パリの旅行記 美術館とパサージュ巡りの至福の日
しばらくは海外旅行に行けそうもないので、昔の楽しい旅の写真を整理しつつ、旅行記を綴ってみようと思う。
第一話はパリ。
2018年6月の家族旅行のことを綴ってみる。私は仕事を含めれば3回目のパリになる。
JALのツアーでまずはスペインに行ったのだが、その帰路が、バルセロナから飛んで、シャルルドゴール空港でトランジットすることになっていた。せっかくなので、パリ延泊のオプションをつけて3泊4日でパリを楽しむことにした。
泊まったホテルはオペラ座のちかくのプチホテル。2人くらいしか乗れない小さなエレベーターの扉を手動で開けるのが面白かった。
夕方に着いたので、まずは、近くのエドワードセット(エドワード7世)ホテルのレストランでディナー。とにかく盛りがきれい。ああ、さすがパリだな、と思う。
2日目は、マイバス社で別途予約しておいたバスツアーで午前中は市内観光。定番コースを廻ってから、ムーランルージュを眺めてモンマルトルにケーブルカーで登った。
昼にガレットを食べた。ガレットは食事系とデザート系の2枚を食べるものだと初めて知った。どちらもびっくりするぐらいおいしかった。
午後はバスでベルサイユ宮殿へ。
夕食はホテル近くのビストロでカジュアルに楽しんだ。フィレ肉の上にフォアグラがのっているが、値段は特段お高くはない。ビストロはファミレスみたいな庶民の食堂だな。
さて、3日目。絵画鑑賞のメインイベントデー。ホテルからルーブルまでは歩いて10分ぐらいで着いた。ドラクロア展をやっているようで期待が高まる。この建物を通り抜けたところに入り口がある。
このピラミッドのところから入る。凄く並んでいるように見えるけれど、15分ぐらいで中に入れたと思う。
チケットを買おうと周りを見てみると、今日は入館無料の日(6月3日、日曜日)であることに気が付いた。そういえば以前来た時もそうだったことを思い出す。
ルーブルは広すぎて、先回来たときはイヤフォンガイドを借りたのだけれど、今回は有名どころの絵画を中心に見て回ることにした。
先回も見たフェルメール(1632-1675年)の「レースを編む女」と「天文学者」を真っ先に見ようと、案内係にその場所を聞くと、今は海外貸し出し中とのこと。残念。「レースを編む女」の赤い糸をもう一回しっかり見たかったのになあ。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2019/02/17/221220
せっかくだから先回撮った写真を掲載しておこう。
そこで、まずはお決まりの「モナ・リザ」へ。「モナ・リザ」だけがガラス越し。見物人も多いので、絵画を鑑賞するというよりは、何か宝物でも見る感じになってしまう。二度目とは言え、「見た!、写真撮った!」以上にならない。丹念に画を見る感じにならないのが不思議。絵から遠いところから眺めているからかなあ。
2017年に、イタリアでダヴィンチ(1452年ー1519年)とミケランジェロ(1475年ー1564年)を見てからつくづく思うのだが、二人が活躍した1510年頃は、ルネサンス期で人間が解放されつつあった時代とはいうものの、2人の画題はほとんどが聖書からきている。
スポンサーがカトリック教会や王侯貴族などの信者で、そういう絵や彫刻を依頼した面もあるんだろうけれど、絵そのものがまだ(バロック音楽のように)宗教表現であって、印象派の画家のように、描きたいものを描きたいように描くという時代ではまだなかったんだろうなと思う。
その文脈で考えると、モナリザは一見宗教画でもなんでもないのに、なぜ皆が引きつけられる世界一有名な絵画になっているのだろう。それは「ダヴィンチが宗教を離れ、純粋に画の表現の対象を一般人に見つけたからだ、これこそ、美術の宗教からの解放であり、ダヴィンチが画期的に凄いところだ。」と思いたくなる。
ところが、美術史家の森耕治氏は、「モナ・リザ」は、当時は異端的でタブーとされる「イエスを懐妊しているマリア」を隠喩的に描いたものだ、という斬新な説を公開している。その説は私にはとても腑に落ちる。
https://www.facebook.com/yoshihiro.kawase.35/posts/1706953509461810
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1147336712304375&id=100010841718444
ちなみに、カトリック教会を痛烈に批判し、神と人が(教会を介さずに)直接つながることを求め、聖母マリアと聖人を重視しないプロテスタントに繋がる、ルターの宗教改革は1517年から始まる(カトリックの教会にはイエスやマリアの像があるが、プロテスタントの教会にあるのは十字架だけ。プロテスタントの世界では聖母マリアの絵は描かなくなると見るのが普通だ)。
ダヴィンチは1519年に亡くなる。ダヴィンチその人はカトリックだったろうから、マリアを崇拝する思いは強いはずで、「イエスを懐妊しているマリア」を描くという内に秘めた強い思いが、当時の最新画法をふんだんに用いて何年もの年月をかけて完成させるというモチベーションになって名画を生んだと、考えたいなあ。
「モナ・リザ」の世界一美しいと言われる手は、おなかのイエスを守っているからこそ、と思えばとても肚落ちするのです。
さて、聖母の絵といえばラファエロ(1483年ー1520年)も外せない。2016年にフィレンツェのピッティ宮殿内のパラティーナ美術館のラファエロの部屋を訪れて以来、とても好きになった画家だけれど、これもいいなあ。ダヴィンチと同時代人だけれど、聖母がやさしく描かれ、画風が愛の溢れる明るい感じなところが好きだな。
ルーブルに来る数日前までスペインにいて、プラド美術館にも行き、ゴヤの「カルロス4世の家族」や、「裸のマハ」、黒い絵などの印象がとても強かったので、ルーブルにあるこの絵もとても印象に残った。
マリアナってどういう人だったんだろう。意味ありげな、黒い衣装の女性を描くところはマネ(1832-1883年)の「すみれの花束をつけたベルトモリゾ」を思い出したりする。
スポンサーが王様(カルロス4世)であっても、描きたいように描くというのは、ゴヤあたりから始まったんだろうか。
アングルもある。
これもいいなあ。年代的にエキゾチックなロマン派に繋がって行く感じがある。オダリスクとはオスマン帝国でスルタンなどに仕えた女奴隷のことらしい。
さあ、次はロマン派の代表であるドラクロア(1798-1863年)。描きたいものを描きたいように描いて、ひとの気持ちを揺さぶるところがロマン派そのものだなあ、と思う。
ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」は1830年7月のフランス共和派の民衆の蜂起(3日間の栄光)を描いたもの。ビクトルユーゴの「レ・ミゼラブル」の映画の中で歌われる「民衆の歌」はこの頃の共和派の人民達によって歌われたとされる。
1830年には、ショパンはパリにいたし、若き二十歳の数学者ガロアもパリにいて、共和革命を熱望しつつ、その頭の中では、代数方程式解の問題を、解の持つ対称性の構造を考える幾何学に変換して扱う(群論)という大革命が進行していた。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2020/05/27/105306
しかし、その当時のパリは「花の都」どころではなく、映画「レ・ミゼラブル」で描かれているような、汚物と浮浪者が溢れ、感染症が蔓延しているひどい街だった(パリのコレラの流行は1832年)。そんな街で、ロマン派の絵画や音楽、先端的な数学が花開いているとは一体どういう事なんだろう。というのが私の今の大きな関心事の一つではある。
「花の都パリ」につながる、パリの大規模な都市計画が進むのは1848年のナポレオン3世以降なんだな。
今回のドラクロア展では「サンダナパールの死」が目玉の展示で、結構強烈な印象だった。
ここで少し内部の様子がわかる写真を掲載しておこう。
さて、ルーブルは「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」の巨大画を最後にあげて、印象派以降の近代絵画が満ち溢れるオルセー美術館に向かおう。
ナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれたもので、前の人物と比べるとその巨大さがわかる。権力と権威を象徴させる絵の代表に見える。
ルーブルからオルセーへは、セーヌ川にかかるキャルセール橋を渡ってすぐ。橋の上から2つの美術館を見回すと、「ああ、パリにいるなあ」と楽しい気分になる。
まずは、美術館内のレストランで腹ごしらえ。
2007年に初めてオルセーに来たときは、セザンヌ(1839-1906年)に圧倒された。本物を見る前は、「セザンヌはリンゴや山を描いて何が面白いんだろう」と思っていたが、その存在そのものを描いたような力強さに圧倒される。絵の具の厚みというか、色と形の迫力というのか、絵が3次元で、色調がアナログだからこそ伝わるものがあるんだなあ、と強く思う。
今回は山だった。写真ではよくわからないけれど、この山の前に、とてつもない広い空間が広がっていることが分かった時は、「えー、なんだこれは! どうやったらこの狭い額縁の中にこんな広大な空間を納めることができるんだ。なんて凄い絵なんだろう!」とひたすら感動しまくっていた。
この「首吊りの家」も空間的な奥行きを感じる、思わず見入ってしまう凄い絵だと思った。
さて、次はルノワール(1841-1919年)。ルノワールと言えば、やっぱり「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」。最初に見た時は音楽が聴こえるようだと思ったが、今回は、むこう向きに椅子に座っている男性の背中に当たっている木漏れ日がやけに暖かく感じた。さすが、光を描く印象派の絵だなあ、とつくづく眺めてしまった。
次はマネ(1840-1926年)。マネと言えば「草上の昼食(1863年)」。
この絵に感化されてモネが描いた「草上の昼食(1865年)」もある。モネの方は、残念ながら、右側の絵の上下と右の一部が当時の事情によって傷んでしまい、モネ自身が除去したという経緯があるようだ。
モネをもう一枚
なんかいなあ、という感じでづっと眺めていたくなる。
マネの次の画は「日傘の女」。上から自然光を取りいれた展示になっていて、印象派の絵の展示方法として素晴らしいなと思った(採光の具合は、モネの「草上の昼食」の写真の上の方を見るとよくわかる)。
マネは輪郭をはっきり描かない印象派そのものだから、ルノワールと違って女性の表情がよくわからないなあと、森先生の講演を思い出す。
ドガもある。
ゴッホ(1853年-1890年)、ゴーギャン(1848年-1903年)もしっかり見た。
さて、これからオランジェリー美術館に向かう。
オルセーを出てセーヌ川をルーブル側に渡って、チェイルリー公園をコンコルド広場の方に15分ぐらい歩くと着いた。初めてなのでちょっとワクワクする。5分ぐらい並んで、ここも無料で入場できた。日曜日はオルセーも含めて美術館は無料開放なのかな。
ここの1階は晩年のモネの「睡蓮」を展示するためにある。円筒形の部屋が2つあって、それぞれの部屋に4枚づつ、360°ぐるりと1周するように展示されている。
下の説明図にあるように、朝だったり、日没だったり、その時の光が描く睡蓮の池を描写している。写真に撮った絵はそのうちのどれだったのか残念ながら覚えていない。
オランジェリーはモネだけではない。地下にジャン・ヴァルテール&ポール・ギヨームコレクションが展示されていて、ルノワールやユトリロ、モディリアーニ、ピカソ、マチスなど名画の宝庫だ。これにはびっくりした。
これは、オルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち」と同じ少女に見えるが、どうだろう。と想像が膨らむ。裕福な家庭では、当時の日常の中での肖像画とは今でいう(スナップ)写真のようなものだったのかもしれない。
ルノワールは後年になると、(輪郭を描きたいので)印象派の画風から離れたと森先生に教わったが、「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル(1898年)」はオルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち(1892年)」よりも、輪郭がくっきりしているように見える。
「髪長き水浴の乙女(1895年)」はこれぞルノワールに見えるけれど、「横たわる裸婦(1906年)」になると、私は一瞬ルノワールかどうか迷ってしまう。一人の画家を年代中に並べてみるのも面白い。
私はピアノを弾くので、ルノワールは何でピアノを弾く女性たちを何枚も描いたのかなあ、と思う。
画の中に譜面も描かれているので、その女性たちはどんな曲を弾いてたのだろうとも思う。モーツアルトかチェルニーか、なんて勝手に思うが、時代的に印象派と言われるドビュッシーを弾いているのもありかも、と妄想してしまう。
