻射があってエネルギーを失い、いずれ蒸発する。その時にブラックホールの中にあった情報は永久消滅するという困った問題(パラドックス)が起こる(これがホーキングの残したブラックホールに関するビッグクエスチョン)。

 

⑥タイムマシンはできるか

人間が乗って移動するマシンという意味ではできない。

光速より速い宇宙船で未来に行くことはできない。光速に近い宇宙船で旅行して帰ってくると、自分だけが年を取っていない浦島太郎にはなれる(特殊相対性理論)。

ブラックホールの底どうしがつながったワームホールの作る時空の曲がり(一般相対性理論)をつかって時空のショートカットを通り、(理論的には)未来に行けるかもしれない。それを逆にたどれば、過去に行けそうに思えるが、そうするためには負の質量と負のエネルギーが必要になる。

ただし、人間の乗った宇宙船で、ワームホールを通りぬけられるモノは現状ではありえない(映画インターステラはワームホール内を宇宙船で移動した。私のコメント)。

ファインマンの言うように、宇宙の歴史はただ一つではない(マルチバース)が、我々が他の歴史(自分の過去)の中に入るすべは現状ではない。

過去に戻って両親を殺すこと(SFのテーマ)はできないという時間順序保護仮説があると思われるが、時空が11次元であるとするM理論超弦理論の統一的形態)が示す丸まった次元を使えば何かできるかもしれない(三体というSFのネタばれです。私のコメント)

 

⑦人間は地球で生きていくべきか

1000年のスパンでは、人間は地球外に出ざるを得ない。

地球温暖化人口爆発、核戦争の可能性などを考えれば地球はあと1000年は持たない。

人類が宇宙に行って生き延びるオプションも考えるべき。その意味で太陽系以外の恒星系の探索に今踏み出すべき。

突然変異というゆっくりした進化に頼るのではなく、遺伝子編集をつかって人間をデザインすることはいずれ行われる。そういう形で人間の複雑さは増していくので、どこかの高度な文明状態で固定されるようなスタートレックのような世界にはならない。

コンピュータが知性を持って、コンピュータがコンピュータをデザインできるようになるとその性能向上は指数関数的で凄まじいものになる。

千年のスパンで見れば、生物学的なもの(遺伝子改編される生身の人間)と電子的なもの(知性をもつコンピュータ)の両方で複雑さが急速に増大する未来がやって来る。

 

⑧宇宙に植民地を作るべきか

つくるべき。

人類が宇宙に広まるために、2050年までに月に基地を設け、2070年までに人を火星に着陸させる目標を掲げたい(イーロンマスクのスペースX計画に似ている)。

月と火星がスペースコロニーに適している。

太陽系以外の他の恒星系も探査すべき。その第一歩として、多数の位相同期レーザーが生成する10GWの光の圧力を帆に受けて光速の5分の1のスピードで進む数グラムの宇宙帆船(ナノクラフト)を実現する。これは1時間で火星に到達し、20年でアルファケンタウリに到達する。これが、銀河系外のハビタブルゾーン(人間が棲める場所)を探す嚆矢となる(「ブレークスルースターショット計画」)。

 

➈AIは人間より賢くなるか

なる。

画像認識や囲碁などの一つの仕事だけを行う専用AIでない、汎用的なAIができて、そのAIが自らを再設計できるようになると、その性能は指数関数的に向上して驚異的なものになり、人類はそのAIにとって代わられる。そしてそのようなAIは自分自身の意思をもつようになり、人間の意思と対立するようになる。

そういう意味で、人間がAIを制御できることを担保すべく(人間に不都合なAIになりそうなら、そうなる前にそのAIの電源を人間が切ることをAIに邪魔されないようにする)、AIの安全性(軍事応用を含む)をしっかり考える仕組みや組織が必要である。

コミュニケーションの未来は人間の脳に電極を付けてコンピュータとコネクトして行われるものになるだろう。それは人間の頭脳がAIによって増幅されることを意味している。

量子コンピュータは人類の生物学的な面まで含めて、いっさいを変えるだろう。

知能とは変化に対応できる能力のことを言う。

 

⑩より良い未来のために何ができるのか

それは2つあって、

1)人類が生きていくのに適した惑星を求めて宇宙を探査する事。

2)地球をよりよいものにするために人工知能を建設的に利用すること。

大切なのはあきらめないこと。想像力を解き放とう。よりよい未来を創っていこう。が、結言。

ホーキングが夢見るのは、核融合がクリーンエネルギーをふんだんに供給してそれを使った電気自動車が走る世界を見ること。

 

【あとがきなど】

お嬢さんである、ルーシーホーキングさんのあとがき(ホーキングの葬儀のことが書いてあってちょっと泣きそう)、盟友キップソーンの解説と青木薫さんの訳者あとがきも素晴らしい。

キップソーンは重力波の検出で2017年のノーベル物理学賞を受賞しています。

青木薫さんの翻訳は、しっかりした科学知識に基づいているので、いつも安心して読み進められます。素晴らしい。

 

#ホーキング、#AI #宇宙探査 #ブラックホール #タイムマシン #宇宙のはじまり #宇宙探査 #タイムマシン #知的生命の定義 #地球外知的生命 

IUT(宇宙際タイヒミュラー)理論の紹介書に刺激を受けて、数学 - 物理 - 哲学の世界を妄想してみた。

IUT(宇宙際タイヒミュラー)理論の紹介書を読んでみた。望月新一氏(現京都大学数理解析研究所教授)の構築した独創的な数学で、これの応用の一つとしてABC予想を解決したとされる。

