イタリア旅行記(2)フィレンツェ メディチ家が集めたルネサンス美術を堪能 ピッティ宮殿は至福の場所だ
2017年7月11日、べネチアからバスでフィレンツェに入った。
フィレンツェの中心部に入る前に、アルノ川の南側に位置する、ミケランジェロ広場からフィレンツェ全体を見渡すことができた。
古都の雰囲気が溢れていて、やっぱりドゥオモ(大聖堂)のクーポラ(ドーム)がフィレンツエの象徴だなあ、と気分が上がってくる。
ドゥオモ広場に着いた。
通称「天国の扉」(1425-1452年)ギベルティ作。これはレプリカ(日本の「サンモトヤマ」の元会長が寄贈)で、本物はドゥオモ付属博物館にある。
早速、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に入場する。
まずはクーポラの天井画を見上げる。
天井画は、コジモ・メディチがジョルジョ・ヴァザーリに描かせたもの。
ブルネレスキが設計した天蓋の施工は、レンガをヘリンボーン状に積んで行くという画期的なものだったなようだ。
ドゥオモ広場から南に5分ぐらい歩くとシニョーリア広場に着く。
正面に見えるのがメディチ家の政治の拠点であったヴェッキオ宮殿。右端に映っているのがウフィツィ美術館のある建物。
そして、ヴェッキオ宮殿の前に建つのがミケランジェロのダビデ像(複製)
これは、写真などで見慣れた力強い勇姿だけれど、彫刻の面白いところは、360°ぐるりと回っていろんな角度から眺められること。
ダビデ像をこちらから見ると、なにか体が細くなったようで、手の位置も内側に入って見えるので、ちょっと弱い感じ見える(特に写真では)。どっかで見たような、と思ったら、NHK Eテレの「旅するイタリア語」に出てくる「ダビデ君」を思い出した。
「彫刻は、実物をぐるりと回ってみるものだ。」これはルーブルでミロのヴィーナスの背中を見た時につくづく思った。あれは世界一美しい背中ですよ。ぜひご覧あれ。
さて、正面に見えた、べッキオ宮殿に入る。ここはメディチ家が政治の拠点としていたところである。
中はこんなようすだ。
そして、これが有名な「500人の大広間」。
この場所は、今でもフィレンツェ市庁舎のホールとして使われいるようだ。天井画が凄い。
この天井裏を、ダン・ブラウンの映画「インフェルノ」で、トムハンクス扮するラングドン教授が逃げ回ったことを思い出す。
壁画もまた壮大だ。両面の壁画は、本来はレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの絵の腕の競い合いになるはずの場所だったそうだ。
では、メインイベントのウフィツィ美術館に入ろう。
場所はヴェッキオ宮殿の隣の建物。
まずはなんといってもフィレンツェのルネサンス画家の代表であるボッティチェツリ(1445-1510年)。宗教画を離れて、ギリシャ・ローマ神話の世界のエロスが漂う。
ダヴィンチ(1452-1519年)もある。しかし、これらの絵は、ダヴィンチの師匠のアンドレア・デル・ヴェロッキオとの合作であると言われているようだ。
ダヴィンチは左側の天使を描いたと言われている。右側の天使より表情が豊かでタッチが繊細であるように見えた。
ラファエロもある。
なんともいいなあ。ボッティチェツリより官能的に見える。ティツィアーノはヴェネチア人だからなあ。
カラヴァッジョもある。
首から滴る血がなまなましい。さすが「サロメ」と「法悦のマグダラのマリア」のカラヴァッジョだなあ。
彫刻もたくさんある。
テラスで外を眺めてちょっと休憩。
次はピッティ宮殿に向かおう。
ヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿に行くには、南に向かってヴェッキオ橋を通り徒歩10分ぐらい。
ヴェッキオ宮殿ーウフィツィ美術館―ピッティ宮殿は回廊(ヴァーザリの回廊)で繋がっていて、当時のメディチ家の人々は雨にぬれずに2つの宮殿の間を行き来できたということのようだ。
今の一般庶民は、ヴェッキオ橋では回廊の下側の道路を進んでいく。
さあ、ピッティ宮殿に着きました。
この宮殿の中に絵画を集めた「パラティーナ美術館」がある。その中でもラファエロ(1483-1520年)の部屋と言われる「サトゥルヌスの間」は素晴らしい。
ティツィアーノもある。
これはこの時代としては衝撃的なんじゃないだろうか。さすがのマグダラのマリア。ウフィツィの「ウルヴィーノのヴィーナス」もよかったけど。
ピッティ宮殿には、パラティーナ美術館の他に、近代美術館、銀器博物館、陶磁器博物館、衣装博物館、馬車博物館、ボーボリ庭園がある。
そこで見たもの含めていくつか写真を載せておく。
ボーボリ庭園に行きそびれたのがちょっと残念(次回は行くぞ)。
さて、絵画を堪能した後は夕食だ。
食べているのは、フィレンツェ風ステーキ(Bistecca alla Fiorentina :ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ)、Tボーンステーキです。
ワインは地元トスカーナのブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(サンジョベーゼ)。
買い物も楽しかった。町の中心のショッピング通りで、ボルサリーノとジノリのデミタスカップを買った。カップの図柄はフィレンツェ(昔のフィレンツェの風景)。
女子はテルミニ駅近くのサンタ・マリア・ノベッラ薬局(同名の教会のシスター達が運営している、ドラッグストア。石鹸と香水が有名)の石鹸は外せないそうだ。
下の2つがサンタ・マリア・ノベッラ薬局の石鹸。真ん中はウフィツィ美術館のお土産店で買ったもの(中身は石鹸)。上はマグネット。
右手前がジノリの「フィレンツェ」 。ヴェネチアで買ったヴェネチアングラスと空港でかったバローロと写真に納まった。
以上の工程が2泊3日(実働1.5日)。3日目の朝にローマに向かった。
フィレンツェはこじんまりしていてほぼ徒歩で回れる。
メディチ家の栄華は凄いの一言。銀行家として成功したようだけれど、MEDICALの語源はメディチだという話も聞いた。もともとは薬にも関係してんだな。
絵が宗教画を離れ、人間っぽい神話の世界に戻ってから、人間や社会の事象そのものを見たまま、描きたいように描くロマン主義、印象派に移っていくところをしっかりみたいな。
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イタリア旅行記(1)ミラノ 静逸な空間で見た「最後の晩餐」