ドビュッシーの生没年は1862-1918年。作品で見ると、ベルガマスク組曲(月の光が入っている)は1890年。前奏曲集1(亜麻色の髪の乙女が入っている。:亜麻色の髪の乙女ってルノワールの画みたいだな)は1910年。
イヴォンヌとクリスティーヌが「月の光」を弾いていた、なんてのもありえるんじゃないの、と勝手に思ってしまう。
光を描こうとした印象派絵画と、風景や情景を音で表現しようとした印象派音楽家(ドビュッシー)って相互の影響があるのかどうか。旋律が輪郭で、和音が光だろう。光の見え方がハーモニーだ。そんなことも考えてしまう。
イヴォンヌとクリスティーヌが描かれた1898年は、ルノワール57歳。ドビュッシー36歳。この2人が、例えば2人の父であるルロル氏と面識があって会ったことがあるかも、なんて考えるとなんかワクワクするなあ。
ユトリロのモン・スンニ通りは、モンマルトルで写真を撮った場所(前掲載)に似てなくもないなあ、と思った。
モディリアーニの描いた男性は、このコレクションを集めたポール・ギヨームその人なんだ。これもびっくり。
19世紀後半から20世紀の初頭は絵も音楽も面白い。
さて、美術館を3館ハシゴして堪能した後は、タクシーでギャラリー・ラファイエットに行って、その後ホテルに戻って一休み。
夕食はちょっと奮発してホテル・ムーリスのレストラン ル・ダリへ。
このホテルにダリが長期滞在していたようで、ダリの雰囲気が漂っている。
食事は、ダリの出身地でもある、スペイン・カタルーニア地方の名物料理であるフィデウアを頼んだ。
フィデウアは、米でなくパスタで作ったパエリアのような料理。ダリもこれを食べていたのかな、なんて思いながらいただく。そういえば、フィデウアは数日前にバルセロナでもお昼に食べたな。
ル・ダリでは、ピアとドラムの生演奏(シェルブールの雨傘とか)を聴きながら、優雅に頂きました。
客層もなんだかすごい。お金持ちのシニアのお誕生会みたいなことをしているテーブルもあれば、日曜の夜なのにネクタイをして、いかにもビジネスディナーみたいに、ヒソヒソ話している二人連れもいる。旧フランス宗主国のアフリカの政府高官とフランス企業幹部の密談か、なんて勝手に想像を膨らませる。
とても非日常の空間で楽しかったな。
さて、最終日。フライトは午後なので、お昼過ぎまでホテル近くのパサージュ巡りを楽しむ。ギャラリー・ヴィヴィエンヌにも行った。
さて、パリの締めのお昼は、ギャラリー・ラファイエットの中の中華のカフェテリア。久しぶりの醤油味の滲みたごはんがハラワタに滲みわたる。海老もおいしかったな。
空港でいくつかお土産を買って帰路についた。パリが堪能できたとても楽しい3日間でした。
#パリ観光 #ルーブル美術館 #オルセー美術館 #オランジェリー美術館 #モンマルトル #レオナルド・ダビンチ #ルノワール #ギャラリー。ラファイエット ♯パリのパサージュ巡り
【YouTubeでジャズを習うー(3)】 ピアノでの4音(マイナーセブンス♭5とか)、5音(メジャーセブンス+11thとか)のオシャレコードの押さえ方とボイシング
私のピアノはクラシックの譜面再現型なので、コードで弾く訓練が全くできていない。
トライ(3の意味)アドと言われるドミソのような三音和音もキーが違うと(D♭とか)「あれっ」て感じだし、4音のメジャーセブンスどころか、5音のメジャーセブンスナインスとかイレブンスとかのテンションコードになると、5つの音をどうやって弾くんだいと、フリーズしてしまう。
ジャズの(セッションの)場合、クラシックと違って、オタマジャクシが縦積みされた和音の音符が記載された楽譜を使う訳ではない。
基本のコード進行だけが決まっていて、それに対して自分がどういうテンション音を載せ、どういうボイシング(コードの構成音の配置のさせ方)で、どういうリズムで弾きつつ、どういうフレーズでオカズを入たり、アドリブを弾いたりするかが勝負となる、と理解した。
なので、ジャズをジャズらしく楽しむには、テンション音の加え方を含むコードの展開力をつける必要がある。
さて、どうしたものかと思案している時に、こんなありがたい動画を見つけた。
このピアノ弾き語りレッスンの番組は結構私の知りたいことを教えてくれる。
(4和音コードの押さえ方の早見表)
https://www.youtube.com/watch?v=qibTfrxmq2g
(メジャーセブンスの応用展開)
https://www.youtube.com/watch?v=lXCfkYRR9FY
セブンス:左手ルート、右手はそのメジャーコードのルートを一音さげて弾く。
メジャーセブンス:左手ルート、右手はサードから始まるマイナーコードを弾く。
マイナーセブンス:左手ルート、右手はサードから始まるメジャーコードを弾く。
マイナーセブンス♭5:左手ルート、右手♭サードから始まるマイナーコードを弾く。
なるほど、こう覚えれば、コードの展開を含めてキーが何でも対応できそうだ。
動画の中でも言っているけど、F♯m7♭5は Am on F# と書いてくれればいいのにな、とは思う。
さらに、右手は3本だけ使っているので、余った指でナインスとかイレブンスの音を足してコードのオシャレ度を上げることもできるという実演を見ると、まさにオシャレな弾き語りピアノの完成に思える(やってみよう)。
でも、その前に三和音(トライアド)のメジャー、マイナーのコードの押さえ方を展開も含めて手になじませないといけないな(ギターと同じだ)。
さらに、このチャネルでは、5和音からなるテンションコードの押さえ方(ボイシング)も教えてくれる。
メジャーセブンスに9thの音を加えるやり方
https://www.youtube.com/watch?v=unS9OTEnweM&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=5
左手はルート、右手は7,9,3,5 か 3,5,7,9 をコードの流れを考えて選ぶ。
同様に、セブンス、マイナーセブンスにナインスを加える説明動画もある。
(セブンス+9th)
https://www.youtube.com/watch?v=t0vSHV3fNJ4&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=3
(マイナーセブンス+9th)
https://www.youtube.com/watch?v=Ji-dKdP0l68&list=RDCMUCBry-IGC_zBdmNkgMucqC7A&start_radio=1&t=345
さらにマイナーセブンスに11thを足す場合(5音の場合のボイシング)
https://www.youtube.com/watch?v=s-KVB_Yt7hc&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=1