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ABC予想は下記に説明があるが、どうも、足し算と掛け算の根深いところに関係しているもののようだ。

https://books.j-cast.com/2020/03/18011145.html

上記の記事は本書の紹介にもなっているので、本書の内容の概略はそちらを見てもらうことにして、このブログには、私がこの本から刺激を受けることで湧いた勝手な妄想を綴ってみたい。

 

①【足し算は1次元だけれど、掛け算は多次元を作るのかな】

レンガを横に、2個、3個と並べていくのは直線なので1次元。自然数は1次元に見える。

2個のレンガを3回並べるのも、横に3回(回数)つなげて並べていくなら1次元。

ところが、横に並べた2個のレンガを縦方向に3行並べると、これは平面になって2次元。

さらにそれを高さ方向に積み上げれば3次元の立体になる。

この作業を何日間かやれば、時間を含めた4次元の空間を作ったように見える。

この作業の人数を増やし、作業している場所を増やすなどと考えていけば、掛け算に対応して実空間の作業を表現する次元は想像力の続く限り上げていける。

これって、掛け算はなにか次元を作る力があるってこと?

もっとも、数学は実作業と数的操作を切り離し、その数的操作だけを抽出してその性質を包括的に表現するところにその神髄があると思っている。

その数的操作をうまく使って現実を説明するのが物理学なんだと思う。私の関心はそういう数学の表現形式にある。そういう意味でIUT理論が現代物理学の表現形式に使われて、概念的な霧が晴れることが妄想的期待なんだけどな。

 

②【回転対称性と鏡映対称性、鏡映対称操作はN+1次元を経由するので次元を増やす】

本書にも出てくるが、正方形は90°回転しても元の形に重なる。この回転対称性の操作は2次元空間の中で閉じている。一方、鏡像対称性は、対称軸に対して左右をひっくり返すようにして重ねる。こうすると正方形の表と裏がひっくり返って裏が見える。表が青で、裏が赤だとするとこの動作で、突然青い正方形が赤くなる。これを2次元しか知らない生き物が見てたとすると、ありえないことが起こってぶったまげる。つまり、異次元から突然何かがやってきたように見える。

ここで3次元の立方体を考える。三次元空間しか知らない我々には想像できないが、この立方体に4つ目の次元を通るような形で鏡映対称操作を行うとすると、立方体の裏側が現れるはずである。何次元空間でも平気で考えられる天才数学者はこの裏返った立方体が見えるのだろうか。

ルービックキューブの得意な人は、何か3次元空間の対称性操作を直感でつかむ能力に長けているように思うけれど、彼らでもキューブの裏側は見えないんだろうな。

 

③【非可換である操作は順序という概念を生み、それが時間を生む】

本書にも出てくるが、ABCDと4頂点が区別された正方形に右90°回転をN回、左90°回転をM回やるとする。これは右回転、左回転をどんな順序でやろうともそれぞれN回、M回を行えば結果は同じになる。つまり、順序は関係ない(これを可換という)。

ところが、右90°回転rと鏡映対称mの操作に関しては、rをやってからmをやるのと、mをやってからrをやるのでは頂点A,B,C,Dの位置が異なる。つまり、rとmの操作に関しては順序が意味を持つ。(これを非可換と言う)

これって、次元の異なる空間を通る操作を絡めることで、順序=時間の概念が生まれたように思えてしまう。

4つ目の次元が時間だという意味をちょっと違う風(空間操作の順序に関する自由度)にとらえてもいいかもしれない。

 

④【フェルマーの定理は人間の空間認識が3次元であることと関係していないだろうか】

X²+Y²=Z²は三平方の定理。これを満たす3組の整数はいろいろある。中学受験の算数で密かに出てくるのは(X,Y,Z)=(3,4,5)や(X,Y,Z)=(5,12,13)など。

X²+Y²=Z²と言うのは、円の式。空間3次元をマスターしている我々から見れば、その次元を一つ落とした2次元の円の世界は簡単。なので、自然数の組み合わせで解があってもいい。

また、この三平方の定理は、辺という1次元のものを、X²のように2次元の正方形の面積に昇格させた次元での関係を見出そうとしているとも見える(2次元だから我々の基本である自然数で解がある)。

一方、フェルマーの定理(の一例)は

X³+Y³=Z³ を満たす整数の組み(X,Y,Z)はないと言っている。

フェルマーの定理そのものは、この式のべき乗部分が3以上であれば、すべて整数解がないという定理。この定理は、3次元より高い次元は、人間は理解できないよね、と言っているような気がする。

もし、4次元をマスターした人間が、1次元低い3次元の「円」(球ではない)を書くなら

X³+Y³+Z³=W³ 

なんじゃないだろうか。

この式は、フェルマーの定理より変数が1個多いけど、どうなるんだろう。これが解けたら4次元の人になれるかな。Z=0と思えば、フェルマーの定理になるけど。

 

⑤【ガロア理論は次数が5次以上の方程式の解の公式はないことを示した。これも人間の認識が高次元に及ばないことを言っているのでは】

本書でこのことを始めて知った。と言うことでガロアのことをもっと知りたくなった。

 