イタリア旅行記を写真をベースに綴ってみる。
2017年の7月に、阪神フレンドツアーでイタリアを家族で観光した。成田からアリタリアの直行便でミラノ着(7月8日)。翌日の観光の写真をまとめてみた。
25人単位で15分の滞在が許される。空調管理されている箱に入っている感じ。「最後の晩餐」は、もともとは修道院の食堂に描かれた壁画であった。扉を作ったので、絵の下の方が欠けているのがわかる。青のきれいさが印象に残る。ラピスラズリなんだろうか。ダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」の映画を思い出しながら眺めたりした。
築何百年の古いものだが、一部屋何億円もするらしい。4階は元々女中部屋だったので天井が低く、エレベータもなくて不便。だけれど、ペントハウスという事で一番値段が高いとのこと。
世界5大聖堂のひとつ。ミラノ人はヴァチカンに次いで2位だと言うと聞いた。
ダヴィンチ・コードにも出て来た。この教会を時間の基準地にしたいという思いの表れだなあ(結局グリニッジにとられたわけだけれど)。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は1861年にイタリアを統一した王様。
その同じ年にこのガレリアが設計されていて、トリノ(牡牛)、ミラノ(赤の十字)、フィレンツェ(アイリス)、ローマ(SPQR: ローマの元老院と人民の意味のラテン語)の紋章がある。
このガレリアは統一の象徴かな。王様はトリノ出身。
この牡牛の股間付近にあるに窪みにかかとをつけたまま一回転すると幸運を招くと言われているそうだ。もちろん自分でもやった。
劇場というより役所みたいに見える。その前で歌おうかと思ったが、家族に止められた。ここではイタリア語の歌曲を暗唱できないといけないな。
この城を後にしてヴェネチアに向かった。
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パリの旅行記 美術館とパサージュ巡りの至福の日
しばらくは海外旅行に行けそうもないので、昔の楽しい旅の写真を整理しつつ、旅行記を綴ってみようと思う。
第一話はパリ。
2018年6月の家族旅行のことを綴ってみる。私は仕事を含めれば3回目のパリになる。
JALのツアーでまずはスペインに行ったのだが、その帰路が、バルセロナから飛んで、シャルルドゴール空港でトランジットすることになっていた。せっかくなので、パリ延泊のオプションをつけて3泊4日でパリを楽しむことにした。
泊まったホテルはオペラ座のちかくのプチホテル。2人くらいしか乗れない小さなエレベーターの扉を手動で開けるのが面白かった。
夕方に着いたので、まずは、近くのエドワードセット(エドワード7世)ホテルのレストランでディナー。とにかく盛りがきれい。ああ、さすがパリだな、と思う。
2日目は、マイバス社で別途予約しておいたバスツアーで午前中は市内観光。定番コースを廻ってから、ムーランルージュを眺めてモンマルトルにケーブルカーで登った。
昼にガレットを食べた。ガレットは食事系とデザート系の2枚を食べるものだと初めて知った。どちらもびっくりするぐらいおいしかった。
午後はバスでベルサイユ宮殿へ。
夕食はホテル近くのビストロでカジュアルに楽しんだ。フィレ肉の上にフォアグラがのっているが、値段は特段お高くはない。ビストロはファミレスみたいな庶民の食堂だな。
さて、3日目。絵画鑑賞のメインイベントデー。ホテルからルーブルまでは歩いて10分ぐらいで着いた。ドラクロア展をやっているようで期待が高まる。この建物を通り抜けたところに入り口がある。
このピラミッドのところから入る。凄く並んでいるように見えるけれど、15分ぐらいで中に入れたと思う。
チケットを買おうと周りを見てみると、今日は入館無料の日(6月3日、日曜日)であることに気が付いた。そういえば以前来た時もそうだったことを思い出す。
ルーブルは広すぎて、先回来たときはイヤフォンガイドを借りたのだけれど、今回は有名どころの絵画を中心に見て回ることにした。
先回も見たフェルメール(1632-1675年)の「レースを編む女」と「天文学者」を真っ先に見ようと、案内係にその場所を聞くと、今は海外貸し出し中とのこと。残念。「レースを編む女」の赤い糸をもう一回しっかり見たかったのになあ。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2019/02/17/221220
せっかくだから先回撮った写真を掲載しておこう。
そこで、まずはお決まりの「モナ・リザ」へ。「モナ・リザ」だけがガラス越し。見物人も多いので、絵画を鑑賞するというよりは、何か宝物でも見る感じになってしまう。二度目とは言え、「見た!、写真撮った!」以上にならない。丹念に画を見る感じにならないのが不思議。絵から遠いところから眺めているからかなあ。
2017年に、イタリアでダヴィンチ(1452年ー1519年)とミケランジェロ(1475年ー1564年)を見てからつくづく思うのだが、二人が活躍した1510年頃は、ルネサンス期で人間が解放されつつあった時代とはいうものの、2人の画題はほとんどが聖書からきている。
スポンサーがカトリック教会や王侯貴族などの信者で、そういう絵や彫刻を依頼した面もあるんだろうけれど、絵そのものがまだ(バロック音楽のように)宗教表現であって、印象派の画家のように、描きたいものを描きたいように描くという時代ではまだなかったんだろうなと思う。
その文脈で考えると、モナリザは一見宗教画でもなんでもないのに、なぜ皆が引きつけられる世界一有名な絵画になっているのだろう。それは「ダヴィンチが宗教を離れ、純粋に画の表現の対象を一般人に見つけたからだ、これこそ、美術の宗教からの解放であり、ダヴィンチが画期的に凄いところだ。」と思いたくなる。
ところが、美術史家の森耕治氏は、「モナ・リザ」は、当時は異端的でタブーとされる「イエスを懐妊しているマリア」を隠喩的に描いたものだ、という斬新な説を公開している。その説は私にはとても腑に落ちる。
https://www.facebook.com/yoshihiro.kawase.35/posts/1706953509461810
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1147336712304375&id=100010841718444