右手ではルートと5thを弾かないのがポイントなんだな。つまり、右手は、短調か長調かを示すサード音と、テンション系の7th、11thだけを弾く。さらに9thを足すという例も示している。
ジャズ系のソロピアノや弾き語りの場合は、ルートは左手に入れて、コードはボイシングして(左右に)入れる。右手は2、3本の指で3度やテンションのコード音を入れつつ、空いた指でメロディーぽいものを弾く、というやり方が最初に目指す形かなと思った。
#ジャス #ジャズピアノ #テンションコード #ボイシング
【YouTubeでジャズを習うー(2)】 定番コード進行を覚えるとカッコよくギターが弾けそうだ。でもペンタ(=ブルーノート)の指癖一本やりではオシャレさが足りないのも分かった。コードトーンを入れよう。
Youtubeを見ていると、ジャズ系の定番コード進行を教えてくれるものが結構ある。
例えばこれ。この動画はとてもいい。ギターなので私にはわかりやすい。
https://www.youtube.com/watch?v=q1xWTGl3fCg
ここで出てくる定番進行は キーはCとして
① Dm7(Dm9でもいい) | G7 | CM7 | A7| 最初はII-V それの循環型
② FM7 E7 | Am7 (Gm7 C7を入れてもいい) | 超定番 (Two of usなど)
③ Am7 | Gm7 C7 | FM7 | E7 | 超定番 (Sunnyなど)
④ Am7 | D7 | (マイナーコードをオシャレにする)
⑤ CM7 | Gm7 C7 | FM7 | 今の流行り (③の変形)
の5つ。
途中で講師のソエジマトシキ氏がやっているように、コードの切れ間でちょっとアドリブのフレーズというかオカズ(フィルインともいう)を入れられると、もう演奏している感じがでるなあ。やってみよう。
スケールはAmのマイナーペンタ(すなわちCのブルーノート)でいいとのこと。
最後の、固定コードでなく、度数コードで覚えるというアドバイスも的確(ギターなら平行移動とコードパタンの変更だな)。
サニーのコード進行がわかったのはありがたい。
サニーというと、この間の医療従事者支援のオンラインチャリティで、ビリーアイリッシュが、ピアノ伴奏で歌った、Sunnyのカッコよさにしびれた。これをピアノで弾き語りたいと思ったのだけれど、コードが耳コピできず、やれていなかった。これでコードがわかったので、やってみようかな。
https://www.youtube.com/watch?v=IJuHn8JzhP0
ソエジマ氏のこの動画を見ていて、ジャズ系のギターコードの押さえ方はポップス・ロック系と少し違うことに気が付いた。
例えばFM7を8フレットのハイポジションで取ったり(E♭M7の2フレット上)、Gm7もちょっとコードの中の音のとり方(これをボイシングと言うらしい)が違う。こうすることでジャズ系のオシャレ感が出てくる。
つまり、ルートや5度の音よりも、セブンスやナインスなどの特徴的なテンション音を響かせつつ、マイナー・メジャーを決める3度はちゃんと入れる。ということのようだ。
ジャズでは、コードでルートを弾かない、という事もあるそうだ。これにはちょっと驚いた。その理由は、ジャズの場合、バンドで演奏する時は、ベースがルート音を担当するから。あくまでもジャズはバンド全体で作るものなんだな。
ジャズギターのコードの押さえ方は一度全体を整理しておく必要がある。
最初はソエジマ氏の真似をすればいいかな。
【追記】
ソエジマ氏のチャネルを見ていると、氏が指摘している「ペンタ(=ブルーノート)指癖一本やりの深みのなさ」とはまさしく俺のことだと思い知った。コードトーンを入れないとね。
https://www.youtube.com/watch?v=R77tioQDHtQ&list=RDq1xWTGl3fCg&index=6
#ジャズギター #定番コード #サニー
【YouTubeでジャズを習うー(1)】ジャズはアドリブとリズム、オシャレコードにあり。まずは元ロックギター少年になじみやすいジャズブルースから入門してみる。早速、JAZZ HANONを始めて見た。
最近のリラックスタイムは、リビングのテレビでYouTubeをよく見ている。
グーグルアシスタントの機能があるので、リモコンに向かって「ジャズピアノの弾き方」なんて叫ぶと、お勧めの動画がいっぱい出てくる。
よさげなチャネルの番組を見て言ると、ジャズは全くの素人の私でも「ああ、そういうことか」と気が付くところが結構あって、自分でも「ジャズやるべ!」の気分になって来る。
なんといっても本と違って動画なので、ピアノの鍵盤やギターのフレットのポジションと実際の音がわかるので、自分でもマネしてやってみようという気になるところがいい。
こういう実技系の学びにはYouTubeはとても有効だという事がわかる。
クラシックのピアノをもう10年以上習っているけれど、数分の曲がある程度弾けるようになるのに、何か月、場合によると何年もかかっている。クラシックの名曲はそれだけ時間をかけても学ぶ価値と喜びはしっかりあるのだけれど、あまりにも進みが遅い。まあ、それは、好きな曲を技量が追いつてもいないのに、無理やり弾こうとするからなんだけれどね。
時々、クラシックの名曲のジャズアレンジ版の楽譜を手にいれて自分でやってみたりするのだけれど、これは譜面どおりに弾くという行為なので、ある意味ジャズではない。ジャズの基本がわかっていると、もう少し譜読みが楽になるかな、と思うところはある。
ジャズはアドリブと言われる。
中学生の頃、ロックバンドをやっていて、ブルースのジャムセッションをたまにギターでやっていた。ブルースはコード進行が決まっているので(ハ長調なら、C7-C7-C7-C7-F7-F7-C7-C7-G7-G7-C7-C7)、そのコードに合わせてブルーノートスケール(ハ長調なら、ドーミ♭ーファーソーシ♭の5音階=ペンタ)で、その時思いついたフレーズを弾けば、ブルースのアドリブを弾いていることになる(大抵は指癖でスケールみたいなものを弾いている)。
私の場合、ギターであれば、どのキーでも、ブルーノートのスケールの運指が身についているので(キーを変えたら指位置を並行移動するだけ)、指癖とチョーキングだけでなんとなくアドリブ(というか一人遊び)ができてしまうが、それがカッコいいかどうかは別の話になる。
ジャズにもジャズブルースという分野がある。12小節で回っていくのは同じだけれど、コードがジャズらしくオシャレになっている。