⑥【超弦理論が8次元だとか、11次元だとか言っていることについて】

重力子は、我々の4次元空間以外の次元を伝わり得る、という話をどっかで読んだことがある。

先端物理学の表現形式が我々の4次元空間を超えていることは、とうとうカントのいうところの、認識できない「物自体」の表現形式を得たんだと思う。

その物自体からホログラフィックに我々の意識(=心)の中にある、4次元という認識空間に投影されたものが我々の世界である「現象」なんだと思う(ひとそれぞれで違っていていい)。

➈【数学、物理学、哲学の関係】

この意味で(カント)哲学は物理学によって上位的に説明されるんだと思っている。哲学は人間の作った言葉で扱われている限り、人間を超えるところの議論である形而上学はできない。人間の認識を超えた多次元物理学こそが物事の本質(物自体=Ding an sich)を表記できるんだと思っている。哲学の限界は、それを言葉で行っているところにある。人間の一部に過ぎない言葉が、人間それ自体を表現できないのは自明なことではなかろうか。

 

⑩【IUT物理学をとっても期待する】

IUT理論は、異なる数学の世界を、モノそのものでなく、それが持つ対称性に関する情報を通信させることでつなぐ。その対称性の情報だけではモノそのものを完全には復元できないが、その復元誤差を定量的に計算できるらしい(と勝手に解釈している)。

これって、何かマルチバース間の繋がりを表現できるのではないの、と期待してしまうなあ。異なる世界の間の表現形式の誤差が定量化できるなんて、量子力学不確定性原理の拡張版のような雰囲気もあるし。

異次元に棲む異星人が地球にやって来ることはないけれど、彼らの対称性の情報は伝わって来る。4次元空間にいる異星人の足跡が我々の3次元空間に出現するわけだ。それを読み解くのが宇宙物理学かな。ブラックホール特異点ってそんなものかもしれない。

IUTの世界って、なにか入れ子(鏡の中に映り込む鏡のこと。レーザーなどの共振器はそういう構造になっていて、その無限のダンジョンのような世界に、定在波という動かないものを出現させている)になっているらしい。

無限の入れ子構造の中に安定したものが離散的に形成されるレゾネータ構造(ある種の特異点でもある)って、世界の本質かも。

⑪【最後の蛇足、素数について】

自然数って、石を1個ずつ足していくようなものだから、概念的には足し算だけの1次元。なのに、

6=2x3とか

48=2x2x2x2x3 とか

多次元っぽく展開できる数字が入ってくるのはなぜなんだろう。足し算の世界に勝手に掛け算を持ち込むなよな、次元が混在しているようでおかしいだろ。なぜ自然数って素数だけでないんだ。なんて思ってしまう。

IUTって、足し算と掛け算を分離して別の世界で扱って、それを戻すと一定の誤差があるって言っているようだけれど、その根本ってこんなところにあるのかな、などど勝手な想像が膨らんでしまう。

 

これだけ妄想を膨らませてくれる本って、やっぱり読んでいい本だと思います。

 

#IUT理論 #ABC予想 #宇宙と宇宙をつなぐ数学 #素数 #カント哲学 #物自体 #超弦理論 #ガロア #群論

 

 

 

ベーシックインカム。AIが仕事を奪う前に、コロナが仕事を奪い続けるのであれば適用を早めざるを得ない、とも思えてこの本を元に考えてみた。

(ユニバーサル)ベーシックインカム(BIと言う)。「国民全員に(0歳児にも億万長者にも)同額のお金(例えば毎月7万円)を政府が配る」という考え方。

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こんなことを言うと、

金持ちにまでお金を配ってどうする。

その財源は国債だろ、国の借金が増えて国家財政が破綻する。

働かなくてもお金がもらえるなら国民の勤労意欲がなくなって国が衰退する。

と散々な反応が返ってくるのが普通だろう。

国民は勤勉に働き、収入を増やすことで幸せになり、それが国家の繁栄につながると大多数の国民は思っているだろうから。

さて、今回の世界的なコロナ騒ぎである。国家が飲食業、娯楽業などに休業を命令(欧米)したり、要請(日本)したりすることで、国家権力によって働く機会を奪われた人が大勢出た。アメリカの失業申請は3300万人を超えた(勤労者の5人に1人を超える)。日本でも飲食業、個人商店などを中心に悲鳴が上がっている。

一方、日本の企業(主に大企業)で働く社員は、雇用調整助成金厚生労働省の失業保険が基本原資)で守られることが早々と決まっている。なので、休業状態にあっても、失職の不安は少ないんだろうと思う。

会社自体も今までが健全経営であったところは、緊急融資をうけて事業をつなぎ、今までの日常がかえって来てビジネスが戻って来れば何とかなるはずだ。航空や観光などの戻りが遅いと思われる業界は、大変な時期は続くだろうが、国からの金融支援は手厚いだろう。

このように、日本と言う国(自民党政権)は、ひとりひとりの個人ではなく、個人が属する団体(企業や農協など)を支援することで、それに属する”働く”個人を間接的に守るというやり方をしてきた。

それに対し、組織に属さない個人事業主(請負業務契約で働くフリーターやギャラ制の芸能関係をを含む)や小規模事業者を救う手段として、経産省の持続化給付金(個人事業主は最大100万円)がある。

そして、これを得るには確定申告(白色申告でもいい)の昨年実績が申請には必要となっている(収入減の証明が必要なので)。

つまり、コロナの被害に対して国が救うのは「所得税源泉徴収者を含めて、去年の収入を国に報告している働いている人」だけというのが基本的な支援の立て付けになっていた(今年レストランを開業した人は支援されない)。