ちなみに、カトリック教会を痛烈に批判し、神と人が(教会を介さずに)直接つながることを求め、聖母マリアと聖人を重視しないプロテスタントに繋がる、ルターの宗教改革は1517年から始まる(カトリックの教会にはイエスやマリアの像があるが、プロテスタントの教会にあるのは十字架だけ。プロテスタントの世界では聖母マリアの絵は描かなくなると見るのが普通だ)。
ダヴィンチは1519年に亡くなる。ダヴィンチその人はカトリックだったろうから、マリアを崇拝する思いは強いはずで、「イエスを懐妊しているマリア」を描くという内に秘めた強い思いが、当時の最新画法をふんだんに用いて何年もの年月をかけて完成させるというモチベーションになって名画を生んだと、考えたいなあ。
「モナ・リザ」の世界一美しいと言われる手は、おなかのイエスを守っているからこそ、と思えばとても肚落ちするのです。
さて、聖母の絵といえばラファエロ(1483年ー1520年)も外せない。2016年にフィレンツェのピッティ宮殿内のパラティーナ美術館のラファエロの部屋を訪れて以来、とても好きになった画家だけれど、これもいいなあ。ダヴィンチと同時代人だけれど、聖母がやさしく描かれ、画風が愛の溢れる明るい感じなところが好きだな。
ルーブルに来る数日前までスペインにいて、プラド美術館にも行き、ゴヤの「カルロス4世の家族」や、「裸のマハ」、黒い絵などの印象がとても強かったので、ルーブルにあるこの絵もとても印象に残った。
マリアナってどういう人だったんだろう。意味ありげな、黒い衣装の女性を描くところはマネ(1832-1883年)の「すみれの花束をつけたベルトモリゾ」を思い出したりする。
スポンサーが王様(カルロス4世)であっても、描きたいように描くというのは、ゴヤあたりから始まったんだろうか。
アングルもある。
これもいいなあ。年代的にエキゾチックなロマン派に繋がって行く感じがある。オダリスクとはオスマン帝国でスルタンなどに仕えた女奴隷のことらしい。
さあ、次はロマン派の代表であるドラクロア(1798-1863年)。描きたいものを描きたいように描いて、ひとの気持ちを揺さぶるところがロマン派そのものだなあ、と思う。
ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」は1830年7月のフランス共和派の民衆の蜂起(3日間の栄光)を描いたもの。ビクトルユーゴの「レ・ミゼラブル」の映画の中で歌われる「民衆の歌」はこの頃の共和派の人民達によって歌われたとされる。
1830年には、ショパンはパリにいたし、若き二十歳の数学者ガロアもパリにいて、共和革命を熱望しつつ、その頭の中では、代数方程式解の問題を、解の持つ対称性の構造を考える幾何学に変換して扱う(群論)という大革命が進行していた。
https://yoshihiro-kawase.hatenablog.com/entry/2020/05/27/105306
しかし、その当時のパリは「花の都」どころではなく、映画「レ・ミゼラブル」で描かれているような、汚物と浮浪者が溢れ、感染症が蔓延しているひどい街だった(パリのコレラの流行は1832年)。そんな街で、ロマン派の絵画や音楽、先端的な数学が花開いているとは一体どういう事なんだろう。というのが私の今の大きな関心事の一つではある。
「花の都パリ」につながる、パリの大規模な都市計画が進むのは1848年のナポレオン3世以降なんだな。
今回のドラクロア展では「サンダナパールの死」が目玉の展示で、結構強烈な印象だった。
ここで少し内部の様子がわかる写真を掲載しておこう。
さて、ルーブルは「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」の巨大画を最後にあげて、印象派以降の近代絵画が満ち溢れるオルセー美術館に向かおう。
ナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれたもので、前の人物と比べるとその巨大さがわかる。権力と権威を象徴させる絵の代表に見える。
ルーブルからオルセーへは、セーヌ川にかかるキャルセール橋を渡ってすぐ。橋の上から2つの美術館を見回すと、「ああ、パリにいるなあ」と楽しい気分になる。
まずは、美術館内のレストランで腹ごしらえ。
2007年に初めてオルセーに来たときは、セザンヌ(1839-1906年)に圧倒された。本物を見る前は、「セザンヌはリンゴや山を描いて何が面白いんだろう」と思っていたが、その存在そのものを描いたような力強さに圧倒される。絵の具の厚みというか、色と形の迫力というのか、絵が3次元で、色調がアナログだからこそ伝わるものがあるんだなあ、と強く思う。
今回は山だった。写真ではよくわからないけれど、この山の前に、とてつもない広い空間が広がっていることが分かった時は、「えー、なんだこれは! どうやったらこの狭い額縁の中にこんな広大な空間を納めることができるんだ。なんて凄い絵なんだろう!」とひたすら感動しまくっていた。
この「首吊りの家」も空間的な奥行きを感じる、思わず見入ってしまう凄い絵だと思った。
さて、次はルノワール(1841-1919年)。ルノワールと言えば、やっぱり「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」。最初に見た時は音楽が聴こえるようだと思ったが、今回は、むこう向きに椅子に座っている男性の背中に当たっている木漏れ日がやけに暖かく感じた。さすが、光を描く印象派の絵だなあ、とつくづく眺めてしまった。
次はマネ(1840-1926年)。マネと言えば「草上の昼食(1863年)」。
この絵に感化されてモネが描いた「草上の昼食(1865年)」もある。モネの方は、残念ながら、右側の絵の上下と右の一部が当時の事情によって傷んでしまい、モネ自身が除去したという経緯があるようだ。
モネをもう一枚
なんかいなあ、という感じでづっと眺めていたくなる。
マネの次の画は「日傘の女」。上から自然光を取りいれた展示になっていて、印象派の絵の展示方法として素晴らしいなと思った(採光の具合は、モネの「草上の昼食」の写真の上の方を見るとよくわかる)。
マネは輪郭をはっきり描かない印象派そのものだから、ルノワールと違って女性の表情がよくわからないなあと、森先生の講演を思い出す。
ドガもある。
ゴッホ(1853年-1890年)、ゴーギャン(1848年-1903年)もしっかり見た。
さて、これからオランジェリー美術館に向かう。