例えば、ジャズブルースのコード進行とロック系のブルースコード進行との違いが対比でわかる動画はこれ。ちょっと言葉と内容が難しい。(実演だけを見るなら6:40ぐらいから)
https://www.youtube.com/watch?v=KTF6CX8wXrQ
私のブルース/ロックギターはブルーノートスケールだけで弾いているけれど、ジャズブルースの場合は、ブルーノートと同じマイナーペンタトニックスケールや、いろんなテンション系の音を含んだオルタードスケール、ディミニッシュのコードトーンなど、複数のスケールをコードに合わせて使いこなすとオシャレになるんだ、とこの動画は言っているんだと思う(ジャズの言葉は難しい。カッコよさげなんだけど、初心者はひくんだよなあ)。
ちなみに、CのブルーノートはCmのマイナーペンタトニックスケール(すなわち、E♭のメジャーペンタトニックスケール:ミ♭ーファーソーシ♭ード)と使う音は同じなんだと気が付いた時はちょっとびっくりした。
注】ペンタ(5の意味)トニックスケールとは、そのキーの4度と7度を抜いた5音(ド―レーミーソーラ)で作る音階。ヨナ(47)抜き音階とも言われる。「蛍の光」は典型的なヨナ抜き音階。
昨年ゴスペルで歌ったAliveという曲は、Cmのキーだったんだけど、Cのブルースに聞こえた。それはCmのペンタトニック音階で作った曲だったという事なんだな、といまさらながら納得した。
さて、これら各種スケールの運指(動画の前半の内容)をコードに合わせて弾けるようになるのが、ジャズブルースギターの基本なんだと理解できる。ブルーノートスケール1本だけのロック系ブルースよりむずかしい、という事になる。
さて、ピアノでのジャズブルース。
ジャズブルースピアノの弾き方の説明は例えばこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=1uG59pqZ-n8
3つのスケール(メジャーペンタ、マイナーペンタ、ジャズブルース)を重ね合わせた上で、コードに応じてシームレスに弾きこなす技を教えてくれている。(5:50以降でデモ演奏がある)カッコいいよね。でも、ちょっと難しい。
【オシャレジャズ系ピアノ】
ピアノの場合、ちょっと男っぽいジャズブルースもいいけれど、ギターよりも広い音域でコードがならせるので、テンション系のコードを使って、ポップスのスタンダート曲をオシャレな響きで弾くのもいいなと思う。
例えばこんな動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=ITd-fnE55fc&list=PL9zW-3bazp7RUa37F1XSDNnd9Qkahe6Dy&index=6
カノンのコード進行をオシャレコード進行に置き換える実演。
♭9と♭13のテンション音の使い方の例はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=XqegaUo5ma0
ディミニッシュとオーギュメントコードの使い方の例はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=VY5TQfnUJCM&list=PL9zW-3bazp7RUa37F1XSDNnd9Qkahe6Dy&index=5
こういったオシャレコードが自由に使いこなせるようになるといいなあ。
ここで引用している、ずっしーの音楽教室のチャネルは、実際の例をスカッと知るにはとてもいいと思う(こんな風にサクサク弾きたいよ)。
でも、オシャレにしただけではラウンジピアノと言われるかもしれない。それもいいけれど、ジャズっていうからには、シンコペーションのようなリズム感やスピード感が欲しいよね。
これもずっしーさんから。
https://www.youtube.com/watch?v=X8ife7dFlqU
アドリブをするなら、基本的なコード展開をいろんなリズムで弾けて、それに合ったスケールを使ってメロディーを作るという事なんだろうなあ。
有名なII-V-Iのコード進行(ハ長調なら、Dm7-G7-CM7)で延々とアドリブする例。
https://www.youtube.com/watch?v=6I5qKRyCstc
アドリブやってるなあ、て感じがする。
まあ、こんな風にアドリブを入れて弾けるといいけれど、自己アドリブは道が遠い。まずは、カッコいいJAZZピアノソロの楽譜を手に入れて、ジャズの知識を得た目で見て、楽譜再現するのが最初かなあとは思う(なーんだ)。
という事で、オアゾ丸善やヤマハ銀座店に行って、いろいろジャズの楽譜本を漁っていると、JAZZ HANONというモノがあることに気が付いて、1冊買ってきた。
今は、最初の、左手は4音のCのキーのダイアトニックコード(そのキーの音階にある音のコード)をまずCM7(ドミソシ)の三度重ねの4音の2分音符から始めて、その指の形を保ったまま白鍵上を(キーがCだから)横移動させながら弾き、右手はその4音コードの構成音を8分音符のアルペジオのように弾く、というものをやっている。
4音ダイアトニックのコードの中に、マイナーセブンス(Dm7, Em7)、メジャーセブンス(CM7,FM7)、セブンス(G7)、マイナーセブンス♭5(BΦ)まで出てくるのがちょっと面白い気付きだな。
II-Vと言うのは、ダイアトニックコードの中で、2番目のマイナーセブンスのレファラドと5番目のメジャーセブンスのソシレファのコードを弾くこと(キーがCの時)。レファが共通で、短三度のラドと長三度のソシを入れ替えることなんだな。C調の基本音である、ドとミの音がないので終止感がなく、マイナーとメジャーが繰り返されるので、どこまでも続けられる感じになる、という事なんだろうか。
定番コード進行のことは別記事にまとめよう。
#ジャズやるべ #ジャズブルース #ジャズピアノ #オシャレコード
2020年6月30日にこの本を読んでみた。
瀧本哲史氏。東大法学部卒業と同時に助手(ほぼ首席卒業を意味し、そのまま進めばいずれは東大法学部教授)になりながら数年で退職して、マッキンゼーに転職。その後、エンジェル投資家として成功し、京大客員准教授として「企業論」や「意思決定論」を教える。
この本は、氏の母校である東大の伊藤謝恩ホール(イトーヨーカド―創業者伊藤雅敏さんの寄付で立ったビルにあるホール)で10代、20代の300人の若者に向けて、2012年6月30日に語った講演会を記録したもの。
氏は、最後に2020年6月30日に、またこの場所で会って答え合わせをしよう、と言って講演を終えたが、残念なことに氏は2019年8月に病気で亡くなってしまった。