このやり方では、働いてはいるものの、確定申告をしていないバイト生活者(大学生を含む)や、歌舞伎町関係などに多いと言われる日給生活者(いろいろあるので確定申告をしていない人が多い)を救えないのである。

それに対して、今回、国家はすべての個人に対する直接的な支援である特別定額給付金総務省予算)を決めた。一人10万円。ただし給付は世帯単位である。

https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/gyoumukanri_sonota/covid-19/kyufukin.html

これは組織に属さない人を厚い支持層として持つ公明党自民党に実行を迫った面があるものの、働かない人も含めて収入額の区別なく給付する(住民登録のある外国人を含む)というのはまさに「画期的」なことだと思う。

これは、現状では1回のみになっているが、これが継続されれば、まさしくベーシックインカムが実現されることになる。

ベーシックインカムの実現性】

さて、ここで話はベーシックインカム、特にその財源の話をまとてみよう。

今回の特別定額給付金の予算規模は13兆円である。原資は国債の増発である。国家予算がザックリ100兆円であることを考えると、予算的には大きな施策である。これを毎月配るとすれば、年間150兆円規模になり、かるく今の国家予算を超える。なので、そんなことはできない、と大抵の人は考える。

これをやるのであれば、国債の増発か、大増税(資産課税や所得税累進税率の傾斜をあげる)で富裕層にご負担願うしかない。前者は国家財政破綻論者、後者は成功者を罰するような税制は経済の活力を奪うのでいけないという新自由主義者の反対にあう。

一方で、「格差」という言葉を日本で流行らせた張本人ともいえるトマ・ピケティを代表として、平等(機会の平等だけでなく、結果の平等を含む)を大切にする人々(例えば米国民主党左派)は、富裕層への増税や、国家財政の赤字を気にしないMMT論を根拠にして、国による(中央銀行を介した)通貨発行量を増やし、社会福祉の充実を図る大きな(予算の)政府を志向している人もいる。

その中にアンドリュー・ヤンのような、ベーシックインカムを唱道する人々もいる。

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 【ベーシックインカムの財源確保策】

 さて、本書に戻ろう。

まず、著者は一人、毎月7万円の給付を提案している。7万円というのは死なないための最低保証という意味で、この給付があるためにかえって働く意欲が湧くと言っている。

例えば、バイトでも月10万円稼げれば、合わせて17万円で一応の生活ができるだろう。そうであれば、プロを目指すストリートミュージシャンや、演劇系の人も夢を追い続けることができると言っている。

子供2人の世帯であれば、毎月28万円が給付され、夫婦で月20万円を稼げれば、月収48万円で、まあまあの生活ができようになる。こどもが4人いれば、BIは世帯で毎月42万円になる。子供は打ち出の小槌のようなもので、べーシックインカムは強力な出生率向上のインセンティブになるだろう。

BIと生活保護と決定的な違いは、収入があってもBIは減らされることがない。なので、働くことを阻害しない。

現状の生活保護は受けるための審査が厳しく、不正受給を防ぐための行政側の多額のコスト(人手、調査)がかかっている。本当にそれを必要としている人に届かないことがある反面、一旦受給が決まると、それは働かない限りずっともらえて、働いて収入を得ると生活保護費(一説には月額32万円)が減額される。

なので、一旦生活保護に入ると、働くモチベーションがなくなってしまうという大きな弊害がある。

著者は、BIを導入して生活保護の仕組みを失くす、あるいは病気で働けない人などに限定するという行政コストの削減も視野に入れて提案している。

次に、ベーシックインカムを給付するための原資について、著者は「負の所得税」という考え方を紹介している。給付金付き税額控除という穏やかだが、わかりにくい説明の仕方もある。

月額7万円のBIをするには、年間100兆円が必要だが、BIの導入で代替される雇用保険や、生活保護費、老齢年金などもろもろで36兆円の行政出費をなくすことができるので、差し引き64兆円の財源が必要になる。

これを所得税増税で全部賄おうとすると、単純には所得税率を25%上げることが必要になる。これは年収400万円の人には、100万円の増税に見えるが、年間84万円のBIを貰っている(これを国民全員が年間84万円の負の所得税を払っているととらえ直す)ので、実質は16万円の増で済む。ところが、妻と子供が2人いればその3人分のBIとして年間252万円もらえるで、世帯収入は236万円増える。BIの導入に文句はないだろう。妻がパートで年100万円稼げば、それは手取り75万円にはなるけれど。

年収1200万円の人は、300万円の増税(BI給付を考慮すれば実質216万円)になる。単身ではつらいが、妻と子供2人がいればそのBI(計252万円)があるので、世帯では36万円の実質所得増である。

単身の高収入者にはつらい制度だけれど、専業主婦と子供2人で年収1200万円ぐらいまでの、昭和の時代の絵にかいたようなサラリーマン世帯までには、BIと所得税率アップの組合わせは支持されていい仕組みに見える。

なので、昭和の家庭像(専業主婦と子供2人)が好きな、自民党保守派にはBIに対する支持が得られそうな感触がある。実際、負の所得税は維新の党のマニフェストにも「給付金付き税額控除」として記載がある。

BIは個人別に給付されるので、DV夫から逃れて、子供一人を連れて家出した元妻も月14万円が給付される。なので、女性がこれによって家に縛り付けられるわけではない。(狭い意味の負の所得税は稼いでいる夫にしか給付されないので、その違いには留意しておく。)