オルセーを出てセーヌ川をルーブル側に渡って、チェイルリー公園をコンコルド広場の方に15分ぐらい歩くと着いた。初めてなのでちょっとワクワクする。5分ぐらい並んで、ここも無料で入場できた。日曜日はオルセーも含めて美術館は無料開放なのかな。
ここの1階は晩年のモネの「睡蓮」を展示するためにある。円筒形の部屋が2つあって、それぞれの部屋に4枚づつ、360°ぐるりと1周するように展示されている。
下の説明図にあるように、朝だったり、日没だったり、その時の光が描く睡蓮の池を描写している。写真に撮った絵はそのうちのどれだったのか残念ながら覚えていない。
オランジェリーはモネだけではない。地下にジャン・ヴァルテール&ポール・ギヨームコレクションが展示されていて、ルノワールやユトリロ、モディリアーニ、ピカソ、マチスなど名画の宝庫だ。これにはびっくりした。
これは、オルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち」と同じ少女に見えるが、どうだろう。と想像が膨らむ。裕福な家庭では、当時の日常の中での肖像画とは今でいう(スナップ)写真のようなものだったのかもしれない。
ルノワールは後年になると、(輪郭を描きたいので)印象派の画風から離れたと森先生に教わったが、「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル(1898年)」はオルセーで見た、「ピアノに寄る少女たち(1892年)」よりも、輪郭がくっきりしているように見える。
「髪長き水浴の乙女(1895年)」はこれぞルノワールに見えるけれど、「横たわる裸婦(1906年)」になると、私は一瞬ルノワールかどうか迷ってしまう。一人の画家を年代中に並べてみるのも面白い。
私はピアノを弾くので、ルノワールは何でピアノを弾く女性たちを何枚も描いたのかなあ、と思う。
画の中に譜面も描かれているので、その女性たちはどんな曲を弾いてたのだろうとも思う。モーツアルトかチェルニーか、なんて勝手に思うが、時代的に印象派と言われるドビュッシーを弾いているのもありかも、と妄想してしまう。
ドビュッシーの生没年は1862-1918年。作品で見ると、ベルガマスク組曲(月の光が入っている)は1890年。前奏曲集1(亜麻色の髪の乙女が入っている。:亜麻色の髪の乙女ってルノワールの画みたいだな)は1910年。
イヴォンヌとクリスティーヌが「月の光」を弾いていた、なんてのもありえるんじゃないの、と勝手に思ってしまう。
光を描こうとした印象派絵画と、風景や情景を音で表現しようとした印象派音楽家(ドビュッシー)って相互の影響があるのかどうか。旋律が輪郭で、和音が光だろう。光の見え方がハーモニーだ。そんなことも考えてしまう。
イヴォンヌとクリスティーヌが描かれた1898年は、ルノワール57歳。ドビュッシー36歳。この2人が、例えば2人の父であるルロル氏と面識があって会ったことがあるかも、なんて考えるとなんかワクワクするなあ。
ユトリロのモン・スンニ通りは、モンマルトルで写真を撮った場所(前掲載)に似てなくもないなあ、と思った。
モディリアーニの描いた男性は、このコレクションを集めたポール・ギヨームその人なんだ。これもびっくり。
19世紀後半から20世紀の初頭は絵も音楽も面白い。
さて、美術館を3館ハシゴして堪能した後は、タクシーでギャラリー・ラファイエットに行って、その後ホテルに戻って一休み。
夕食はちょっと奮発してホテル・ムーリスのレストラン ル・ダリへ。
このホテルにダリが長期滞在していたようで、ダリの雰囲気が漂っている。
食事は、ダリの出身地でもある、スペイン・カタルーニア地方の名物料理であるフィデウアを頼んだ。
フィデウアは、米でなくパスタで作ったパエリアのような料理。ダリもこれを食べていたのかな、なんて思いながらいただく。そういえば、フィデウアは数日前にバルセロナでもお昼に食べたな。
ル・ダリでは、ピアとドラムの生演奏(シェルブールの雨傘とか)を聴きながら、優雅に頂きました。
客層もなんだかすごい。お金持ちのシニアのお誕生会みたいなことをしているテーブルもあれば、日曜の夜なのにネクタイをして、いかにもビジネスディナーみたいに、ヒソヒソ話している二人連れもいる。旧フランス宗主国のアフリカの政府高官とフランス企業幹部の密談か、なんて勝手に想像を膨らませる。
とても非日常の空間で楽しかったな。
さて、最終日。フライトは午後なので、お昼過ぎまでホテル近くのパサージュ巡りを楽しむ。ギャラリー・ヴィヴィエンヌにも行った。
さて、パリの締めのお昼は、ギャラリー・ラファイエットの中の中華のカフェテリア。久しぶりの醤油味の滲みたごはんがハラワタに滲みわたる。海老もおいしかったな。
空港でいくつかお土産を買って帰路についた。パリが堪能できたとても楽しい3日間でした。
#パリ観光 #ルーブル美術館 #オルセー美術館 #オランジェリー美術館 #モンマルトル #レオナルド・ダビンチ #ルノワール #ギャラリー。ラファイエット ♯パリのパサージュ巡り
【YouTubeでジャズを習うー(3)】 ピアノでの4音(マイナーセブンス♭5とか)、5音(メジャーセブンス+11thとか)のオシャレコードの押さえ方とボイシング
私のピアノはクラシックの譜面再現型なので、コードで弾く訓練が全くできていない。
トライ(3の意味)アドと言われるドミソのような三音和音もキーが違うと(D♭とか)「あれっ」て感じだし、4音のメジャーセブンスどころか、5音のメジャーセブンスナインスとかイレブンスとかのテンションコードになると、5つの音をどうやって弾くんだいと、フリーズしてしまう。
ジャズの(セッションの)場合、クラシックと違って、オタマジャクシが縦積みされた和音の音符が記載された楽譜を使う訳ではない。
基本のコード進行だけが決まっていて、それに対して自分がどういうテンション音を載せ、どういうボイシング(コードの構成音の配置のさせ方)で、どういうリズムで弾きつつ、どういうフレーズでオカズを入たり、アドリブを弾いたりするかが勝負となる、と理解した。
なので、ジャズをジャズらしく楽しむには、テンション音の加え方を含むコードの展開力をつける必要がある。
さて、どうしたものかと思案している時に、こんなありがたい動画を見つけた。
このピアノ弾き語りレッスンの番組は結構私の知りたいことを教えてくれる。
(4和音コードの押さえ方の早見表)
https://www.youtube.com/watch?v=qibTfrxmq2g
(メジャーセブンスの応用展開)