私はもうシニアと言われるのに近い年齢だけれど、2012年の時点でこれからの日本は若い世代の活躍にかかっていると期待して、熱い言葉を語った氏のメッセージと時代理解を知り、その先見性に対して、この8年で何がどう変わったか、変わらなかったかを検証してみたくて読んでみた。
【氏のメッセージ】
・カリスマに期待して世の中が良くなることはない。
・氏は、世の中を変えそうな人をたくさん作って支援することで世の中を変えられる可能性が高いと考えている。そのために武器を与えたい。武器を与える対象は20代の若者で、自分の頭で考え行動できる人。既成概念に凝り固まったエスタブリッシュメント層には期待できない。
・氏の言う武器とは、言葉と交渉力。言葉は論理とレトリックで出来ていて、この2つがそろうと言葉は力を持つ。その言葉を使って交渉力を発揮して、仲間を集める。
・交渉の極意は、自分たちの不幸を言うのではなく、相手が得と思うことを聞くこと。要は「聞いたもん勝ち」。相手の情報を集めて相手にとって魅力的でユニークな提案をすること(交渉は相手の利害を分析する情報戦と心得よ)。非合理な相手は猿だと思って研究すると気持ちが乱れない。
・仲間を作る時は、自分と属性の違う人を集める(井深大と盛田昭夫だな)
・世の中は、若者:旧世代=1:2なので、単純な多数決(民主主義)では若者は勝てない。なので、交渉力を使って旧世代の2人に1人を仲間に引き入れる「分断工作」が必要。
・若者は霞が関の競合を作るべし。シンクタンクのような民間組織で政策立案に影響力を発揮する。
・ダメな場所にいて援助を受けるのは、そのダメの根本にある不合理が温存されるのでダメ。ダメな場所を離れることで世の中は変わっていく。
・政治でもビジネスの世界でも大きな変化を生み出すのは若者であるのを思い出そう(李明博、キャメロン、井深大、松下幸之助など)。
・パラダイムシフトは、旧説を墨守している年寄りが死んでいくことで結果として起きる。逆に言うと世代が交代さえすればパラダイムシフトは起きる。つまり、下の世代が正しい選択をしていけばいつかは世の中は変わる。
・ピラミッド型のトップダウン組織の時代から、フラットな組織での相互依存の時代になる。弱い力で繋がる相互依存の時代だからこそ、交渉力によって自分を有利な状況にもっていくことができる(上意下達ではないので)。
・中心がない分散的なネットワークを作る(これは先見性ありますね)。リーダをつぶそうとしても誰がリーダーだかわからない(アノニマスな)結社は強い(昔のフリーメーソン)。
・緩やかなつながりの秘密結社が、「意見は違うけれど、ある目的の行動のためには協力する」という動きをすれば、その件で世の中を変える力にはなり得る。そこでは仲間を増やすための交渉力が大事になる。
・ベンチャーの成功要因はテーマとメンバー。
・アイデアだけでは成功しない。同じアイデアを思いついている人は他にもいる。大事なのはそのアイデアを実装する実行力。それと、自分がその事業をやる理由が強いこと(自分の人生経験が入れ込まれているとさらに強い)。それさえあれば交渉力も迫力を増し、仲間も支援者も説得できる。
・Bon voyageとは、自らリスクと向き合って進んでいく船長に対して敬意を込めて言う挨拶。船員に対して言う言葉ではない。Bon voyageと言える自立した人間が世の中を変えていくことを期待している(結言のことば)。
・8年後の2020年6月30日にまたここであって答え合わせをしましょう。
【読んで思ったこと】
真っ先に思い出したのは若者がネットを活用しながら政治活動を行ったシールズ(SEALDs)である。
2015年から1年ぐらい活動して終わってしまった。「反安部」を前面に出した政治運動になってしまったので、各方面からの攻撃が凄かったんだろうな。
瀧本氏のアドバイスを考えれば、オジサン勢力を仲間にするための交渉の力となる、人生を入れ込んだビションが弱かったんだろうと思う。反○○だけでは人は説得できない。
そんなことを思い出しつつ、今いったい何が起こっているんだろうと思うのは、アメリカのBlackLivesMatter運動におけるジェネレーションZ(2000年頃生まれた若者)のことである。
https://www.businessinsider.jp/post-214266
SNSでデモを呼びかけ、誰がリーダーかもわからないが、集まって一応平和的なデモを行う。奴隷制を支持した南部を代表する昔の将軍などの銅像が引き倒されたりはするけれど、ひどい暴動のような形にはならなくなった(ここがフランスのイエローベスト運動と違うところ)。
この活動は社会に受け入れられている感じがする。トランプはごちゃごちゃいうけれど、それによって彼の立場はどんどん悪くなり、リベラル系の面々もこの運動を黙認している感じがする。なにか大きな社会的ムーブメントになりそうな予感がある。
香港が典型だけれど、最初は大学生が中心となった理性的なリベラル運動として始まったものに、別の意図を持った職業左翼やテロリスト、他国の工作員が入ってきて、デモが暴徒化し、最初の目的に対して真逆の結果になってしまうことはよくある。それが今のアメリカではあまり感じられないのは何か潮目が変わったのかと思ってしまう。
若者の過激な政治運動というのは、日本でも昔あった。それを全共闘運動と言う。1968年頃のことである(東大入試がなかったのは1969年)。
その頃アメリカでは若者のヒッピー文化が流行っていて、Summer of Loveと言われていた。ベトナム反戦活動の意味が大きい(終戦は1973年)。ジョンとヨーコが結婚してラブアンドピースをしたのが1969年。ウッドストックが1969年。
このころから50年経った訳だ。あのころの若者はさすがにもう70歳を超えた立派なシニアで、STAYHOMEしている。だから、今の若者(ジェネレーションZ)の活動は元ヤンチャな若者の「夢をもう一度」のアナクロニズムに汚染されないで済んでいるのだろう。
瀧本氏の言う、旧世代が死ぬことでパラダイムシフトが起きる、まさにその時代になったのだなと思う(シールズが活動した2015年はまだその旧世代(団塊の世代)が最後の一花にこだわる60代中盤だったことが災いしたのかもしれない)。
コロナに怯えてシニアがSTAYHOMEしている今こそが、若者がパラダイムシフトを起こす絶好のチャンスだ。
振り返って、日本の若者はどうなんだろう。コロナで飲食業でのバイトがなくなって授業料どころか生活費もない、などという話しか聞こえてこない。
翻ってアメリカ。アメリカは個人や企業の自由と利益を優先する共和党と、社会の平等と公正な分配を優先する民主党が政権交代を繰り返してきたのと、根深い人種差別問題があるので、分断された階層間の対立と社会的公正の実現に対する感度が高い。