所得税増税だけでなく、これも金持が嫌がるが、相続税や資産課税強化を組み合わせる考え方もある。

いずれにしても国債に頼らない、増税と抱き合わせのBIは単身富裕層以外には賛成が得られそうに思う。

今の所得税最高税率は45%だけれど、皆がいい時代だったねと懐かしがる1970年代はそれが75%であった。そのこと思い起こすと、高額所得者の所得税率が70%でもべつにいいんじゃないの、とうのが庶民感覚だね。

大企業経営幹部クラスで、年収4000万円の人は、子供が3人いたとしてもやってられないよね、とは思うだろう。

これに対する対策は、経営幹部には金銭報酬でなく、現物(社給の高級車の無償貸与、高級社宅の低額貸与)や役得(交際費枠の拡大:法人カードの個人使用の黙認、会社ゴルフ会員権の個人利用)で報いることになるだろう。これも昭和の復活かな。

法人カードで銀座のクラブで豪遊するのが出世のあかしではあまりにみっともないが。企業倫理とのバランスが問われるね。

世の中を変えるには、革命なんていらない、税制を変えればいい、の典型になる。

一方で、著者はBI原資を税金に頼らず、貨幣発行益を原資とするBIを提案している。

貨幣発行益と言うのは、貨幣を発行することで得る利益のことである。著者によれば、現状では、市中銀行信用創造をして預金通貨を創造することで、貨幣発行益は銀行によって独占されているという。著者は、これを禁止し、政府が貨幣を発行して、それを国民に直接BIの形で届ければいいと言っている。

これによって、今までのお金の流れが、中央銀行ー民間銀行―企業―家計 であったものを 中央銀行(国家)-家計ー民間銀行ー企業 に変えることを主張している。

国が直接国民にお金を配るのはヘリコプターマネー(お金をヘリコプターからばらまく)と言われることもあるし、最近毀誉褒貶の激しいMMT(Modern Money Theory、現代貨幣理論)でも、政府はインフレにならない限りジャンジャンお金を刷っていいと言っているみたいだ(ここでは立ち入らない)。

【韓国の仕組みはいいな】

BIとして国家の配るお金について、今日(5/11/2020)感心したのは韓国の仕組みである。

朝のBSニュースで見たのだが、韓国政府は1世帯最大87,000円分のポイントを個人(世帯主)のクレジットカードに給付する。これは現金と同等に使えるが、有効なのは今年の8月31日までで、使える場所も地域の小売店などに限定されるという(パチンコもできず、アマゾンで使えず、株も買えない)。

これは政府発行のデジタルポイント(マネー)を直接国民に給付し、それが地域での生活上の消費に確実に使われるという意味で、個人の生活支援と、小売業などのコロナ被害事業者を救う両方の意味がある。

お金は実体経済の血液である、と言う使い方の好例に見える。

日本の、行政コストばかりかかるアナログの地域振興券を、合理的にデジタル化したようにも見える。

日本もマイナンバーカードがこういった機能を持って、(世帯主にでなく)ひとりひとりに政府ポイントを給付するようになれば、BIも楽にインプリできるのになあと思った。お金同等の政府ポイントと言うのがミソで、中央銀行の貨幣発行権と直接バッティングしないように実行するところが賢い。

 【まとめ】

ポストコロナ、ウィズコロナの生活変容の議論がよくなされているが、国家が権力を用いて国民の私権を制限せざるを得ない時には、その補償をタイムリーに行うことが伴っていないと国民の支持がえられない。

そのためにも、韓国方式のような、政府の期間用途限定デジタルポイントを毎月マイナンバーカードに給付するようなBIの実行が意外と早く実現するような気がする。

その財源はここに述べた増税と政府ポイント発行益(換金の裏づけは国債かな、国家財政の議論はここではしない)の組み合わせになるような気がしている。

長くなったので、今日はここまで。

 #べーシックインカム #ウィズコロナ #コロナの時代 #AI #貨幣発行益 #特別定額給付金 #井上智洋 #アンドリューヤン 

「戦略の本質」この本の視点で新コロナウイルスとの戦争に対する各国の戦略について考えてみた

「戦略の本質」。2005年の本。いくつかの大手企業の非常勤取締役をやっていた野中郁二郎氏を筆頭著者とする有名な本。企業戦略を考えるのに役に立つのかなと思って持ってはいたが、今まで読んでなかった。自粛巣ごもり生活の中の積読解消プロジェクトの一環で読んでみた。

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率直な読後感は、ああ、戦争の戦略分析本か。共著者のうちの4人は防衛大学校教授だし。ベトナムでなぜ米国は負けたのか、とか、有名なスターリングラードの戦いって何だったのかとか、チャーチルはなぜナチスの攻撃からイギリスの制空権を守れたのかなど理解できたのはよかったかな(ダンケルクチャーチルの映画を思い出した)。

これ以外に、朝鮮戦争毛沢東vs国民党、第4次中東戦争イスラエルに負けなかったサダト)が分析されている。

 

【企業戦略へ適用できるか】

企業戦略策定に対する直接的な指南書ではない。戦いの分析を通じて、物量の面では劣勢であるはずの側が逆転勝利を収めるには、ぶれないリーダーシップと優れた戦略(戦略―戦術ー技術の重層的構造の水平的、かつ垂直的ダイナミックスを巧みに利用する:これだけでは意味不明か)の必要性をくみ取り、本書に例示されている戦略の重層構造に基づく勝利の方程式を自社に当てはめて、社長のぶれないリーダーシップの元で展開できれば、それは企業人にとって役に立つ本となろう。