https://www.youtube.com/watch?v=lXCfkYRR9FY
セブンス:左手ルート、右手はそのメジャーコードのルートを一音さげて弾く。
メジャーセブンス:左手ルート、右手はサードから始まるマイナーコードを弾く。
マイナーセブンス:左手ルート、右手はサードから始まるメジャーコードを弾く。
マイナーセブンス♭5:左手ルート、右手♭サードから始まるマイナーコードを弾く。
なるほど、こう覚えれば、コードの展開を含めてキーが何でも対応できそうだ。
動画の中でも言っているけど、F♯m7♭5は Am on F# と書いてくれればいいのにな、とは思う。
さらに、右手は3本だけ使っているので、余った指でナインスとかイレブンスの音を足してコードのオシャレ度を上げることもできるという実演を見ると、まさにオシャレな弾き語りピアノの完成に思える(やってみよう)。
でも、その前に三和音(トライアド)のメジャー、マイナーのコードの押さえ方を展開も含めて手になじませないといけないな(ギターと同じだ)。
さらに、このチャネルでは、5和音からなるテンションコードの押さえ方(ボイシング)も教えてくれる。
メジャーセブンスに9thの音を加えるやり方
https://www.youtube.com/watch?v=unS9OTEnweM&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=5
左手はルート、右手は7,9,3,5 か 3,5,7,9 をコードの流れを考えて選ぶ。
同様に、セブンス、マイナーセブンスにナインスを加える説明動画もある。
(セブンス+9th)
https://www.youtube.com/watch?v=t0vSHV3fNJ4&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=3
(マイナーセブンス+9th)
https://www.youtube.com/watch?v=Ji-dKdP0l68&list=RDCMUCBry-IGC_zBdmNkgMucqC7A&start_radio=1&t=345
さらにマイナーセブンスに11thを足す場合(5音の場合のボイシング)
https://www.youtube.com/watch?v=s-KVB_Yt7hc&list=PLqMoQkHWf7EZmpHZTzcKqLra-HHg23gn7&index=1
右手ではルートと5thを弾かないのがポイントなんだな。つまり、右手は、短調か長調かを示すサード音と、テンション系の7th、11thだけを弾く。さらに9thを足すという例も示している。
ジャズ系のソロピアノや弾き語りの場合は、ルートは左手に入れて、コードはボイシングして(左右に)入れる。右手は2、3本の指で3度やテンションのコード音を入れつつ、空いた指でメロディーぽいものを弾く、というやり方が最初に目指す形かなと思った。
#ジャス #ジャズピアノ #テンションコード #ボイシング
【YouTubeでジャズを習うー(2)】 定番コード進行を覚えるとカッコよくギターが弾けそうだ。でもペンタ(=ブルーノート)の指癖一本やりではオシャレさが足りないのも分かった。コードトーンを入れよう。
Youtubeを見ていると、ジャズ系の定番コード進行を教えてくれるものが結構ある。
例えばこれ。この動画はとてもいい。ギターなので私にはわかりやすい。
https://www.youtube.com/watch?v=q1xWTGl3fCg
ここで出てくる定番進行は キーはCとして
① Dm7(Dm9でもいい) | G7 | CM7 | A7| 最初はII-V それの循環型
② FM7 E7 | Am7 (Gm7 C7を入れてもいい) | 超定番 (Two of usなど)
③ Am7 | Gm7 C7 | FM7 | E7 | 超定番 (Sunnyなど)
④ Am7 | D7 | (マイナーコードをオシャレにする)
⑤ CM7 | Gm7 C7 | FM7 | 今の流行り (③の変形)
の5つ。
途中で講師のソエジマトシキ氏がやっているように、コードの切れ間でちょっとアドリブのフレーズというかオカズ(フィルインともいう)を入れられると、もう演奏している感じがでるなあ。やってみよう。
スケールはAmのマイナーペンタ(すなわちCのブルーノート)でいいとのこと。
最後の、固定コードでなく、度数コードで覚えるというアドバイスも的確(ギターなら平行移動とコードパタンの変更だな)。
サニーのコード進行がわかったのはありがたい。
サニーというと、この間の医療従事者支援のオンラインチャリティで、ビリーアイリッシュが、ピアノ伴奏で歌った、Sunnyのカッコよさにしびれた。これをピアノで弾き語りたいと思ったのだけれど、コードが耳コピできず、やれていなかった。これでコードがわかったので、やってみようかな。
https://www.youtube.com/watch?v=IJuHn8JzhP0
ソエジマ氏のこの動画を見ていて、ジャズ系のギターコードの押さえ方はポップス・ロック系と少し違うことに気が付いた。
例えばFM7を8フレットのハイポジションで取ったり(E♭M7の2フレット上)、Gm7もちょっとコードの中の音のとり方(これをボイシングと言うらしい)が違う。こうすることでジャズ系のオシャレ感が出てくる。
つまり、ルートや5度の音よりも、セブンスやナインスなどの特徴的なテンション音を響かせつつ、マイナー・メジャーを決める3度はちゃんと入れる。ということのようだ。
ジャズでは、コードでルートを弾かない、という事もあるそうだ。これにはちょっと驚いた。その理由は、ジャズの場合、バンドで演奏する時は、ベースがルート音を担当するから。あくまでもジャズはバンド全体で作るものなんだな。
ジャズギターのコードの押さえ方は一度全体を整理しておく必要がある。
最初はソエジマ氏の真似をすればいいかな。
【追記】
ソエジマ氏のチャネルを見ていると、氏が指摘している「ペンタ(=ブルーノート)指癖一本やりの深みのなさ」とはまさしく俺のことだと思い知った。コードトーンを入れないとね。
https://www.youtube.com/watch?v=R77tioQDHtQ&list=RDq1xWTGl3fCg&index=6
#ジャズギター #定番コード #サニー
【YouTubeでジャズを習うー(1)】ジャズはアドリブとリズム、オシャレコードにあり。まずは元ロックギター少年になじみやすいジャズブルースから入門してみる。早速、JAZZ HANONを始めて見た。