ここが日本と大きく違う。日本人はたいてい日本人はみんな一緒と思っている。150年ぐらい前に、戊辰戦争という内戦をしたけれど、上野の西郷さんの銅像を倒せなんて今言う日本人は一人もいないだろう。私の友人の一人は、鹿児島生まれで、就職した会社の新人研修先が会津だったので、殺されるか、と怯えたそうだが、よくしてもらったよ。なんて冗談が出るぐらい内部的には平和な国だ。
アメリカでは、戊辰戦争の数年前に起きた、米国の内戦である南北戦争の決着はまだ完全にはついていないと言う人もいる。南部軍の旗が州の旗の一部に残っている州もある。非白人のオバマ大統領がでても根本解決にはなっていない。
アメリカのジェネレーションZが150年越しの大きなパラダイムシフトを起こすのか、注目している。その時には従来からのリベラルのシニアエリート層は一掃されるかどうかがポイントだと思う。
オバマはこの辺のシニアホワイトリベラルエリートを守った。だから大きく変わらなかった。バイデンはそのホワイトリベラルの代表。非白人急進リベラルの若いオカシオコルテスあたりが、ひょっとして副大統領にでもなって(多分無理)、バイデンに事故でもおこればとんでもないことになるかな、と他国のことながら妄想している。
さて、もう一度日本。コロナ禍をきっかけに、STAYHOMEしている旧世代を押しやるような大きなパラダイムシフトを若者が起こす感じは全くしない。
経済的な困窮が若者の活力を奪っているのか、答えのないことにチャレンジするマインドをなくすように仕組んだ旧世代の教育の仕組みが機能して、若者にとっては残念なことになっているのか。
アメリカでは、「I can't breathe.」と言って亡くなったフロイド氏の弟が、「暴力ではなにも変わらない。変えるのなら選挙に行ってくれ。」と言った。この一言はひょっとしたら歴史に残るかもしれないと思う。
瀧本氏の言う、言葉の力が仲間を作る好例だと思う。
日本ではどうだろう。「人を生産性だけで測るな!」と強い言葉を発した人が都知事選に出ている。この言葉が、困窮している若者を集約する力になるのかどうか注目している。
でも、瀧本氏はカリスマを求めるのではなく、自分から行動しようと言っているんだよね。
なんだか、日米の若者比較論になってしまったけれど、瀧本氏の2012年の言葉は今でも全く古びていない。
特に、中心がない分散的なアノニマスネットワークが世の中を変える力があると、2012年の時点で言っているのは凄い先見性だと思う。
話は突然経済になるが、旧来の効率の悪いSWIFTベースの国際送金の仕組みに風穴を開けようとしたビットコインの基本は、このオープンで管理者のいないアノニマスな分散システムにある。
オープンなのにハッキングが事実上不可能な価値交換(送金)と交換結果の合意形成の仕組みを作ったところが凄いところである。
ビットコインは2009年頃に始まり、2012年のキプロス危機の時の金融資産の逃避先として使われた頃から注目度が上がった。そんな頃に瀧本氏は分散型アノニマスシステムの将来性を見据えていたんだな。
それと、フラットな組織での相互依存の時代になるという予言。これは今後進んでいくだろう。けれど、ピラミッドの中間層にはびこって何もしていないオジサンたちが抵抗勢力。そういうオジサンたちはワークホームで自分たちの不要不急度が顕在化しているので、焦ってGOBACKOFFICEを叫んでいる。これもやりようによっては今がチャンスだ。
もう脱線しまくりだけれど、それは瀧本氏の言葉が今でも輝きを放っている証拠であるともいえる。
若い人はもちろん、どなたにもお勧めです。
#瀧本哲史 #BlackLivesMatter #全共闘 #GeneationZ #ジェネレーションZ
三島由紀夫vs東大全共闘の映画を見て思ったこと。
三島由紀夫。高校生の頃、「おれは三島と谷崎が好きだ。」と嘯いていた割にはその本質はわかっていなかったような気がする。
大学生の時に、豊穣の海を読んだけれど、「暁の寺」以降は難解で、理解できなかったことだけを覚えている。
一つ思ったのは、「ああ、これは輪廻転生の物語か。三島は時間をそういうものとして認識しているんだ。」という事。
最近、散歩で足を延ばして、三島由紀夫が最後に住んでいた家の前を通ったりするのだけれど、まだ「三島由紀夫」表札のある洋館の前はいつも静逸で、なにか時間が止まっているように感じる。そのたびに、「ああ、三島はここで「天人五衰」を書き上げて、市ヶ谷に向かったんだな。豊穣の海をもう一度読まなきゃ。」と思う。あの事件からもう50年もう経ったんだな。
「三島由紀夫vs東大全共闘」の映画。一旦新コロナ騒ぎで中断したが、やっと見ることができた。
印象に残ったことは2つ。「時間」と「天皇」を巡る議論。
東大全共闘の理論派のリーダーと言われる芥氏が「我々の目的は解放区を作り(安田講堂の占拠がその一例)、空間を制覇することで、時間をなくすこと。三島氏は日本に流れる時間に捕らわれていて、それだけで敗退している。」というような感じで挑発すると、
三島は「それでいいと思っている。私は日本人として生まれて日本人として死ぬ。それでいい。」と切り返す。
ここから、三島の発言は日本人であるという事と天皇が重なって来る。三島は天皇は日本の根底を支えているという。「日本は天皇の元でずっと国が続き、時間が流れてきた。そういう国は他にない。」という。
私は、この、「天皇が日本人の根底を下から支えている」ということばに深く思いをいたしてしまった。
天皇は国民の上に君臨しているのではない。国民の根底にあるのだと。
例えば、フランスの王様は、人民を支配していて、国民が食べるパンもないのに、自分たちはケーキなどを楽しんでいた。そういった王様は人民の敵なので、人民によってギロチンにかかってしまった。王室が途絶えても、新しいフランスが出来上がるだけのことで、何かフランスの大事なものがなくなった訳ではなかったんだろうと思う。
日本の場合、天皇は日本人の心の深いところにあって、天皇のいない日本という国はちょっと想像できない、というのが大抵の日本人の気持ちであろう。
この映画のハイライトは、三島が東大全共闘の連中に対して、「もし、諸君が天皇と言う言葉を発したならば、私は迷うことなく君たちの中に入っていっただろう。」と発言したところだと思う。
これに対し、全共闘の連中は冷ややかで、恐らく「自分たちが打倒したい体制の中にある天皇を認める訳なんかないだろう。」と思いこんでいたのだと思う。
しかし、私は、三島は、全共闘の連中が天皇を思う事の重要性に気が付くことで、その思想と行動が首尾一貫すると思っていたのではないかと想像するところがある。だからこそ、この討論を受けて立つ気持ちになったんではなかろうか。