それが自分でできない企業は野中さんを取締役に招いて御指南を受けるという訳か。

企業人に対する戦略の本質に関するメッセージは本書の本当の最後にかかれている。

「戦略の本質は、存在を賭けた「義」の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである。」

これを企業用語に翻訳すると、

「企業戦略とは、まず自社が対象とする市場を定め、その市場における当社の理念=ミッション(市場で果たす使命)を実現することを目指す組織を作ること。そのために市場動向の先取りを含めた優れた状況判断の元で(撤退を含む)業務を執行できる事業組織を構築する。その組織構造は先が読め熟慮断行できる社長の下に、自らの意思で企業理念の範囲内で自律的に動ける実働組織を作ることで構成される。」

となるのだろう。

これをお題目だけに終わらせないためには、本書に言う、戦略ー戦術―技術に渡る重層的構造をもった戦略を構築しなくてはいけない。その例を見てみよう。

 

【戦略の重層構造の理解】

表8-1に戦略の5つのレベル(大戦略ー軍事戦略ー作戦戦略ー戦術ー技術)が示されている。

こんな構造を見ると、すぐに組織論に置き替えられて(役員会ー本社戦略企画室ー事業本部幹部会ー事業部ー技術開発部)の役割分担論になってしまいそうだけれどそうではない。

チャーチルの例で行けば(表8-4)

大戦略:民主主義を守るためにイギリスを存させ、アメリカの支援、参戦を引き出す。

軍事戦略:戦略的持久と制空権の確保維持

作戦戦略:防空戦、防空システムの構築と一元的運用、戦力の節約

戦術:地上からのパイロット統制、(ロンドン市街よりも)飛行場・レーダーサイト防空を優先する。

技術:レーダー、邀撃戦闘機(スピットファイヤ)

となる。

 

【戦略の本質を構成する10の要素】

さらに、戦略の本質として次の10の要素を挙げている

弁証法:戦略の重層関係の矛盾を解いていくダイナミズムが必要

②目的の明確化:目的が不明確だったりぶれては勝てない(ベトナム戦争

③時間・空間・パワーの場(コンテクスト)を創造する:「大義」や価値観、士気などのソフトパワーを利用する。戦局の流れを読み(できれば自ら作り)時期を逃さない。

④人:リーダ―シップ=人事。適材適所の判断をリーダーができるか。分析的戦略論は傍観者的でダメ。

⑤信頼:組織内の信頼の欠如は大きな欠陥になる(ヒトラーの側近政治と軍事のプロに対する過剰介入による失敗)

⑥言葉:言語能力は政治の基本。チャーチルの優れたレトリック(信念を持ってVictoryを心情に訴え続けた)。

⑦本質の洞察:事実は目に見えるが、本質は目に見えない(星の王子様だな)。事実(データ)だけで判断してはいけない。戦争の背後にあり、それをコントロールしている目に見えないもの(意図、動機、文化、慣習、常識、制度など)を現場のコンテクストから読み取って戦略に反映する。

⑧社会:戦略を社会的に創造する。聞く耳もたないリーダーの独断専行はダメ。対話を通じて「善」を共同体の中で形成していく。

➈義:善の典型である正義をもつ(戦争の場合特に)。米国はベトナムで義が弱かったので負けた。

⑩賢慮:戦略の本質は政治的判断力。政治とは、交渉と調整のプロセスを通じた未来創造である。戦略の根幹は賢慮あるリーダーがいること。「戦略の本質は、存在を賭けた「義」の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造すること」

 

【対コロナ戦争の戦略分析】

ここまで本書を振り返って来て、今の新型コロナウイルスパンデミックのことを、欧米のリーダーを中心に「戦争である」と言っていることを思い出した。

それが戦争であるならば、各国のリーダーがとっている対コロナ戦略は上記視点から見て妥当なものであるかどうか見てみようと思ってやってみた。

 

【私が思う対コロナウイルス戦略】

大戦略:新コロナウイルスをインフルエンザ並みに管理して人類と共存させ、経済のグローバル化を推進する資本主義(民主主義:個人の移動の自由)を守る。

注) 今や世界レベルでの新コロナの封じ込め=なきものにする、は無理。仮に国内の封じ込めができた国があったとすると、その国は封じ込めができていない国に対して人の鎖国をするのかという厳しい選択が必要になる。それは資本主義のグローバル化での成長を是とする限りできない。国民がワクチンで自衛するしかない。

軍事戦略:集団免疫(ワクチン投与を含む)の確立。ワクチンの全国民(全人類)への接種。症状を抑える効果的な医薬品の世界的な供給体制と治療体制の構築。

作戦戦略:当面の治療体制の確立(医療崩壊させない)。ワクチンと有効な治療法が未確立な間の行動制限とそれから生じる経済的ダメージへの支援を合わせて行う。

戦術:検査の実施。症例のトリアージ。軽症者の隔離と対症的治療。重症者だけを専門病院で救命治療。医療体制増強。

技術:【現状】医療体制(検査キット、感染病棟、防護服、人工呼吸器、ECMO)、マスク、消毒液、検疫体制。【将来】ワクチン、症状抑止薬。

 