最近のリラックスタイムは、リビングのテレビでYouTubeをよく見ている。
グーグルアシスタントの機能があるので、リモコンに向かって「ジャズピアノの弾き方」なんて叫ぶと、お勧めの動画がいっぱい出てくる。
よさげなチャネルの番組を見て言ると、ジャズは全くの素人の私でも「ああ、そういうことか」と気が付くところが結構あって、自分でも「ジャズやるべ!」の気分になって来る。
なんといっても本と違って動画なので、ピアノの鍵盤やギターのフレットのポジションと実際の音がわかるので、自分でもマネしてやってみようという気になるところがいい。
こういう実技系の学びにはYouTubeはとても有効だという事がわかる。
クラシックのピアノをもう10年以上習っているけれど、数分の曲がある程度弾けるようになるのに、何か月、場合によると何年もかかっている。クラシックの名曲はそれだけ時間をかけても学ぶ価値と喜びはしっかりあるのだけれど、あまりにも進みが遅い。まあ、それは、好きな曲を技量が追いつてもいないのに、無理やり弾こうとするからなんだけれどね。
時々、クラシックの名曲のジャズアレンジ版の楽譜を手にいれて自分でやってみたりするのだけれど、これは譜面どおりに弾くという行為なので、ある意味ジャズではない。ジャズの基本がわかっていると、もう少し譜読みが楽になるかな、と思うところはある。
ジャズはアドリブと言われる。
中学生の頃、ロックバンドをやっていて、ブルースのジャムセッションをたまにギターでやっていた。ブルースはコード進行が決まっているので(ハ長調なら、C7-C7-C7-C7-F7-F7-C7-C7-G7-G7-C7-C7)、そのコードに合わせてブルーノートスケール(ハ長調なら、ドーミ♭ーファーソーシ♭の5音階=ペンタ)で、その時思いついたフレーズを弾けば、ブルースのアドリブを弾いていることになる(大抵は指癖でスケールみたいなものを弾いている)。
私の場合、ギターであれば、どのキーでも、ブルーノートのスケールの運指が身についているので(キーを変えたら指位置を並行移動するだけ)、指癖とチョーキングだけでなんとなくアドリブ(というか一人遊び)ができてしまうが、それがカッコいいかどうかは別の話になる。
ジャズにもジャズブルースという分野がある。12小節で回っていくのは同じだけれど、コードがジャズらしくオシャレになっている。
例えば、ジャズブルースのコード進行とロック系のブルースコード進行との違いが対比でわかる動画はこれ。ちょっと言葉と内容が難しい。(実演だけを見るなら6:40ぐらいから)
https://www.youtube.com/watch?v=KTF6CX8wXrQ
私のブルース/ロックギターはブルーノートスケールだけで弾いているけれど、ジャズブルースの場合は、ブルーノートと同じマイナーペンタトニックスケールや、いろんなテンション系の音を含んだオルタードスケール、ディミニッシュのコードトーンなど、複数のスケールをコードに合わせて使いこなすとオシャレになるんだ、とこの動画は言っているんだと思う(ジャズの言葉は難しい。カッコよさげなんだけど、初心者はひくんだよなあ)。
ちなみに、CのブルーノートはCmのマイナーペンタトニックスケール(すなわち、E♭のメジャーペンタトニックスケール:ミ♭ーファーソーシ♭ード)と使う音は同じなんだと気が付いた時はちょっとびっくりした。
注】ペンタ(5の意味)トニックスケールとは、そのキーの4度と7度を抜いた5音(ド―レーミーソーラ)で作る音階。ヨナ(47)抜き音階とも言われる。「蛍の光」は典型的なヨナ抜き音階。
昨年ゴスペルで歌ったAliveという曲は、Cmのキーだったんだけど、Cのブルースに聞こえた。それはCmのペンタトニック音階で作った曲だったという事なんだな、といまさらながら納得した。
さて、これら各種スケールの運指(動画の前半の内容)をコードに合わせて弾けるようになるのが、ジャズブルースギターの基本なんだと理解できる。ブルーノートスケール1本だけのロック系ブルースよりむずかしい、という事になる。
さて、ピアノでのジャズブルース。
ジャズブルースピアノの弾き方の説明は例えばこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=1uG59pqZ-n8
3つのスケール(メジャーペンタ、マイナーペンタ、ジャズブルース)を重ね合わせた上で、コードに応じてシームレスに弾きこなす技を教えてくれている。(5:50以降でデモ演奏がある)カッコいいよね。でも、ちょっと難しい。
【オシャレジャズ系ピアノ】
ピアノの場合、ちょっと男っぽいジャズブルースもいいけれど、ギターよりも広い音域でコードがならせるので、テンション系のコードを使って、ポップスのスタンダート曲をオシャレな響きで弾くのもいいなと思う。
例えばこんな動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=ITd-fnE55fc&list=PL9zW-3bazp7RUa37F1XSDNnd9Qkahe6Dy&index=6
カノンのコード進行をオシャレコード進行に置き換える実演。
♭9と♭13のテンション音の使い方の例はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=XqegaUo5ma0
ディミニッシュとオーギュメントコードの使い方の例はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=VY5TQfnUJCM&list=PL9zW-3bazp7RUa37F1XSDNnd9Qkahe6Dy&index=5
こういったオシャレコードが自由に使いこなせるようになるといいなあ。
ここで引用している、ずっしーの音楽教室のチャネルは、実際の例をスカッと知るにはとてもいいと思う(こんな風にサクサク弾きたいよ)。
でも、オシャレにしただけではラウンジピアノと言われるかもしれない。それもいいけれど、ジャズっていうからには、シンコペーションのようなリズム感やスピード感が欲しいよね。
これもずっしーさんから。
https://www.youtube.com/watch?v=X8ife7dFlqU
アドリブをするなら、基本的なコード展開をいろんなリズムで弾けて、それに合ったスケールを使ってメロディーを作るという事なんだろうなあ。
有名なII-V-Iのコード進行(ハ長調なら、Dm7-G7-CM7)で延々とアドリブする例。