なぜ、そんなことを思うかと言うと、映画の中で、あるコメンテーターが、「全共闘の根っこは60年安保にあるのです。その根底の思想は反米愛国なんですよ。」と言ったことにある。
あれ、そうなんだ。それって昔の尊王攘夷じゃないか。攘夷というか暴力だけでは単なるテロで、思想性がないがゆえに世の中を変える力にならない。世の中を変える力になったのは、尊王という思想があったからだと。三島はそういうことを言いたかったんだと妙に納得してしまう。
「天皇という日本の精神を基軸にした自律した日本を取り戻す」という思想の重要性を全共闘が認識すれば、連中の行動は一本の筋が通り、三島は合流できると思っていたのではないだろうか。本当はそういう説得をしたくて、この討論を受けて立ったのではないかと想像してしまう。
ところが、映画を見る限り、三島は全共闘とのディベートを楽しみ過ぎてそのことを忘れてしまったんではないかと思えた。
三島は、「右でも左でも暴力を否定したことは一度もない。」と発言している。全共闘の連中も、芥氏の言うように、「時間の概念(ここは過去の歴史という事か)に縛られない解放区を作る。そのために既存勢力を打倒するための暴力を使う。」と、暴力を肯定しているわけだ。
しかし、暴力を使って解放区を作ったとして、それから全共闘は何を実現したかったのかが皆目わからない。そしてその解放区は東大の中だけでいいのか、東京の一部までなのか、はたまた日本全国なのかもわからない。
共産主義社会の実現を目指していたかと言うとそうではないだろう。コミンテルン―日本共産党配下の民青は彼らの敵だったわけだし。芥氏はトロッキストと言って誰かを罵倒するが、トロッキストって誰の事を言っているのかわからない。暴力系新左翼のことなのか。じゃあ、解放区を作った後、どういう社会にしたいのか言って欲しいよな、と思った。
ゴールもなくただ現状否定で暴れているだけでは、全共闘は、人数だけはやたら多かった団塊の世代の、若気の至りのヤンチャな行為だったなあ。で終わってしまう。
実際には凡そそうなったとしか私には思えない(一部の過激化したグループのことは考えない)。
全共闘の闘士も、髪を切って就職面接に行ったり(流行歌にもなったな)、企業への就職は信条としてできないと思った連中は大学院に残って学問に情熱を注ぎ、その後何人も東大教授になっている。そういう面では東大も懐が深い。古き良き時代でしたね。
一方で、三島の言う、日本の根底を成している天皇のことを考えてみたくなった。
天皇は、万葉の時代から、人民の生活を気にかけておられたことが、この有名な舒明天皇の歌からもわかる。
大和には 群山あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島 大和の国は
出雲に降り立った神々が、聖は出雲、俗は大和と定めてから、飛鳥、奈良の時代を超えて、天皇が俗な政治と関わってくるのは、江戸末期の尊王攘夷から明治、昭和20年までだろう。それとて、天皇家自らが望んでおられたことなのかどうかは私にはわからない。
日本の歴史を振り返ると、天皇家は続いてきたわけだけれど、ずっと政治権力の中枢にあって国民を支配してきたという訳ではない。平安末期から武家が政治の実態を支配するようになったけれど、天皇家は政治権力とは離れたところでずっと続いてきた。武家も天皇家があることは当たり前のことだと考えていたのだと思う。
大河ドラマレベルの理解で行くと、慶喜が大政奉還した時点で政治の執行権の名目は朝廷に戻った。
執行権を失った徳川家はどうしたかったのか。名目的な天皇の治世の元で、大名のトップであればいいと慶喜は思ったのかもしれない。一方の薩長土佐でも、山内容堂などは次の征夷大将軍は俺だ、などと思っていたかもしれない。
そういうアンシャンレジーム内での役員変更のようなことでは満足できない薩長の下級武士たちが(背後で支援するグラバーなど、イギリスやその他の勢力の思惑もあったろうが)、下級公家の岩倉具視とつるんで、徳川(フランスが支援)をなきものにしようとして、日本は内戦状態になった(戊辰戦争。先に薩摩を討とうとした慶喜も軽率だったが、徳川を支援するフランスの悪だくみもあったのかもしれない)。
そこで薩長側の岩倉具視が官軍の旗(のデザイン)をでっちあげ(大河ドラマの演出か?)、その威光「この旗に弓弾くは朝敵ぞ」でもって実勢を獲得して江戸城無血開城に至り、徳川の権勢は潰えた。ここで、天皇は統治の正統性を示す権威として使われたと言える。
この結果迎えた明治の時代は大政復古の朝廷政治になったのか、というとそうではなく、薩長がもともとの「尊王攘夷」は棚上げして、藩閥政治の元、文明開化と富国強兵に突き進む。
その明治の時代にあって、天皇は大日本帝国憲法により君主としての位置付けがされてしまった。明治の時代にあって、天皇は君主=国王であったのだろうか。
国王は(権力闘争や武力を使って)「なったもの」であり、国民の上に君臨するけれど(たとえば大英帝国の国王)、天皇家は「最初から天皇家であり、ずっと天皇家である」。この二つは全く違う。これは別の言い方をすると「天皇家は日本という時間を作っている(その象徴が年号)。」という事ではないのか。これが三島の言いたかったことなのか、と今やっと気づく。
日本の国体を当時のドイツのような諸侯分裂をやっとの思いで取りまとめたような国の姿になぞらえること自体がおかしかったのではないかと思えてくる。
国王はしょせん人であり、人が人を治めるために、その上に立つ人は何らかの根拠というか、人を納得させるものが必要になる。
そのために、王権神授説のようなものが発明されて、西洋世界は俗なる王権とカトリックの聖なる権威を抱き合わせることで社会の構造が出来上がったと言える。
それをうまくやったのが、イギリス国教会を作った大英帝国。だからイギリスは世界に君臨できた。
それに対し、欧州は、神と人の間を仲介する権威を持つカトリック教会が腐敗した(免罪符など)ことに対して、人は教会の助けを借りずとも神と直接つながれるとする新教が起き、カトリックとつながっている国王を認めない共和的な動き(フランスの1800年代前半)と相まって聖と俗がごちゃごちゃになった大混乱の時代が続いた。
このような俗な権威付けを巡る争いを超越して、「天皇が時間として存在しているのが日本という国だ。」ということを言い切った三島はやっぱりすごいと思う。
「豊穣の海」で輪廻転生の世界を書き切った三島が、天皇の時間が流れる日本を取り戻すことを考えていた。そのことに気が付いただけでもこの映画を見た価値があった。