【日本と欧米のコロナ戦略の比較:義のあるリーダーシップの差】

日本では、まずは医療崩壊をさせないという、医療サービスの供給者側に立った作戦戦略のレベルで行動が開始されたと思う。そのためには重症者の救命にフォーカスして、軽症者を医療機関に来させないためにPCR検査を保健所経由のルートに限定し、あわせてクラスターつぶしで2次感染を防ぐことに集中した。ワクチンや治療薬の目途もなにもない状態では対症療法的な作戦しか取れないのはしかたのないことだと思う。

これはこれでいいと思うのだが、サービスを受ける側(国民)の不安を拭うという事の重要性を軽視していた(コンテクストが読めていない)。そのため、何で政府は患者(国民)の立場に立って全数検査しないんだという不安を煽り、かつ、定量的に実現性のない感情論に訴える浅薄なマスコミの攻撃にあって、医療崩壊を防ぐことを第一優先とする作戦に、国民の理解と信頼を得ることに十分な成功は得られなかったと思う。

さらに、国会答弁の中の揚げ足取りみたいな感じで、政府が国民に提供するのは布マスク2枚か、他国は続々と国民への直接現金給付を決めているのに、日本政府はそこまで国民を軽視するのか、となってしまった。

一国のリーダのすべきことは、国難に立ち向かう義を共有べく雄弁(レトリック)を振るい、国民を救済するためにまずこれをすると述べる。そして、国民にすぐに直接的な支援を届けるとの具体性のある強いメッセージをだす。欧米のリーダー達はそこは間違えなかった。そうしておいて、国民がそれでもって難局を凌いでいる間に、国はこういう解決策を実行する、だから緊急事態対応を了解してくれ、と述べて国民の信頼と(忍耐を含む)協力を得ることだと思う。

それもしないまま、マスク2枚という末節な手段レベルの話を先行して話すような一国のトップは、事の重大性の順序(すなわち戦略の重層構造)すらわからないのか、と大きな落胆と失望を国民に与えてしまった。まあ、とりまきが悪いんだろうけどね。

やっとまとめた緊急事態宣言の予告発表では、一応の形にはなっていたので(多少まともなシナリオライターがいたんだな)、少しは気持ちが戻ったけれど、予定調和的な事前リークも甚だしく、トップの決断としての重みも式典の来賓挨拶程度にしか感じられない。欧米の政治対応の果断さに比べてこの落差はどこから来るのだろう。

それは、欧米は戦争をする前提で国の仕組みが出来上がっているからだと思う。トランプもマクロンも新型コロナとの戦いは戦争だと言った。それによって戦争下での私権制限を伴う国権の発動と国民へ支援を民主主義(国会の承認)を守りながらスピーディーに実行することができた。大統領制と議員内閣制の違いもあるだろう。

注) フランスのコロナ対策(3月17日)小売業などに1500ユーロの支援金を即時給付など。

https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/836bd15b537bdd6c.html

米国のコロナ対策(3月25日)対策費220兆円、大人13万円、こども5万円の現金給付(小切手が届く)など。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032500887&g=int

 

日本には戦争をする前提での国の運営の仕方などあるわけがない。そのことの是非をここでは論じない。しかし、それは緊急対応と決断の速さ、トリアージに対する覚悟、という意味で大きな違いが出てくる。せめて災害対応という意味での緊急時体制の構築を急ぐべきだと思う。今回その弱点が出たなとは思う。それ以前に日本の政治の進め方の問題もあるとは思うがここでは論じない。

日本の対策は提示されたけれど、これから国会の承認を得て、実行開始は連休のあとからなんてペースじゃないんだろうか。あまりに遅い。

日本のコロナ対策費108兆円。困窮世帯に30万円、収入減の個人事業主に100万円など

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040600747&g=eco

 

メルケルは、憲法レベルで強く抑制されている赤字国債の発行を躊躇なく決めて、国民を救う資金を捻出した。総額90兆円で、零細企業や個人事業主(芸術家を含む)を現金支給で支援する。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57079960S0A320C2MM8000/

さらに、国民へのメッセージの中で、民主主義における移動の自由を守るという大義を説いたうえで、それを一時的に抑制することへの国民の協力を求めている。GDPの何%の予算を使うとか、給付の条件はこうだとか言う、政治家の成果のような枝葉のことなど何も言わず、心に滲みるいい演説だと評価されている。

 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2898548533569883&set=a.151626904928740&type=3&theater

こういうのをリーダーシップというのだろう。

本書でも結局戦争の勝敗を決めるのは義のあるリーダーシップだと言っている。

さらに、ドイツの文化大臣のメッセージも素晴らしい。日本の文化庁長官のメッセージとのあまりの違いに、私の知人の芸術家は愕然としている。

ドイツ:フリーランスの芸術家への無制限の支援を表明

https://jazztokyo.org/news/post-50875/?fbclid=IwAR31la9WaSoGGR35MdzhjqBfYNTtHj6lPU_hcsPeTpV_tLcNPsZVqtu7DBA

 日本:言葉だけ、支援の表明なし  https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/sonota_oshirase/20032701.html

 

さて、ここまで各国のコロナ対策における戦略を主にリーダーシップの観点から見てきたが、本丸の大戦略であるコロナウイルスの抑止に関する状況を見ておこう。

 

【ウイルスをいかにやっつけるか】

症状抑止薬については、既存の薬の転用で効果のあるものを探す試験が各種行われている。日本はアビガン(中国も支持)。大村先生のイベルメクチンや、ナファモスタットも見込みがありそうだ。アメリカ(インドも)はヒドロキシクロロキンを期待しているようだ。ただし、薬には副作用もあるので注意が必要だろう。