https://www.youtube.com/watch?v=6I5qKRyCstc
アドリブやってるなあ、て感じがする。
まあ、こんな風にアドリブを入れて弾けるといいけれど、自己アドリブは道が遠い。まずは、カッコいいJAZZピアノソロの楽譜を手に入れて、ジャズの知識を得た目で見て、楽譜再現するのが最初かなあとは思う(なーんだ)。
という事で、オアゾ丸善やヤマハ銀座店に行って、いろいろジャズの楽譜本を漁っていると、JAZZ HANONというモノがあることに気が付いて、1冊買ってきた。
今は、最初の、左手は4音のCのキーのダイアトニックコード(そのキーの音階にある音のコード)をまずCM7(ドミソシ)の三度重ねの4音の2分音符から始めて、その指の形を保ったまま白鍵上を(キーがCだから)横移動させながら弾き、右手はその4音コードの構成音を8分音符のアルペジオのように弾く、というものをやっている。
4音ダイアトニックのコードの中に、マイナーセブンス(Dm7, Em7)、メジャーセブンス(CM7,FM7)、セブンス(G7)、マイナーセブンス♭5(BΦ)まで出てくるのがちょっと面白い気付きだな。
II-Vと言うのは、ダイアトニックコードの中で、2番目のマイナーセブンスのレファラドと5番目のメジャーセブンスのソシレファのコードを弾くこと(キーがCの時)。レファが共通で、短三度のラドと長三度のソシを入れ替えることなんだな。C調の基本音である、ドとミの音がないので終止感がなく、マイナーとメジャーが繰り返されるので、どこまでも続けられる感じになる、という事なんだろうか。
定番コード進行のことは別記事にまとめよう。
#ジャズやるべ #ジャズブルース #ジャズピアノ #オシャレコード
2020年6月30日にこの本を読んでみた。
瀧本哲史氏。東大法学部卒業と同時に助手(ほぼ首席卒業を意味し、そのまま進めばいずれは東大法学部教授)になりながら数年で退職して、マッキンゼーに転職。その後、エンジェル投資家として成功し、京大客員准教授として「企業論」や「意思決定論」を教える。
この本は、氏の母校である東大の伊藤謝恩ホール(イトーヨーカド―創業者伊藤雅敏さんの寄付で立ったビルにあるホール)で10代、20代の300人の若者に向けて、2012年6月30日に語った講演会を記録したもの。
氏は、最後に2020年6月30日に、またこの場所で会って答え合わせをしよう、と言って講演を終えたが、残念なことに氏は2019年8月に病気で亡くなってしまった。
私はもうシニアと言われるのに近い年齢だけれど、2012年の時点でこれからの日本は若い世代の活躍にかかっていると期待して、熱い言葉を語った氏のメッセージと時代理解を知り、その先見性に対して、この8年で何がどう変わったか、変わらなかったかを検証してみたくて読んでみた。
【氏のメッセージ】
・カリスマに期待して世の中が良くなることはない。
・氏は、世の中を変えそうな人をたくさん作って支援することで世の中を変えられる可能性が高いと考えている。そのために武器を与えたい。武器を与える対象は20代の若者で、自分の頭で考え行動できる人。既成概念に凝り固まったエスタブリッシュメント層には期待できない。
・氏の言う武器とは、言葉と交渉力。言葉は論理とレトリックで出来ていて、この2つがそろうと言葉は力を持つ。その言葉を使って交渉力を発揮して、仲間を集める。
・交渉の極意は、自分たちの不幸を言うのではなく、相手が得と思うことを聞くこと。要は「聞いたもん勝ち」。相手の情報を集めて相手にとって魅力的でユニークな提案をすること(交渉は相手の利害を分析する情報戦と心得よ)。非合理な相手は猿だと思って研究すると気持ちが乱れない。
・仲間を作る時は、自分と属性の違う人を集める(井深大と盛田昭夫だな)
・世の中は、若者:旧世代=1:2なので、単純な多数決(民主主義)では若者は勝てない。なので、交渉力を使って旧世代の2人に1人を仲間に引き入れる「分断工作」が必要。
・若者は霞が関の競合を作るべし。シンクタンクのような民間組織で政策立案に影響力を発揮する。
・ダメな場所にいて援助を受けるのは、そのダメの根本にある不合理が温存されるのでダメ。ダメな場所を離れることで世の中は変わっていく。
・政治でもビジネスの世界でも大きな変化を生み出すのは若者であるのを思い出そう(李明博、キャメロン、井深大、松下幸之助など)。
・パラダイムシフトは、旧説を墨守している年寄りが死んでいくことで結果として起きる。逆に言うと世代が交代さえすればパラダイムシフトは起きる。つまり、下の世代が正しい選択をしていけばいつかは世の中は変わる。
・ピラミッド型のトップダウン組織の時代から、フラットな組織での相互依存の時代になる。弱い力で繋がる相互依存の時代だからこそ、交渉力によって自分を有利な状況にもっていくことができる(上意下達ではないので)。
・中心がない分散的なネットワークを作る(これは先見性ありますね)。リーダをつぶそうとしても誰がリーダーだかわからない(アノニマスな)結社は強い(昔のフリーメーソン)。
・緩やかなつながりの秘密結社が、「意見は違うけれど、ある目的の行動のためには協力する」という動きをすれば、その件で世の中を変える力にはなり得る。そこでは仲間を増やすための交渉力が大事になる。
・ベンチャーの成功要因はテーマとメンバー。
・アイデアだけでは成功しない。同じアイデアを思いついている人は他にもいる。大事なのはそのアイデアを実装する実行力。それと、自分がその事業をやる理由が強いこと(自分の人生経験が入れ込まれているとさらに強い)。それさえあれば交渉力も迫力を増し、仲間も支援者も説得できる。
・Bon voyageとは、自らリスクと向き合って進んでいく船長に対して敬意を込めて言う挨拶。船員に対して言う言葉ではない。Bon voyageと言える自立した人間が世の中を変えていくことを期待している(結言のことば)。
・8年後の2020年6月30日にまたここであって答え合わせをしましょう。
【読んで思ったこと】
真っ先に思い出したのは若者がネットを活用しながら政治活動を行ったシールズ(SEALDs)である。
2015年から1年ぐらい活動して終わってしまった。「反安部」を前面に出した政治運動になってしまったので、各方面からの攻撃が凄かったんだろうな。
瀧本氏のアドバイスを考えれば、オジサン勢力を仲間にするための交渉の力となる、人生を入れ込んだビションが弱かったんだろうと思う。反○○だけでは人は説得できない。