アビガン

https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14305

ナファモスタット(フサン)

https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00060.html

イベルメクチン

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20200408-00172075/?fbclid=IwAR04dHUDtONJzM80kk8A3USjzgU0vHOiEDgArmhcyHg855ceHhKuNdFubWk

 ヒドロキシクロロキン

https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/20/03/31/06752/

 

重篤肺炎=間質性肺炎の治療薬:アクテムラ】

新型コロナの厄介なところは、肺炎を起こし、時に間質性肺炎という重篤な状態になろこと。

この間質性肺炎の治療薬については、阪大の岸本忠三教授が開発し、中外製薬が作っているアクテムラ(点滴薬)が有望である。薬価は3万円ちょっとぐらいで、阪大系の本庶佑先生も一押しの薬剤である。

新コロナが重症化して致命的な間質性肺炎を起こすのはサイトカインストームという免疫系の異常反応が起こるため。もともと免疫異常が原因で起きるリウマチの治療薬であるアクテムラが、同じように新コロナウイルスが引き起こすサイトカインストームを抑止することが期待できるということのようだ。

https://newspicks.com/news/4838516/body/?ref=index

 まとめると、フサン(錠剤のカモスタットが簡便)でウイルスの侵入を防ぎ、侵入されららアビガン(錠剤)で増殖を押させ、重篤化しそうならアクテムラ(点滴薬)でサイトカインストームを防ぐ。という3段の備えで新型コロナに立ち向かうということが期待できると理解した。

 

【ワクチンのことをよく理解したい】

さて、大本丸の新型コロナウイルスのワクチンの開発状況である。

現在人体試験が行われいるのは、従来のような弱めたウイルスを体内に入れて抗体を形成させるタイプのワクチンではなく、遺伝子工学的な手法でウイルスの蛋白質を形成させ、それに対する抗体を形成させるものようだ。本物のウイルスを使うのではないので、安全に速く開発できるというのがウリだそうだが、人工的に作られた遺伝子が体内に入ることの影響がこの分野には詳しくない私には推し量れないところがある。

RNAワクチン

https://jp.techcrunch.com/2020/03/17/2020-03-16-first-clinical-human-trial-of-potential-coronavirus-vaccine-set-to-start-monday/

DNAワクチン

https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14208

 

ちょっと余談になるが、

ウイルスに関しては、現在ではこの世に存在していない、あの恐ろしいスペイン風邪ウイルスを遺伝子工学的に合成することに、東京大学医科学研究所(白金台)の河岡義裕氏のグループが成功している。

あの4000万人が死亡したスペイン風邪の遺伝子情報(他の研究者がスペイン風邪で死んだ人の土葬された遺体からウイルスを採取してDNA解析をしたという)からスペイン風邪ウイルスそのものの人口合成に成功している(2007年)。

https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/research/papers/07011901.html 

そしてその猛毒性を証明し、その機構の解明の研究をしたとのこと。普通はインフルエンザにかからないサル10匹にこのウイルスを投与したら10匹全部が発症して死んだという。最近たまたま見ていたNHKの番組に河岡氏が出演していて、このこと話しているのを聞いた。びっくりした。多分これ。

https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2020040402442

これから、細菌兵器の恐怖(小松左京復活の日」のM-88など)を感じるのはSF映画を見過ぎた素人の戯言なのかどうか私にはわからない。ここで合成したスペイン風邪ウイルスは、白金台の研究所のどこかでいまだに存在しているのか、研究完了後に完全滅失が保証される形で処理されたのか、不安を感じるのは私だけではないと思う。(その話はなかった。)

 ウイルスが世界を滅ぼすのはネットの世界だけでなく、実世界でも起こり得るのは今の新型コロナの厄災を見ていても容易に想像できる。

 

【ポストコロナの世界】

さらに蛇足だけれど、いわゆる文化人と言われる人々が、ポストコロナの世界は今までと全く違う世界になる。人と握手もせず、大人数で集まることもしない。人の移動は政府から常に監視されるようになる。ネットでできることはみんなネットでやって、世界中を旅して世界遺産を満喫するようなことはできなくなる、なんていう人もいる。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200406-00010009-chuspo-ent

私は冒頭書いたように、そうはならないようにするというのが大原則だと思う。

ハラリも人が倫理観を向上させることによって世界に壁を作らないことの重要性を言っている。

http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/?fbclid=IwAR0zl1DpSGZVoEwE3XqSI6oLuFyHPah1TpcYtx3rR5Ik3LLlLU4bsfMtQj4

http://web.kawade.co.jp/bungei/3473/?fbclid=IwAR3IW2iRtih-MZ_5SzPx1CdQhK__fvrvt8-XFdRomwTTFtJOCkqPNbyCkxE

そういうことは起きないだろうし、また、決して起きないように、各国が全力を尽くすと思うが、仮に今の78億人の世界人口の何分の1かがウイルスの厄災によって失われるような事になれば、確かに世界は変わる。

今回の新型コロナウイルスは克服できても、別の猛毒性のウイルスが出現しない保証はない。なので、それを監視し、それらしきことが起こる予兆を見つけて早く対応する体制は強化されるだろう。そのためにビッグデータ監視国家の色彩を強める国は出てくるだろう。そのときやっぱり根幹をなすのは倫理観と経済成長の欲求充足のバランス感覚なんだろうな。

とりあえずここまで。後は別のブログにしよう。