そんなことを思い出しつつ、今いったい何が起こっているんだろうと思うのは、アメリカのBlackLivesMatter運動におけるジェネレーションZ(2000年頃生まれた若者)のことである。
https://www.businessinsider.jp/post-214266
SNSでデモを呼びかけ、誰がリーダーかもわからないが、集まって一応平和的なデモを行う。奴隷制を支持した南部を代表する昔の将軍などの銅像が引き倒されたりはするけれど、ひどい暴動のような形にはならなくなった(ここがフランスのイエローベスト運動と違うところ)。
この活動は社会に受け入れられている感じがする。トランプはごちゃごちゃいうけれど、それによって彼の立場はどんどん悪くなり、リベラル系の面々もこの運動を黙認している感じがする。なにか大きな社会的ムーブメントになりそうな予感がある。
香港が典型だけれど、最初は大学生が中心となった理性的なリベラル運動として始まったものに、別の意図を持った職業左翼やテロリスト、他国の工作員が入ってきて、デモが暴徒化し、最初の目的に対して真逆の結果になってしまうことはよくある。それが今のアメリカではあまり感じられないのは何か潮目が変わったのかと思ってしまう。
若者の過激な政治運動というのは、日本でも昔あった。それを全共闘運動と言う。1968年頃のことである(東大入試がなかったのは1969年)。
その頃アメリカでは若者のヒッピー文化が流行っていて、Summer of Loveと言われていた。ベトナム反戦活動の意味が大きい(終戦は1973年)。ジョンとヨーコが結婚してラブアンドピースをしたのが1969年。ウッドストックが1969年。
このころから50年経った訳だ。あのころの若者はさすがにもう70歳を超えた立派なシニアで、STAYHOMEしている。だから、今の若者(ジェネレーションZ)の活動は元ヤンチャな若者の「夢をもう一度」のアナクロニズムに汚染されないで済んでいるのだろう。
瀧本氏の言う、旧世代が死ぬことでパラダイムシフトが起きる、まさにその時代になったのだなと思う(シールズが活動した2015年はまだその旧世代(団塊の世代)が最後の一花にこだわる60代中盤だったことが災いしたのかもしれない)。
コロナに怯えてシニアがSTAYHOMEしている今こそが、若者がパラダイムシフトを起こす絶好のチャンスだ。
振り返って、日本の若者はどうなんだろう。コロナで飲食業でのバイトがなくなって授業料どころか生活費もない、などという話しか聞こえてこない。
翻ってアメリカ。アメリカは個人や企業の自由と利益を優先する共和党と、社会の平等と公正な分配を優先する民主党が政権交代を繰り返してきたのと、根深い人種差別問題があるので、分断された階層間の対立と社会的公正の実現に対する感度が高い。
ここが日本と大きく違う。日本人はたいてい日本人はみんな一緒と思っている。150年ぐらい前に、戊辰戦争という内戦をしたけれど、上野の西郷さんの銅像を倒せなんて今言う日本人は一人もいないだろう。私の友人の一人は、鹿児島生まれで、就職した会社の新人研修先が会津だったので、殺されるか、と怯えたそうだが、よくしてもらったよ。なんて冗談が出るぐらい内部的には平和な国だ。
アメリカでは、戊辰戦争の数年前に起きた、米国の内戦である南北戦争の決着はまだ完全にはついていないと言う人もいる。南部軍の旗が州の旗の一部に残っている州もある。非白人のオバマ大統領がでても根本解決にはなっていない。
アメリカのジェネレーションZが150年越しの大きなパラダイムシフトを起こすのか、注目している。その時には従来からのリベラルのシニアエリート層は一掃されるかどうかがポイントだと思う。
オバマはこの辺のシニアホワイトリベラルエリートを守った。だから大きく変わらなかった。バイデンはそのホワイトリベラルの代表。非白人急進リベラルの若いオカシオコルテスあたりが、ひょっとして副大統領にでもなって(多分無理)、バイデンに事故でもおこればとんでもないことになるかな、と他国のことながら妄想している。
さて、もう一度日本。コロナ禍をきっかけに、STAYHOMEしている旧世代を押しやるような大きなパラダイムシフトを若者が起こす感じは全くしない。
経済的な困窮が若者の活力を奪っているのか、答えのないことにチャレンジするマインドをなくすように仕組んだ旧世代の教育の仕組みが機能して、若者にとっては残念なことになっているのか。
アメリカでは、「I can't breathe.」と言って亡くなったフロイド氏の弟が、「暴力ではなにも変わらない。変えるのなら選挙に行ってくれ。」と言った。この一言はひょっとしたら歴史に残るかもしれないと思う。
瀧本氏の言う、言葉の力が仲間を作る好例だと思う。
日本ではどうだろう。「人を生産性だけで測るな!」と強い言葉を発した人が都知事選に出ている。この言葉が、困窮している若者を集約する力になるのかどうか注目している。
でも、瀧本氏はカリスマを求めるのではなく、自分から行動しようと言っているんだよね。
なんだか、日米の若者比較論になってしまったけれど、瀧本氏の2012年の言葉は今でも全く古びていない。
特に、中心がない分散的なアノニマスネットワークが世の中を変える力があると、2012年の時点で言っているのは凄い先見性だと思う。
話は突然経済になるが、旧来の効率の悪いSWIFTベースの国際送金の仕組みに風穴を開けようとしたビットコインの基本は、このオープンで管理者のいないアノニマスな分散システムにある。
オープンなのにハッキングが事実上不可能な価値交換(送金)と交換結果の合意形成の仕組みを作ったところが凄いところである。
ビットコインは2009年頃に始まり、2012年のキプロス危機の時の金融資産の逃避先として使われた頃から注目度が上がった。そんな頃に瀧本氏は分散型アノニマスシステムの将来性を見据えていたんだな。
それと、フラットな組織での相互依存の時代になるという予言。これは今後進んでいくだろう。けれど、ピラミッドの中間層にはびこって何もしていないオジサンたちが抵抗勢力。そういうオジサンたちはワークホームで自分たちの不要不急度が顕在化しているので、焦ってGOBACKOFFICEを叫んでいる。これもやりようによっては今がチャンスだ。
もう脱線しまくりだけれど、それは瀧本氏の言葉が今でも輝きを放っている証拠であるともいえる。
若い人はもちろん、どなたにもお勧めです。
#瀧本哲史 #BlackLivesMatter #全共闘 #GeneationZ #ジェネレーションZ